2005年 08月 28日 ( 2 )

愛ゆえに殴るのか?

 甲子園出場予定校と優勝校。その始まりと終わりが暴力によって色づけられた甲子園だったと言えるのでしょう。

 表題の校内暴力とは、生徒が暴力を振るうことではなく、教員の生徒に対する暴力の方です。これは、通常、学校教育法11条に定める懲戒権の行使の逸脱と捉えられ、問題化した場合にも学校側は“指導の行き過ぎ”“不適切な指導”として対処することが見られます。
 今回の事件でも、ミスをしたのにニヤケていた、反抗的な態度、決められた量の食事をとらないなどの“指導”の延長で暴力が為されていたと報道されています。
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/news/20050823k0000m040121000c.html
 
 学校教育法11条はこう規定しています。
 “校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。”
 明確に体罰を禁じています。
 ですので、平手であろうがなかろうが関係なく、今回の野球部長の行為は違法行為です。
 しかし、ここで、所謂“愛のムチ”はあるのか?という問題が生じます。
 この“愛のムチ”を許容すること、教師には“愛”故の暴力があることを許容する人々の存在が、問題を単純に違法行為として糾弾しないことの一因としてあると考えられます。

 戦前はもとより、戦後も一時期まで教師が生徒を殴ることを許容する風潮があった(少なくとも問題化されることは少なかった)ために、その環境で育った人々がノスタルジックに「最近の教師が殴らないから、生徒は付け上がる、生徒が生意気になる」との発言をすることも耳にします。
 しかし、“愛のムチ”とは何でしょうか?
 正確には、殴ることにある“愛”とは何か?ということです。
 
 児童虐待や機能不全の家庭で“ダブル・バインド”というコミュニケーションの状態があることが指摘されます。これは文字通り、二重の拘束、二つの異なった内容のメッセージが同時に発せられるために、受け取る側がどちらのメッセージを取るべきか分からなくなる状態です。
 この“ダブル・バインド”によるコミュニケーションは主に二つの帰結を導くと考えられます。一つは、両方のメッセージを正確に取れない自分の存在自体を否定する(自分に能力がかけているから理解できないと思う)こと、もう一つは、コミュニケーション自体を放棄することです。
 
 “愛”しているから殴る。
 愛という言葉から通常、殴る行動は導かれません。
 女性を殴っている男性をみて、「彼は彼女を愛しているのだ」と思う人はまずいないでしょう。それが両者の性的嗜好によるものなら別ですが、他者を殴るという好意から通常読み取られる意図は憎しみや憎悪です。
 ですから、“愛”しているから殴ることは、端的に“ダブル・バインド”のコミュニケーションを作り出しているといえます。
 “愛”故に殴る教員は、その行動と発言の作り出す環境が生徒とのコミュニケーションを機能不全にしていると可能性が高いと考えられます。

 でも、かつては何故問題化しなかったのか?“愛”ゆえに殴ることが何故生徒や父兄から了解されていたのか?
 それは、二つの理由が考えられます。
 一つは、社会全体に共通の認識があり、その認識が“ダブル・バインド”のコミュニケーションを無化できたといことです。
 つまり、その一部の行為に含まれる矛盾を合意された共通の認識によって矛盾ではなくしてしまうということです。
 これは二つ目の理由に繋がります。以前の夜回り先生に関する記事で述べたように、大学進学率は70年代まで20%台でした。したがって、大学を出た教員とは、一般の生徒の保護者たちよりも知的水準が高い専門家、まさに「先生」だったのです。これは時代をさかのぼればさらに激しく、僧侶と医者と学校の教師が身近にいる知識人であり、分からないことは彼らに聞きに行くというほどに尊敬されていたのです。ですから、そのような知的エリートである教員が殴ってよい、殴った方がよいと判断するなら、その判断は大衆である生徒の保護者達の触れられるべきものではないと言う、認識が共有されていたと考えれます。つまり、“愛”ゆえに殴ることの矛盾が知的エリートの判断という壁の中に閉じ込められることで、問題化しなかったと考えられるのです。

 その教員にとっては幸せな環境が変化したことに気づかない、受け入れられないことが“愛”ゆえに殴ることを正当化しようとする人々の存在を支え、今回の甲子園を挟む名門校の事件に繋がっていると考えられます。
 
 “愛”ゆえに殴って、生徒に“愛”は伝わったのか?
 おそらくそれは伝わってないはずです。
 なぜなら“ダブル・バインド”状況にあるからです。
 “愛”しているから、“お前達のため”だからという一方のメッセージと、殴るというもう一方のメッセージの作り出す状況から、一方だけをとることは一部の例外を除いて不可能です。
 つまり、殴ること、暴力を使うこととは、言葉で伝えることができない・能力がそこまでないことを明確に表す行為です。そして、その伝えられないことを伝えたい自分の感情・欲求を解消するために言葉ではない暴力を使っているのです。暴力という媒体を使うこと自体のこの属性を否定することができないため、不可避的に“ダブル・バインド”状態となり、矛盾するメッセージが生徒に伝わってしまい、コミュニケーションは機能不全を起こし、生徒をコミュニケーションから退却させます。(今回も、もし殴ることで伝わっているなら、何回も殴ることはなかったでしょう。教員生徒間のコミュニケーションが取れていたとは考えられません。)
 そこにあるのは、教員自身の幼児的な自己愛です
 言語能力の未発達な幼児が、保育者に自分の欲求をかなえてもらえない時に、物を投げたりすることと同じです。“愛”しているのは、生徒ではなく自分です。
 そもそも、その教員が“愛”しているから、“生徒のため”の暴力を肯定するなら、その教員自身がミスをするたびに他の教員から殴られることを認めなくてはなりません
 それで自分がミスをなくし、良質な授業を提供できるようになるのなら、まだ理解できます。
 しかし、そのような教員を私は見たことも聞いたこともありません。
 ごく一部の例外とは、このような場合と、暴力を使う場合に教員を辞めることを前提にしている場合です。教員という生徒を指導する立場を捨てることを前提に、一人の人間がもう一人の人間に、言葉では伝えられないこと、言葉を使うことでは与えられない効果を与えるために、暴力を使う、教師であるという地位のアドバンテージを捨てて殴りあうならなら理解できます。もちろん、教員を辞める・教育法違反どころか、その場合には刑法犯となる覚悟をしなくてはなりません。
 
 今回の事件での学校側の対応について、報道を見る限り、彼らがその例外ではないことは間違いなさそうです。残念なことに。

 教員は何のためにいるのか?何の対価として給料をもらうのか?
 教員は教員自身のためにいるのではないはずです。
 教員は契約関係から見れば、債務者、つまり、生徒に知識やその使い方を伝えるという務めを負う者です。
 生徒(正確には、保護者や国)は債権者です。つまり、教員にその役割を果たすことを求める権利があるのです。
 メッセージが伝わっていない場合、責任があるのはどちらでしょう?
 当然、債務者たる教員です。生徒が理解しない場合に、責を問われるのは第一に生徒ではなく教員なのです。その対価が給料です。
 自分のメッセージを理解されないことから、相手を殴ることで給料をもらっているのではありません
 債務者である教員が、対象である生徒が何を望んでいるのかを知ること、聞くことをしないで、どのようにして教員としての務めを果たせるのでしょう。
 生徒の声が、殴られることで聞こえることはあっても、殴ることで聞こえるでしょうか。

 教員は聖職という迷妄が、金銭という観点をためらわせるかもしれませんが、現実にその関係にある以上、適切な認識が求められるのは当然でしょう。
 自分が何の対価で給料をもらっているのか。
 その給料に見合うだけの務めを、文科省や学校の管理側に対してではなく、生徒に対して果たせているか。
 問われることは、企業なら当然のことでしょう。
 それを、教員がどれだけ意識しているか。
 
 以前も述べたように、教員に人格的指導や“触れ合い”を求めるべきではないのです。
 20代から「先生」と呼ばれ続け、40人もの人間に指示し、競争や批判から遠い環境が、人格を養うに適していないことは分かるはずです。
 求めるべきは、給料に見合った授業です。
 それは、学科だけのサラリーマン教師を増やすのではないか?とも疑問を生じさせるでしょうが、教員の環境は上記のようにサラリーマンの環境でもない場合が往々です。
 むしろ、人格的指導や“触れ合い”が学科指導の知識や技術の未熟さの言い訳や今回のような犯罪行為のカモフラージュとなっている場合は少なくないはずです。

 人は人を殴ってはいけないのに、教員もなにもないのです。
 営業マンが顧客が商品説明を理解しないと怒って殴ることも、エンジニアが依頼人が同じミスをしたからといって殴ることも、職人が客が自分の商品の価値を認めないといって殴ることも、全てやってはいけないことですし、犯罪です。
 教員だけが、サーヴィスの提供対象である生徒を殴っていい理由は全くありません。

 金八先生のような教員を求める願望や欲求が、このような勘違いした教員に、生徒を殴ってもいい、“愛”故に殴るのだとの妄想を育ませているとも、言えると私は考えます。
 
 

 
 
 
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by sleepless_night | 2005-08-28 17:21

ストーカーを見抜く/全体の補足

 ストーカーを通してみる現代の男女関係(同性愛の場合は同性関係)について述べてきた、全体の補足としてストーカーを見抜くためと言われるチェックリストについて述べます。
 チェックリストについては、ストーカーの心理類型について、特にDSMの基準を出す際の意義の一つにチェックリストを検討することが含まれると既述したように、チェックリストを示すというよりも、チェックリストをチェックするといった意図で述べます。 

 まず、岩下久美子著『人はなぜストーカーになるのか』より、“ストーカーを見破る十か条”を一部(①~⑩それそれの解説文)要約して引用します。
 “そもそもストーカーは一つの社会病理であって、精神科医による「診断名」ではないのだ。中略。私がここにピックアップした内容は、精神医学的なチェックリストではないし、また、そういった類のものとはまったく違うの目的のものである。以下にあげる様々な行動パターンは、ストーカー像を把握し、理解するための一種の手がかりである。”
 ①初対面の人にも「自分史」を話したがる。
  あって間もないのに、こちらが聞いていなのに自分の身の上話を一方的に話す。
 ②筆まめ。
  様々な形態で手紙(メール)を出す。内容は、自分に関することが多い。
 ③電話機。
  狙った相手と連絡を途絶えさせない。
 ④人によくカマをかける。
  人を信用できない不安から、相手を試すような言動をとる。
 ⑤親しくもないのに、突然、高価な贈り物を押し付ける。
  自分の所有物だと分かるようなはっきりした形、目に見えるものを贈る。
 ⑥対人評価がころころ変わる。
  対人関係の距離が上手く取れない、長続きしない。
 ⑦敵・見方を区別したがる。
  デジタル思考。YES・NO、白黒、全無。
 ⑧怒り出すと止まらない。
  自分の思い通りにならないと物凄い剣幕で怒り、コントロールできない。
 ⑨人並み以上に情報に敏感。
  流行ものが好きで、あきっぽい。
 ⑩案外、仕事ができる。
  マメで、切り替えが効き、粘り強い、自己アピールができる。

 さて、一見して分かるようにこれは境界性・自己愛性パーソナリティ障害のDSM基準が混ざったものです。
 これは、岩下さんが被害者・加害者への取材から抽出したものですので、日本のストーカー規制法の定義のように拒絶型(の一部)や求愛型に限定され、それ故に、拒絶型や求愛型の中心的な心理類型である境界性・自己愛性パーソナリティ障害の特徴が現れたと解釈して間違いではないでしょう。
 ということは、憎悪型や略奪型は切り捨てられているということ、思想的に全体から切り離されている(今まで犯罪とされない・できないことが、なぜ犯罪となったのか?犯罪とすることがどういったことを意味するのか?が問われていない)ことです。
 これを含め、岩下さんのストーカーの背景の分析はやや乱暴な観が否定できないと、考えます。(“体感ストーカー”やその表層の分析に揺れ・偏りがある。)
 つまり、これまで述べてきたように、ストーカーを法規制することには、それを支える思想の導いたパラドックスがあることを看過されている、表面的な現象をつなぎ合わせて終わっていると考えられるのです。

 次に、春日武彦著『屈折愛』よりストーカーのチェックリストについての春日さんの評価“ストーカーを見破る「鑑別法」はないのか?”を含めて要約・引用します。
 チェックリストとして雑誌に掲載されたのもについて述べられているので、まず、そのリストを孫引きします。

『ダ・カーポ』1996・12・18号
 ①一件自信満々に見えるが、つきあってみるとどこかいつも不安気な感じ。
 ②いつも自分のことだけを話したがり、相手の話は関心がない。
 ③「どうしてそんなに!」と思うよなことで激しく怒る。またその怒りが長い間、持続する。
 ④気の毒な人、立場の弱い人をネタにしたブラックユーモアで笑いをとろうとする。
 ⑤何かしてもらっても感謝せず、「してもらって当たり前」的な態度がほの見える。
 ⑥慕ってたはずなのに、何かの弾みで急に悪口を言い出す。
 ⑦何となくとっつきにくく孤立した印象があり、付き合い方が難しい。
 ⑧親しくもないのによく電話をかけてくる。「たいした用事はないのに・・」と違和感が残る。
 ⑨服装や髪型がいつもスタイリッシュにきまっている。
 ⑩「あの時はどこに行っていたの?」と実にさりげなく聞くが、こちらの言うことを信じておらず、時間をかけて同じことを聞く。
 YES10~9:ズバリ YES8~6:かなり危険 YES:5~4:注意 YES:3~0:多少

『週間朝日』1996・11・8号
 ①プライドが高くナルシスト ②流行の服を着るのが好き ③自分のことを話したがる
 ④怒りだすと止まらない ⑤毀誉褒貶が激しい ⑥友達が少なく、つきあいが長続きしない   ⑦かつて好きだった人を極端に嫌う ⑧昔の些細な出来事を覚えている ⑨よく人にカマをかける ⑩拒食症や過食症の傾向がある
 6つ以上:要注意 特に③と⑨が両方該当する人は「かなり危険」

 『プレジデント』1996・7号
 ①『ライ麦畑でつかまえて』を愛読している。
 ②おしゃべり(相手の話を聞く耳は持たないで、自分のことだけ)
 ③質問に対して簡潔に答えない。
 ④筆まめ。(②とも通じるが、内容は自分のことばかり)
 ⑤自分の写真を持ち歩く。(好き相手の写真も欲しがる)
 ⑥とことん相手に執着する歌が好き。
 ⑦いきなり貴金属をプレゼントする。
 ⑧携帯電話を手放せない。
 ⑨相手をテストしたがる。(他人が信用できないので、わざと相手を試す)
 ⑩情緒不安定で、衝動的な行動が多い。(ことに日本酒を飲んだときにキレやすい)

 これらについての春日さんの評価ですが、パーソナリティ障害のDSM基準との比較から『ダ・カーポ』のリストは“このチェックリストはボーダーライン人格障害と自己愛性人格障害とが重なり合ったあたりにストーカーの病理が潜んでいる、との前提に立って作成されているように見える。そういった意味では、妥当性が高いとは思われる”と一定の秒かをしているます。
 しかし、“チェックしてみたら満点であった人物がいた場合、だからいって注釈にあるとおり「ズバリ、彼はストーカーです」と言い切れるものなのか”とリストの存在自体に疑問を呈しています。
 さらに、“精神医学にせよ心理学にせよ、これらの学問は基本的に「後知恵」といった性格をもつ。中略。理解と説明のための学問なのであり、予言や予測のための学問ではない。”とリストによる事前判別に精神医学・心理学を用いることを否定しています。
 そして、“10項目のチェックだけで隣人をストーカーと断定してしまうようなテストが平然と横行する世の中にも問題が潜伏している”と社会全般の問題を指摘しています。

 『週刊朝日』のリストについては、③については妥当性を認めるが、⑨は単一の現象を過剰評価しているとしています。また、⑩についても無理があると否定的です。
 『プレジデント』のリストについては①⑥⑧に否定的です。

 結論として、“三種のチェックリストが、結局のところ「一斑を見て全豹とトす」といったまことに乱暴な方法論の実践となってしまっているところに、胡散臭さを覚えてしまう。チェックリストという形式を借りて好奇心に働きかけるための「覗き見装置」でしかあるまい。”とリストの存在自体を疑問視し、“我々の内なるストーカー的心性は、たとえストーキング行為として発露することはなくとも、チェックリストといったものに飛びつくことによってその存在が示唆されるのである。これこそまさにパラドックスではないか。”と述べてあります。

 さて、重複しますが、これらの三種のリストもパーソナリティ障害のDSM基準と重なることは理解されますので、ストーカーをパーソナリティ障害と同一視している傾向があり、是認できるものではありません。それは、このようはリストの形でなくとも、パーソナリティ障害のDSM基準を挙げたり、特徴を抜き出すことで済ませている場合も同様です。
 やはり、ここでもストーカーの法規制が持つ歴史的・思想的な背景から切り離されてしまったことが大きな原因となっていると考えられます。
 また、DSMを中心として、精神医学・心理学自体の弱みが認識されていないことも言えるでしょう。
 それは、一冊の本でこれらの全てに触れることは物理的に難しいということと同時に、自分の使う道具にけちをつけて説得力を削いでしまう、曖昧さ複雑さが読んでいて気持ち悪いことから、編集されたことが多分にあったことによると思われます。

 ストーカーの分類の必要についてで述べたように、ストーカーは分類が困難なほど多様です、と言うことは、分類をせずにストーカーを述べることは不可能であり、許容できないほど乱暴なことです。
 そこに現れるのは、春日さんの指摘の通り、その言論を消費する側の問題です。
 このブログの記事で言えば、“体感ストーカー”という問題です。
 “体感ストーカー”については以前の記事に詳述していますので繰り返しませんが、チェックリストはそれを使う側をチェックする方がストーカーをチェックするよりも有効だと言えるでしょう。 

 次回ストーカーの被害者になったら。に続けて、ストーカーの被害者と加害者、被害者になった場合の対処について、特に法的対処をめぐる問題について述べます。
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by sleepless_night | 2005-08-28 15:41 | ストーカー関連