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女子アナものAVではなく、女子アナがAVに出る日

テレビを見ているとき、私はテレビ画面に写っていない場所のことを想像します。
 真面目に原稿を読んで、深刻そうな顔をしているアナウンサーは上半身だけスーツを着ていて下半身は裸じゃないかとか、かなり変態じみた想像をします。

 直接見ることのできるスタジオの中にいる人しか、アナウンサーは下半身裸かどうか分からないはずなのに、多くの人はアナウンサーが下半身裸かなど疑問をもたないでしょう。
 もっと一般的なことを言えば、ドラマで出てくる室内のシーンでは天井がないこと(がある)を意識することはないでしょう。
 
 私達は、テレビを見るとき、「~のはずだ」という信頼でもって、見えない部分を補っています。 アナウンサーは上半身しか映ってなくてもズボンをはいている「はずだ」。ドラマに出てくる室内に天井はある「はずだ」。ということです。
 テレビは「~のはずだ」がないと、成り立たないメディアということです。
 
 その「~のはずだ」が最近、急速に融解してきています。

 端的には、CMに出ている人が、報道・情報番組に出ていることに表れています。

 CMとは、CMを出している企業の宣伝です。そこに出演することは、その企業の利益のために働くということです。さらには、その宣伝する商品などについて一定の責任を負うことになります。CMに出ることはただの仕事であって、出演者の人格とは全く関係ないということはありません。社会保険庁の広告に江角さんが出ていたにも関わらず、江角さんが未納だったときのことを考えれば理解されます。もし、CMに出ることがただの仕事で、出演者の人格に関係なければ江角さんの未納は社会保険庁のCM出演の障害にはならないはずです。社会保険庁のCMに出ると言うことは、出演者の江角さん自信が年金の掛け金は払うべきだと思っている「はずだ」ということです。同様に、コナカのCMに出ている松岡修造さんはコナカのスーツが良いと思っている「はずだ」とみなされますし、セコムのCMに出演している長島さんはセコムが信頼できると思っている「はずだ」とみなされますし、アメリカンファミリーのCMに出ている矢田亜希子さんはアメリカンファミリーの保険が優れていると思っている「はずだ」とみなされます。
 勿論、それらを仕事でやっていること(建前という要素があること)は視聴者は知っているのですが、それでも「はずだ」という思いが私達にあるから、江角さんはすさまじい非難を浴びたのです。

 CMと対極にあるのは報道です。報道を語る際に公平中立(※)と言う言葉が持ち出されるのを聞けば分かるように、報道をするにはCMのような一私企業の利益にたった姿勢ではできません。 報道する人間は、そんなに優れているとも素晴らしいとも思っているわけではないのですが、それでも私達は報道に携わる人を公平中立な「はずだ」と言う約束めいた考えを捨ててはいないはずです。報道番組を見ると言うときの態度は、社会で起きていることを、ありのままの事実や、それについて公平中立な立場で分析している「はずだ」という態度が基本として存在します(メディア・リテラシーはこの「はずだ」という基盤の上で展開されるものだと思います。何故なら、もともと公平中立「のはずだ」という基盤としての信頼・期待がなければメディア・リテラシーが要請されることはないからです)。
 報道番組でこのような「はずだ」という期待や信頼の構造がなくなるということは、電波の有限性やテレビ・メディアの強い影響力から導きだされた公共性と、それを理由とした寡占体制を否定することになります。民放がスポンサーによって支えられているということがあっても、報道において公平中立である「はずだ」と言えない(報道ができない)のなら、寡占を維持する根拠を失います。

 CMの出演者が報道番組に堂々と出ているということは、「はずだ」というテレビを支えている約束が無くなったということです。

 一私企業の商品を良いものだと思っている「はずだ」という人が、公平中立な「はずだ」というのは無理です。
 例えば、保険のCMでアメリカンファミリーに出ている(アメリカンファミリーの保険が良いと思っている「はずだ」)矢田さんが保険業界の報道をすること(公平中立である「はずだ」)は両立できません。保険会社のCMに出れば、その保険会社をはじめ、保険業界全体の利益と関係します。その会社や業界の利益のために働いている人が、公平中立であることはできません。できる可能性が無いのではなく、見ている側が「~のはずだ」という信頼を持つことができないのです。矢田さんは保険会社のCMに出ている以上、保険会社の利益関係者「のはずだ」としか見ることはできませんし、発言もその制約をうけます。報道に求められる「はずだ」を満たすことは不可能です。

 ラサール石井さんは、何の疑問も無かったのでしょうか?
 ラサールさんは「~のはずだ」の融解現象の象徴だと、私は捉えています。
 ラサールさんが嫌いというのではありません。好き嫌いという感情的な話ではなく、本当にテレビ自体が支えられてきた構造(視聴者が「~のはずだ」と信頼を持てる)が軽々と無化されていること、それにたいして何も疑問が上ってないメディア全体に対して唖然としているのです。ラサールさんが出ている報道番組のあとに、ラサールさんが出ているCMが流れるのを見るのは、本当に信じられない光景です。

 もう、ここまでするならテレビに出る人は、俳優とか歌手とか芸人とかキャスターとかアナウンサーとかの区別を一切なくしてしまったほうが良いはずです。
 そうすれば、視聴者は明確に「~のはずだ」という態度を放棄できます。
 アナウンサーで採用するとか、芸能人として事務所に所属するとかを一切やめて、全て“テレビに出る人”という枠で採用をするようにすれば分かり易くなります。
 現状でさえ、それと似たようなものなのですから。
 俳優は演技ができるから俳優になっているのではないし、歌手も歌が上手いからなるのではない、アナウンサーは日本語が正しく使えるからでもないし、芸人は芸があるからでもない。
 この人は「~のはずだ」という態度を視聴者からなくし、ただ画面に次々と表れる“テレビに出る人たち”の戯れを見る。
 
 双風亭日常ではhttp://d.hatena.ne.jp/lelele/20050616とマツケンとヒトシくんの壊れ方についておっしゃっていますが、これらも、「~のはずだ」の融解という視点からすれば極めて当然の出来事のはずです。
 つまり、これだけ無茶苦茶にテレビを支えてきた「~のはずだ」という区切りを侵犯する行状が出現しても見ている側も作っている側も問題だと思っているように見えない。マツケンさんもヒトシくんもメディアの中で長いキャリアを持ってきた人たちですが、この現状を見て、もう今までの約束ごとを気にしなくてもしたいようにしても問題ないということを悟ったのでしょう(ヒトシくんはスーツのCMにもともと出ていましたけど)。
 時代劇俳優は時代劇に出る「はずだ」とも、司会者はおちゃらけた番組にでない「はずだ」とも視聴者も製作側も期待・信頼していないということが分かって、やりたいようにしはじめたというのが“壊れて”見えるのであって、“壊れて”いるのはマツケンやヒトシくんではなくテレビメディア自体だと考えるのが自然です。

 ですから、もう女子アナもののAVという世界は終わりになってもいいのです。
 これからは、女子アナがAVに出たり、AVに出ている人がニュース原稿を読む時代になります。
 その時には、アナウンサーという存在自体がもっていた「~のはずだ」という考えがないのですから、だれがニュース原稿を読もうと関係ありません。
 視聴者側も、その原稿を読む人間の属性に今までのような「~のはずだ」という期待を持っていないのですから。
 AVに出演して、男優と激しい性行為に及んでいる女性が、ニュースを読む、そのニュースが過激な性教育を非難する議員の発言の紹介であったり、未成年の性交経験についてであったりしたら、それを見る視聴者にとってまたとない脱「~のはずである」の機会となるでしょう。
 テレビに出ている人が何をし、何を言おうと、そこに立場や役割に要請され、期待される属性は一切ないとありありと実感されるはずです。
 現状と程度の差の問題であって、本質は一緒なのですから、そんな日が来ても、私は驚きません。

(※)公平中立とは、真ん中に立つと言うことではありません。独立性を意味するものです。
 人間が物理的に存在する以上、真ん中に立つとことはありえません。どこかに立つことしかできない人間が、真ん中に立ったりはできません。どこが中心かも、どの規模や時間で測るかで異なるのです。できるのは、独立した自分という立場から、自分がその責任を持つ形で、誠実な資料読解と論理展開をすることです。
 今のマス・メディアの使う公平中立は、単にどっちつかずの状態で責任を取らないようにするための欺瞞であり、公平中立を口実にメディア批判する議員は単に自分の言うことを聞かないことへの感情的反応にすぎないと、私は思います。
また、“ありのまま”の事実と表現しましたが、これも同様の理由でありえません。
 何か出来事が生じたとき、それを見聞きした人が観察・記憶・表現する過程を担う以上、“ありのまま”はありえなくなります。これはビデオなどの記録媒体をつかっても同様です。その記録媒体も物理的に存在する以上、どこから・いつ・どのくらいの間、記録するか、その映像・音声をどうやって編集するかで、“ありのまま”はありえなくなります。
 
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by sleepless_night | 2005-06-17 22:13 | メディア
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