9・11の論理

 テロとの戦争を前面に出して勝利した、ジョージ・W・ブッシュ。
 郵政民営化を前面に出して勝利した、小泉純一郎。

 一方は、9・11という自爆攻撃をされたことで、都合の良い争点を与えられ勝利した。
 もう一方は、自爆することで、9・11を作り出して、都合良く争点を絞り勝利した。

 どちらも、「テロの撲滅」「官から民へ」という、それ自体は否定されないキーワードで自分を覆い、具体的に何をするのか・どうなるのかを問わせなかった。

 一方は、恐怖を煽り、反動の攻撃を支持させた。
 もう一方は、不安の反動の強権を支持させた。

 そして

 一方は、「テロの撲滅」で、テロとは関係のないイラクを占領できた。  
 もう一方は「官から民へ」で、郵政民営化の結果がどうなるにせよ、郵政と関係の無い、どんな法案でも通せるようになった。
 

 9・11の論理。

 9・11の論理は、論理自体に注目を集め、恣意的に前提を設定されて使われる。

 一方では
        テロは撲滅しなくてはならない
               ↓
            イラクはテロ支援国だ
               ↓
        故に、イラクを撲滅しなくてはならない。

 もう一方では
         官から民へ移行しなくてはならない
               ↓
            郵便局は官だ
               ↓
         故に、郵便局を民営化しなくてはならない

 どちらも、論理の整合性のみがスッキリしているが、そもそもの前提はスッキリしていない。

 一方には、そもそもどうしてテロが起きるのか?
        そもそもイラクはテロ支援国家なのか?
 もう一方には、そもそも官から民へ移行させることの目的は何だったのか?
          そもそも、郵便局の各事業も、他の官業もひと括りで語れるの?

 とられる手段は目的実現に有効なものなのか?

 
 そして

 一方では、軍事制裁を拒否されたわけでもないのに、なぜか3ヶ月の査察延長を拒否し、形だけの連合を作って軍隊を侵攻させた。
 もう一方では、任期がまだ残っているのに、なぜか継続審議を拒否し、それだけの賛否を基に組織を再編して選挙をした。

 どちらも、その時、国民は圧倒的にそれを支持した。

 しかし
   
 一方では、支持をした本人達が、それが自分達の首をしめることだったと気付きだした。

 もう一方は、どうなるだろう。


 論理が整合していればしている程、前提の間違いは、はっきりと結果に現れる。
 論理が単純であればある程、個々をそれたらしめている差異は切り捨てられる。

 それを踏まえての選択だったのだろうか。

 もちろん、そうだったのだろう。

 国民は賢明ですから。






補足)「郵便局員は公務員じゃなきゃだめですか?」というレヴェルでの小泉さんの問いかけに、素直に同じレヴェルで応答して投票してしまった人がどの位いるかという疑問です。メインのはずの金融・財政への効果(その先の社会保障)についての政府案への評価をある程度までつけて投票したのか。さらに、郵政法案を国政・外交の全体とタイミングの中で評価して投票したのかという疑問です。

追記・個人的な感想)
 どのようなスタンスで投票をしたにせよ、郵政民営化の結果が自分達の選択によるものだということは忘れられない事実として認知されるでしょう。
 得票率では議席数のような圧倒的な差ではなかったですし、公明票の強い影響もありましたが、結果は結果です。
 現在の有権者が未来の有権者によって責められるか、称えられるか、政治に究極的な責任を持つことを(今更ながら)自覚させる(する)には、とてもよい選挙だったと思います(だからこそ、小選挙区制が導入されたのだから、死票を問題にするのは妥当ではないと思います)。

 小泉さんの選挙手法は、間接民主制を破壊する可能性を持ったものでした。
 もし今回のような選挙手法が許され、インターネット投票が可能になれば、衆参で決められないことは全て国民投票でということになり、議員の意味を大幅に低下させることになります。
 もちろん、それは悪いこととは言えませんが、議会の意味を改めて決めなおさなくてはならないでしょう。
 インターネット選挙活動のみならず、議会制度自体を考え直すことを、今回の選挙は求める意味があったと言えます。

 自民は圧勝しましたが、多くの人が指摘するように自民党が勝ったとは考えられません。
 特に、首都圏の得票を見ると、候補者本人の力だったと評価できるような得票ではありません。
 小泉さんが勝ったと言うべきです。
 そして、小泉さんはあと1年で政権を離れます。
 自民党は、政権党であることがアイデンティティーの大部分を占めるといわれる政党です。
 小泉さんは自民党が自民党であることを守るために、自民党を壊したともいえます。
 小泉さんが守るために壊した自民党を、次に誰が支えることができるでしょう。
 私は、小泉さんが院政を敷いたとしても、もたないと思っています。
 自民党にも有能で、ヴィジョンを持った議員がいると思います。しかし、その存在が自民党という古びた大船を新しい大洋の航海に向かわせるだけの力を発揮できるとも思えません。また、小泉さんのような人物とイコールの政策を認知されている人もいませんので、今回のような戦略を採れることもないでしょう。
 民主党も今回の選挙で大きなダメージを負いました。指摘されるように、民主党の未だにはっきりしないバックボーンの弱みが戦略と状況の悪さで露骨に出たのでしょう。今回、政権を取ったら、それこそ第二自民党にもなれずに終わったかもしれません。

 政権交代がない民主主義国家とは異常です。
 政権とは国家の最大の利権です
 政権を取れば、行政の収集・集積してきた膨大なあらゆる情報を入手でき、行政のもつ広範な裁量を利用できます。最高裁の人事を最終的に決めるのも行政(内閣)です。ということは、行政や行政によって管轄される企業で問題が生じた時の最後の砦でさえも、影響を持つことができるのです。
 どんな政党が取っても、利権は利権です。
 違った集団が一定期間ごとに担当しないと、全ての情報と全ての裁量権の作る利権のパイプが敷かれ、公式のシステムの流れを阻害してしまいます。
 同じ政権のブラックボックスでこのパイプの配管図が引かれているかぎり、国民は選択の基礎となる情報を十分に与えられたとはいえないはずです。
 そして、そのパイプで自分たちが最も効率よく利益を得るために、自分たちがパイプを支配する場合以外を想定して配管図は引かれません。固定した分配が、多くの知らない場所で知れない情報に基づいて為されるのです。
 それは民主主義とはいえません。

 自民対民主という図式ではなくとも、私は、自分の住む国が政権交代のある国であって欲しいと願っています。
 情報や利益配分がブラックボックス内で作られる国家の心地よさよりも、情報が表に流通し、利権が固定されないことでもたらされる混乱のある国家の緊張を、私は望みます。
 一朝にして成るものではないはずです。少なくとも、十年単位で見る目を要求するはずです。
 その混乱と緊張に国民(私)が耐えられるか。

 中毒を持つ患者は、その中毒の弊害によって自分の身が殺されることを認識し、受け止め、新たな人生を生きたいと思った時、初めて中毒の対象を断ち、その禁断症状の苦しみに向かおうとすると言われます。
 財政は、国債中毒です。
 一党が政権を持ち続ける、それを許してきたのは、関係に対する嗜癖(中毒)です。
 中毒であることを認識し、それを断ち、新たに新陳代謝のある体、健全な距離のある関係を作り出せるのか、国民に問われているはずです。
 国民がどうありたいのか、どういう社会が幸せな社会か、どういう社会で生きたいのかということを自らに問いかけることが必要となります。

 “痛み”の先に何を求めるのか。
 小泉さんからは、それは聞こえません。
 自民党からも、民主党からも聞こえません。
 それは、国民が自らに問いかけて、答えを出していなからだと思えます。
 どうありたいのか?どのような社会を生きたいのか?
 漠然とした誰かではなく、「私」はどう考えるのか。 

 選挙の喧騒が過ぎた今、メディアの提供する日々の祭りに逃避せずに、沈黙の中で自らに問いかけるべきだ、と思います。
 
 
 
 

 
 
 
 
 

   

 
 
 
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by sleepless_night | 2005-09-12 00:29 | メディア
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