2005年 06月 26日 ( 2 )

マザー・コンプレックスから「マザコン」へ、熟年離婚の道。

 前半で述べましたように、一般で言われる「マザコン」とマザー・コンプレックスは違うと考えられます。ですが、「マザコン」とマザー・コンプレックスは無関係ではありませんし、最初に持ち出した「頼りがい」ということとも結びつきが出てきます。
 勿論、「マザコン」に「頼りがい」を感じる人はいないでしょうから、マザー・コンプレックスを持つ人(正確には、コンプレックスを解消し切れなかった人)とです。ただし、間接的に「マザコン」とも関係します。マザー・コンプレックスの時代の先に「マザコン」の時代が現れる と考えられるのです。
 
 このことを考えるためには、少し時代をさかのぼってみなくてはなりません。
 スタートは1950年付近です。つまり、団塊の世代と言われる人々が生まれた時代です。
 この1950年付近に生まれた人々は第一次ベビーブームと言われるように、世代内の人口が多い世代です。団塊の世代の人々は「金の卵」と言われる地方から都市へ多量の就職者を輩出し、日本の製造業を支えてきた人々です。世界の時代状況も味方して、日本は急激な経済復興・成長を遂げた時代です。団塊の世代と言われた人々は、非常に仕事へ没頭した人々だと言えます。それは、同時に特異な家庭形態を作ることに寄与しました。つまり、専業主婦が成人女性の主流となったのです。かつては、一部の上流階級しか許されなかった専業主婦という既婚女性の特異なありかたが、社会の経済発達とそれに乗った男性の賃金上昇によって可能になったのです。
 このモーレツ社員と専業主婦の間に子供が生まれ、それが第二次ベビーブームになりました。この子供達が結婚するのが、1990年台初頭からです。すなわち、「マザコン」が一般に認知されたドラマが放映された時期です。
 
 これを踏まえて考えてみます。
 まず、団塊の世代の人々の中でも地方から「金の卵」として出てきた人たちは、十代で故郷を離れた人たちです。しかも、それは沢山の兄弟姉妹がいる上、現金収入に乏しい地方社会では生きてゆくこと・生活を向上することが望めないから、苦しい家計を助けるためと言う理由が少なからずあったと考えられます。そうすると、彼ら・彼女らの中には両親との間で十分に感情的な分離を経験できるだけの時間的な余裕をもてなかった人たちが一定程度以上の割合で存在したと考えられます。つまり、感情的な分離のための基礎的な安心感とそれに基づく葛藤を経た上での新たな感情的な結びつきを作るだけの余裕がないままに、故郷・家族を離れざるを得なかった人たち、マザー・コンプレックスを含む、家族関係でコンプレックスを生じたまま解消できなかった人たちです。

 この人たちが結婚し、子供を育てることになります。
 結婚の形態は、上述したように、モーレツ社員と専業主婦の取り合わせです。
 モーレツ社員は家庭へと向ける力も時間も少ないはずです。家庭、子育ての全権は母親が握ることになるでしょう。
 そこで、前半で述べたように母親自身のコンプレックスを子供に思いのままに投影できる可能性が出てきます。つまり、コンプレックスを解消できる間もなく故郷・家庭を離れざるを得なかった女性が、誰にも制約されない自分の家庭の中で子供へと自分のコンプレックスを投影できる環境があるのです。
 一方で父親はどうするかと言えば、所謂水商売の女性へと、接待もかねて向かうことができます。そこには、自分を(高額な金銭を払うことで)受け入れてくれることが保障されている女性が待っています。そこで、コンプレックスに影響された行為・感情を満たすことが可能です。また、コンプレックスは理不尽な行動をとらせるだけの力がそれ自体であると考えられ、コンプレックスの持つ構造に上手く嵌れば大きな力を発揮できると考えられます。これが時代の求めた社員像と合致した可能性があります。つまり、会社は、母親の代わりに社員の故郷を失った寂しさと基礎的な安心感を与え、社員はそれに対して全労働力を奉仕する、労働による疲労は所謂水商売の女性が慰撫してくれる、というマザー・コンプレックスの代償行動がモーレツ社員としての男性の行動だと解釈できるのです。そして、マザー・コンプレックスに動かされていた人たちも外形的には非常に「頼りがいのある」人だと見えることも十分にあるでしょう。外形的には、仕事に一途で忠実な人間と見えるのですから、女性からみれば「頼りがいのある」と見えてもおかしくはありません。モーレツ社員ですし、所謂水商売の店等での付き合い・接待も多いでしょうから、自分の深い個人的な部分を家庭で見せる時間的な余裕も限られているので、「頼りがい」に疑問を持たれる様なことも少ないのも加えて、コンプレックスの持つ厄介な面を見せなくて済む可能性が高かったと考えられます。(※)

 このように、マザー・コンプレックスと「マザコン」の両方の存在が可能になります。しかも、マザー・コンプレックスが生き残れる社会環境が「マザコン」を育成できる環境ともなっていると考えられます。  「頼りがいのある」男性とその妻が作った家庭が、「頼りがい」と対極とみなされる「マザコン」を産んだと解釈できるのです。

 今回は、少し社会の構造などへと話が触れました。この構造は今後も様々な場所で引き出されると思います。日本の恋愛や家族の歴史を考える際にはどうしても、第二次大戦後の変化ははずせない問題です。それは直接、現在の私達をとりまく恋愛や結婚の言説を作り出した時代だと考えられるからです。もう一つ、江戸から明治という大きな変革期もありますが、これと並んで大戦後の60年は重要な時代だと考えられます。
 少しずつ、この過去から現在への変遷という話の筋が見えてきましたが、次回も現代の問題にとどまりつつ、全体の話の筋へと勢いをつけて生きたいと思います。

 ということで、次回はより現代的な問題であるストーカーについて述べたいと思います。
 
(※)近年、話題になっていいる熟年離婚は、このコンプレックスを解消できないまま、経済環境に支えられて結婚・子育てをできた人たちが含まれていると考えられます。
 つまり、定年を控えて、男性はそれまで程、仕事や外での時間の消費が少なくなり、女性は子育てを終える状況で、改めてお互いに向かい会った時、お互いの持つコンプレックスに触れてしまうこともたぶんにあるでしょう。そうすると、今まで男性は会社と、女性は子供と共依存関係を作ることで外見的には上手くいっていたのが、男性は会社を、女性は子供を奪われることで関係に変化が生じるでしょう。そのとき、関心の大部分に共通点のない男女が、お互いのコンプレックスと対峙して解消へ向けた歩みを共にする可能性はかなり低いと考えて妥当だと思います
 『超少子化』鈴木りえこ著(集英社新書)には“子供に大変手のかかる時期に妻をサポートした夫へは、その後も妻の愛情や信頼の気持ちが続き、二人の関係は良子のまま持続する。”とあります。
 これは、当たり前のことですが、私が上述したことと重なるでしょう。
 母親・家族へのコンプレックスを解消できないまま都市へ出てきて、結婚し子育てをする夫婦でも、二人で子育てをするには、夫はモーレツ社員を突き進むことはできなかったでしょうし、何よりも妻による子供へのコンプレックスの投影がし難くなったはずです。また、二人で過ごす時間が多くなり、二人で様々経験をすれば必然的にコンプレックスに触れる場合があったはずです。そのとき、二人の間でともにコンプレックスの解消に向けた歩みがなされたこともあったでしょう。特に、育児と言う重労働であり、二人とも逃れられない責任をこなす中で、余裕を失い感情を爆発しあったりすることが、感情によって結び付けられた心的複合体であるコンプレックスを意識化させ、それを解消する機会になった幸運な場合もあったはずです。同書のこの部分は、非常に重要なことを過去、現在、未来の夫婦に伝えている内容だと思えます。
 
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by sleepless_night | 2005-06-26 14:15 |

「マザコン」とマザー・コンプレックスの違い

 前回、「マザコン」について話を進める前提として、コンプレックスという概念を生み出した心理学自体の問題点について軽く触れました。今回はそこでも述べました「マザコン」とマザー・コンプレックスの違いという点から展開したいと思います。
 
 「マザコン」がマザー・コンプレックスの略であることを知っている人は多いでしょう。しかし、マザーをつけない、単なるコンプレックスと聞いたときに正確な意味を答えられる人は多くないはずです。普段、コンプレックスと言うと劣等感と殆ど変わらない意味合いで使われていることが多いように感じる経験からの認識ですが、メディアで使われている状況からもそう言っても間違いではないと思います。
 この二つの言葉を一般的に使われている語意で結び付けて考えてみると、おかしなことに気付くでしょう。つまり、コンプレックス=劣等感だとすると、「マザコン」は母親劣等感となってしまい、「マザコン」と言われて思い浮かべる人物の性格とは違ってしまいます。 
 このおかしさは、「マザコン」とコンプレックスという言葉が訳語ではなく、そのまま日本語化されてしまった過程で、元の意味から離れてしまったことに原因があるのでしょう。特に、「マザコン」と略されてしまったので、コンプレックスと「コン」は同じ言葉だと意識されにくいことも影響していると考えられます。

 では、コンプレックスとはどんな意味で使われていたのかと言うと、“感情的な色合いをもった心的内容の混合物”(※)という意味です。英語で「複雑な・入組んだ」という意味の形容詞であることを考えれば、コンプレックスが“混合物”と意味付けられているのは問題なく了解されるでしょう。前回述べた理由(心理学自体の弱み)で細かい話へは触れませんが、“感情的な色合いをもった”という部分について補足します。人間は生きていれば様々な体験をします。そして、体験するということは同時に様々な感情を内心で生じさせています。それらの体験も同時に生じる感情も、新しい体験と感情へと進んで行くことが生きていることである以上、明確に記憶されることは圧倒的な少数となります。それらの中には、体験した時は大きな感情を伴ったものも含まれているはずです。それらは、無意識(意識して思い出そうとしてもできない)の部分でとどまり、その体験の様々な側面が感情によって結び付けられていると考えられているので“感情的な色合いを持った”となります。ただ、いちいち面倒なので“感情的な色合いを持った”は省いて、ただコンプレックスと呼ぶようになったようです。
 コンプレックスの厄介な点は、文字通り“感情的な色合いをもった心的内容の混合物”である点と無意識の話である点だと考えられます。
 ある体験をすると何種類もの体の動きと感情が生じます。体験は、その時の具体的な環境からも逃れられません(体験するとは、どこかで体験するということ)。ロボットで例えてみますと、ある体の動きと感情の動きをロボットが行うためには、そのための回路が必要になります。新しい動きや感情のためには、新しい回路が加えられていきます。一回の体験をするだけでも、相当な数の回路が必要になります。多くの体験を重ねる中で、大きな衝撃が加わったりして回路を別の回路と遮断する絶縁体の皮膜(カバー)が破れたり、皮膜が不完全な物も出てきます。すると、沢山の回路が接触して絡まっている状態で、ある回路に電流を通そうとしても別の回路にまで電流が流れたり、別の回路にしか通じなくなってしまったりと、本来の意図とは別の動きをしてしまいます。ある強い感情を伴った体験をしたときに回路の不具合が生じたために、一見関係ない別の場合にも、不具合部分が連動して統御がとれない状態がコンプレックスと解釈でき、その不具合自体が厄介だと言えます。
 また、不具合がロボットの内部の回路を収納する部分に生じていますし、回路が多すぎてどこの部分かも、不具合が生じていることすらも意識できない可能性もあるのも厄介です。

 上述の文章から分かるように、体験と感情を持つ人間でコンプレックスのない人間はいないはずです。コンプレックスが日常生活に支障をきたすほどのものではない限り、あまり気にしていないだけで、多少の影響は受けているはずです。むしろ、コンプレックスを生じさせるような体験と感情が、それぞれの人生を特徴づけているとも解釈できます。

 このようにコンプレックスは一般的に認識されている語義とは異なります。

 では「マザコン」という一般的に使われている言葉と、もともとのコンプレックスの意味から考えるマザー・コンプレックスはどう違うのかを考えて見ます。

 「マザコン」と称される人物の特徴を挙げますと、何でも母親の言うことを聞く・幼児期と同様に母親に世話を焼いてもらっている・母親から離れられない、と言うのが大体のものでしょう。
 これは、母子の関係性が幼児期から変化していない状態だと見ることができます。幼児期は、子供は母親に何でも世話を焼いてもらい、その欲求が満たされるのが当然だと考えるとされます。つまり、母親と自分の区別がはっきりしていないとも言えるでしょう。そして、対する母親の側でも、自分の中の幼児像を子供に投影して(幼児は話せないし、自己の考えを持つ段階でもないので、母親自身が思い描いている幼児像を実際の幼児によって邪魔されず、自分の思い描く幼児=実際の幼児、とできる)しまうことが考えられます。
 この母子関係は、自分の無い幼児と自分が思い描く幼児を持ちたい母親とで共依存関係を作ることができると考えられます。
 少し突っ込みますが、母親が自分の思い描く幼児像を実際の幼児に投影することに満足を覚えると言うことは、母親自身がコンプレックスによる相当程度の影響を受けている可能性があると考えられます。例えば、自分の子供を抱っこすることに強い執着をする母親が、自分が幼い頃に抱っこしてもらえなくてさびしい思いをした場合などが、その可能性があると考えられます。母親自身が、その抱っこへの執着が自分の過去の経験に影響されてのもだと意識している場合には、コンプレックスと取り組み解消へと向かう可能性が出るでしょうが、全く無意識的にどうしても抱っこしたくて止められないという状態の場合は、そのコンプレックスに支配された母子関係を継続してしまう可能性があるでしょうし、この母親のコンプレックスに支配された関係の中で子供が母親と分離できていない状態が「マザコン」と言われる状態になると解されます。(※2)子供自身は自分のコンプレックスを問題にするほど自分を作れていないので、コンプレックスと呼ぶことが適当と考えられません。

 一方、マザー・コンプレックスはというと、「マザコン」のような母子一体を作る程度ではないが、母親との関係で生じたコンプレックスが解消されていない状態だと解釈できます。例えば、母親が非常に厳格な人で子供の頃に息苦しさを覚えている子供が、少年から青年期にかけて非行に走ったりする場合、母親に関連して生じたコンプレックスが原因だとも考えられます(母親との関係のなかで生じた息苦しさという感情と、その息苦しさを感じたとき知覚され記憶された様々な物事が無意識の中にあり、息苦しさを感じたり、その記憶されたものから連想される物事に触れたときに、あたかも母親に対して反抗するように、その対象に行動してしまうと考えられます)。
 ですから、前回も述べましたように、マザー・コンプレックスがある場合は、母親との関係は難しいものとなるはずです。コンプレックスの例えでロボットを持ち出しましたように、ある強い感情を伴う体験があったときに、絶縁体が破損し周囲の混乱した回線へ電気が流れてしまい、上手くコントロールできないのですから、母親との関係のみならず、そのコンプレックスに触れる物事のある関係にも影響があるはずです。

 このように、近年放送されたドラマでの台詞やコンセプトのように、“マザコン=母親を大切に思い愛している人”というのはかなり無理があるものだと思えます。

 ここまでで前半を区切って、後半にさらに「マザコン」の背景などへと話を進めます。

(※)『分析心理学』C・G・ユング著/小川捷之訳(みずず書房)
(※2)既述しましたように、コンプレックスは誰にでもあると考えられます。また、赤ん坊への投影も、他の成人への投影も避けられないと考えられます(初対面で印象をもつのは仕方がない)。全くの無意識から影響をもろに受けてしまったり、それが日常に大きな問題を引き起こさない限り、そのつど気をつける程度が丁度よいように私は思います。本当に、深刻な場合は専門家へ相談をすることをお勧めします。また、コンプレックスはわざわざ探し出すようなものだとも思えません。例に挙げたのは、本当に例であって、似たようなことがあってもコンプレックスが原因だとも断定できません。 
 何度も述べたように、心理学からの解釈は参考です。
 また、これは宗教についても共通しますが、心を扱うことは危険を伴います。下手に突っ込んで、藪から蛇を出すことにもなりかねません。心理学に関する資格は、最近議論されているように複雑です。巷にもマス・メディアでも、~カウンセラーという肩書きの人がいますが、カウンセラーという資格を認定する団体が沢山ありますし、なんとなくカウンセラーという肩書きになっている人も見られます。難しいのは、認定する団体が玉石混交である上、肩書きがあってもカウンセリングの能力が保障されるとは言えないことでしょう。
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by sleepless_night | 2005-06-26 12:16 |