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“「確かにこれはぼく個人に限った、まったく個人的な体験だ。」と鳥はいった。「個人的な体験のうちにも、一人でその体験の洞窟をどんどん進んでゆくと、やがては、人間一般に関わる真実の展望の開ける抜け道にでることのできる、そういう体験はある筈だろう?その場合、とにかく苦しむ個人には苦しみのあとの果実が与えられているわけだ。暗闇の洞窟で辛い思いはしたが地表に出ることができると同時に金貨の袋も手にいれていたトム・ソウヤーみたいに!ところがいまぼくの個人的体験している苦役としたら、ほかのあらゆる人間の世界から独立している自分ひとりの竪穴を、絶望的に深く掘り進んでいることにすぎない。おなじ暗闇の穴ぼこで苦しい汗を流しても、ぼくの体験からは、人間的な意味のひとかけらも生まれない。不毛ではずかしいだけの厭らしい穴掘りだ。ぼくのトム・ソウヤーはやたらに深い竪穴の底で気が狂ってしまうのかもしれないや」。”
                『個人的な体験』(新潮文庫)大江健三郎著

 人間の人生は、この“個人的な体験”というものによって形成されてはおらず、かといって“人間一般にかかわる真実”によって形成されているわけでもない、まったく中途半端なもののように思えます。
 なにによって形成されているかに関わらず、大江さんのような才能によってならば、“人間一般にかかわる真実”を表すこともできるでしょう。
 しかし、世の大多数の人間はそうではないと思います。
 少なくとも、私がそうではないことは確かです。
 
 エキサイトのブログだけでも約40万人、そのほかを含めると約300万人がブログという媒体を通じて何かを表現している。
 その中には、今までなら公に出ることはなかったであろう優れた書き手、知られることがなかったであろう情報があり、そして今までにはありえなかった影響力があります。
 しかし、ブログの相当数はそうではないと思います。
 少なくとも、このブログはそうではありません。

 そうではない人間の、そうではないブログとは何なのか。

 このブログは私的なまとめを主な目的としています。
 公の可能的読者の存在から得られる緊張感によって、最低限の内容を維持する意図でブログという媒体を利用しています。
 いわば、中途半端な“不毛ではずかしいだけの厭らしい穴”です。
 
 表題に関係する時事についても随時に触れています。
 公に表現している以上、“ほかのあらゆる人間の世界から独立している自分一人の竪穴”とはなれないからです。
 特にブログという媒体は、繋がることで完成されるというネットの特性がTB機能によって明確に構造化されているものだと考えられます。
 今回の大峰山の件は、表題の性・宗教・メディア・倫理の全てに、これ以上ないほど関係しています。
 そこで、“不毛ではずかしいだけの厭らしい穴”から砂粒を投げるような記事大峰山「炎上」についてを書き、検索でヒットしたブログにTBさせていただきました。
 
 いかなる意図であれ、公に表現していることを忘れて書いたことはありません。
 “許された危険”とネットの匿名性で述べたように、匿名であれ、責任は問われます。
  
 
 マスコミを揶揄してマスゴミと呼ぶ人々がいます。
 そうではない人間の、そうではないブログは、マスではないゴミ、ゴミのゴミとなる可能性が多分にあるでしょう。
 
 この中途半端な“不毛ではずかしいだけの厭らしい穴”がゴミのゴミで埋まらないよう、そうではない人間の、そうではないブログとしての分を尽くして“穴掘り”を続けたいと思います。
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by sleepless_night | 2005-11-20 08:14 | 倫理
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