2005年 08月 20日 ( 1 )

民主党は日本をあきらめてはいかが?

 衆院解散が決まった日、うっすらと汗を浮かべこわばったりのある紅潮した顔で、すでにインパクトをなくしたフレーズを空白を埋めるように用いた繰言に近い演説をする小泉さんを見て、「この人も終わったな」と感じました。
 自民党は小泉さんの持つ選挙の旨みだけを使い、任期の終わりが見えてきた今、捨ての姿勢へとシフトしていく。しかし、後の自民党は小泉さんという劇薬と公明党というカンフル剤の多用による懈怠感だけが漂い、“終わりの始まり”が顕在化してくるのだろうと思いました。

 しかし、そうなっていないことが、現時点です。

 何故か?

 小泉さんが解散を決定した時、郵政は世論的に全くの関心外でした。
 そこで、あの郵政民営化のキャッチフレーズを並べた演説をして効果があるはずはない、小泉自民党が勝つためには考えられる限り一つの戦略をとることが必要だと考えられました。
 それは戦略というより技術、「ロー・ボール・テクニック」「フット・イン・ザ・ドア」と言われる技術(テクニック)と共通した技術です。

 「ロー・ボール・テクニック」とは、low ballつまり「低い玉」、低く投げられた球から初めて徐々に高く投げるようにすることで、本来なら採ってくれないような高く投げられた玉でも取ろうとさせることができる、させられるテクニックです。
 「フット・イン・ザ・ドア」とは、foot in the door、つまり「玄関に入った足」、まず家の玄関内に入ることを許諾してもらうことから始め、その許諾を得て中に入ったあとの要求に対しても許諾を得やすくさせるテクニックです。

 読んでの通り、セールスマンなら基本的なテクニックでしょう。

 これと小泉自民党の不可欠な戦略・技術と何が関係するのか?
 それは、この二つのテクニックが下敷きにしている社会心理学の概念、「認知的不協和」です。
 認知的不協和理論はアメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガーによって考案された理論です。
 概略すると、人間は認知の間にある不協和(不一致・矛盾・緊張)を嫌い、それを解消するように努力する傾向があると言う考えです。
 例としてポピュラーなタバコの例を出しますと
 認知A:自分はタバコが好きだ。   認知B:タバコは発がん性がある。

 この認知ABは一緒に持っていると不協和(自分は発がん性のあるものを好んでいるという心理的な緊張)を生みます。
 そこで、この不協和を解決するために、幾つかの手段を採ります。
 ①否定:認知ABのどちらかを否定する(例:タバコが身体に悪いからタバコを止める)
 ②変更:認知ABのどちらかの解釈を変える(例:自分はタバコを吸っているがたいして好きではない。たいして吸っていない)
 ③付加:認知ABを両立させるための新たな認知を加える(例:タバコは心理的なリラックスに役立つ。)

 このような認知的不協和理論が「ロー・ボール・テクニック」「フット・イン・ザ・ドア」の理論的下敷きとなっています。
 つまり、「ロー・ボール・テクニック」「フット・イン・ザ・ドア」では、どちらとも最初の要求、「低い玉」や「玄関に入った足」について承諾していることで、それから後に拒絶をしにくくできると考えられるのです。
 認知A:自分は「低い玉」を取った。 玄関に入ることを許した。
 認知B:自分は「高い玉」を取りたくない。 相手の商品を買いたくない。
 二つの認知は不協和を生じさせます(低い玉をとっったのに高い玉を取らない 玄関に入ることを許したのに商品は買わない)。
 最初の自分の意思・行動と後の意志・行動との一貫性のなさは不協和を生みます。
 そこで上手く①②③から、都合の良いものを選ばせるように誘導できれば、自分の意図通りに相手を動かすことに成功します。

 小泉さんは、最初から一貫して郵政民営化を掲げていることは否定のしようがありません。
 その小泉さんを圧倒的に指示したのは国民です。
 その一貫した小泉さんを、支持しない、郵政に関心が薄いということで支持しないことは、かつて小泉さんを支持した有権者の中に認知的不協和を生みます
 つまり、認知A:郵政民営化を支持した小泉を支持した 認知B:郵政民営化に関心がないから小泉を支持しない。
 小泉自民党が勝つには、この不協和を利用するしかないことは明白でした。
 そして、予想をはるかに上回る出来で、今のところ達成しています。

 小泉さんも、郵政が国民の関心外と知っていたはずです。
 それでも、あえて郵政解散と命名したのは、有権者に、かつて自分を圧倒的に支持した有権者に、それを思い出させて認知的不協和を生じさせることが必要だと知っていたのかもしれません。嫌でも郵政民営化を持論とした小泉を支持した記憶を呼び覚ます(コミットメントしたことを意識化させる)ために、次々と知名度のある人物を立てる、しかも、それが極論すれば郵政民営化に賛成かどうかだけで投入される。郵政民営化に反対した議員へぶつける今だかつてない劇を展開する。
 見事というほかないです。

 一方、民主党は、花火大会の横でやる落語のような存在感しかありません。
 居ることは分かるのですが、悲しいくらいに、話が聞こえず、誰も見ようとしません。

 民主党が本当に政権をとりたいなら、一度、日本をあきらめてはどうでしょう
 キャッチフレーズが“日本を、あきらめない”とありますが、一度あきらめてから、そのあきらめの上から戦略を立てた方が有効だと考えます。
 小泉さん、特に、彼の秘書である飯嶋さんにはこの種の諦めを持っている雰囲気を感じます。
 飯嶋さんの著書『代議士秘書』(講談社文庫)には、多くの馬鹿らしい有権者からの陳情の話が出てきます。その馬鹿らしい陳情を処理しなくてはいけない、自嘲が漂っています。
 飯嶋さんは、この様な長年の経験から、有権者へのあきらめ、要求水準のディスカウントを経験しているはずです。つまり、正論言っても通じないというあきらめ、です。
 そのあきらめがあれば、認知的不協和理論のような手を使うことに躊躇しません
 認知的不協和理論を使ったものは多く見られますが、これはマインド・コントロールの基本的なテクニックでもあるのです。このような技術を使うということは、相手よりも自分の方が正しいことを知っている・できるという自信がなくてはなりません。なぜなら、このテクニックは相手の心理をだます、見るべきものを見えなくできるからです。相手より判断力などが上だと確信しないと使うことが正当化できません

 民主党の岡田代表が、「国民は賢明ですから」と口にするのをよく聞きます。

 アイロニカルな発言かもしれませんが、どうも本気で言っているようにも感じられます。
 ここに、今回のここまでの戦略的な敗北の原因があるのではないでしょうか。

 あきらめの上で、自分の信念(利益)を実現させるために必要なら危険な手も使う意気込みを持つ組織と、あきらめを経ずに自分の信念を繰り返すだけで実現できない組織。

 倫理上の是非は争いがありますが、民主党が政権をとる、この一点から考えれば、民主党も諦めを経る必要があると、私は考えます。


 ついでに、このようなテクニックを使うマインド・コントロールを防ぐ・解除するには、多くの粘り強い手順が必要とされていますが、基本的には、コントロール側の出す情報と矛盾する多くの情報を提供して本人の中で疑問を生じさせ、それを上手く補助していくことが必要とされると考えられています。被コントロール者と議論したり、コントロールされていると指弾することはかえって相手を防御的にして被コントロール下に固まろうとするので、相手に疑問を持たせる情報を提供して、その疑問を少しずつ発展できる環境を整えることが必要だとされます。
 
 今、民主党、岡田代表がやっていることは情報提供の方向ではありますが、脱コントロールのような被コントロール者のコントロール環境からの隔離ができないハンディキャップがあるため有効性は低く、少なくとも即効性はないと考えられます。
 即効性を求めるなら、インパクトのある対抗的な情報を打ち出す、例えば、政府の郵政法案から導かれる試算から一つの具体的数字だけ(民営化30年後の郵便局の数、30年後の東京から青森へはがきを出すときにかかる代金、など)を抜き出して全面広告を打つ、繰り返しその数字をマス・メディアで言うなどの方法が考えられます。対話ではなく、その数字を刷り込むことで、小泉自民党の作った思考の枠組みに引っかかりをつくることを目指すのです。抽象的な枠組みに対して、単純で具体的な反例を提示して、刷り込むのです。
 下手をすれば、小泉自民党の劇の敵役と一緒くたにされますが、今の劇へと集中された国民の視線を乱すことはできる可能性があると考えます。
 もし、民主党が、このようなテクニックを使わずに政権を取れたら、その時、日本の政治は本質的な変化をしたと言えると思います。その可能性は極めて低いように感じられますが。
(これは、民主党政権になることで日本が良くなるということではなく、あくまでも、政党のとる手法や手法に対するメディアや国民の耐性の話です。)


選挙後の追記
 岡田さんが「もっと他に大事な問題がある」と言うのはよくなかったです。相手の土俵から逃げているとしか、私には感じられないものでした。相手が「大事だ」と言っている問題に「他に大切な問題がある」と言っても、相手が「大事だ」と思っている問題の解決になりません。
 宗教で言えば、「~教を信じないと地獄に落ちる」と信じている人に、「もっと他に大事な教えがある」と言っても全く説得になっていないし、相手の信念や恐怖感に揺るぎを与え、他に目を向ける余裕を作り出すとは考えられないことと同じです。


主参照:『マインド・コントロールとは何か』(紀伊国屋書店)西田公昭
 尚、宗教についてで詳しく述べますが、マインド・コントロールという概念自体にはかなりの疑問が呈されています。心理学の科学性については以前の記事で述べてありますが、それと関連し、それ以上に科学性を疑う声があります。さらに、倫理上、マインド・コントロールを認めてしまうと被コントロール者の責任問題を問えなくなる可能性があるためにも議論があります。
追記:また、マインド・コントロールを認めた上でも、多くの伝統宗教の修行や企業研修などでマインド・コントロールと同じテクニックは使われます。問題なのは、どこでどの程度使うことが許されるかといったことが合意できていないことや、(特に宗教については)一般に知識として知られていないために徒に騒いだり怖がったりしてしまい合意の前提となる情報共有が為されないことです。

 
 
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by sleepless_night | 2005-08-20 11:27 | メディア