2005年 06月 30日 ( 1 )

“許された危険”とネットの匿名性

 実名化への舵きりが本気なら、あせらなくてはいけないのかもしれません。
 「自殺・爆弾」などの有害情報発信の阻止が実名化のネタでしかないことは明らかです。
 自殺にせよ、爆弾にせよ、海外のサイトの方が直接的なものがあります。日本国内で単に実名利用を進めてどうにかなる程度の問題ではありません。
 実名化しても、結局、故意的で(それ故に)最も有害性の高い(行政の追跡を遮る技術力とそのコストを負担するだけのメリットを持つ)サイトが残るだけだと考えるのが妥当です。

 実名にすることで、今までの社会で孤立してきたレイプ被害・セクハラ被害などの犯罪被害者や医療過誤被害者や非合法金融被害者、その他のマイノリティーに属する人々にネットが可能にした情報共有・団体活動・救済への入り口を閉じることになります。
 違法関連ではなくとも、人事・人間関係での相談、商品購入のための情報などで存在する、乗り合いバス効果(匿名性が高い空間で、通常の利害関係を離れた判断や意見を得られる効果)も実名化によって無くされることになるでしょう。

 このような利益と爆弾・自殺情報等の有害性のどちらが上回るかは判断が難しいかもしれません。特に、人命が関係すると、利益衡量を持ち出すことに憤慨する人もあるかもしれません。しかし、現に私達は人命をも含む利益衡量をする社会に生きています。例えば、年間約一万人が死傷する自動車は、明らかに走る凶器です。それでも、私達は自動車を無くそうと言いだしません。自動車も含む、存在自体に人命への大きな危険があるにも関らず、社会で許容され、組み込まれているものは“許された危険”と呼ばれることがあります。一人一人が合意したわけでもないのに、社会に大きな危険を生じさせる可能性がある物の存在が許されているのは、その物の有益性と危険の発生する可能性を比較した結果、前者を尊重したからだという発想です。原子力発電所なども代表的な、“許された危険”です。社会は(具体的には時の議会や“危険”を社会に組み込んだ歴史は)人命などの犠牲が一定数存在することで、社会全体の経済等が発展することを選んでいるのです。
ネットが関係する自殺や爆弾などの事件は目立ちますし、カウントすることができます。しかし、ネットが生み出した乗り合いバス効果のような利益は目立ちませんし、カウントもできません。それでも、確実にそれはあるはずですし、衡量すれば、利益が上回るはずです。利益は目立たず、一つ一つにインパクトがないため、害悪ほど印象にのこらなくとも、ネットを支えているのはそのような薄く目立たない利益だと、私は考えます。
 私は、爆弾・自殺情報等をネットから排除することはそもそも不可能だし、それらは“許された危険”としてネットという仕組みに入り込んでしまっていると思います。
 自動車が人を日々殺しても、圧倒的大多数は自動車を無くせとは言わないのと同じように、ネットにも危険があり、それを“許された”ものとして進んでゆくしかないと考えます。(“許された”とは、認めることではありません。自動車があっても人を跳ねてはいけないし、そのようなルールがあるのは当然なのと同じように、ネットで爆弾の作り方を提供することも、自殺を勧誘することも、肯定されません。)車で爆弾や死体を運べる“危険”があっても車体に名前を書かない・トランク内容物を車体外に表示しないのと同様に、ネットに自殺や爆弾の情報があっても実名での利用をすべきだとは考えられません。追跡可能性も自動車はナンバーを警察が把握することで可能になっているのと同様に、プロバイダーが一定の程度・期間ならば把握することが可能になっています。どちらも、匿名性を高めるための技術があれば、ナンバーやアドレスを偽造したり隠蔽できます。でも、自動車では私の知る限り、車体外に実名が分かるようにしようという動きがありません。(自動車は免許制ですから原則禁止されたもの、ネットは原則が自由と言う違いがあります。しかし、自動車の持つだけの直接的な加害性はネットにはありません。それを加味すれば、ネットと自動車を比較するのは許容範囲だと考えます。又、許容範囲ではないと判断しても、“許された危険”が社会にあることは理解されると思います)
私達の社会は、一定の“危険”を“許す”ことで利便性を追求すると言う判断をしているはずです。

 さて、なぜ本気であせらなくてはならないと考えるかと言うと、総務省の狙いはネット選挙運動などの政治への本格的なネット利用に備えるためだと、私は考えるからです。現在でも明確なネット選挙運動の法的規制根拠がなく、じわじわと実験的なネットの選挙利用をすすめる動きがあります。このままでは、なし崩し的に広がるでしょう。
 選挙運動と言うほどに本格的なものではなくても、ブログなどで選挙に関して活発な議論が展開されたり、情報発信(街頭演説・討論会の内容やその感想などから詳細な活動履歴の発信)がなされ、それが結合してしまい一気に大きな流れを作られることを総務省、そしてある政党が恐れているのではないでしょうか。
 例えば、ネット利用が実名化されれば、こうなると予想できます。
 自分の属する会社なり組織の利益のためにはA政党・a候補者を応援・投票するのが得策だし暗黙的に会社・組織もその候補・政党への投票をするように働きかけをしているが、全体的に見てその政党を支持できない・発言や活動に容れないものがあると考えることがあっても、それをネットで発信することができなくなります。中小の企業で経営者が社員を個々に把握できるところは勿論、大きな会社・組織に属していてもそうなるでしょう。又、直接に利益が絡まなくても、政治関係の発言をネットですることに大きなブレーキをかけられることは間違いありません。確実に実名化されたネットは、政治活動や政治的な発言を多くの人から実質的に奪うことになります。直接的な圧殺がとられることもあるでしょうが、何より日本独特の“空気”の力がそのような発言行為を殺すでしょう。ただでなくても、組織票が無くなって苦しく、自分達に投票するものだと思われた人達が選挙結果を見る限りあてにならなくてなっている、その上で、政治についての情報を発信されてはたまらないはずです(現実的にどのくらいの力があるかは不明だとしても、余分な労力や不安感が政党側に生じることは確かだと思います)。選挙を管理する上で、ハッキリと規制をかけることができない(ネットでの選挙運動を禁止するなど言っては、寝た子を起こすことになる)のに、思わしくない方向へ向かっている現状を何とかしたい総務省と、ネットを利用されて無党派を動員されては困る政党の思惑が一致したのが、ネット利用の実名化と考えるのは妥当な線だと思います。一人一人は小さく弱くとも、それらに結合されては、行政やある政党に「依らしむるべし」のための、「知らしむるべからず」が崩壊してしまいます。
 実名化によって、(行政やある政党にとって)“有害な情報”がネットから駆逐できます。日本人の“依然としてモラルの高い(知り合いの目が届くところで目立ったことはしない・集団内で目立った人間を叩きたがる)”ことを上手く使うための手です。 この“有害な情報”を駆逐される流れが完成される前に、ネットの持つ政治への力が議員達に届かなければ、ネットの持つ政治への力は根こそぎにされるはずです。
 安全になるのは政権であって、私達の暮らしではありません

 
 補足。
 ネット上で実名の人間が匿名の人物やその人物の言論について批評・非難することが見られます。
 匿名だとその言論の責任を取れないと考えている人や、そもそも批評・批判の内容に自信があるなら実名で構わないはずだ、実名での言論に匿名でものを言う権利は無いと言う様な意見も目にしたことがあります。
 確かに、ネットでの匿名性は一定程度で確保されているために、乱暴な物言いをする人も沢山います。刑事・民事での責任を取ってしかるべきなのに、匿名性とそれを乗り越えて責任追及することのコスト故に、責任を逃れている人も沢山いるのでしょう。
 しかし、内容自体がまともなものについても匿名自体を批判することに私は違和感を覚えます。
 ネットで匿名を使わなくては、ネット外の生活で確実に摩擦が増えます。
 正確には、摩擦を避けるために本当にどうでもいいことしか多くの人は発信できなくなるはずです。実名でブログを書けば、当然検索に名前を入れてヒットされることになり、友人でも知人でもないが利害関係を持っている人間や単に近くに住んでいる人、名前を知っているだけの同じ会社・組織の人などからも読まれることになります。
 そのような環境で、差しさわりの無い日記等以外のことを発信しようとすれば、発信することが割に合う人に発信者が自然と限定されて行くことになるでしょう。つまり、摩擦を生じさせるような言論を発信することで現に収入を得ている人です。現状のメディア状況と変化がなくなります。単に、既存のメディア構造で生きてきた人たちが、よりスムーズに広い言論発信ができるようになるだけです。
 社会を構成する大多数の人間に確固とした倫理観があるとは思えません。しかし、まったく私利私欲が心に満ちているだけでもないはずです。脆弱ながらも善意があるが、それは多くの場合、現実の摩擦が勝って発揮されていないというのが現状ではないでしょうか。
道で倒れている人がいる、多くの人がその横を困ったような顔・作った無表情で通り過ぎてゆく。もし、介抱したり救急車を呼べば自分が金銭的な負担や責任、それに伴う雑事と心理的な負担を負うことになるかもしれないことを考えれば、さわらぬ神にたたりなしと決め込むことが現実を生きる知恵です。そうと分かっていても、心にうずくものがある。
ネットを実名化することは、ネット外よりも厳しい現実をネットにもたらすことになるはずです。
 記録が残り、閲覧可能性だけは大きなネットで、実名で発言すれば、ネット外で同じ発言をするよりも厳密な法の適用や他者の監視ができるようになりますし、可能性だけの大きな閲覧性を根拠に責任範囲が広げられます。その環境では、ネット外と同じ程度の善意の発揮ですら、期待することは無理でしょう。
 匿名という環境が一定程度で保障されているからこそ、脆弱で発揮されることがなかった善意が現れて、今までの社会ならありえなかった情報の共有やそれを元にした活動が可能になったはずです。ネット外の生活で、道に倒れている人(困っている人)を助けることはしないけど、ネットで通り掛かりに困っている人へアイディアを出すくらいはできるという現状を、実名化は確実に無くします。
 匿名性が一定程度で保障されているから、ネット外の生活なら無関係の他者に語り掛けないけれども重要だと考えられる話ができるのです。
実名にすれば、ネットがネット外の生活にはっきりとつながり、ネットの明確な記録によってネット外の社会にある緩やかさまでなくなってしまいます。
 それは、発言に責任を持つ持たないの話ではありません。
 ネットという限られた文脈情報の中での話しが、その記録性と閲覧可能性から、ネット外を圧倒してしまうかもしれないのです。 そうなれば、やがてネットからまともな言論が消え、ネットが持つ社会への力は大きく殺がれることになるでしょう。
 総務省は、ネットは具体的な金銭を生み出す構造に最適化されるべきで、それ以外の政治や思想などの自分達の地位を危うくさせる可能性のある話題はネットからしめだされるべきだと言うのが本音なのかもしれません。
 
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by sleepless_night | 2005-06-30 22:55 | メディア