救う会の救われない救い


 フィクションです。

    * 

 AB夫妻の娘C(3歳)は先天性の重い心臓疾患を持っている。
 治療手段は移植以外になく、余命1年だといわれている。
 移植は日本ではおこなうことができず、渡航移植にはAB夫妻の預貯金と処分できる財産を合計した金額より一億円必要。
 そこで、Cを救う会を組織し、友人や親戚などの力も借りて募金活動を行うことにした。
 繁華街で活動しているところに、関係はないが関心があるD、E、F、G、が通りかかり、Aと会話する。

 D:「こんにちは」
 A:「こんにちは」
 D:「寄付を考えいますが、その前に、お話を聞かせてもらえませんか」
 A:「ええ、どうぞ」
 D:「さっそくですが、寄付に頼って海外で移植することに問題はないとお考えですか」
 A:「どのような問題が考えられますか」
 D:「まず、純粋に理論的な問題ではなく、現実的な問題について考えて見ますと、平等の問題があると思います。」
 A:「はい、Cは何らの帰責性もなく心臓疾患を持ち、皆がもつ生きる権利を奪われようとしています。平等という観点から寄付によってでも権利を実現させるべきではないでしょうか」
 D:「仰るとおりです。結果の平等ではなく、Cは生きるという参加する権利が奪われようとしています。しかし、やはり平等から二つの問題を指摘させていただきます。一つは、海外で移植することに関して。つまり、海外での医療資源を消費すること、特に医療保険や為替の問題で有利に立つこと、で提供元の国の人々との不平等があると考えられます。もう一つは、寄付で移植することに関して。つまり、Aのような活動できる能力のある親の下に生まれてきた子供とそうではない子供とに不平等があると考えられます」
 A:「一つ目については、医療は人間の生命にかかわりどこの国にいても命は変わらないのですから、国境を問題にするべきではないと考えます。必要な技術や資源は必要な人に開かれるべきだと考えます。もう一つにつていは、私も同意します。そういったお子さんたちのためにも、統一的な支援機関が必要だと考えます」
 D「一つ目のお応えについてですが、生命の平等をおっしゃるならば、Cに有利に働く国家間の経済格差はどのようにお考えになりますか。技術や資源が開かれて必要な人が手に入れられることは賛成です。しかし、現実の不平等がCに有利に働いており、それを利用して生命の平等を害していませんか」

Eが話しに入ってきた。

 E:「お話のところすいません。お二人のお話を伺っていて効率の観点から考えてみてはどうかと考えたのですが、どうでしょうか」
 D:「はい、効率の観点、功利主義からの話はAとの話の続きにもなりますね」
 A:「功利主義ですか。具体的にどのような問題が考えられますか」
 E:「AD間でなされた平等の話は、有限な医療資源を、経済的に有利な立場の人間が優先的に利用していることだと言い換えられると考えます。そうすると、どう利用することが功利的には善いのか、経済的に有利な立場の人間が優先的に利用して(功利的に)よいのかが問題だと考えられます。この問題は、海外での移植の問題と寄付での移植の問題どちらにも問われるのではないでしょうか」
 A:「海外での移植と関係するのは分かりましたが、寄付でのとはどう関係しますか」
 E:「寄付での移植の話とは、Aがおっしゃったように、統一的な支援機関の設立の問題です。Cを救うのには一億円が必要とのことですが、この一億円が統一的な支援機関の元でより効率的な利用ができるのではないかということです」
 A:「効率的なというのは、どういうことですか」
 E:「二つ考えられます。一つは、一億円でC一人を救うのはお金を掛けすぎるということです。一億円でより確実に多くの命が救えることを考えれば、量的に、寄付を使って海外で一人の手術をするのは非効率で、功利的にはよくありません。もう一つは、質です。はたして、Cはこの社会に一億円をかけるほどの貢献をする人間なのかということです。Cの代わりに天才的な知能を持つと推計された子供たちに一億円を掛ければ、社会はより多くの快や福利を得ることができて功利的に善いのです」
 A:「量的なほうは分かりました。しかし、質的な問題は、社会を不安にさせてかえって社会を支える基盤をおびやかしてしましませんか」
 E:「確かに、質的な優劣を徹底して検査した上で、序列をつけて救済するというのはやりすぎかもしれません。しかし、一定の質があるかどうかを検査することは必要ですし、受け入れられるのではないでしょうか」
 D:「質という観点を私の言った平等と組み合わせてみれば、質の低い人間と高等な生物の間の不平等ということも考えなくなりますね」


Fが話しに入ってきた。

 F:「DもEも、他の人とのことを考えすぎていないか。だって、ABはCのために心臓がほしい。どこの誰かわからないけれど、心臓が要らなくなったからあげると言っている。お互いに合意がある。ABは金が足りない。ABに金をあげたい人がいる。お互いに合意がある。確かに、気持ち悪い感覚や容れがたいと思おう人もいるかもしれないけれど、それは人それぞれなのだから、具体的で直接的な侵害がされていない人たちがどうこう言うべきではないのではないか。むしろ、お金で臓器を買っていけないとしてる現状がおかしい」
 E:「Fの意見にも同意できるところがあります。いま臓器が足りないのは、臓器を提供する側はあげ損で、受ける側も待つしかないという現状があるからだと考えられます。臓器の売買が認められれば、あげ損はなくなりますし、需給関係が活発化して流通量は増えるでしょう。功利的には善い考えだと言えます」
 A:「待ってください。Fのおっしゃるような売買構造で移植を受けるのではありません。手術費はかかりますが、提供者にはお金を払いません」
 D:「私は経済による不平等についてお聞きしましたが、その点から開き直って言えば、お金を払ってしまったほうが、払わない現状よりも平等の観点から是認できるかもしれませんが、どうでしょうか」

Gが話しに入ってきた。

 G:「皆さんのお話を伺っていて、そもそも移植をしないという選択肢はないのですか」
 A:「それでは、Cは死にますが」
 G:「逆に考えてはどうですか。Cは誰かが心臓を要らなくなる、つまり死ぬことが必要なのですが、他の子供に死ねということですか」
 A:「いえ、そんなことはありません。不幸にして死んでしまった子供の心臓をもらいたいのです。そのまま使わなければ無駄になるだけですから」
 E:「無駄ということでしたら、私がお聞きしたように、功利性の観点から、一人に一億円を使うのは無駄が多いことは、どうお考えになるのですか」
 G:「ですから、人間の命や身体を利用すること自体をやめた方がよいのです」


一同沈黙。


 テレビ:「さきほどビック・ニュースがはいりました。南部レオズの竹坂選手がメジャーリーグのケンブリッジ・レッドアックスと5年推定総額60億の大型契約を結んだとのことです。今日は後ほど特集でも、たっぷり竹坂選手についてお伝えしますが、さっそく現地の特派員に様子を聞いてみましょう…」
 

 D:「今日はどこも、こればっかりでしょうね…。では、少ないですがこれを」
 Dに続いて、E、F、G、もそれぞれ小額ずつ寄付して去ってゆく。


 テレビ画面には、現地人とおぼしき人達と用意よく日本の竹坂のユニフォームを来た日本人数人のはしゃぎに揉まれながら、楽しそうな声で話し続けてる男が映っていた。



  それを見ていた、渡航移植にも渡航野球にも関係も感心もないHは思った。
 なぜ、Aの論理を否定したのにDEFGは寄付できたのか。
 なぜ、テレビに映る人間たちは自分たちに一銭も入らない契約にはしゃげるのか。
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by sleepless_night | 2006-12-31 11:36 | 倫理
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