“そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる「道」についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結び付ける貴重な役割を担っていたと言えよう。”
『テムズとともに』徳仁親王著(学習院教養新書) “その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。” 『表徴の帝国』ロラン・バルト著 宗左近訳(ちくま学芸文庫) “人間が聖なるものを知るのは、それが自ら顕われるからであり、しかも俗なるものと全く違ったなにかであると分かるからである。” 『聖と俗』ミルチャ・エリアーデ著 風間敏夫訳(法政大学出版局) * (1)日本で最も制約された人 憲法13条:幸福追求→公人としてプライバシー制限 憲法14条:平等規定→例外 憲法15条:公務員選定権→選挙権・被選挙権は無い 憲法20条:信教の自由→宗教的行為・結社に関して制限 憲法21条:表現の自由→政治的発言の制限 憲法24条:婚姻・移住移転職業選択の自由→男子皇族は皇室会議の議を経る必要・離婚規定がない・住居職業選択制限 憲法26条:教育を受ける権利→非政治性を侵す分野に関して制限 憲法29条:財産権→88条により財産は国有(宮家は別) 憲法32条:裁判を受ける権利→象徴としての地位により民事刑事裁判権は及ばない (2)財布/税金(18年度) 内定費:天皇皇后両陛下・皇太子殿下御一家の私的日常費用→3億2400万 宮廷費:皇室の公式活動費用、施設維持費用→62億2399万 皇族費:天皇皇后両陛下・皇太子御一家以外の宮家(18方)の私的生活費→2億7359万 (他に宮内庁費が106億、皇宮警察本部予算などの関連費用も) 現在、皇族費が支出されているのは 秋篠宮:5方(親王殿下・妃殿下+未成年内親王2方、未成年親王1方) 常陸宮:2方(親王殿下・妃殿下) 三笠宮:2方(親王殿下・妃殿下) 三笠宮寛仁親王:4方(親王殿下・妃殿下+成年女王2方) 桂宮:1方(親王殿下) 高円宮:4方(妃殿下+成年女王1方、未成年女王2方) 皇族費は“皇族としての品位保持の資に充てるために”(皇室経済法6条1項)支出されるもの(この文言は敗戦後昭和22年の法制定時に、宮家は経済的に皇室と切り離されて独立収入を自ら得ることが想定され、不足分を年金のような名目で支出しようとした名残。実際は“品位保持”といった装飾的な支出向きのものというより生活費、もちろん学費もここから出ているが、約半分は使用人の給与など人件費に当てられている)なので、天皇皇后両陛下・皇太子殿下御一家以外の皇族が対象となる。 皇族費の支出には、独立した生計を営む親王を基準とする定額費(3050万)があり(同条3項1号)、親王妃がその50%の支出を受け(同条同項2号)、その子(つまり親王殿下妃殿下の御子である王・女王)が未成年の場合に定額費の7%、成年の場合には定額費の21%の支出を受ける(同条同項5号)。 高円宮家は憲仁親王殿下がお亡くなりなので、久子殿下が当主。 皇室経済法6条3項2号但し書き“その夫を失つて独立の生計を営む親王妃に対しては、定額相当額の金額とする”、により久子殿下が定額費の支出を受けていると考えられる。 そして、その長女である承子女王殿下に対しては、成年皇族なので定額費の21%の支出がある。(承子殿下の成年は18年3月なので、定額費年額の21%満額ではなく月割り相当) つまり、承子殿下個人には年額約640万の支出がある。 皇族費のほかにも、式典出席の際の「お車代」などの収入がある。 参照 『天皇家の財布』森 暢平著(新潮新書) 宮内庁HP http://www.kunaicho.go.jp/15/d15-03.html (3)彼女の立場 “それは実に不思議なことで、もちろん皇族なんだけれども、小学校に入るまでまったくカウントされないんです。二十歳で成年式があり、われわれ成年皇族は一日に皇居に伺って両陛下にご挨拶をするわけですが、小学生以上の皇族は二日だったか三日に集まって両陛下にご挨拶をして、そのあとお食事をいただいてっていうのがあったんですね。皇族として扱われるのはそれだけですね。” “いわゆる皇族としての仕事はゼロなんですね。十九まではゼロ。二十になると突然百ということになるわけですよ(笑)” “成年式ではじめて自分もそういう格好をして宮中三殿へ伺って誓いの言葉を言う。そういった意味でのインパクトは非常に強いわけですね。ある意味で難しいのは、成年のときに突然、きょうからあなたは成年皇族がするべき仕事をしなきゃいけませんということになるんだけれども、それ以前は野放しなわけね。突然生活パターンが変わってしまう。” 『二世論』船曳建夫著(新潮文庫)より 高円宮憲仁親王殿下へのインタビュー (4)海外の意味 “ええ、印象に残る思い出はいろいろあるが、ヨーロッパに旅行したことです。若い時ヨーロッパに旅行したときのことが最も印象に強く残っています。もちろん大戦前後の苦労したことは申すまでもないことです。 私のそれまでの生活がカゴの鳥のような生活でしたが、外国に行って自由を味わうことができました。そのことが最も印象深いことでした。” 昭和天皇 昭和45年9月16日 那須御用邸にて 『殿下、お尋ね申し上げます』高橋紘著(文春文庫) (5)感想の前の整理 http://www.j-cast.com/2007/02/01005277.html 文春の記事が正しく、高円宮承子殿下がmixiでかなり赤裸々にご自身の生活や内面を表していたとして。 まず非難すべき点は、公人としての皇族の立場を著しく毀損する振る舞い。 自らが自らのタブロイド紙を発行するに等しい軽挙妄動。 生活が国民の税金によって成り立っていること、昨年から成年皇族としての支出を受けていることから、以前より一層の自覚があってしかるべきにもかかわらず、行動自体の下品さとネットに関する甘すぎる認識とを相乗させた愚かしさを天下に晒した。 次に擁護すべき点は、(1)~(4)まで挙げた全てに依る。 承子殿下の父、憲仁親王がインタビューで述べたように“野放し”状態の皇族が二十歳で突然に100%を要求されるのは酷である。 国民の関心、宮内庁の関心も天皇家に集中しており、それ以外の皇族は制約の息苦しさこそあれ支援が十分とは言えない(と言うよりも、住民票もないので行政から放置されているに近いと言われる)。 一般家庭に近いが特殊であるという奇妙な環境から自由な海外への移動は、皇太子殿下の留学等とは異なるものの、国内の無言の圧力からの開放という点では類似するものがあると思われる。海外留学は皇族にとって、人生で初めて“空虚な中心”の圧力を脱する機会。 寛仁殿下は上記引用のインタビューでこう述べている “結局、われわれはあまりにも対応範囲が大きいので、いつでも通用するパターンは、しいて言えばない。そういった意味ではいろんなパターンに小さいときから出くわす機会があったというのは、とてもよかった。私は、親というのは背中で教えるものだと思うんですよ。知識は口で教えられるけれども、知恵は背中で教えるしかない。” 皇族という「仕事」は、かつての武士や貴族がそうであったように、親類や親の見習いによって覚えていくしかないものだとしたら、彼女は成年皇族として踏み出す重要で微妙な時期(ゼロから百になる時)に最も見習うべき相手を欠いたのが不幸であった。 寛仁殿下も他の皇族も買い物や飲食で町へ出歩くことがあるけれども、“マスコミにしられたらスキャンダルになるようなことはできない”(同上のインタビューより)という自覚や、マスコミにばれないような場所の選択があったのに加え、スキャンダルにならなかったのは、外に漏れる経路や環境を絞れた時代の恩恵もあったと思う。 不幸が重なったのだ。 さらに、どちらとも言えないが留意するべき点として、海外の王室との比較。 イギリスの王室スキャンダルがすぐに思い浮かぶかもしれない。 近年の皇太子の不倫や王子の麻薬問題・ナチの制服問題などから、古くは皇太子の未成年時代の飲酒逮捕事件など。 海外の王室のメンバーにはスキャンダルがある。 しかし、それを単純に日本の皇室の比較例とするには疑問がある。 日本の皇室は海外の王室とは違い、聖域、宗教性がある。 イギリス王室は国教会の守護者なので宗教性が無いわけではないが、日本の皇室は宗教祭祀の主催をする存在(法的には天皇の私的行為、ただし予算的には曖昧な処理)であり、純然たる宗教性を有する点でまったく異なる。 この聖俗の相違点を無視しての比較は無意味。 (6)彼女の放射した力、問いかけるもの (5)の最後にふれた点から考えると、日本の「公(おおやけ)」と「私(わたくし)」の問題に触れざるを得ない。 つまり、日本の「公(おおやけ)」とは天皇家という「私(わたくし)」の大きな家である、と同時に「公」の文字を媒介にして、大きな「私(わたくし)」を「公(こう)」としている矛盾。 中国由来の「公(こう)」とは自然の理のような「私(わたくし)」を超越した普遍的絶対的倫理を指し(公平の「公」など)、日本では中世から見られるような「天道」の思想によく現れる。普遍的絶対的倫理たる「公(こう)」は近代国家の理念と親和し、大きな「私(わたくし)」としての「公(おおやけ)」とは矛盾する。 (端的にいえば、「公(こう)」は不正な為政者への革命を認めるが、「公(おおやけ)」は天皇の名による討伐しかできないことに違いがある。両者は同じ字であらわされるために混同される。例として「滅私奉公」があり、これは本来「公(こう)」という普遍的倫理を無私に実現することだが、日本では森喜朗が自分の所属のために行為する時に使っている) 天皇家・皇族というのは聖域として、“不可視性の可視的な形”を採り、近代国家(「公(こう)」)の中心で(by森喜朗)、近代国家の無茶(「公(おおやけ)」)を支えている。球体を布で包んだときに寄ったしわを臍のような穴(空虚)で吸収するように。 しかし、そこにあるのは勿論、生身の人間達であり、痛みもすれば憂鬱にもなる。 それでも “手術の途中に、私が、「痛みはございませんか」と、お聞きすると、かえって、「痛いとはどういうことか」というご返事。 麻酔の効いている手術中はともかくとして、局所麻酔の注射自体は相当に痛いものである。そのときも表情一つ、お変えにならない。” 『天皇さま お脈拝見』元侍医 杉森昌雄著(新潮文庫) 天子は民の幸福を祈る無私の存在であり、私的感情を表に表すことは戒められている。 実のある人間が“空虚”を“不可視性の可視的な形”を演じることで支える。 私-日本国民-はそれ(“空虚”)を彼女に要求する正当性があるのだろうか。 法的(つまり近代国家)には、彼女が聖性を担うのは彼女の家(天皇家・皇室)の事情でしかない。 だから、法的には彼女に聖性を根拠としたふるまいを要求することはできない。 税金という法的根拠で、彼女にそれを要求できない。 また、前近代的思想の立場から求めるならば、俗人たる国民が聖なる方に税金などを持ち出して要求することは不敬の極み。 しかし、その聖性を無くしたとき、国民からの聖性への要求を断ったとき、天皇制はあり得るのだろうかが疑問となる。 (5)で述べた、非難と擁護の二点について言えば、単純な税金支出の問題でしかない。 そこらの代議士が政務調査費などを使って料亭で芸者遊びをしたことと同じ程度の単純な問題。 しかし、彼女に関しては、そんな単純なことだろうか。 「税金返せ」という単純な話で済むのだろうか。 どうしても聖性の問題、聖性保持の問題(ふるまいの問題)がある、無意識的な期待が批判によって表明されているように私には思える。 そして、それが「二十歳のフツーの女の子なんだから」という擁護でも「税金でけしからん」という非難でも収まりきれずに残るものとしてある。 「フツーの」や「税金で」と口にして、収まりきれないものを無視すれば、それこそ空虚だ。 * “-最後に伺いますが、百何代続いたお家に生まれたことをいまどんなふうにお考えですか。 高円宮 ここで終わらせたらいけないと思うんですが、男の子がいないもんで困っているんだけれどもね(笑)。ここで終わらせてはいけないんですね。逆に日本国民が必要としなければ、いますぐ終わったってかまわない。私はそう思っているんですよ。” 悠仁親王の御誕生で、皇室が消滅することは当分の間なくなった。 しかし、典範が変わらなければ、内親王、女王は婚姻により皇籍を離れ、宮家は全てなくなる。 そして、悠仁親王が天皇に即位後、親王・内親王を授からなければ、皇室はなくなる。 皇室を支えてるのは、国民なのだろうか。 確かにそうだろう。 しかし、皇族が担ってきた(耐えてきた)事実性がなくなれば、国民がいくら望もうと存在しないのも事実。 「こんな役回りは御免だ」と、さっさと皆が出て行けば終わり。 そして、「こんな役回り」こそ、近代国家日本の「公」と「私」の矛盾を抱えてきた“空虚な中心”に他ならない。 典範を変えて高円宮を承子殿下が相続できるように変えても、殿下を皇籍離脱した旧宮家の男子と一緒にさせて宮家を継がせようとしても、彼女が否だといえば終わる。 その事実を前に、「二十歳のフツーの女の子」と言う擁護も「税金で」の非難も終わる。 もちろん、国民が必要としないとうならば、それで終わっても構わない。 聖性の期待を投射できない皇室はいらないと国民が言うか、聖性を期待された皇族が役割を降りるか。 どちらにせよ、根拠ない唯の事実の積み重ねが皇室の歴史だった。 それがこの先も続くのか。続けたいのか。続けられるのか。 彼女が“空虚な中心”から遠く離れたイギリスから“放射”した“力”が問い示すのはそういうことなのだと、私は思う。
by sleepless_night
| 2007-02-02 22:29
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