前回、フロムが逃避のメカニズムの一つとして権威主義的性格を挙げ、権威主義的性格をマゾヒズム傾向とサディズム傾向に分けたことを述べました。
以下、このマゾヒズム・サディズム、いわゆる、SMに関してのまとめ用メモです。 (1)言葉の由来。(※) ① プラトニックなオナニーとAVの挫折。で述べたオナニーの宗教的罪悪から医学的病気へ認識の変化を主導したのはセクソロジー(性科学)。初期のセクソロジーは現代の基準からは科学として認められない内容、代表的には優生学を含む。 そのセクソロジーの担い手、セクソロジスト(性科学者)の一人が法医学の鑑定医クラフト・エヴィング。 エヴィングが『性の精神病理』(1886年)において示した分類に含まれたのがマゾヒズムとサディズム。 マゾヒズムは19世紀の作家レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホに、サディズムは18世紀の作家ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サドに由来して名づけられている。 エヴィングのネーミングが、現在流通しているいる、サド=攻撃・破壊的性癖、マゾ=被虐・受動的性癖の起源。 フロイトは『性に関する三つの論文』において、性目標倒錯としてサディズム・マゾヒズムを能動受動の対概念とし、さらに今日でもSMに関して口にされることがある“能動的ならびに受動的の形式が、きついといつも、同一人物で一緒に見られるということである。従って、性的関係において、他人に苦痛をしょうじせしめることに快感を感じるものは、また、性的な関係から、自分にも発生するかもしれぬ苦痛を快感として教授する能力があるのである。サディストは同時にいつもマゾヒストである。ただ、そのパバージョンのうちの能動的または受動的な面のいずれかが強く形成され、その性的活動の主たるものとして目の当たりにみられるということはある。”との見解を示している。 DSM-Ⅳでも性嗜好異常として性的マゾヒズム、性的サディズムの名で記載されている。 (DSMについて⇒ ストーカーとは何か?/ストーカーの心理を問う前に) (2)SMの相補性 自分の性交時、性交への態度が攻撃・積極傾向にあるのか、受動傾向にあるのかをさして、「私はS(若しくはM)」と称すること、さらには、積極的なSと受動的なMが相補的であるとの言説の検討。 この点、確かに、サディズムとマゾヒズムをエヴィングの設定したような二項対立的な意味で解釈すればサディスト(S)とマゾヒスト(M)は相補的な存在だといいうる。 しかし、サディズムとマゾヒズムの由来となったサドとマゾッホの思想にさかのぼって考えても、この相補性が成立しているのか。 つまり、エヴィング流の設定をサディズム・マゾヒズムと呼ぶなら、サド自身の思想をサド主義、マゾッホ自身の思想をマゾッホ主義と呼んだときに、両者に相補性は成り立つのか。 ①マゾッホの生涯(※1) マゾッホは1836年、ガリチア公国(現在のウクライナ・ポーランド・スロバキア、当時はオーストリア帝国の一部)に警察署長をしていたレオポルト・ザッヘルとルヴォフ大学医学部教授フランツ・フォン・ザッヘルの娘カロリーナ・ヨゼファ・フォン・マゾッホを父母として生まれる。 虚弱であったマゾッホの乳母としてウクライナ農婦ハンドシャが雇われ、スラヴの女性優位、神秘思想の風潮を持つ民話を伝えられる。 十歳のとき父方の叔母の家でかくれんぼをしていた際、叔母が情夫と関係を持っているのを取り押さえに入ってきた叔父を叔母が殴るのを目撃し、隠れていたマゾッホも叔母に鞭打たれる。このとき叔母は毛皮を身にまとっていた。 ギムナジウムを経て、17歳でプラハ大学入学、19歳で法学博士号を取得。20歳でカイザー・フランツ大のドイツ史講座を持つ。歴史論文、小説、戯曲を執筆。 27歳のとき、医学博士グスタヴ・フォン・コトヴィッツの妻アンナと出会い、同棲。アンナの浪費を支えるために著作活動。アンナが自称ポーランド亡命貴族と出会い、相手のために膨大な額の手形保障をマゾッホにさせるが、自称ポーランド貴族は盗癖のある薬屋の徒弟で逃亡犯だった。アンナの裏切りを受け、関係は終わる。 著作活動を続け、文名が高まる。マゾッホの文名に引かれた多くの女性と関係を持つ。その一人ファニー・ピストールと初めて6ヶ月限定の奴隷契約を結ぶ。 36歳のとき、女優イェンニー・フラウエンフェルトととの婚約を破棄して、貴婦人アリス(ワンダ・フォン・ドナーエフ婦人)と偽って近づいてきた下級官吏の娘アウローラ・リェーメンとの間で完全な奴隷契約を結ぶ。 奴隷契約から一年後、死産したアウローラは自分の嘘を告白、正式に結婚する。アウローラの愛人となる人を探すも、希望かなわず。 44歳のとき、新聞の編集長のポストへ就くためにハンガリーへ移住。 45歳のとき、文芸誌『頂上』の編集長ポストへ就くためにドイツへ移住。『頂上』の共同所有権をヤーコブ・ローゼンタールが買い、アウローラと関係を持つ。マゾッホも秘書フルダ・マイスターと関係する。私生活、雑誌の編集権をめぐって争いが生じる。 47歳のとき、文芸生活25周年を記念した祝賀アルバムが各国の有名作家のオマージュを受けて出され、マゾッホの文名は最高潮に達する。祝賀の翌々日、アウローラと分かれる。 小村へ隠遁する。59歳で死去。 ②マゾッホ主義 マゾッホ主義の要件として、理想主義、演出、宙吊りの三つが考えられる。 まず、理想主義という点について。 マゾッホの作品が耽美的であるということに加えて、ユートピア的な社会主義やヒューマニズムを政治思想として有していた点でもいえる。 しかし、あくまでもマゾッホの理想主義は脳裏での理想であり、イメージに留められている。 次に、演出という点について。 マゾッホはアンナとアウローラと結んだように契約によって奴隷となった。 奴隷契約は一見、マゾッホを被支配に置くものに思える。 しかし、アンナとも、アウローラともそうであったように、奴隷契約を結ばせるように説得したのも、実際の契約履行にあたっても、内容をリードしたのはマゾッホであった。 つまり、マゾッホは奴隷という最底辺の地位で支配されているように見せかけて、実は、すべてを支配する、演出家の地位にあった(“あなたの足で踏まれたい。一生この腕にあなたを抱き上げていたい”※2)。 自分の偽りを告白したアウローラに、失望するどころか狂喜してアウローラを貴婦人に仕立て上げて、彼女の愛人を探したことに端的に現れる。 最後に、宙吊りという点について。 宙吊り、言い換えると中間状態。 プラトニックなオナニーとAVの挫折。で述べたエロスと似て、絶対完全なる美を求める中間にある。 しかし、ここでエロスと異なるのは、絶対完全なる美の現実的な獲得を断念している点。 断念しているが、同時に理想主義である。この状態を成立させるのが演出。 絶対完全が不可能であることの認識を持ちながら理想を捨てないでいるためには、それを求める活動の普段の繰り返し(宙吊り状態)を演出しなくてはならない。 そして、その宙吊りを演出する活動がどれだけ積極的・能動的であっても、本質的には受動的・待機状態にある(事実、マゾッホの表面的な活動は積極的)。 宙吊り状態の演出に欠かせないのが二者関係を三角関係にするため、二者にある自分から相手を奪ってくれる第三者(これをマゾッホは「ギリシア人」と呼ぶ)。 だから、マゾッホは人妻にしか惹かれなかったし、自分の妻となったアウローラにも愛人を探した。 ③サドの生涯。(※3) 1740年、12世紀にまでさかのぼれ、詩聖ペトラルカが恋した女性ロール・ド・ノーヴも先祖に持ち、神聖ローマ皇帝の帝室紋章を佩用する特権をもった名門貴族ジャン・バスティスト・ジョセフ・フランソワ・ド・サド伯爵を父、ブルボン王家につながる大貴族コンデ公爵の夫人を出したマイエ家のマリー・エレノオールを母に、生まれる。 5歳までコンデ家で育ち、叔父の神父の下で10歳まで教育を受ける。 イエズス会の運営する富裕層師弟のための学校ルイ・ル・グランに入校、14歳で退校し、貴族の師弟のみが入れる近衛軽騎兵連隊付属士官学校へ入校。15歳で陸軍少尉に任官。19歳でブルゴーニュ騎兵連隊大尉。23歳で、7年戦争終結を機に退役。 南仏の貴族の娘ローヌ・ヴィクトワル・アドリーヌ・ド・ロリスと婚約、同時に、サドの父伯爵がパリの終身税裁判所名誉長官の娘ルネ・ぺラジー・コルディネ・ド・ローネーと婚約させる。ロリスとの婚約はロリスの両親によって破棄、理由はサドがロリスに性病を感染させたこと。ルネと結婚。 結婚半年で、娼婦との度外れな乱交を理由に逮捕され、ヴァンセンヌ牢獄に収監、15日で自由に。警察の監視が継続するも、放蕩を止めず。 26歳のとき、父伯爵が死去、長男誕生。放蕩は止まず、舞台女優や娼婦との関係を多く持つ。 28歳のとき、アルクイユ事件。復活祭の日曜日に、広場にいた乞食女ローズ・ケレルを女中として雇うと別荘に連れ込み、縛り、鞭打つ。脱出したローズは公証人の屋敷に逃げ込み、そこから憲兵隊に通報が行く。スキャンダルとして急速に伝播。サドの義母(妻の母)モントルイユ夫人が被害者の賠償に応じるも、事件から5日後に宮内大臣から逮捕状が発され、城塞に留置。高等法院も調査に乗り出すが、王から免刑状を得て訴訟打ち切り、保釈。 次男誕生。再び軍務につく、31歳で連隊長大佐を得るも退役。長女誕生。ラ・コスト城に居住。 32歳のとき、マルセイユ事件。4人の娼婦と乱交。一人目マリアンヌを鞭打ち、催淫剤を混ぜた菓子を食べさせ鶏姦(校門性交)を要求。鈎針のついた鞭で自分を打たせ、さらに箒で打たせる。二人目マリエットを箒で打ち、自分も打たせ、打たれた回数を暖炉の煙突に刻む。三人目ローズを下男と交わらせ、鞭打ち、鶏姦を要求。四人目マリアネットを鞭打とうとするも逃げられる。マリアネットにマリアンヌを呼ばせマリアンヌと鶏姦。四人の娘を帰し、夕方に娼婦マルグリットに菓子を食べさせ鶏姦を求めるも拒絶され、ラ・コスト城に帰る。 三日後、マルグリットが胃痛と伴に血の混じった吐しゃをし、サドを裁判所に訴える。アルクイユ事件以上の大スキャンダルとなる。一週間後に家宅捜索、二ヵ月後には欠席裁判で死刑宣告。サドは関係を持っていた妻の妹と伴に逃亡。事件半年後に義母モントルイユ夫人の密告で逮捕。ミオラン要塞に収監。4ヵ月後にトイレの窓から脱獄。夫人を使って再審運動をする。ラ・コスト城に帰る。 34歳のとき、降誕祭に、女中として夫人が集めた5人の娘を鞭打ちの乱交。娘たちの親の訴えで裁判所が調査。夫人の懇願でモントルイユ夫人が動き裁判所を止める。一人の娘が出産し、サドの娘とのスキャンダルが起きるが、銀器を盗んだとして訴え、収監させる。 35歳のとき、イタリアに義妹と逃亡。 36歳のとき、ピストル事件。サドの依頼でディュラン神父が女中(サドの相手)を探し、職工の娘カトリーヌをサドの下に送る。二ヵ月後にさらに4人を探すよう言われて、集めてラ・コストに送ると、サドに迫られて逃げる。その話を聞いてカトリーヌの父がラ・コストに娘を取り返しに乗り込み、発砲。さらに、村中にサドの悪口を言いふらし、再度、城へ戻り発砲。 サドの母が死去。パリへ向かう。パリ到着5日後に再逮捕、ヴァンセンヌ牢獄へ収監。 王から再審許可の書状を得て、再審。訓戒処分と罰金の判決。しかし、義母モントルイユ夫人が得ていた勅命拘引状がまだ有効期限内にあったため、高等法院の判決とは関係なく、再度逮捕拘禁される。 ヴァンセンヌ牢獄への移送途中に脱走、ラ・コスト城に逃げ帰る。約一ヵ月後に逮捕され、ヴァンセンヌ牢獄へ収監。11年に及ぶ監獄生活が始まる。 42歳、収監されて4年目にひとつの小作を完成させる。 収監五年半後にバスティーユに移送。45歳、わずか37日で『ソドム120日』を完成。一年の期間をおいて『アリーヌとヴァルクール』を完成、同時に『美徳の不幸』を15日で完成。さらに同作に加筆修正し『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』を完成。中篇や雑文も多数執筆。 49歳、ジャラトンの精神病院へ移送。10日後、フランス革命勃発、バスティーユ牢獄襲撃。移送から9ヵ月後に釈放。 妻と離別。無一文に近い状態。喜劇脚本を執筆、上演。マリー・コンスタンス・ケネー夫人と同棲生活。生活は困窮。『ジュスティーヌ』を死者名義で出版。 52歳、共和制下で病院管理委員、憲法修正議会警備、告発審査委員、地区委員長に就く。 しかし、反対派に地位を追われ、さらに、53歳のとき反革命容疑で逮捕される。革命裁判所に回れるも、事務の混乱でサドの居場所がわからず死を免れる。ジャコバン派の独裁が終わり、釈放される。 55歳、困窮の中、『閨房哲学』出版。57歳、『新ジュスティーヌあるいは美徳の不幸 ならびにその姉ジュリエットの物語』を死者名義で出版。屋根裏部屋での貧窮生活。 61歳、『新ジュリエット』がナポレオンの風紀条例によって取締りを受け、サドも逮捕、シャラントン精神病院に収監。74歳で死去。 ④サド主義 サド主義と呼ぶべきものに対しては、二つの見方が考えられる。 すなわち、サドの作品内部の思想のみをサド主義と考える見方と、サドの人生における思想と行動を考える見方。 前者の見方をすれば、サド主義は王権と神権への徹底的な否定、『悪徳の栄え』と『美徳の不幸』の対象に見られる逸脱した性行動によって示される否定、徹底した共和主義と考えれれる。 後者の見方をすると、サド主義は世界に対する無関心と弱者の保障としての空想に支えられたオナニスムと考えられる。唯のオナニスムのような自己完結ではなく、オナニーのために外部社会・他者を必要とした、社会的オナニスムだと捉えられる。 前者に反して、現実のサドの政治的立場は共和主義者でも君主制支持者でもなく、反ナポレオンでもなかった。 前者、後者に共通する要素として、他者の視線がある。 サドの作品において登場人物の一つ一つの台詞は会話としてはあり得ないほどに長く、演説をしているに近い。サドは作品内の人物間で物語を成立させているのではなく、読み手をも組み込んで作品が成立するものとしていると考えられる。 実際のサドの行動においても、端的にはマルセイユ事件で鞭打ちをされながら回数を数える観察者の立場を維持したことに現れているように、他者の視線を必要としている。 ⑤相補性 ②と④の結論を組み合わせてみると、マゾッホ主義とサド主義が双方的な関係にないことは理解される。 サド主義の前者とマゾッホ主義を相対させれば、マゾッホ主義者が演出によって最終的な支配権を得ようとする動きにサド主義者は乗らない。 サド主義の後者とマゾッホ主義を相対させても、サド主義者がマゾッホ主義者と意思を交わす意欲を持たない。(マゾッホ主義の契約という要素はサド主義とは両立不可能) 結局、SMという現象を成立させるのは“マゾヒズムに見られる女性の拷問者はサディストたりえないが、それは課の城がマゾヒズムの内部にいるからであり、マゾヒズム的状況の必要不可欠なものとしてあるからだということ、すなわち、女性の拷問者がマゾヒズム的幻影によって実現された一要素にほかならないからだという事実”と“サディストの犠牲者がマゾヒズムたりえないのは、放蕩者にとって犠牲者の体験する快楽が我慢しがたいものだからではなく、サディストの犠牲者が徹頭徹尾サディズムに属し、サディズム的状況に必要不可欠なものであり、奇妙ながらサディストの拷問者として姿をみせている”ということ。 SMがSとMの相補的な現象とされるのは“一つの倒錯症状に主体(人間)と要素(本質)とを区別すること”をしないために、“一定の倒錯症状を示す人格的固体は、同じ症状を示す「要素」のみを必要とするものであり、それとは別の倒錯症状を示す人格的固体を必要とするものではない”ことを認識しないから。(※4) ⑥類似 サドもマゾッホも反復という点では類似する。 ただし、方向性は逆。 サドはあくまでも外部に向かっての否定を際限なく繰り返すが、マゾッホはギリシア人を用いて自分の内面において宙吊り状態にあるように際限なく繰り返す。 (3)SMの現代的意義 サドについて、遠藤周作は“「君がなぜサドをやるのか、わからん」自分が日本でサドについて書いたいくつかのエッセイを田中は早く頭の中で思い出そうとあせった。彼はどもりながら「サドは現代の日本にも意味があると思うんです。仏蘭西革命を前にしたサドの貴族としての立場はちょうど今の日本の知識階級の位置に似ているんです。だからぼくは…」”と作品内(※5)で触れている。 しかし、戦後の転換期とはいえ、日本にサドが生まれる余地があった・あるとは考えにくい。 対して、マゾッホには可能性と親和性と参考にするべき点が見られる。 可能性という点から言えば、サドにように否定性や破壊性を傾向することがないことがまず挙げられる。 そして、親和性という点については、マゾッホ主義の三要件が形を変えて日本文化に見れる。 典型的なものとして茶道のような徹底した演出の技術・精神があり、華道のように、植物を切り取ってしまうことでの有限性(宙吊り)と美(理想主義)の共存が挙げられる。 ただし、マゾッホ主義における演出に不可欠な契約やそれを実現する説得的なコミュニケーションは無い。あくまでも、「察する」という沈黙がある。角度を変えれば、沈黙の裡に「察する」とは、勝利ではなく敗北を求め合うこととも言え、いわば、「主体」なきマゾッホ主義の本質の精化(これは、契約を主導する「主体」ではなく、定められた手順を黙約し、それに徹底支配されることでも言える。茶道はマゾッホ主義の官能を備えていると考えられる)とも解される。 参考するべきは、マゾッホはサドと比較して生存力があることと、理想主義的であること。 マゾッホの生涯とサドの生涯を比べてみても、マゾッホが自分の思想の実現にほとんど身を投じたのに、サドは前半生での稚拙さと後半生の社会的オナニスムに終わっている。 マゾッホはしぶとさがある。 そして、マゾッホは理想主義を捨てない。ただし、宙吊りに留まるという逃げ場を備えている。 宙吊りを脱して、演出に際しての説得的なコミュニケーション技術を用いる力がある理想主義者。 それはマゾッホ主義とは言えない。 しかし、参考に値する。 ※)『性からの自由/性への自由』(青弓社)赤川学著 ※1)『ザッヘル=マゾッホの世界』(平凡社)種村季弘著 ※2)『毛皮を着たヴィーナス』(河出文庫)ザッヘル=マゾッホ著 種村季弘訳 ※3)『サド侯爵の生涯』(中公文庫)渋沢竜彦著 ※4)『マゾッホとサド』(晶文社)ジル・ドゥルーズ著 蓮實重彦訳 ※5)『留学』(新潮文庫)遠藤周作著
by sleepless_night
| 2006-01-23 23:39
| 性
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