ストーカーの心理/人格障害編 part2の※4が長くなるので別立てします。
繰り返しますが、パーソナリティ障害を持つ人は百万人単位でいると推定されています。その膨大な人数と比較すれば、その中でストーカーとなる人は極少数の存在です。 境界性パーソナリティ障害の診断基準を見て気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、境界性パーソナリティ障害とアダルト・チルドレン(AC)の概念はかなりの重なりが認められます。 『アダルト・チルドレンと家族』(斉藤学著)は、精神医学との関連でPTSDを持ち出しています。PTSDとは心的外傷後ストレス障害の略称で、災害や事故の報道があるたびに、必ずといっていいほど出る名称です。外傷後ストレス障害は気分障害に含まれ、DSMでは“気分障害または不安障害のエピソード中にパーソナリティ障害の診断を下す場合には注意しなくてはならないが、それは、これらの状態が、横断面的にはパーソナリティ傾向に似た病像を示すことがあり、その人の長期的な機能の様式を後方視的に評価することが困難になるからである。”と混同への注意を促していますが、心的外傷がパーソナリティに影響を及ぼすことや、境界性パーソナリティ障害の家族発現様式には物質関連障害(アルコール依存も入る)があることから、ACと境界性パーソナリティ障害の関連性も指摘されています。(『人格障害』心的外傷と人格障害、依存と人格障害)また、町沢静雄(精神科医・立教大教授)の「アダルト・チルドレンは要するにボーダーラインと同じことを意味している」との発言が『人はなぜストーカーになるのか』(岩下久美子著)では紹介されています。 アダルト・チルドレンはアルコール依存症の治療の現場の中から提唱され社会的な意味合いの強い概念(アダルト・チルドレン・オブ・アルコーリクス)ですが、拡大して機能不全家族(成人の精神安定機能・子供の保育機能が不全の家族)で育った人へも適用するようになった概念です(アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクション・ファミリー)。 つまり、境界性パーソナリティ障害の原因の家族関係に注目するものとアダルト・チルドレンの原因とされるものは、幼児期の保育環境が幼児にとって安心できるものではなかった点で共通します。 アダルト・チルドレンの特徴として『アダルト・チルドレンと家族』は以下のものを挙げます。 ・周囲が期待しているように振舞おうとする ・表情に乏しい ・何もしない完璧主義者である ・楽しめない、遊べない ・尊大で誇大的な考え(や妄想)を抱えている ・ふりをする ・「NO」が言えない ・環境の変化を嫌う ・しがみつきと愛情を混同する ・他人の承認を渇望する ・被害妄想に陥りやす ・自己処罰に嗜癖している ・抑うつ的で無力感を訴える ・離人感が伴いやすい どうでしょう? どちらも育成時の安心感の欠如や自他分離の不具合を根拠としているために、特徴が重なります。 安心感を与えられなかったので、自分と他者が違うことを認識するときの不安・恐怖に耐えられず分離を上手く受け入れられなかった。そのため、幼児の万能感(自分=世界のように、何でも欲求が満たされる感覚)が残り、不安感を埋めるために代替的に他者へ依存しようとしたり、常に誰かに承認されていないと耐えられず、承認を失うことを畏れて断れず、楽しくなくてもふりをしてごまかす、他者の欲求を自分の欲求とするので一人だと自発的な欲求が沸きにくく無力感を持ち、自分の欲求があっても外的評価による完ぺき主義のチェックのために行動に移せない、無力感や欲求不満から自傷行為やアルコールなどの物質に依存する、など、基本的に同じ症状を見せると特徴から解釈できます。 アダルト・チルドレンという概念を挟んでみると、境界性パーソナリティ障害のイメージが変わったもに見ることができるのではないでしょうか。 すなわち、パーソナリティ障害、「人格」の「障害」という否定的で、本人の道徳的な責任に結び付けられやすい(これは精神疾患一般に言えるのかもしれません)ものから、家族の機能不全の被害者という見方ができるようになると考えられます。 “生きずらさ”を抱えた人たちに与えられ、社会に認知されたアダルト・チルドレンという言葉にパーソナリティ障害と言う否定的なニュアンスを持つ言葉を重ねることは、せっかくのアダルト・チルドレンという言葉の価値を下げるのではないかとも考えられますが、私は必ずしもこれが悪いことではないと考えます。 『アダルト・チルドレンと家族』では“ハイヤーパワー”と言う宗教領域の言葉が治療に使われています。これはアルコール依存症を持つ人の救済・互助組織やACの療法技術が、キリスト教がコミュニティーや社会福祉団体で重要な役割を果たしているアメリカで発展したことと関係すると推測されます。これ自体が悪いとも思いませんが、宗教領域に入ることは宗教自体がもつ危険性にも触れると考えられますし、注意しないとカウンセリングが宗教化(カウンセラーや治療の理論が宗教の教祖や聖典的な扱いになるったり)してしまう恐れがあると考えます(宗教は倫理問題に関連してだいぶ後に触れます。宗教は心理学と同様に心に関連しますし、その力が非常に大きいため使い方を間違えると大変危険です。しかし、薬と同じで反作用が大きいと言うことは、効果も大きいですし、わざわざ捨るものでもないでしょう。ですが、良い関係を持つためも、それなりの知識や経験が必要だと考えます。その点、宗教を怖がったり馬鹿にしたりを、知識が無いのに、知識が無い故にしがちで、たまたま“引っかかった”宗教組織にあまりにも容易に没入してしまう日本人が少なくないように思え、カウンセリングで宗教領域のものを扱うことには多分に危険があると考えます)。ですので、アダルト・チルドレンを境界性パーソナリティ障害のような完全に精神医学の対象領域に捉えなおすことで、そう言った宗教領域の話や手段を持ち込まなくてもよくなり、リスクを回避できる点では、悪くないことだと考えます。 アダルト・チルドレンとの重なりを指摘して被害者との視点を示しましたが、境界性パーソナリティ障害を持った人でストーカーとなった人の罪が軽くなるわけでも、同情するつもりもありませんが、アダルト・チルドレンとの共通という視点は否定的で全員が危険な存在とみなされがちなパーソナリティ障害を持つ人がいかに身近で、大多数が社会で(生ずらさを抱えながら)普通に生活しているかを理解するためには非常に適していると思います。 ついでですが、パーソナリティ障害を持った人で社会的に成功している人も多くいると考えられています。 これは、マザー・コンプレックスについてと同様になりますが、パーソナリティ障害を持つ人は、空虚感や不安感から逃れるため、満たすために依存対象の為に過剰な貢献をしようとすることがあると考えられるので、これは企業なり組織なりにとってみれば、忠実で有能な人材と映ります。また、これは一部の人間になりますが偉大な哲学者や宗教家、芸術家は境界性パーソナリティ障害の特徴である空虚感と同様の実存的な悩みを持ち、それを乗り越えることで歴史に残り、人々の考え付かなかったような思想や作品を生み出すことができたとも指摘されています。 また、パーソナリティ障害を持つ人には魅力的な人が少なくないことも指摘されています。 それは、パーソナリティ障害を持つということは幼児・子供の時期の(万能感の反面の)純粋さを残していることや、パーソナリティ障害とはパーソナリティの偏りであり、偏りとは裏を返せば突出している部分、他の人には真似できない部分だと言えます。ですので、魅力的に映ることがあるようです。
by sleepless_night
| 2005-07-26 22:01
| ストーカー関連
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