遺体の国の21グラム。 中編の続き↓ (5)遺体=人体の過剰性 “新聞の投書であれ文集の随想であれ、篤志家らの文章の特徴は、そこに解剖台がないことである。抽象度の高い言葉でつづられており、「解剖体」や「切り刻む」といった表現は見られない。もしもそれが単に修辞上の特徴ではなく、そのまま篤志家らのもつ世界の表れだったとするならば、篤志家(団体)と解剖学教室とのあいだに横たわる溝は、そうとう深かったといわねばなるまい。遺体の寄贈は、解剖台の近景や解剖体の露骨な数読みが見えないように運ばれていたからこそ行われ得た。そのため、それらが可視化されてしまうと、「篤志」は想像力の基盤を失いかねなかったのだ。” 香西豊子(日本学術振興会特別研究員、学術博士)さんは、医療・医学への提供を可能にした言説を分析し、今日の移植ネットワークの行き詰まりについて以下のような分析をしている。 江戸時代の医学である漢方にとって死体は神気が散じた「虚器」であり解剖は不用とされていた。 1754年の記録上の日本初の解剖である山脇東洋、1771年の杉田玄白、いずれも刑死体を「穢多」が執刀するを見学したものだった。 刑死体は「御様御用(おためしごよう:刀剣の利鈍の鑑定のために人体を試し切りする)」に供される斬首刑の死罪の男子があてられ、いわば死体をバラバラにする刑の一つとして刑場でなされた。 明治に医学が西洋医学に制定され医学校が設立されると、解剖の必要が生まれた。 これにより、刑場ではない場所で解剖する事態が発生する。 解剖用死体の調達先は東大病院の入院患者で「当人所望之者」「貧民埋葬出来兼候者」があてられることが政府から許可され、1869年に死後解剖を申し出たとされるミキ女が第一号と言われている。 以降4体ほど「本人の申し出」による死体が出るが、1870年には「刑死者・獄中死者で受取人がない死体」を「平人病死者」でさえ解剖が許されているのだからと供給を申請する。本人意思による死体ではその後の葬儀費用などがかかりすぎること、刑死体の方が容易に入手できることも影響したと推測される。 1873年には解剖体不足を理由に、引き取り手のない養育院の病死者まで解剖用に願い出て認められている。また、学用患者として診察費無料で死後は解剖体として死体を「願い出る」という施療院も京都や東京など各所で作られた。 1883年より行旅死亡人の受け入れを養育院が開始し、規則としては養育院の死体は火葬されることになっていたが、解剖学教室と養育院との直接交渉で火葬費用の一部を教室が負担することで解剖体として教室へもちこまれた。1889年、同じように養育院の治療を東大が受け持つ代わりに、養育院での病死者の解剖を東大解剖学教室が受け持ち、内規で顔の解剖をしない条件で正常解剖に充てられた。 解剖体は刑死体・獄死体、系列病院、養育院の病死体と、開拓されてきたが、これらは引き取り手のない「無縁」の死体という属性で共通することになり、「無縁」が解剖体の主流となった傍流で僅かに「特志」の死体が供給された。 戦後、1947年に死体交付法が公布・施行され、「無縁」の死体は学校長の要請を知事が許可することで解剖体として交付されることとなった。 1949年には死体解剖法が制定され解剖の法的根拠を明確にし、解剖が死体損壊に当たらないことを明らかにした。 刑死者の減少や医学校の増加で解剖体不足は深刻だったが、依然として解剖体は「無縁」を想定されていた。 1955年、一老人の医学への貢献のための遺体寄贈の実現と老人の息子による遺体寄贈組織・白菊会が東大解剖学教室に生まれる。全国に「篤志」による献体の組織が結成され、全国運動にまで発展する。 1983年には献体法が制定され、献体には「献体の意思」と「家族の同意」が必要とされた。 80年以降、献体は順調に増加し、90年代以降では献体の受け入れを制限する大学まで現れている。 人体は過剰性を持つ。 “人体という言葉づかいは、生命科学との連関を予想させるだけでなく、どこかですでに、ある社会性をまとっている。” “人体はそれ自体ですでに、物質や言葉が乗り入れる過剰なあり方をしているともいえる。それは、侵襲的な機構を仮想されずとも、言及されるだけで、みずからの物質性をどこか賦活させ、そこに築かれていた意味論をそのたびごとに震撼させる” 過剰性は「社会」にとって制御しえない生命に脅かされる根源的な不安、“人体という不安”を付きまとわせる。 刑場での刑罰という属性内に規定されていた死体は、近代になると西洋医学の解剖によって流通性をもつ「人体」へと見出された。 そこでは死体を切り刻むことが刑罰であり辱めでしかないという認識から、その認識を上回る人々の「生」への志向が「人民の幸福」を理由として流通を駆動した。 だが、流通し始めた「人体」はその過剰性ゆえに容易に需要を満たす供給量を出せるなかった。 そこで、「人体」の過剰性を解除するミキ女の「本人の申し出」を梃子にした施療院と無縁の死体が供給元として選択され、「本人の申し出」は「人体」を流通させるコストから傍流の「特志」へと追いやられていった。遺族のいない無縁の死体は、「人体」の過剰性を解除するコストが低く済んだからだ。 解剖という営みが制度化されると、解剖が始まった時から・始まったからこそ不足でしかなかった「解剖体不足」が常態として実体化さた 戦後に「篤志」が組織化されると、それまで解剖を支えてきた施療院と無縁の経済と「篤志」の経済とが衝突する、「人体」の過剰性を無縁の死体を選択することで解除してきた仕組みとそれを支えた言葉が「篤志」という新しい過剰性の解除の仕組みとそれを支える言葉と整合せずに、対立した。 両者を調停するために医療の倫理が紡ぎだされ、それによってかつての無縁による過剰性の回避は否定されるべきものとして語られるようになり、ミキ女らの「特志」は「篤志(善意)」へと読みかえられ、「篤志」の推進による解剖体の経済が確立した。 そして近年、その経済を生み出した「篤志」は供給過剰によって当初は全く想像もされなかった解剖の意味付けをもたらしている。解剖体不足の時代には医学の基礎知識習得手段に他ならなかった解剖は、解剖体が過剰になると知識の習得ではなく倫理の感得へと意味が変わっていった。 一見、倫理の言葉はそれ自体の価値によって「篤志」の献体を創り出したかのような歴史も、「人体」を流通させるための経済の帰結であった。 解剖へ「人体」を流通させた人々の「生」への志向は、死体から臓器を取り出し病者へ移植することを求めるようになった。 ところが、臓器摘出は解剖のように需要を満たすために供給をひたすら探せばよいという経済論のみで成り立つのではなく、摘出臓器とレシピエントの適合という問題、新鮮さをもとめるための死の判定、死体からの臓器摘出、という問題などの技術論もが「人体」の流通形成に影響を与える。 そして、ドナーとなる「人体」の周りには遺族がいた。 これをクリアしようと「同意」が持ち出される。解剖を可能にするための言葉が死体をめぐる言葉の整合性や「人体」の過剰性を解除し遺族との調停に持ち出され、移植のネットワークが組み立てられた。 ところが「同意」のネットワークによる移植は、移植の技術論によって行き詰まる。 人々はレシピエントへ臓器を提供するという「同意(善意)」によってネットワークへ参入するが、これはドナー側の技術論しか解決しえず、レシピエントとの適合という技術論はのこり、ドナーから「同意(善意)」で取り出した臓器が不適合によって捨てられてしまうという「同意(善意)」にそぐわぬ事態を生じさせた。 これが人々に知られると「同意(善意)」はドナー不足の一因となり、レシピエントは別の臓器流通の経済へ、生体移植へと向かった。技術的にも親族からの生体移植は適合可能性が高いのだ。 「人体」は流通し難いにもかかわらず、“「人体」やドネーションに関するさまざまなっ言葉―先行する法の言葉や、経験から抽き出された「教訓」など―が大いに活用され”“「人体」が不在のまま「篤志」が移植片のドネーションへとなだれ込んで”“流通にたいして固有の抵抗係数をもつ移植編が、あたかも容易に流通するかのごとく描かれ”てしまったことが、移植のネットワークを「いびつな」形に導いた。 “ネットワークというドネーションの難航と生体移植の実施率の高さは、因果の関係にあるのではなく、「人体」の流通しがたさを表す並行現象としてある。” 私たちは今、「同意(善意)」という言葉によって「人体」の過剰性を解除可能にする社会にいる。 実は、同じ「同意(善意)」でも、それが持ち出された経緯、流通の経済論と技術論との調整としての倫理も異なっているにも関わらず、「人体」は「同意(善意)」によって流通することができる。 同意できるもの全員がドナーとなりうる、「同意(善意)」によって解除される「人体」は全身体が流通可能で、抽象化される。 ちょうど献体の言説から解剖体が消えたように。 ドナーとレシピエントとは隔絶していった。 ところが、「人体」が流通可能で抽象化された社会では私たち全員が潜在的にレシピエントでもある、つまり、ドナーとレシピエントとの重なり合いも生じる。 “ドネーションへの要請は、どのような機縁のもとでも、レシピエントの「生」に発していた。(略)ドネーションは、レシピエントの「生」をめぐる言葉の編成を起点としていた。(略)とはいえ、いくらレシピエントの「生」が慮られるといっても、その動きがドナーの「生」を侵襲するような場合には、ドネーションは停止する。ドナーのまわりに、とたんに「倫理」的な言葉が醸成され、今度はそちらの「生」が荷重されるようになる。(略)現状においては、ドネーションは、そもそもの<意思>を発露するドナーの「生」ありきのものなのだ。日本では、献体や献血に比べて臓器移植がふるわないといわれる事由も、おそらくここにある。一般に言われているような、ドネーションの歴史の浅さや具体的な手続きの未整備のためなく、現代の増進されるべき「生」がそうした形をとっているのだ。” 一人の「生」の内で、ドナーの「生」とレシピエントの「生」は、どちらかになる日まで調停もされずに潜在する。 (6)数の選択 “誰もがレシピエントでもドナーでもありうる世界においては、「調停」という営みがそもそも、達成不能な企図なのかもしれない。現状では、その配分の場を覆っているのは、単純に数の論理である。” 6月18日、数は選択した。 香西さんのように歴史を分析すれば、倫理とは経済論と技術論の調停として登場したが、一人の「生」で矛盾する潜在を調停しうる倫理の級審は探りえなかったのだ。 倫理に関わることだからという理由で、政党の多くは各議員の自由投票を指示し、見事に倫理の調停がなされなかったことを表した。 そこで選択したのはレシピエントとしての「生」だった。 自分は生きて、ドナーにはならないという選択だったとも言えるかもしれない。 ついにレシピエントの「生」への志向が移植の経済論と技術論を貫徹したのだ。 調停不能だった倫理は、経済論と技術論にとって用なしになった。 ドネーションは“<意思>を発露するドナーの「生」ありきのもの”だったら、ドナーは「死」んでいればいいのだし、“<意思>の発露”には耳を澄ませなければいい。 (7)倫理の言葉 医療における倫理へ影響を与えた様々な言葉がある。 その嚆矢として有名なヒポクラテスの誓いは、患者の利益最優先・無危害、致死・堕胎の禁止での生命尊重、結石手術の専門者への依頼が示す専門性尊重、患者の階級差別禁止、患者の秘密保持などを定め、現在では内容がパターナリスティックであるという批判もあるが、現代にも通じる内容をもつ。 ヒポクラテスの誓いを現代に改めて医の倫理を規定しようとしたのが1948年のジュネーブ宣言で、人類への奉仕、良心と尊厳をもっての専門職実践、患者利益の最優先、患者の差別禁止、患者の秘密保持、人権や自由の侵害への医学知識利用禁止などを定めている。 つづく1949年には医師としての義務を一般的義務・患者への義務・同僚への義務と詳細化した医の国際倫理綱領が採択された。 ジュネーブ宣言、医の国際倫理綱領の精神を受け、1964年にはヒトを対象とした医学研究の倫理原則を規定したヘルシンキ宣言が採択された。75年にはインフォームド・コンセントの概念を導入したことで注目される(インフォームド・コンセント自体は1957年の医療過誤訴訟についてのカリフォルニア控訴栽の基準として登場している)。 インフォームド・コンセントように医療を受ける側の権利を規定したのが1981年のリスボン宣言(患者の権利に関する世界医師会リスボン宣言)であり、ここで「患者の自己決定権」が明示され、医療倫理の試される困難な事例における判断基準となっていった。 以上のような各宣言に表されたような医療倫理の原則としてトム・L・ビーチャム(ジョージタウン大教授、哲学)とジェイムズ・F・チルドレス(ヴァージニア大教授、哲学)は1979年『生物医学・医療倫理の諸原則』(邦題:生命医学倫理)で自律尊重原則・善行原則・無危害原則・正義原則の4つを挙げ、誰でも直観的に受け入れられる倫理に共通の言葉を用いて医療現場での議論に対応できるようにした。 これを用いれば、医療の倫理は、善行と無危害の重視から自律と正義の重視へと変化してきたと言える。 また近年ではこの4つでは議論が不十分であるとして、尊厳の概念やケアの概念も議論に用いられるべきだとされている。 この医療倫理4原則自体も大きく2つの争点を蔵している。 一つは各医療倫理原則内部の争点。 自律尊重原則についていえば、「自律」の実質的な定義について、当人の持つ何らかの価値に合致した決定(自己決定)・熟慮の上で重要だとみなす価値に合致した決定(神聖な決定)・感情や感覚や他社の意志などに規定されずに自ら定めた普遍化可能な法則に従い下した決定(理性的決定)などがあげられ、さらに「尊重」とは他者の支配的な制約に従わないこと(消極的)か必要な情報を開示したうえで自律的決定を促すこと(積極的)かという見解の違いがある。 善行原則についていえば、「善行」とは「他者に利益をもたらすために遂行される行為」であるが、「利益」の定義には、は単純に他者の主観的な苦痛を減らし快楽を増やすこと(心理状態説の快楽説)・他者の欲求を充たすこと(欲求充足説)・理性の活動や能力の発達のような客観的に善いと判断さえることをし、裏切りや残忍な行為などの客観的に悪いと判断されるものを防ぐこと(客観的利益のリスト説)があり、また「行為」には、害悪を防ぐこと・害悪を生じさせる原因をなくすこと・利益を促進するよう介入することなどがある。加えて、善行の責務には契約や血縁などの関係にある人への責務(特殊な善行の責務)と関係に関わらない責務(一般的善行責務)があり、其々で責務の限界や条件を考える必要がある。 無危害原則についていえば、「危害」とは「ある人や物に対して為された害悪またはある人や者が被った害悪」であるが、医療倫理では意図的な人に対する危害に限定される。無危害とは「危害を引き起こさない・及ぼさない・危害のリスクを負わせない」ことだが、医療で求められるのは注意義務の範囲内に限る。具体的な内容は、殺さないこと・苦痛を引き起こさない・能力を奪わない・不快を引き起こさない・他者から良いものを奪わない、など幅がある。 正義原則についていえば、「正義」とはアリストテレスが狭義の正義を均等だとし、これは命法として形式的には「等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱うべし」、実質的には「各人に各人の正当な持ち分を与えるべし」とされている。実質的な命法で「各人に各人の正当な持ち分を」という部分を中心に正義を考えるジョン・ロールズは分配的な正義・公正さを重視する、一方で「各人の正当な持ち分」をという部分を中心に考え持ち分の正当性を重視する正義をロバート・ノージックは説く。 これら、各原則内部での争点がある上で、もう1つは各原則の間での争点がある。 脳死の例で考えてみれば、脳死状態になった人が予め臓器提供意思表示を行っていたとして、医師はその意思表示を尊重する責務(自律尊重原則)の一方で脳死への疑問から無危害の責務(無危害原則)や善行原則と対立する。また、その人が自分の臓器を特定の他者に与えるために積極的に脳死状態を自らに実現させたいと精神科医に打ち明ければ、精神科医は患者の周囲に注意を促す(善行原則)か秘密を守るか(自律尊重原則)の対立に悩み、脳死状態になることに成功したら予め指定した他者へ臓器を与える(自律尊重原則)か医療の観点から最も必要性の高い人に与えるか(正義原則)で対立が生じる。 原則間の争点を解決する方策として、抽象的な原則を事例に即して特定化する、原則間の比較考量をする、優先順位を設定する、単一の原則を決める、などがある。 臓器移植改訂案については既に述べたとおり、6条3項の改訂によってA案は現行法の自律尊重原則を、6条の2の新設によって現行法の正義原則(分配的正義)を覆している。 代わりに、あえて言えば善行原則を採用した様にも解釈される。 ただし、医療原則における善行原則の「善行」が向けられるのはドナーとなる患者であるのだから、無理がある。レシピエントの意志や移植医の「善行」には当てはまるかもしれないが、脳死について国民がどれほどの知識を有しているのか、ドナーとなる患者や代理者を守る仕組みの貧弱さを考えれば無危害原則にもやはりそぐわない。 また、6条の2は自律尊重原則にあたると言えるが、そもそも改訂案A案の提出者たちは脳死は死だとする原則を採用したのだから、死者に意志や自律が成り立つのかという疑問も生じる。 倫理という思想の圏内に臓器移植法改訂案を入れて見れば、70年代以前の医療倫理でしか正当化しえない代物だと言える。 倫理の言葉は正に、移植の経済論と技術論でレシピエントとレシピエント側の医師の「生」への意志を貫徹させるために便宜的に持ち出されているだけとしか見えない。 倫理の言葉は語られようとした、倫理が作り上げてきた言葉の圏内から発しようとしたが、移植をめぐる言葉の磁場に無力だった。 (8)過剰さの放棄 (5)で述べたように、90年代以降、献体の申し出数は断られるまでに達した。 中尾知子さんは献体登録者の文集の内容を分析し、献体登録者の献体の動機を行為の志向性とメリットの軸から4つに分類している。 社会や医学への貢献といった社会への志向性とそれが充たされる満足感などの心理的なメリットとによる社会貢献型。満足を求める心理的メリットは同じだが志向が社会より自分個人の逝く先へ向かっている人生完結型。死によって物質となった身体を利用するほうが合理的だと考える実質的なメリットと社会や医学への貢献といった社会への志向性の合理思考型。死体が物質であるという実質的なメリット重視は同じだが志向が遺体処理という個人的な場合の葬送依存型。 実際には明確に4つへ分類されるものではなく、複数のタイプが重なってみられると述べている。 注目するのは葬送依存型だ。 社会貢献型は献体の歴史が「篤志」によって解釈されなおした現在が最も推奨されるものだし、合理思考型は献体登録数の増加から言われる死生観の変化で言及される。 人生完結型と葬送依存型は個人的な指向で共通するが、葬送依存型は実質的な考え方と同時に社会や人間関係からの孤立が表わされる。 献体によって自らの葬送をかなえようとする人々がいるということだが、葬儀の変化については多くが研究されている。なかでも、近世からの目立った変化として葬列の消滅・減少が挙げられる。 葬送は場所の実際の移動によって生から死へと遺体を移す葬儀の最も重要な要素だった。 地域の慣習ごとに異なるが、参列者によって位牌や膳とともに遺体を埋葬地まで運ぶ行列である葬送は、葬儀の場と埋葬地の遠隔化に伴い霊柩車の出現とともに消えていった(残っている場所もある)。 それが意味するところもさまざまだが、中尾知子さんは碑文谷創(雑誌『SOGI』編集長)の葬儀演出形態の変化を牽いて、葬儀が地域共同体への「死のディスプレー」から職場などの人間関係へのディスプレーに変化していったと指摘している。 葬儀が誰に向けての「死のディスプレー」かという観点からすれば、献体に葬送を依存するということは、病院での死から一度も病院の外(死んだ病院から解剖のために大学医学部へ運ばれるとしても)へ出ることも無い事態、ディスプレーの否定を意味する。 もはや「人体」は過剰性を解除されるまでもなく、近世に死体が刑場の中でしか解剖されえなかったように、病院内で完結することになる。 続き→遺体の国の21グラム。 完結編
by sleepless_night
| 2009-07-12 14:30
| 倫理
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