血液型占いに反論するとモテないのか? part2

 前回血液型占いに反論するモテないのか?に引き続き“血液型性格判断”を代表する古川竹二と能見正比古の説に対する評価について述べます。

 ④-2 古川竹二と能見正比古の説にたいする評価(※)
 古川竹二は前回述べたように、最初は勤務先の同僚や生徒を対象にしてデータを集めていました。
 そこで注目するべきは、古川が血液型と気質の関係、ABO式血液型のそれぞれについて気質が異なること、それぞれの気質がどのようなものかを、データを集めた結果から仮説を立てたのではなく、それ以前に自分の親族11人の行動を見て仮説を立ててしまった点です。
 そしてその自分の親族を見た結果で、B型O型=進取的・積極的、A型=保守的・消極的との2分法を立てて、その2分法をもとにアンケート票を作り、生徒や同僚を対象にしてデータを取ってしまいました。
 さらに、古川は異なるアンケート票で得た結果を混ぜて、2分法からABO式血液型に対応できる4分法へと発展させてしまいました。
 そして、4分法用のアンケート票では、ABO式血液型がアンケート票に記載されてしまっています。

 このように、古川は血液型と気質の関係を探ろうとした行為にはいくつもの看過できない間違いがあります。
 
 性格を測ること、調べることは大変にむずかしいことです。
 自省票のような形式をとった場合には、自分のことを自分が判断した結果が正しいと言えるのか、また、例えば「小さなことは気にならない」と聞かれて「小さなこと」とは何かが明確ではなかったりと安定的で信頼できる結論が出ないのではないかと言う疑問や、他者が評価するような場合には、その評価者が被評価者をどれだけわかっているのかが疑問とされます。
 ですから、自省にしても他者評価にしても、その不安定をできる限り抑えるために厳密な条件を測定者に課しています。

 まず、対象が無作為に抽出されていること。
 国勢調査のような全員を対象にした調査は莫大な金額がかかり不可能なので、無作為抽出したサンプルによって全体を推計できるようにする。偏った対象の調査をどれだけ多くしても、それは統計的には意味が無い(サンプルによって全体を推測できない)。
 また、調査に際して、それが血液型と性格の関連を調査するものだということを知らせてはならない。知らせてしまうと、その人が持っている血液型と性格の関係についての情報が現れてしまい、検証する内容を先取りされてしまう。
 調査の前に、調査の内容や結果の解釈基準を設定しておくこと。結果が出た後に解釈基準を決めると、自分の都合の良いように解釈をする危険性がある。

 このような基本的な調査の原則を古川は踏まえいませんでした。

 古川は論文として発表していたため、他の心理学者などが古川のデータや解釈を検証することが可能だった。そして、論理性や不適当な解釈手法について批判がなされ、さらに統計学の手法に則ったより大きなデータによって反論され、1933年(昭和八年)の第18回に本法医学学会総会で否定されました。
 このとき、古川は発言せずに田中秀雄が代わりに論争で肯定派に立ったのですが、最終的には反論できなくなり、気質検査は量的な表示になじまず“本質直感”による必要があるとまで言ってしまい(つまり、直感に優れた人物が調べないと気質はわからないので、アンケートのような調査は無理。だから、データが間違ったのであって、理論が間違っているのでは無いと言ってしまった。これは占いや予言が外れた時に、占いや予言が間違ったのではなく、占われた者の心がけが悪かったからというのと同じ。)、古川説は科学の支持を失いました。

 その否定された古川説をリバイバルさせたのが能見正比古。
 能見が挙げたABO式血液型に対応した性格は、古川が挙げたものに極めて近似している。
 能見は一万人以上のデータに基づく統計学の結果として自説を主張するものの、そのデータが公開されていません
 また、自著や血液型性格判断を支持する組織の会員を標本としているので、無作為性がない上に、調べるべき内容をすでに知っていたり、信じていたりする人間を対象にしているので、統計的には意味がありません。
 政治家や作家やスポーツ選手などの著名人の血液型を調べて、「~型の性格は…だから」との解説は、比率だけに着目しているもの、後付でどうとでも説明できるものだと考えられます。
 比率だけに着目しているというのは、日本人はA:O:B:AB=4:3:2:1の割合なので、~型がその割合よりも多く現れたら、「~型が…である」との説を裏付けるものだと考える目分量のことです。
 では、目分量と統計学の違いは何かというと、それは部分だけを比べるのか、全体を比べるのかという違いです。
 
 例えば、日本人のABO式血液型の比率をA:O:B:AB=4:3:2:1として、ある予備校の渋谷校に偏差値65以上の生徒125人、そのABO式血液型の人数が、A=43人(約34%)、O=44人(約35%)、B型=29人(約23%)・AB型=9人(約7%)、いたとします。目分量の判断では、この生徒達はO型B型が多く、A型AB型が少ないと言え、O型B型の生徒が優秀だと言えることになります。
 しかし、日本人の血液型比率よりも、A型は6%、AB型は3%少なく、O型は5%、B型は3%多いと比率の差がバラバラであり、当然、実数もバラバラで、はたしてデータ全体を見た時にこの生徒達の血液型比率でO型とB型が多いと言えるのかがわかりません(折れ線グラフにしてみると、両者のグラフはそれぞれデコボコになりますが、そのデコボコのどこかが高いとか少ないとか言っても、全体として違いがあるかは分からない)。
 そこで、この生徒達の比率は日本人の血液型の比率と比較して意味のあるものか(ズレがあるのか)を計る必要があります。
 このズレが意味があるほどのものかを調べるのが、統計学のカイ二乗検定です。
 カイ二乗検定は、観察値(この場合は、生徒の各血液型の人数)から期待値(この場合は、日本人の各血液型の割合通りだったら、生徒の各血液型は何人ずついるか)を引いたものを二乗し、それを期待値で割り、カイ二乗値を出し、カイ二乗値がカイ二乗分布表の示す数値(有意水準)よりも大きいか否かを調べるもの。大きければ、帰無仮説(この場合は、生徒の血液型比率は、日本人の血液型比率と変わらない)が棄却される、即ち、生徒の血液型比率でO型とB型は日本人の血液型比率よりも多いと言える。
 (この説明を読んでも、わからないと思いますので、詳しくはこのサイト
などを参照してください。)
 さて、この生徒の血液型のカイ二乗値は5.85とでます。
自由度3で危険度5%(間違って帰無仮説を棄却してしまう確率が5%ある場合)の有意水準は9.35ですので、この帰無仮説は棄却できません。
 つまり、この生徒の血液型比率と日本人の血液型比率のズレは有意ではないので、生徒のO型B型が日本人の血液型比率よりも多いというのは意味のない誤差だとなります。
 
 このように、統計学では、目分量で多い少ないというのを判断せずに、データ全体で考えることを可能にします。
 この統計学の視点は、著名人の血液型など、興味を惹きかつ共感をよぶものの解釈には非常に有効です。
 特に、少ない人数の血液型比率を見る場合、数値が極端になりやすいこと(※1)や、調査対象をより大きな集団や小さな集団に入れたりと比較してみることで全く違う数値が現れることを認識しておくと、都合のよい主張の裏づけに惑わされなくて済みます。

 さらに、重要なことは、ここで仮に生徒の血液型比率と日本人の血液型比率に有意差があると出たとしても、だからといってB型O型が多いことと、生徒の偏差値が65以上であることに因果関係があるということは全く言えません。統計的に有意だとされる違いが各血液型にいえるとしても、他の要素が原因だという可能性や、もし血液型との関係が有力視されるなら、なぜABO式だけなのかといった点を検討する必要が出ます。有意差があっても言えることは、125人の生徒の血液型比率が日本人の血液型比率よりも偏っているということだけで、その偏りの原因が何なのかを教えるものではないのです。


 さて、このように代表的な二人の“血液型性格診断”は難点が多く、否定されておりますが、性格と血液型の関係をより厳密な形で調査した学者もいます。(※2)

 JNNデータバンクが全国都市部の13歳~59歳の男女を無作為抽出で3100名に対して年二回調査した結果のうち、1980年~1988年にかけての4回を松井豊(筑波大心理学系教授)が分析しています。
 結果、24項目の調査項目で4回共通して一項目(物事にこだわらない)だけ有意差があったものの、その有意差が現れるABO式血液型は毎年異なっていました
 他にも、対象を大学生にした調査などが行われているものの、ABO式血液型と性格の関係は否定する結果しかでていません。

 このように、広義の“血液型占い”も科学的に否定されています。
 つまり、血液型“占い”は、単に占いだから非科学だ(狭義の“血液型占い”が非科学だ)というのにとどまらず、非科学だと言えます。

 以上で、ABO式血液型分類という科学的区別と、広義・狭義の“占い”という非科学が合わさっていることが確認されたと思います。
 
 “血液型占い”が二つの要素を備えていることは、他の占いにはない特異性であり、強みだと考えられます。
 つまり、占いは通常の科学的手法では知ることのできないことへの回答を得ることができるという期待感や願望がありますが、それは非科学だということも認識されている。
 ところが、“血液型占い”の場合、ABO式血液型というまがうことなき科学的区別があるために、科学という私達の社会を支える不可避の知識への信頼を向けることができるのです。
 もちろん、上述してきたように“血液型占い”の“占い”にも科学性はありません。
 しかし、もし「“血液型占い”は科学的な根拠が無い」と反論されたとしても、そこで、占いを擁護する際の「科学を妄信している」「科学にはわからないことがある」という発言がもちだせるのです。なぜなら、“血液型占い”は占いだからです。
 “血液型占い”を持ち出したいときは、ABO式血液型という科学への信頼を、“血液型占い”への科学的な反論を持ち出されたときは、占いである言い訳が可能なのです。
 この科学への信頼と、占いへの関心(惹かれる気持ち)の両方を満足させている“血液型占い”は、報道番組(つまり、メディアが取材によって裏づけを取っている社会的信頼のある事実を伝える番組)で占い(社会的信頼がない・裏づけのない言葉)を流している・受け入れているメンタリティと合致している、日本的な占いだと考えます。

 以上を前提に、前回の冒頭に出した女子短大生の“「だからあんたはもてないのよ」”の“だから”について続けて考えてみたいと思います。
 というのは、“血液型占い”について科学的な発言に対して、異性(若しくは同性)に“モテない”という判断の発言は、会話の論理として奇妙にもかかわらず、「なるほど」と思わせる説得力があるのはなぜかと言う疑問があるからです。
 その疑問を解明した上で、だからどうするべきか、“血液型占い”への適切な対処指針を提示しておきたいと思います。

続き⇒血液型占いに反論するとモテないのか? part3
 


※)『血液型と性格』(福村出版)大村政男著
 『昭和初頭の「血液型気質相関説」論争』溝口元(『血液型と性格』至文堂 収録)
※1)少人数の比率が極端になりやすいのは、少数であるほど、その中の一人一人が比率に与える影響を大きくすることから理解されると思います。 例えば、10人の中の5人から6人に変われば、50%から60%になりますが、100人いる場合には50%から60%まで変化するのに10人増えなければなりません。
※3)『分析手法からみた「血液型性格学」』松井豊(『血液型と性格』至文堂 収録)
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by sleepless_night | 2005-10-28 22:05 | 血液型関連
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