パンがないなら、死ねばいいのに 後編の続き。
(14)生きづらさ・インターネット・自殺 ①生きづらさ 社会、学校・会社、での友人関係のトラブル、いじめ、同調圧力(とそれへの馴染めなさ)、リストラ、借金。家庭でのアルコール依存症の親、性虐待、暴行、ネグレクト、過剰な期待、大人であることの期待、居場所のなさ、過剰同調、バランス役。 むなしさ、無気力、疲労、いらだち、絶望。 欝、摂食障害、自律神経失調症、強迫神経症、人格障害。 売春、家出、リストカット、オーバードーズ、自殺。 明らかな悲惨によるものから外観上恵まれた環境における苦しみまで、現代日本社会で生きること、普通に生活すること、ができずに彷徨い、試行錯誤にある人々。 ②インターネット パソコンの95年のOSウィンドーズ95、携帯での2000年のiモードの登場によってインターネットが社会で広く利用されれるようになり、ネットは日常に浸透するようになった。 98年、ドクターキリコ事件とペット美容師自殺幇助未遂事件という二つのネットを利用した自殺が起きる。 2000年、歯科医師と元OLがネットで知り合い歯科医宅で服毒自殺する。報道された最初の「ネット心中」となる。 2003年には心中掲示板で知り合った3人が埼玉のアパートの開きべたで練炭による集団自殺をする。ネット心中は連鎖し、「ネットで募集・練炭・車」が定番化する。 ③自殺とメディア ①のような状態にある人々を「生きづらさ系」と名づけて取材・執筆活動を行っている渋井哲也さんは、テレビや新聞といった比較的古いメディアとインターネットという比較的新しいメディアにおける生きづらさや自殺との関係について以下のような指摘をしている。 インターネットは「生きづらさ」を言葉にできる場となることで苦しむ人々の解放に作用する面もあるが、語ることで“「生きづらさ系」な自分を発見し、自己イメージを「固定化」”させ“「不変な自己」をネガティヴに受け入れていく”危険性や自傷行為がネットでのコミュニケーションのキーとして作用し内部で激化(“生きづらさ競争”)し周辺を引きずり込んでしまう危険性、社会に関る問題を“個人的な「心」の問題に吸収”させてしまう危険性がある。 テレビや新聞といったマス・メディアはネットに関連・利用した自殺事件を契機に、本質的な分析抜きに規制論を訴えるが、自殺事件の報道自体が新たな連鎖の引き金となる危険性があること、逆に報道しないことで注目を浴びようと新奇性を狙って行う人々が現れる危険性がある。 メディアはその登場発展の過程から自殺に大きな影響を与えてきた。 現在は比較的古いメディア、エスタブリッシュド・メディアである新聞は、明治36年(1906年)に起きた藤村操の華厳の滝投身自殺を3日に渡って一面で報じ、一人の死を賞賛と非難に包まれた“歴史的事件”に高めた。この事件報道は群発自殺を誘発し、一ヶ月で6件、4年で185人の未遂を含む自殺者が出た。新聞は連鎖したこれらの自殺、上昇している自殺率について報じ、自殺問題の原因について現在と同様なもの、哲学・文学かぶれ、自由恋愛、拝金主義、都会の奢侈などを「識者」たちは挙げた。 華厳の滝と並ぶ自殺名所となった三原山も、新聞が大きな役割を果たした。 昭和8年(1934年)に起きた女学生の投身自殺は、「死の立会い」という特異性から発行総数1000万部に達した新聞に大きく取り上げられ、3ヶ月で99人が自殺した。 さらに戦後は、テレビも加わったマス・メディアが昭和47年(1972年)に高島平団地の投身自殺を報じ、団地外から自殺者志願者を集め、報道自粛とともに自殺者を減少させた。 そして平成15年(2003年)、埼玉の練炭による集団自殺は「ネット心中」として大きく報道され、連鎖する。 ④心中機械 “彼らには「ネット心中」という手段でさえ、模索の一つの形なのだ。” 渋井哲也さんによると、「ネット心中」は、[心中呼びかけ]→[応募]→[条件等の提示](→[打ち合わせ]→[下見])→[集合]→[実行]、のプロセスで進行する。 応募したり打ち合わせをしたりするプロセスで集団が自然消滅したり、個々人が抜けたりする(しかも自殺自体を止めるわけではない)。 興味深いのは、[条件等の提示]にある。「女性のみ」や「未成年お断り」ならば分かりやすい理由(レイプ防止や法的責任回避)が考え付くが、「タバコをすわない人」といったものまである。 “お互いがお互いを「道具」として、「自殺マシン」として利用するのが「ネット心中」なのだ。”と表現される場合の、「自殺マシン」はキヴォーキアンの作った自動的で確実な安楽死装置ではなく、スロットのようなもので、その当り目が提示された条件だと言える。 その姿勢は、「生きづらさ」を抱える人々の自分語りにある運命論の色彩と通底する。 なお、見知らぬもの同士が集まって自殺するという点が「ネット心中」で注目されるが、昭和初期の三原山での自殺でも、熱海で同宿した4人が偶然自殺志願者であることを知り合い三原山に行き、さらに大島の宿で東京からきた自殺志願者の少女と知り合い一緒に自殺することにした、という事件(この集団自殺は辞世を落としたのを発見され、直前に止められた)、汽車中で知り合った20代の男性二人が三原山について話が弾み、一人が自殺するのをもう一人に見届けてくれるように依頼した事件、があった。 これらの事例は交通網・情報網の発達によって可能となった集団自殺の形態として現在の「ネット心中」の途上に位置し、メディアを意識した自殺である点でも本質的には同じものだと言える。 つまり、見知らぬもの同士の自殺は特別新奇な現象ではないし、「ネット心中」の特質としても[条件の提示]の方が強いと考えられる。 ⑤濃密さと勢い “自殺まで行くのは偶然的な確率の問題だと、みんなが知っている。あったからといって必ずしも死ぬわけではないことを知っているわけです。だからこそ、会ってみようかということにもなりやすい。 で、会ってみると偶然にシンクロして、死んでしまうこともあるというわけでも。そのことも十分に意識されてうえで、それでもいいと思っている。” 宮台真司(首都大教授・社会学)は、ドクター・キリコ事件の草壁竜次が行ったような濃密なコミュニケーションから現在はコミュニケーションの勢いへと自殺が変化したという。 “待ち合わせの日の天候も左右したのではないか。待ち合わせは10月9日。この日は、巨大となった台風22号が関東を通過した。朝から交通機関は麻痺状態。新幹線もストップした。そのため、地方から来る人達はなかなか上京できない。 その中で、結果的にマリアも含めて7人が集まった。(中略)通常の心理でもなかなか集まらない状態だったために、「こんな天気なのに、せっかく集まったので、実行しないと…」とは、メンバーの誰しもが考えたことだろう。” 渋井哲也さんも、知人の女性マリアの自殺について気候という、本当に偶然的な要素が後押しとなったのではないかと分析する。 ネットを自殺に利用することは、多数の情報によって確実性を上昇させていくというより、自殺する・しないを含めた偶然性を上昇させた。 しかし正確には、偶然性を上昇させたというより、偶然性を可視化するものがインターネットであり、それを利用したために偶然性が上昇したように見えるのではないか。 濃密さから勢いへという図式は単純に過ぎ、インターネットという偶然性を可視化するものの上に起きたがために「勢い」という要素が強調されるが、内容や事情から見ても濃密さという点では(少なくとも明治以降の自殺と比較して個人レヴェルでは)大きな違いがないように感じられる。 ただネットにおけるコミュニケーションのシニカルさは、面識のコミュニケーションでの勢いを容易に加速させる要素となっているとは考えられる。 引用・参照は以下の通り。 タイトル 『卒業式まで死にません』(新潮文庫)南条あや著 ②『ネット心中』(生活人新書)渋井哲也著 ③『若者たちはなぜ自殺するのか』(長崎出版)渋井哲也著 『自殺の思想』(大田出版)朝倉喬司著 ④⑤『明日、自殺しませんか』(幻冬社文庫)渋井哲也著 ⑤『この世からきれいに消えたい』(朝日文庫)藤井誠二・宮台真司著 『Dr.キリコの贈り物』(河出書房新社)矢幡洋著
by sleepless_night
| 2007-10-04 21:40
| 自殺
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