自民と民主、ネット選挙運動の法解釈/拡大と類推の静かな戦い

 インターネット選挙運動をめぐって、自民党の総務省への通報と民主党の質問状という、静かな戦いは、法律上で見ると、拡大解釈と類推解釈の戦いだと考えることができ、別の面白さが感じられます。

 拡大解釈と類推解釈は、法律を解釈する時に使われる手法として非常にメジャーです。
 拡大解釈とは、法律の言葉や文章から通常読み取れる意味から拡大して意味を取ることで、直接的には規定されていない事例にも法律を適用するために使われる解釈手法です。
 類推解釈とは、直接的に規定されていない事例に対処するために、同じようなことを規定してある別の条文を使うことで法律を具体的事例に適用をするために使われる解釈手法です。
 両方とも、全ての具体的な事例に直接的な法律(条文)を作っていると、膨大な量になってしまうし、事実上そのようなことが出来ない、そのようなことでは法律の存在自体の意義が失われてしまうので、法律を現実社会のルールとして通用させるための解釈手法です。
 
 以下、私見です。

 インターネット選挙が報道などでは「公選法で禁止されている」となっている場合がありますが、前回も述べたように、インターネットを明確・直接に規定している条文はなく、公選法142条等について行政が示した解釈を通じて、禁止しているというよりも控えさせているというのが正確です。
 
 さて、拡大解釈と類推解釈の戦いということを述べますと
 自民党は、一政党として立法の立場にあると同時に、自民党政府つまり行政の立場もあります。結局、政府・行政の解釈に従うといっても、解釈をするのが自分達ですので、政府の解釈に従っているというのは、単に自分で言って自分で従っていることになります。
 前述したように、行政(総務省)は公選法142条の“文章図画”を“視覚的に訴えるもの”・“頒布”に“不特定または多数の人の利用を期待してインターネットを利用すること”を含める解釈をしています。
 これは拡大解釈の意図でしていると考えられます。
 つまり、法律の条文にある文言“文章図画”“頒布”の通常の意味を拡大させているのです。特に、“頒布”とは通常読み取ることのできる意味は「配ること」で、インターネットのサイトにアクセスすることは「取りに行く」とこですので、サイトを開設して「取りに来る」ことを許すことは含まれません。総務省(行政)は“頒布”という条文にある言葉の意味を拡大して“不特定または多数の人の利用を期待”している場合、つまり「取りに来る」ことができるようにすることを“頒布”の意味を拡大させて含めているのです。
 
 対して民主党は公選法142条はインターネット選挙運動についての規定ではない(公選法にインターネットを規制する条文がない)として、142条の“文章図画”にインターネットの画面を、“頒布”に“特定または多数の人の利用を期待”して「取りに来る」ことができるようにしておくことを行政が類推して含めることによって規制していると考えていると見ることができます。

 非常に単純化して言えば、両者のとる前提が違うのです。
 自民党は142条を拡大解釈すればインターネット選挙運動を規制する法律があると言っているのに対して、民主党はインターネット選挙活動を規制する法律はない、142条をインターネット選挙活動に適応するのは条文の類推だと言っているのです。

 類推解釈によってでも規制できるならいいのでは?法律でいちいちなんでも決めていたら限がないからいいのではないか?と思うかもしれません。
 しかし、類推解釈は、本人の不利益になる形で使うことが、特に刑法のような国家権力によって刑罰を科せられるような場合には採ることができません。一方、拡大解釈は法律の現実適応の必要から許されています。
 これは、近代法が、国王などの権力が国民に税金を課することに対する国民の反発から始まったことから導かれるのです。つまり、国家などの強制権をもった主体が被行使者の不利益になる形で強制権を行使する場合には、予め明確に規定しておかないと、何でもできるようになってしまい法律が権力者の恣意的な道具になってしまいます。これを防ぐために憲法を定め、その憲法の下の法律によって権力者が何をできるのか国民の同意に基づいて予め定め、権力者によって秩序を守らせると同時に、その権力から国民を守ることができるようにするのが近代法なのです。
 ですから、公選法のような罰則があり、かつ、それが国民の代表を選出するという民主主義の根幹に関わるような事項について、類推解釈しているならば許すことはできないのです。

 行政の立場にも立つ自民党はあくまでも拡大解釈を採っている姿勢を見せている(実際にある条文の文言を拡大した結果でインターネットで選挙活動はできないとしている)のですから、この不利益な類推解釈の禁止という原則には該当しないとも言い得ます。
 しかし、同時に、民主党のようにインターネット選挙活動の禁止は規定してある条文がないのだから、規定してないことについて、別の規定を持ち出して禁止することは類推解釈であり、許されないということも言えます。

 どちらが正しいかは、司法判断を待たないと分かりません。

 言えるのは、三権分立の大原則のもとでは、行政が最終的な法律の解釈権を持たないということ(憲法81条)
 そして、これほど解釈で争いが生じる重大で繊細なことについて、報道する際に、「法律で禁止されている」と表現することは許されないということです(「禁止されてる」とあたかも定められているかのような言説を繰り返すのは、彼ら・彼女らが三権分立を理解していないからなのか、選挙時の情報独占体制の瓦解を恐れているのか、権益を守ってもらってる総務省への服従のポーズなのか)。


追記:143条「文章図画の掲示」についても、同様の解釈の戦いがあると見れます。
 143条の規定の列挙は全てインターネット外についてです(つまり、インターネットの存在を想定した上での規定ではない)ので、これをもって規制する際に、143条を拡大解釈した上でネット選挙運動を規制する条文となる(規制する条文がある)と解釈するか、143条はインターネットについては想定されていない条文だからこれをインターネット選挙運動に適応するのは類推解釈(規制条文がないために、143を類推解釈して適用している)と捉えるかです。
 目的論的解釈(何の為にその法律や条文があるのかから考える)をすると、143条は一つは経済的な力で伝達力に差異を付けさせないため、もう一つは中傷ポスターのようなものを防ぐためだと考えられるので、前者を重視すればインターネット選挙運動に143条は適用できない方向に、後者を重視すればインターネット選挙運動に143条は適用できる方向にいくと考えれます。
 いずれにしても、これ程解釈によって重大な変化があることについて、なんの断りもなく「公選法はインターネットでの選挙活動を禁止している」と表現することは許される範疇に入るとは考えれません。
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by sleepless_night | 2005-09-02 20:37 | メディア
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