ふさわしい場所

 戸塚ヨットスクールの事件は、田口修二さん(※)の事件を思い起こさせます。

 もし、戸塚の事件がサリン事件の後なら、マインド・コントロールや洗脳と騒がれたでしょう。
 急襲して施設に連れ込み、丸坊主にして、暴力を与えて無力感に突き落とし、限界においつめて、新しい信念を与えると言うのは洗脳です。
 民主党は日本をあきらめてはいかが?で述べたように、マインド・コントロールや洗脳は宗教としては普通になされます。
 また、教育という過程をマインド・コントロールと表現することもできます。
 しかし、宗教で使われるマインド・コントロールや洗脳とマインド・コントロールとしての教育はベクトルが基本的には正反対です。
 宗教では、私たちが生活している社会を超越した価値や世界観を持ち、それらを体得させ・深めるために使います。
 教育は、私たちが生活している社会、軍と警察に暴力が限定された社会、で生きることを教える過程です。
 
 戸塚さんは、学校ではなく、宗教をつくるべきだったのかもしれません。
 四人の命を失ってなお、失われない彼の信念は宗教にこそふさわしい、と私には思えます。
 
 “「体罰のこつは、『進歩、進歩』と考えながらやることだ」”
  http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY200604290123.html

 体罰という名の暴力を振るう側に、進歩はあるのだろうか。


 ※)田口修二さん。オウム真理教の出家信者であった時、教団に疑問を抱き、脱会を申し出たが、却下される。富士道場での独居修行を指示され、事実上の監禁をうけ、殺害される。
 http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-11.html
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by sleepless_night | 2006-04-29 21:07 | 宗教
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