血液型占いに反論するモテないのか?

 “この間、女子短大生数人と酒を飲んでいたら血液型の話題がでました。まあ、よくある血液型の当てっことかしていたわけなんですが、その時に教授が「『A型』って言えば40%の確立で当たるし、『A型かO型』って聞けば70%の確率で当たるよな」と発言したら、「だからあんたはモテないのよ」とか言われました。いや、モテないのは事実ですが血液型ごときで正面きって『モテない』と断言される教授っていったい…”
(http://psychology.jugem.cc/?eid=41 「いんちき」心理学研究所より)
 上記引用のブログの管理人“浅野教授”がどういった方なのかは判然としませんが、この女子短大生の「だからあんたはモテないのよ」という一言は非常に興味深いものに思えます。

木村剛さんのブログ(http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/6340865)で血液型性格判断がかなり素朴に取り上げられており、そこに当然のことながら幾つも否定説が述べられたブログがTBされていました。
 情報としても特別に詳しいものを持っているわけでもないので、このブログで書くものでもないと思ったのですが、先にあげた引用部の一言に惹かれて「血液型占いに反論するともてないのか?」という視点でまとめてみたいと思います。
 つまり、この血液型占いというものは、素直な反論では片つかないものが“だからあんたはモテないのよ”の“だから”に秘められているように感じ、その“だから”を解明した上で、有効な対応を考えると言う2段構えで望む必要があるのではないか、その対応法はこのブログで述べていく「性」の問題(特に所謂恋愛について)にも共通するのではないかと考えるのです。


 まず、前提知識を整理してみます。
①:血液型とは何か?(※)
 ABO式血液型は1901年にウィーン大学のカール・ラントスタナーによって発見された、血液の型の中でも最初のもの。血液型はABO式以外にも公式に認めていられているものだけでも40種以上、非公式を含めると400種以上ある。そして、厳密に言えば同じ血液型の人間は一卵性双生児以外にはない。
 ABO式以外にも有名なのはRh式血液型。
1939年にライントスタイナーがアカゲザルの血液にある抗原が人間にも共通していることを発見したことでRh式は発見された。

 ABO式による区別も、Rh式による区別も血液の抗原の違いによる。
 ABO式は赤血球表面の抗原の違い。Rh式は赤血球の抗原の違いを支配する3対の遺伝子のうちで最も抗原性の強いD遺伝子の有無。
 この二つは輸血時に最も重視される血液型。
 異なる抗原を持つ血液を輸血すると、赤血球が破壊されて死亡する可能性がある。
 但し、通常の輸血時には適合性試験によって、ABO式やRh式のみでは見逃される不適合を確認する。緊急時には、ABO式とRh式の検査のみで輸血したり、その時間も無い時はABO式のO型を、Rh式の陰性を輸血する。 
 このように、血液型はそれが解明された経緯から、同じものを集めたと言った積極的な意味を持つものではなく、混ぜたら危険な違いがないという消極的なものと言える。
 ちなみに、ABO式血液型を決定する物質(型物質)は血液中に存在するが、脳の血管は酸素、ブドウ糖、アミノ酸、水などのごく一部の物質しか通過させない(血液・脳関門)ので、型物質は脳細胞に触れない

 このように、血液型は消極的な意味のものである点、ABO式だけではなくRh式も輸血では重視されれる点、ABO式を決定する型物質は脳細胞に触れない点、を考えてみると血液型性格判断は医学的には否定されていると考えられる。

 では、血液型性格判断はどうして世間に浸透しているのか?
 血液型性格判断が持ち出す統計はどう考えるのか?

 そこで
 前提②:血液型性格判断の整理。
 気付いている方もいるかもしれませんが、ここまでわざと“血液型性格判断”と“血液型占い”の二つの言葉を混用してあります。
 この二つは厳密には異なります。
 血液型性格診断とは、アンケートの結果などによってABO式血液型の違いで性格が異なることを示そうという考えです。
 血液型占いとは、ABO式血液型の違いと占いの結果を対照させる占いです。

 しかし、やっかいなのは“占い”という言葉の多義性です。
 つまり、“占い”という言葉は第一に、通常の科学的手法では予測・解明できないことに回答することを意味しますが、“日本経済の未来を占う”のように通常の科学的手法に含まれる経済学(社会科学)によっても一律に解が出ない問題についての意見を述べる場合にも使われるのです。
 そして、この“占い”の多義性によって、“血液型占い”には“血液型性格判断”やその知識に基づいた血液型当てっこ(つまり血液型“占う”)こと、さらには血液型“占う”こと(“血液型占い”)までも含んだ総称のように使われる事態が導かれているのです。
 この総称のように使われる“血液型占い”を広義の“血液型占い”とし、血液型で“占う”ことを狭義の“血液型占い”とします。

 つまり、冒頭の女子短大生と“浅野教授”の対話は広義の“血液型占い”をめぐる会話となります。

 この広義の“血液型占い”で特異的なのは、“血液型”という科学と“占い”という非科学が融合されている点です。

 ③:では、科学と非科学の区別について振り返ってみましょう。
 勘違いする男と女/「マザコン」問題の前提で述べたように、この厳密な区別基準は見つかっていません。
 科学とされる薬学では、その研究の成果として出された薬品が後に致命的な欠陥をもたらしたり、科学とされる工学で安全だと考えられた建材が想定されていた重量内にもかかわらず耐えられなかったり、科学とされる気象学による天気予報ははずれることがめずらしくなく、科学とされる理論物理学では堂々と荒唐無稽な仮説が展開されていたりしています。
 では、なぜ科学と非科学が区別されるのか、される必要があるのか?
 それは科学の要件として提起されているものを見れば分かります。
 要件として以下が挙げられます。
・論理性
・仮説と実験・観察による理論構築、修正、否定
・応用性、操作性
・追試可能性、公開性
・制度
 論理に従わなければ「俺が正しいと言ってるんだから正しい」がまかり通ってしまうので論理性がなくてはならない。実験や観察を通して仮説を考えたり、修正したり、否定することでより間違いのない理論へ近づき、その理論を使うことで現在よりも広範で整合した説明ができ、現実や特定の環境下で実験結果を操作できる。そして、それらは他の研究者が追試できるように詳細な手順を示した論文や実験自体が公開されることによる審査に耐えられなくてはならない。さらに研究成果を効率的に同じ分野の研究者に知らせるたり、審査機能を維持するために学会や学会誌などの制度が必要とされる。
 このように、科学と言えるために考えられた要件は、現在非科学とされるものが主張している理論や内容が間違いだと言うためのものというよりも、科学として社会で用いることができるか、社会に適用させるだけの信頼があるかというものです。
 例えば、ある占い師が「来年の12月に富士山が噴火する」と予言したり、「あなたは来年に結婚相手と出会う」と占ったりしても、それは非科学だとは言えても間違いとは言えない(言い切れない)のです。
 しかし、科学が非科学に優越することは同意しなくてはなりません。
 科学は、公開性や応用性や再現性があり、それゆえに科学によって現代社会は営まれているのです。
 非論理的で、非公開で再現不可能で追試不可能なことや主張を信頼(trust:信頼する・身をゆだねる)することはできないし、それで現代社会を営めないから、科学と非科学は厳密ではなくとも区別されなくてはならないのです。
 ある霊能者が「この鉄筋で100トンを支えられる」と言ったのを信じてビルを建設したり、「来年は米が大凶作になる」と言ったのを信じてを輸入量を増やしたり、「この食べ物を食べていれば癌はなおる」と言ったのを信じて手術を保険適用外にしたり、「この人間は良い日銀総裁になる」と言ったのを信じて経済を全く知らない人間を就任さたら、日常生活は確実に崩壊します。
 科学によって多大な恩恵を受けて生きているのですから、「なんでも科学でわかるものではない」や「科学を妄信している」と“占い”などの非科学を擁護したい方は、まず科学で分かっていることや科学とは何かを理解してから発言した方がいいでしょう。(さらに、たとえ科学に間違いがあったり、分からないことがあっても、それによって占いの確かさを増加させるものでもないこことも認識しておくべきでしょう。)

 さて、確かに、ABO式血液型は①で述べたように、厳然たる科学的な分類です。
 
 さらに、科学と非科学の区別で考えると、狭義の“血液型占い”は非科学だと言えても④:広義の“血液型占い”に含まれる“血液型性格判断”は客観的なデータに基づいたものなのだから、科学なのではないか?との疑問が挙げられます。(※1)

 “血液型性格判断”の起源としては、大正5年に原来復と小林栄が発表した『血液の類属的構造について』が先行論文としてあるものの、昭和2年に古川竹二の『血液型と気質の関係について』が挙げられている。
 そして、古川竹二の説を今日程に浸透させたのは昭和46年に能見正比古『血液型でわかる相性』と以降で展開された“血液型人間学”だと考えられている。
 つまり、冒頭の女子短大生はこの流れの結果にあると考えられます。

 “血液型性格判断”の巨匠二人、古川竹二と能見正比古について、その説の概略と評価を述べます。
 ④-1 古川竹二と能見正比古の説の概略
 古川竹二は1891年(明治24年)に医者の家系の家に生まれ、兄と弟は医者になったが、竹二は東大哲学科教育学専修を卒業し、同大学大学院修士課程を経て(女子教育の研究が専門)、東京女子高等師範学校(現・御茶ノ水女子大)の教授となった人物。
 古川説は、論文の題が示す通り、血液型と性格ではなく、血液型と気質の関係を研究しようとしたもの。
 気質とは、生得的な要素と強く関係し、感情的な特性を生み出す素質のことで、性格や人格とは異なる。
 古川は親兄弟が医者であることから当時発見されて間もない血液型や遺伝についての情報を聞いたことで、教育者として東京女子高等師範の入試に関わってたことなどから、気質の差異による効果的な教育法を探ることを目的に血液型にアプローチしたと推測される。
 古川は東京女子高等師範学校の同僚や生徒や卒業生を自省票というアンケート調査をすることでB型とO型が積極的・進取的気質、A型が消極・保守的気質とする仮説を得た。
 さらに改変を加えた自省票によるアンケート調査の結果を踏まえて
 A型=温厚、慎重、謙虚、同情的、融和的、優柔不断、内気 など
 O型=意志強固、自信家、理知的、強情、頑固、個人主義  など
 B型=快活、活動的、社交的、楽天的、派手、移り気、意志弱い など
 AB型=内面はA型、外面はB型
 とのABO式血液型に対応する4分法を考案して、以降、主に軍人を対象にした調査や血液型による組織、団体気質という優生学に関わっていく。
 1940年(昭和14年)没。

 能見正比古は1925年(大正14年)に生まれ、東京大学工学部を卒業、大宅壮一門下の作家で1971年(昭和46年)に『血液型でわかる相性』出版以降、『血液型人間学』などを次々に出版し、古川竹二以降の“血液型人間学”を支えた。
 能見が血液型と性格に着目した明確な原因はわかっていないが、能見正比古の姉が古川が教授をつとめていた東京女子高等師範学校の学生だったために姉から話を聞いた、若しくは師匠である大宅壮一から古川説を聞いたかしたと推測されている。
 古川とは違い、政治家や作家やスポーツ選手の血液型など、世間の関心事と上手く関連して血液型と性格についての自説を科学として主張した。
 
 続き⇒血液型占いに反論するとモテないのか? part2


※)『血液型学から見た血液型と性格の関係への疑義』高田明和著(『血液型と性格』至文堂 収録)
 適合検査:メルクマニュアルより
http://merckmanual.banyu.co.jp/cgi-bin/disphtml.cgi?c=%B7%EC%B1%D5%B7%BF&url=11/s129.html#x03
 交差適合検査:ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E5%B7%AE%E9%81%A9%E5%90%88%E8%A9%A6%E9%A8%93
※1)古川竹二、能見正比古の経歴について、『血液型と性格』(福村出版)大村政男著、『古川竹二』佐藤達哉著(『血液型と性格』至文堂 収録)より
 
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by sleepless_night | 2005-10-27 20:35 | 血液型関連
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