“神はアダムに向かって言われた。 「お前は女の声にしたがい、とって食べるなと命じた木から食べた。 お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。 お前に対して、土は茨とあざみを生え出でさせる、野の草を食べようとするお前に。 お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るまで。 お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」” 創世記3章17節 “常時滴水さんは京都の林丘寺に居たのだが、林丘寺は門跡で、寺格がよいので政府からお手当てが下ってゐた。話のまに河村が滴水さんに、 「政府が若し林丘寺のお手当てを取り上げたら、あなた、どうなさいますか。」 と尋ねた。 「さうなりや、托鉢でもしよう。」 と滴水さんの答。河村が、 「若し政府が托鉢も封じたら、どうなさるつもりですか。」 「そうなりや、死ぬだけじやがな。―おまへは何とか云う大学校を出たとかいう話だが、ものの道理の分からん男だな。食へなけりや死ぬだけぢやないか。」” 『おれの師匠』(島津書房)小倉鉄樹著 “プラトンが奴隷を軽蔑したのは、彼らが自殺もせずに、むしろ主人に服従する方を好んでいたからであった” 『人間の条件』(ちくま学芸文庫)ハナ・アレント著 志水速雄訳 * 自分が決める命/自殺という過酷な自由を考えるためにの続き。 「自分の命・身体は自分のもの」という自己所有に関する議論に続き、若干的を絞って、自殺と生産(労働)、過労自殺に関しての議論。 (13)パンがなければ ①アルバイト・コンプレックス “人は誰でも苦労より安楽を求めていると思う。身体を働かせることをできるだけ少なくしたいと思っている。私もそうであり、身体をつかって汗水たらして働くことはもちろんのこと、どんなに洗練されたきれいな仕事でもそれが仕事である限り、できるだけご免蒙りたいと思っている。” “ところで、こうした考えは、二宮金次郎に典型的に示されるように日本的労働観が浸透している社会では、ともすると口にするのがはばかれることになる。「労働は人生だ」、「働くことは素晴らしい」、「働くことこそ立派なのだ」、「仕事が人生だ」等々の大合唱の前では、勤勉に立ち働くことを忌避する概念は倫理にもとるものとして社会的に指弾される。しかし、勤勉であることは本当に人間とししての立派なことなのだろうか、なぜ働くのがいやであってはいけないのであるか。本当は、いやなこと‐労働‐を仕事として無理やりやるからこそ、それを償う報酬があるだけなのではないだろうか。 視点を変えれば、人は誰でもおおむね、何についても自分の労力を費やしたことを無駄であるとは思いたくないものであろう、とうことである。労力を費やす過程に喜びを感じようが単に苦しみと思おうが、費やし終わったあとに残るものについては、自分の労力の故に目の前の結果があると考えるものではないのか。つまり、人は労力を費やしたことを、その結果生ずる事態の根拠や原因とみなしたいのである。” “そうであるとすれば、働くこと自体に何か労苦であること以上の積極的な意味を持たせるのは、人間労働に対して特殊な価値判断を加えているからなのではないか。” “〈労働は人間の本質であり、勤勉に立ち働くことは無前提に善いことである〉というドグマ”、“このドグマ-仮に〈アルバイト・コンプレックス〉と呼んでおこう” ②認知的不協和 レオン・フェスティンガー(スタンフォード大・社会心理学)の実験。 大学生たちに機械的な単純作業をさせた後に、この実験は期待に関する調査目的で他の被験者たちは予め「私もやったが、楽しい作業だったよ」と(フェスティンガーが用意した実験協力者である)偽の経験者から言われてやった、との情報を告げる。 後に大学生たちの一部には、フェスティンガーの同僚が大学当局による外部調査を装って「実験は楽しかったか。非常に楽しかった、から非常に詰まらなかったまで十段階評価で回答して欲しい」と質問調査を行った。 残りの大学生たちには、実験の続きの被験者たちに「楽しい作業だった」と告げる実験協力者が足りないから協力してほしいと要請した。 協力した大学生たちには報酬として1ドルか20ドルの報酬が与えられた。実験協力者になった大学生たちにも、その後に外部調査を装った質問調査を行った。 結果、実験協力を要請されなかった大学生たちは1以下つまり「非常につまらかった」、実験協力者をして20ドル貰った大学生たちは4~5「楽しくも退屈でもない」、そして1ドル貰った大学生たちは6~7「やや楽しい」と回答した。 機械的単純作業をしただけの人は当然「つまらない」という認知をそのまま持つ。 しかし、作業後に「つまらない」と思いながら「楽しかった」と言わなければならなかった人の場合には、認知的不協和が生じ、それを解決しようとする。 20ドルを貰った場合、「つまらない」作業を「楽しかった」と言うことの不協和を20ドルが解消してくれる(不快感を補う金をもらった)。 対して1ドルしかもらえない場合、不快感を補う金がないので、「本当は楽しかったのだ」と認知を修正することで不協和を解消した。 ③分配と交換/働くこと(労働)と価値 労働はそれが生み出すものの価値とどのように関係づけられてきたか。言い換えると、労働と生産物との関係はどのように正当化されてきたのか。 古代、初めて倫理学を独立に立てたアリストテレスにとって経済は倫理の一分野であり、人間の理想的な生を可能とする場所であるポリス共同体を秩序付ける倫理思想だった。 そこで、共有財産や地位などは幾何学的比例(人の価値とものの比例)に分配する分配的正義、私的取引契約などを算術的比例(等価交換)により公正にする是正的正義、両者をつないで交易関係を維持する応報的正義の三つが考案された。 人格価値の比例関係(幾何学的比例)の上で等価交換(算術的比例)を指示する応報的正義は、奴隷制度が支えるために市民において所産と労働とが結びつかない社会維持の倫理であり、生産コストといった観点もなく、市場の需給関係は正義の秩序撹乱要因とされた。 中世、局所的商業と遠距離商業が栄えヨーロッパに国際貿易圏が成立した時代、都市に活動した托鉢修道会士にしてスコラ学の大成者トマス・アクウィナスは静的な階層社会と勃興する商業社会との間で究極的な幸福を導くための経済思想をアリストテレスの上に考察した。 トマスはアリストテレスと同様に共同体全体の利益や共通善を重視した目的指向の経済思想を持ったが、アリストテレスが人格的価値による比例関係を前提とした交易社会を描いたのとは異なり、生産されたもの・労力による比例を前提とした交換的正義による社会―労力と材料費は通貨によって公正価格に表されて正しい交換が可能になる社会―を考えた。 ただし、商業社会の要請から節度ある利益まで認めることで、当事者の合意があれば正当な価格としたローマ法的伝統と教会法との妥協を見出し、キリスト教会の教義と托鉢修道会が対象とした都市民の対立する要請に応えた。 つまりトマスは、身分階層社会の人間から均質な労働力としての人間、労働と財貨を正義による結びつけ、分配的正義から交換的正義などの商業社会が必要とした倫理、を結果として教会社会から表した。 トマスの公正価格はヴェーバーの『プロ倫』でお馴染みのルターにも引き継がれ、需給関係による価格付けを否定しながらも、商業社会を消極的に肯定し(フッガー家が鉱山所有と高利貸しでヨーロッパの各王家をしのぐ財力をもった状況からそうする他なく)、さらに神との直接対峙を打ち出したプロテスタンティズムが産業社会に適応的な個人概念の成立に寄与した。 近代、目的論的な倫理・宗教思想の経済思想から離れた経済社会の分析的で実用的な経済学が誕生し、共通善が退き交換的正義の理論が前面化することで、物的・人的資源の効率的運用による労働と生産物の関係正当化が表れる。 アダム・スミスは利己的な経済的主体が商業社会を自立的に成立させるための自然なメカニズムとして交換的正義の原理を記述し、分配的正義は政治の分野の問題として経済分析とは切り離した。そして、交換的正義原理の分析において、労働(投下労働量)はそれ自身ではなんらの価値的性格を持たないが、物的な富の源泉であるとの分析から生産物の価値をはかる尺度として用いられた。スミスは、トマスの公正価格に類似した自然価格という概念も持つが、分析としてではなく社会政策的な判断として規範性が弱いものだった。 スミスの投下労働による生産物の価値(価格)の説明を定式化したデヴィット・リカードは、スミスが生産段階の投下労働量に無関心であったのと異なり、土地所有者・資本所有者・労働者の間の地代・利潤・賃金という異なる生産物の分配法則決定の不変の統一的価値尺度として労働量を用いるために生産段階で「生産の難易」と呼ばれる労働量の多寡に着目した。 つまり、生産物それ自体に、価格変動に影響されない、交換価値とは区別された(交換や価格とは関係なく)、投下労働量によって生産された不変の絶対価値があると考えた。 リカードの絶対価値という考えは、当然にベイリーなどの経験主義から批判される。 労働量による生産物の価値という思想を引き継いだマルクスは、社会的な必要労働時間と抽象化することで批判を免れて労働価値論を継承しようとした。 しかし、労働量による価値が交換過程によって表されるという批判は解決されずに、マルクスにおいて労働と価値との結びつきは定義(抽象化された労働が抽象化された商品と根拠無く同一視される)として表されただけで、労働量と商品価値との定量的な関係は説明されなかった。 こうして、分配を考える倫理としての経済から交換の効率と正当性を考える科学としての経済へと経済思想は変化し、同時に、個人が働くこと(労働)とその生産物との結びつきは正当化・強化されていったが、生み出したものの価値と労働(量)の関連は交換によって分かたれていった。 ④労働の意義/働くこと(労働)の正義 冒頭に掲げたアレントと創世記の記述からも分かるように、労働はギリシア的価値、ユダヤ・キリスト教的価値観からすれば苦痛であり、可能ならば免れたい行いだった。 そこに、生きていくための必要という以上の意義は見出せない。 そのような単なる労苦としての労働に対して、働くこと(労働)に意義を与え、近代の労働者の思想的に一貫した基盤を与えた(出発点)のがルターやカルヴァンなどのプロテスタンティズムなのではないかとしたのがマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。 ヴェーバーは顕著な経済発展発達のある地域で豊かな市民的中産階級がカトリックよりも徹底した支配を行おうとするプロテスタントに従おうとしたこと、その特有の経済合理性に着目し、経済発展と信仰の間に親和性があるのではないかと考えた。 単に貪欲というならば歴史的に珍しくはないし、合理的な私法制であるローマ法の発展地域や合理主義哲学の発展地域、個人の自由な利益の重視した地域とも経済発展は有意な結びきを見せない。 かつて経済発展していた組織や経営形態を見てみても、企業家たちが労働者から最大限の労働を引き出そうと賃金を上げれば労働者は生活に十分なだけ労働して休んでしまい、逆に下げれば、やる気をなくし習熟せずに生産が落ちてしまうという伝統主義的合理主義の悠長さを脱せていなかった。 なにより、経済発展や蓄財はお目こぼし的に承認されていたのであって、“自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務”であり“これに違反することは愚鈍というだけではなく、一種の義務忘却”だとする倫理(エートス)に支えられていなかった。この倫理―ベンジャミン・フランクリンの「時は金なり」に象徴される倫理―禁欲的で自己目的な労働と資本増殖の積極的正当化こそが近代資本主義に特徴的であって、伝統的な産業にはなかったものだとヴェーバー考え、これを「資本主義の精神」と名づける。 ヴェーバーはこのような労働と利潤を正当化し近代資本主義を可能にした最初の思想が聖書をドイツ語に訳したときにルターの用いた「天職(Beruf)」だとする。 そして、カトリックのように聖俗に高低をつけずに、むしろカトリック修道院のような世俗から利己的逃避せずに各人が生活する地位から生じる世俗的義務を遂行することこそが神から与えられた「召命(Beruf)」に他ならないとしたルターの思想を、カルヴィニズムなどのプロテスタント諸信団が定式化し一層の正当化を可能にしたと述べた。 特にカルヴィニズムと洗礼派が重要な役割を果たしたと考えた。 予め救われる人間とない人間は神により決められており、人間の活動はもちろん牧師の典礼によっても変えることができないというカルヴィニズムの予定説は、信徒に深い孤立化・個人的内面化を求めることになる。カルヴァンにとって職業労働はただ神の栄光を増すための行いではあり、それによって予定に影響することも、隣人愛のような人格的要素を認めることもなかったが、信徒とそれを束ねる牧会の必要から労働・労働の成果による「救いの確かさ」「救いの確証」をカルヴィニズムは認めるようになった。これは世俗生活へ積極的な刺激を与えた。自己の救いを賭けた生活では相応しい規範を必要とし、旧約がこれに重要な役割を果たし、その合理主義的性格が生活態度の組織化を促した。 洗礼派とその流れをくむクエーカーなどの諸派は、教会などの集団制度や典礼を排し、個人化と脱呪術化を進めた。個人の理性と良心の重視は非政治的な職業生活での世俗的禁欲へと信徒を結びつかせた。 こうして、積極的義務としての労働と生活の合理化・組織化を自発的におこなう個人達がプロテスタンティズムによって作り出されると、合理的で組織化された労働者となり、富を生み、しかも目的は富ではなく労働でありので、富は必然的に蓄積され、現世的享楽に費やすことは戒められ、さらなる労働のために投資されるという循環が起こった。 これがヴェーバーの考えたルターに始まる宗教改革の資本主義への影響であり、労働の正当化過程。 ヴェーバーも指摘しているように、ルターの思想自体は積極的な世俗的職業と利潤の肯定ではない。腐敗したカトリックの評価切り下げの反面として聖職と同等化された世俗的地位への順応と適応を述べたに止まり、むしろ所与の地位を「召命」とする点で中世の神秘主義的な思想に近く、独創的は薄い。また、「職業=召命=天職(Beruf)」という言葉もすでにフランス語訳聖書において同様の意味を持つ言葉が存在していたことが指摘されている。 また、カルヴィニズムについてもヴェーバーが述べているように当のカルヴァン自身の思想から変化され継承されている。 したがって、ヴェーバーの『プロ倫』が説いた「資本主義の精神」とは、同書が引用した『ウエストミンスター信仰告白』やリチャード・バックスターの17世紀イギリスやベンジャミン・フランクリンの18世紀アメリカにおけるプロテスタントが背景とした経済倫理だと考えるのが妥当。 では、イギリスやイギリスにルーツを持つフランクリンの活躍したニューイングランド、そこから発展していったアメリカにおいて、「資本主義の精神」は労働を祝福し正当化することに成功していたのか。(※) 結果を見れば、それは成功したとも言えるし失敗したとも言える。 ヴェーバーが資本主義の精神として引いたフランクリンは確かに「時は金なり」と言い、修道院のようなスケージュールを自分に課したような記録を残している。しかし、実際の生活でのフランクリンは規則正しく勤勉であるよりも、そうみせかけることに情熱を注ぎ、「空気浴」と称する健康法を好み、ジョン・アダムスを呆れさせた。つまり、本人すら自分の表現したようなエートスに対してアイロニカルな姿勢を保っていた。 フランクリンの生きた18世紀は農業・産業革命によって社会における労働のあり方が激変した時代だった。 植民地アメリカへは17世紀からイギリスの若年失業者や孤児たちが農業労働者として送り込まれ、年季奉公の過酷な労働を強制されていた。そこは、旧来の農作業のような牧歌的な労働から、機械化され効率を追求する労働への変化の舞台。職務怠慢を罰するための法律も各地で制定された。 当然労働者たちは組合を結成し、ストや暴動や怠業によって工場経営者に反抗した。 19世紀を通じて、警官隊による鎮圧でストや暴動側に多くの死者が出、同時に経営者側は労働報奨制度と規律訓練によって、徐々に労働者の労働管理権を失わせていった。 20世紀にはいると、産業社会の生産した商品を購入する、消費社会も始まり、労働の主体がブルーカラーからホワイトカラー・サーヴィス業へと移行し、中産階級と言われる人々も現れる。 20世紀初頭の経済の乱高下によって、アメリカ中を失業者が仕事を求めて移動する(仕事があるだけありがたい)時代を経て、大戦による雇用の安定化、そして戦後の虚脱感。 この激動の時代を経て、アメリカで労働はフランクリン流の労働の意義(正当化)から、労働の喜び(正しいか否かより、遊びのような喜びを感じるか)というフランクリンも思いつかなかった場所へと行き着く。 象徴的なのが「ティーンエイジャー」の出現。思春期を迎える年齢には労働者となっていた子供たちが、かつてないほど長期に渡り労働から離され、消費する主体として労働(生産)側へ影響を与えるようになった(無産者が生産に影響力)こと。 喜びとしての労働はフランクリンも予想外の労働の大成功とも言えるが、労働と遊びの区別が曖昧化し、労働・生産という側面を腐敗させる(面白くないからやらない)という側面を不可避に伴う点で失敗だともいえる。 20世紀後半のリースマン(『孤独な群集』)やミルズ(『ホワイトカラー』)といった組織人や会社人間への批判は、労働を喜びの源泉として意義を認めるがゆえに労働(の機械化、窮屈な現状)を批判した、失敗と成功の両方を示したものと言える。 この捩れは深化して続き、20世紀末から現在、その捩れは新しい段階へと進もうとしている。 続き→パンがないなら、死ねばいいのに 後編
by sleepless_night
| 2007-03-17 13:01
| 自殺
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