2005年 06月 12日 ( 2 )

平井堅に見出した希望 人生の「意味」「目的」part3

 二回連続して人生の「意味」「目的」について述べてきました。

 ここでは、そのpart2で述べた内容を平井堅さんの『life is・・』を用いてより明確に述べてみたいと思います。

 読み直すのが面倒だったり、読んで頂いてなくても大丈夫なように、軽く前二回の内容を述べます。
 まず、人生の「意味」「目的」という言葉には二つの用法があること。
 それは、用法①:超人間的・超自然的な存在や法則の示した「意味」「目的」です。具体的には、神様が人生の「目的」は~だと言った、というようなもの。
 用法②:人生をコントロールする力や意図した結果への影響力を持てたときに感じる「意味」「目的」です。具体的には、一生懸命仕事をして成功したときに「目的」に「意味」があったと言ったり、失敗した時に「意味」が無かったと言うときの「意味」「目的」です。

 そして、日常で多くは用法②を使うが、混用してしまうことがあること。また、二つの用法に基本的な共通点があるので用法①の「意味」「目的」を持ち出さなくても、人生の「意味」「目的」を持つことが出来ると言うことを述べました。


 さて、『life is・・』へ話しを進めます。
 http://music.yahoo.co.jp/shop?d=p&cf=52&id=248066

 まず、“どうして僕らはこんなに 息苦しい生き方選ぶの”とあります。
 これは、実存主義的です。息苦しいというのはネガティブな状態です。“選ぶ”と言う言葉は普通、ポジティブな状態に使います。つまり、“選ぶ”というのは自分が“選ぶ”のですから、自分を苦しめることはしないと考えるのが普通です。しかし、どのような結果や状態であれ、自分の置かれた環境で、そこで可能な選択肢を“選ぶ”ことで自分の人生は成り立っているというのは一つの見方(実存主義)からは正当なものです。
 私は、この“選ぶ”という言葉と“息苦しい生き方”という言葉が並ぶのを違和感とともに、人生の“息苦しさ”を的確に表現したものだと思います。自分は自分が心地よくあるように“選ぶ”はずなのに、現実は“息苦し”さを感じることがある。自分が“選んだ”結果であるだけに、それはよけい“息苦し”さがあるのです。

 そして、さらにこの歌詞の重要なポイントであり、私が前回に述べたことと関連するのは
“答えなど何処にもない 誰も教えてくれない でも君を想うとこの胸は 何かを叫んでる それだけは真実”
“永遠は何処にもない 誰も触れることはない でも君が笑うとその先を 信じたくなるそれだけが真実”
“答えなど何処にもない~痛みを抱きしめるそれだけが真実”
 というサビの部分です。
 サビが重要なのは当たり前ですが、その内容に、私が前回に述べたことと共通する考えがあり、惹かれるのです。

 ここでは、“答えなど何処にもない”“永遠は何処にもない”とあります。
 つまり、私の述べるところの用法①「意味」「目的」(神などの超人間的な存在や法則の示した「意味」「目的」)は“ない”ということです。
 “答え”と言うのは“永遠”と対句になっているので永遠性のある“答え”だと考えられ、超人間的な存在や法則など(そこまで明確に意識しなくても、従うべき言葉だったり、間違いのない教えのような意味)を指すと解せます。
 そして、“答え”が“ない”とするならどうするかと言うと、“君を想うと何かを叫んでる”“君が笑うとその先を信じたくなる”“痛みを抱きしめる”としています。
 これが前回述べたことと重なります。
 用法②の「意味」「目的」(仕事で成功したり、試験に受かったりなど、「目的」に「意味」があると想ってした時)に、虚しさを感じることがあり、それは人間が有限の存在だからだと述べました。一人の人間がやることは、自分の思い通りに出来たとしても社会全体からは小さく見えたり、何をやっても結局死んでしまうということが虚しさを引き起こすと考えるのです。
 そこで、用法①の「意味」「目的」のように、神や仏などの教え、宗教団体の教義が持ち出される余地があるのですが、用法②の「意味」「目的」でも工夫をすれば足りると述べました。
 その工夫こそが、この歌詞のサビが表していることと同じだと解するのです。
 工夫とは、用法②の「意味」「目的」でも、自分中心ではなく、他者との関係に中心を移すこと(それまで人生の「目的」を自分が仕事で成功し金銭を得、地位を上昇させることや、自分が勉強して試験に受けることとして「意味」を見出していたことから、「目的」を自分が他人と良い関係を築くことから自分の人生に実りを見出すことで「意味」を見出すことに変える)ですが、この歌詞でも“君を想う”という他者との関係を重視することによって、“答え”“永遠”が無くても、それが無いことから来る“痛み”をも“抱きしめ”て“その先”へ進むことができるとしています。

 平井堅さんの他の作品、特に、恋愛をテーマにした作品では、このような考え方とは反対のもの(所謂オンリーユー・フォーエバー的な歌詞)が多いので、平井さん自身の意図は別にあるのでしょう。
 しかし、この作品を独立してみれば、私の考え方と似たものだと思っています。

 
 
 
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by sleepless_night | 2005-06-12 13:57 | 宗教

人生の意味と目的 part2

前回、「意味」「目的」には二つの用法があって、その混用は悪用されることがあると述べました。また、私達が日常で使うのは②の用法が多いことも述べました。

 さて、前回は何かに失敗したり病気になったり等の場合を例に話をしましたが、今回は逆の場合について述べたいと思います。

 ②の用法での「意味」「目的」は、自分の人生へのコントロール力や意図した結果への影響力を喪失した場合に言う「意味が無かった」や「目的が失われた」の「意味」「目的」ですが、仕事が上手くいったり、試験に合格したりしたときにもこの「意味」「目的」への疑念が生じることがあります。
 つまり、虚しさです。
 自分の人生をコントロールでき、意図した結果へ影響力を発揮できると通常は「目的」に自信を感じたり「意味」があったと思うのですが、反対に虚しくなる時もあります。
 それは、自分が有限であることから来る虚しさです。
 どれ程のことを成し遂げてもやがては死を迎えます、さらには、この地球自体も終わりがあると考えられています。そこまで考えなくとも、自分が為したことが意外と小さく感じることはあるでしょう。

 そこで、確かに①の用法での「意味」「目的」が登場する余地があります。
 偉大な宗教家が提唱し、それについて多くの先人が考えを重ねてきた知恵が、その虚しさを解決してくれる余地はあります。

 但し、いきなり①の用法へと飛躍することも実はありません。
 と言うのは、このような場合は①も②も似ている要素が解決に寄与すると考えられるからです。
 つまり、①の用法で「意味」「目的」があると感じる場合も、②の用法で「意味」「目的」があると感じる場合も、ともに活動による充実感が大きな要素を持つと考えるのです。
 違うのは、①の用法での「意味」「目的」には抽象性や普遍性を備えたものが多いので、有限性や小ささを感じさせることが少ないという点です。

 仕事に力を入れ成功したときも、勉強をして試験に受かったときも「目的」に「意味」があったと感じるでしょう。(②の用法)
 隣人愛を実践するために近所の老人の病院の送り迎えをしたときも、行施をしようとお寺の掃除をしても、新しい信者を獲得するために活動しても「目的」に「意味」があったと感じるでしょう。(①の用法)<※>
 どちらとも共通しているのは「目的」に「意味」があったと感じる基本に充実感があるということです。
 ですから、今まで、①の用法での「意味」「目的」に触れてこなかった人(宗教思想などに触れて事無かった人)が突然に受け入れようとする必要もないと言えるのです。

 ②の用法での「意味」「目的」でも、今まで自分を中心にしてきたものを、他人との関係へと意識を向けてみるだけでもだいぶ変化があると思います。(ここで注意して欲しいのは、“他人へ”ではなく“他人との関係へ”です。他人中心にはできませんから、自分と他人という関係から充実感を感じられるように注意を向けてみるということです)
 そうすれば、仕事で自分が成功する(出世する・金銭を得る)ことや試験に自分が合格するなど程に有限性や小ささは感じられず、他人との関係は自分一人よりも複雑性があるので、虚しさを引き起こす隙も減るでしょう。


 重ねて述べますが、①の用法での「意味」「目的」を考えることを否定しているのではありません。
 前回も述べたように、それは②を補うこともあります。
 また、②と違って普遍性や抽象性があるので、今までと違った人生へと導く可能性があり、それが素晴らしい人格を作り上げることもあるでしょう。

ただ、
 人生で挫折や病気などの心理的に余裕の無いときに、宗教団体が言う「目的」「意味」に触れたら、自分の失ったと感じる「意味」「目的」とは違った用法であるかもしれないということ。
 自分が「目的」を果たしても「意味」が無かったと感じたときに、宗教団体が言う「目的」「意味」へ、この場合は基本的に共通した要素があるので、飛びつかなくてもいいと言うこと。

 これらを心に留めておくと、無闇に宗教団体側の設定した流れに呑まれないと思います。
 それは、①の用法での「意味」「目的」について自分の側から落ち着いて考えを検討したり深めたりするためにも必要なことだと思います。

<※>戦後に拡大した新宗教団体でも、その教え(①の用法での「意味」「目的」)によって人々が救われたという以上に、その団体が提供するコミュニティーでの人間関係や活動による充実感が人々を救ったと言う見解があります。
 
 
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by sleepless_night | 2005-06-12 12:25 | 宗教