隔たり

“ジェノサイドは、ルワンダのケースを考えても、ユーゴスラビアやカンボジア、ドイツのケースを考えても、誘惑ではない、誘惑という機会的な話では考えるとことが不可能な行為だと、私は考えます。
 情熱に支えられた殺人とでも表しえるかもしれません。
 情熱的な殺人ではなく、情熱に支えられた殺人。
 この世から一つの民族が一人残らずいなくなって欲しいと言う願い。
  最後の一人まで救い尽くそうとする阿弥陀仏や一人の贖いによって人類の罪を引き受けようとしたイエスの情熱(パッション)をベクトルだけ真逆にしたもの。
 それが起きている場面を実際的に想像しようとしても、頭がしびれ、出来の悪いホラー映画程度が私にはせいぜいです。 
 誘惑と情熱の間には質的な差異が存在し、比較や連想を阻むものがあります。”
 と前回の記事殺人の誘惑と情熱の間 投げつけられたチーズサンドで述べました。

 では、私たちは、私はジェノサイドを実現することは出来ないのか?する可能性はないのか?
 誘惑と情熱の間には質的な差異が存在し、私たちの立つ地面が情熱の殺人の歴史を持たないとして、私たちに(私に)情熱の地へと跳躍する可能性はないのか?(※)
 誘惑と情熱の間には、跳躍できない程の距離が存在するのか?

 この問いに答えるにあたって、前回の補足に関連する非常に有名な実験を紹介するのが有効だと考えます。(※1)

 1971年8月14日 アメリカ合衆国カリフォルニア州に所在するスタンフォード大学で、拘置所や監獄の仕組み、看守・囚人・物理的環境の関係に関する調査を目的にした実験が行われた。
 実験を主催したのはフィリップ・ジンバルドー博士。
 
 日当15ドルで拘置所生活に関する心理学実験のボランティアを募集する新聞広告で集まった75人の中から、検査結果から肉体的・精神的に安定性があると判断された21人が選ばれ(21人のほとんどは中流家庭の大学生)、実験の持つ危険性について告知を受け同意し、コインの裏表によって囚人役と看守役に分けられた。
 
 実験は、14日朝、地元警察署の協力の下、パトカーで囚人役に選ばれた被験者宅を急襲し、武装強盗・住居侵入の容疑で逮捕され警察署に連行することから始まった。
 警察署で、権利告知・諮問採取などの手続きをされ、目隠しをされて、スタンフォード大学心理学部の地下室に作られた模擬拘置所に移送された。
 模擬拘置所は小さな監房3つと独房1つで構成され、実際の拘置所同様に鉄格子と小窓が設置され、記録用ヴィデオ、盗聴マイクが研究のために設置された。
 模擬拘置所に到着すると、身体検索され、頭髪を剃られ、シラミ駆除剤を噴霧され、下着なしのワンピース、ナイロンキャップを支給され、脚鎖を着けられる。
 名前の代わりに番号が与えられ、以降、番号で呼ばれる。
 看守役に選ばれた被験者は、特別な訓練を与えられず、肉体的暴力の禁止と「拘置所の効果的な機能に必要な、適切な程度の秩序を維持すること」という最小限の指示を受けた。看守たちは(実際の)スタンフォード刑務所長をアドヴァイザーにして作成された16か条を定めた。
 看守役被験者たちには制服、笛、警棒が支給された。

 実験初日、看守役被験者が秩序維持の手法として腕立て伏せの懲罰を考案する。
 実験2日目、囚人役被験者たちがベットなどを使ってバリケードをつくり抵抗。鎮圧のために看守役被験者たちは消化剤を噴射して鎮圧、囚人役被験者たちを裸にし、首謀者を独房に監禁。
 秩序維持の方法として、3つの監房のうち1つを特別監房として囚人役被験者に特権を与え、他の囚人役被験者には食事抜きなど罰を与えて、囚人役被験者の連帯を崩す措置を採る。恣意的に特別房の入れ替えをすることで、囚人役被験者の間に密告者の疑いと、看守役被験者への抵抗の無力を生む。
 看守役被験者たちは仲間内の連帯感を強め、囚人役被験者への統制を強めた。
 一人の囚人役被験者は意識障害を起こし始めたため釈放。
 実験3日目、面会日。模擬拘置所内の混乱を知らせないように囚人役被験者の身だしなみを整えさせ、面会時間を限る。
 面会時に集団脱走計画の話を囚人役被験者がするのを看守役被験者が聞く。
 看守役被験者と実験主催者が阻止について話し合う。
 実験主催者は地元警察へ、囚人役被験者の移送を要請するも拒絶される。
 計画は単なる噂と判明するも、囚人役被験者への統制はいっそう厳格になる。
 腕立てや跳躍などの罰、素手での便器掃除などの作業をさせる。
 実験4日目、二人の囚人役被験者に情緒障害が現れ、釈放する。
 さらに、もう一人に精神的原因による発疹が全身に現れたため、釈放する。
 囚人役被験者たちの認識能力は著しく低下。看守役囚人の仕打ちにも従順に従う。
 実験5日目、囚人役被験者を一人補充する。
 新人囚人役が看守役被験者たちの虐待的な扱いに抗議するためにハンストを行う。
 看守役被験者は新人囚人役を独房にいれ、ほかの囚人役被験者に自分たちの毛布使用権を放棄するなら独房から新人囚人役を出すと選択さる。囚人役たちはこれを拒否。
 同日夜に、囚人役被験者たちの親から弁護士を通して保釈を請求。
 さらに、研究者が監視していない夜間に看守役被験者たちが囚人役被験者たちを虐待していることが録画によって判明したこと、囚人役被験者のインタヴューを手伝いに来たジンバルドー博士の婚約者クリスティナ・マスラック博士が看守役被験者たちの虐待行為に強く抗議したこと、によって実験を6日目で中止すると決定。

 
 この実験で、囚人役、看守役は文字通り役割を与えられました。
 どちらも、役割の細かい設定は決められておらず、それぞれが、特に看守役が自分たちの役割を考えて、実行しました。
 中流家庭出身の肉体的・精神的に安定性があると診断された人間が、実験前のインタヴューでは暴力に反対する意見を述べた人間が、手当て抜きでも超過勤務を進んで引き受け、目の前での虐待を止めず、非人道的な行為に無力に従わせるようになる。自らが考えて。 
 
 しかし、この実験結果で最も恐るべき点は、模擬拘禁施設での被験者の示した反応ではないと、私は考えます。

 それは、実験主催者の反応です。
 主催者である研究者たちも、自らに拘置所の監督官としての役割を割り振っています。
 ですので、主催者も被験者の範疇には確かに入っています。
 しかし、主催者は、実験に関する全決定権を持っていることには変わらず、彼らにも、その認識はありました。
 心理学の研究者として専門教育を受けた、観察者として訓練を受けた、その場にいる人間の仲でもっとも人間の心に関して知見を持った人間(特に、ジンバルドーは後のアメリカ心理学会会長を務める一級の学者です)が、自分が課したはずの役割に飲み込まれてしまったのです。

 “異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動であるのである。”
                                 (『夜と霧』より) 

 この言葉は、被験者たちには適応できます。
 しかし、実験の主催者には適応できません。

 主催者は、その日常において実験をし、そのまま異常な反応と判断をしました。 
   
 映画『es』はこの実験を基にして製作されたものであることは、観た人はもちろん、多くの人が知るところのものでしょう。
 映画は、エンディングを除いて、実験をかなり正確に描いていると見えます。
 ただ、映画の研究者たちは、実際の研究者と異なり、研究者としての役割だけです。
 その映画では、実際の実験で研究者の反応よりも、ソフトにですが研究者が示す反応の問題を表しています。

 囚人役被験者たちの暴動。
 看守役被験者たちも鎮圧行動を期にした、虐待。
 情緒障害を起こす被験者。
 研究者の一人が中止を実験責任者に進言します。
 責任者は却下します。
 この実験がどれほど重要か。研究者として千載一遇の実験であること、実験の反応の興味深さを分かっているからです。
 異議を唱えた研究者は引き下がります。

 
 “大衆の暴力における「我々対奴ら」のシナリオを論じる際には集団の憎悪が語られることが多い。しかし、憎悪を煽り立てるのは可能だが、それは弱さへのアピールである。ジェノサイドの「作者」たちは(ルワンダ人はそう呼ぶ)、大勢の弱い人々にまちがったことをやらせるためには力への欲望に訴えなければならないと知っていた。そして真に人を動かす灰色の権力なのだということも。憎悪と権力はともに、それぞれ異なったかたちで、情熱である。違いは憎悪は純粋にネガティブなものであるのに対し、権力は本質的にポジティブだというところにある。人は憎悪に屈するが、権力を渇望する。”    (『ジェノサイドの丘』より)


 “権力を枯渇”するパーソナリティが、パーソナリティの座を役割に明け渡す。
 役割にパーソナリティを奪われてしまえば、その人を憎む必要すらなく、“奴ら”を憎めればよい。

 誘惑と情熱の間には、確かに質的な差異が存在する。
 しかし、それは一跨ぎできる距離でしかないのでしょう。
 
 その程度の距離が、体験した者としていない者との間に実際的な想像を阻む。
 その程度の距離しかないから、私は、私たちは想像し得ないものを想像することを避けてはならない、と思えます。



※)記事中でジェノサイドの意味を、ジェノサイド条約よりも狭く、『ジェノサイドの丘』で使われる意味に狭めています。
※1)スタンフォードの拘禁実験(模擬監獄実験)に関して
http://www.aliceinwonderland.com/misa/stanford_prison_experiment/
 を主要参照しています。
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by sleepless_night | 2006-03-18 17:14 | 倫理
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