藤原正彦の喪失と成熟への渇望 その2

(5)喪失のあと/「治者」たちの甘え

 藤原正彦さんと江藤淳の喪失について、前回藤原正彦の喪失と成熟への渇望で整理しました。

 藤原正彦さんは所与の状態としての「父」「母」の喪失、江藤淳は母の喪失と家の零落に伴う「父」の喪失を経験したと解されます。

 そして、両者とも「個人」を引き受ける代わりに、「父」の復活を求めます。

 江藤は「父」に国家を、藤原さんは明治武士道を、それは共に明治の「父」なる天皇が主権を持ち、修身的道徳の源泉として機能した国家を指しています。

 江藤は明治期に留学した鴎外や漱石と自らを比較してこう述べます
 “かつて日本にあり、今はないきずなとは、おそらく国家から各個人に発せられる強力な義務の要請である。あるいは、個人が私情をおさえてその要請に応えるときに生ずる劇である。中略。蕩児荷風といえども、四年の外国留学を通じて、結局父親に象徴される全体への義務の要請から自由でなかった。だが、今日私にたいして発せられる外からの強力な声は何もない。”(江藤淳著作集4・140p)
 そして、明治という時代を
 “「近代化」の進行がもたらす「過去」と「故郷」の破壊に反発して、事故補強を行おうとする意識は、かなり強力なものだったとしなければならない。それは、あるいは、日本人が明治の改革に成功したひとつの原因でさえある。中略。彼らの日常生活は、われわれのそれと同様に激変しつづけたが、かれらが日本人としてのidentityをうしなうことはなかったからである。”(著作集6・99p)と評価します。

 藤原さんは、明治をこう評します。
 “明治の人間が、私にとって魅力的なのは、彼らが日本の精神的風土に開花結実した武士道精神と、そこから生まれる日本人ならではの美しい情緒を、核に有していたからだと思う。明治中期までに海外へ渡った日本人が、その品格によりしばしば欧米人を瞠目させた、という事実はよく聞くことである。古びて黄ばんだ写真に写る先生や生徒、村役場の役人までが、偉そうにみえるのは、ちょびひげばかりのせいではないのである。”(威厳意地109p)⇒(威厳維持235p)でも顔つきの話
 そして、おなじみの新渡戸の明治武士道を絶賛。
 勿論、新田次郎によろしく/『国家の品格』への道の(6)で提示した引用から分かるように、藤原さんの言う武士道は藤原さんの曽祖父が藤原さんの父を教育したということに全てが帰されています。
 その藤原道とも表現するべき規範を“行動原理”や“国民道徳”とすることを主張します。

 当然、両者とも明治時代を直接知りません。
 明治時代は、江藤の祖母の時代であり、藤原さんの曽祖父の時代です。
 そして、江藤の祖母とは、敗戦によって喪失された「父」に代わり家長として在った人物であり、藤原さんの曽祖父は、喪失された「父」の過去における実在を保証する人物です。

 「父」と「母」を喪失した「個人」が、自ら「父」となり、「父」を復活させようとした時、同時に「父」を成立させるための「母」を必要とします。
 江藤が『成熟と喪失』で指摘したように、両者が求める「父」とはあくまでも明治時代を源とし、そこでは近代によって父が「はずかしい」存在となった代わりに、天皇が「父」を支えるものとしてありました。そして、「はずかしい」父が支えた母子密着の「母」は子供の母であると同時に、自然関係・母子関係としての夫婦の相手方であり、良妻賢母です。

 第一の甘えが、そこにあります。
 不安な「個人」である自らを安心させるために選んだことは、自分だけでは完結できず、自分の欲求に応える「母」を必要とします。
 求められる「母」とは、自らの延長である自然関係で自分を包摂してくれる、耐える「母」です。
 「父」とは、なるものという以上に、「母」によって「父」にしてもらう存在と言えます。
 
 しかし、この望みには「母」となることを望まれる女性側からの答えが出ています。

 『抱擁家族』で米兵と不倫する妻が、近代によって「自由」を得て、「母」を拒否すること。
 それについて、『喪失と成熟』に解説文で上野千鶴子さんはこう述べています。
 “男が「治者」を目指そうとするとき、女はもう「治者」を求めていない。男が「治者」になったとき、振り返ってみれば自分に従うものはだれひとりいなかった、という逆説が、「父」になりいそぐ男たちを待っている運命である。”
 「父」を引き受ける「母」がいない男が「父」を演じようとしても“だれも見ていない舞台の上での滑稽な一人芝居のようなものになる。”

 また、「父」を日本と言う国家へ求めた裏に第二の甘えがあります。

 両者とも自らが想像している「父」としての日本国が、「父」を支える「父」としての欧米の存在を想定していることに無自覚です。
 江藤は、日本国が「父」となるために憲法の交戦権放棄規定をなくした上での対等な日米同盟を提唱します。
 しかし、その想像を成立させるには、「父」たる欧米の承認が必要であることの自覚に欠けます。
 藤原さんが持ち出した、新渡戸稲造の『武士道』は欧米に日本を認めてもらう、欧米と類似のものが日本にもあることを必死で訴えたものです。
 
 第三に、「父」を失った父たちのしてきたこと、自らの立っている場所についての認識に甘さがあります。

 “敗戦の当時、「天皇」が死に、また「国」が敗れたときそのむこうからやってきたもの、それは「山河」にほかならなかった。「国敗れて」残り、戦に破れても「何の異変も起こ」さなかった自然が、そのむこう、“天皇”の剥落したむこうから現れ、ぼく達を支えたのである。”
 “ぼく達は自分の手で自分の必要から自然を壊した。その時にぼく達の中で「山河」は破れた。”    
                       『アメリカの影』加藤典洋著(河出書房新社)

 父たちは、江藤も藤原さんも、私たちも、豊かさを求め「山河」を崩壊させたのです。
 明治に「父」を支えた「母」を崩壊させ続けたのは、自分たち(私たち)の選択です。
 
 敗戦時に3歳の藤原さんは、日本の経済復興、父・新田次郎さんの作家としての成功、豊かになる家計を自身の成長と共にしています。

 それを忘れ、「父」の復活をして、「私」を満足させようとする。
 藤原さんは、逃げ遅れて家族を全滅においやりそうになった父・新田次郎の選択をこう表現しています。

 “公を私に優先したのだった。”(威厳意地51p)

 今、その息子が父への私情を国家の名で語っているのは本当に皮肉なことです。


(6)成熟への渇望の導く未熟 

 喪失を確認し、それを「父」にではなく、私たちが引き受けなければ成熟は遠い。
 そうでなければ、成熟する主体がないのだから。


 次回に、藤原正彦さんと学徒兵特攻隊員達の思想との類似、近代の超克論についてまとめを述べます。
 話の序を述べておきますと、彼らは旧制高校、帝大と進んだ、常識的にマルクス主義の知識を備え、英語・ドイツ語・フランス語・ラテン語・イタリア語などの語学に長け、原書で哲学書を読んだ人々です。 
 そして、作戦として無意味だと分かっていながら、死を選ぶ特攻隊員となりました。

 まさに、藤原さんが賞賛するエリートたちです。
 ⇒藤原正彦の浪漫的滑走/特攻の思想
 


 
 


 
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by sleepless_night | 2006-04-29 08:47 | 藤原正彦関連
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