2005年 09月 06日 ( 1 )

146条についての二人の迷走についての迷走

 インターネット選挙運動とは別に、ブログで選挙に関する話題、特に特定候補者や政党の名前を出している場合に公選法146条に反しているため、禁固や罰金の罰を受ける可能性があるということを記事にしている人が見られます。
 木村剛さんのブログhttp://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_03d3.html#moreではこう述べられています。
 “つまり、どのような立場の人であっても、そして、著述や演芸等いかなる表現方法によっても、候補者や政党を応援したり批判したりできないというのですから、ブログで誰かを推したり批判したりできないということになります。政党についても、コメントできないという風に解釈されかねません。”


(追記:142条143条と146条の関係について、非常に混乱した考察になっています。
   後日に書き直しをする予定ですが、元文として残しておきます。
   最後の部分で記しましたが、146条の解釈の混乱が、142条143条の解釈についての混乱を私見内で生じさせています。146条にある“142条又は143条の禁止を免れるため”という文言を無視するのなら、委託関係のないブログが選挙運動と認められる行為した場合を142条143条で対象にしたほうが妥当なのではないか?142条143条は“選挙運動のために”としか条件が付けられておらず、選挙運動の定義にも主体について限定は付けられていませんので、条文上は適用可能であると考えられます。但しそう解釈すると、146条の意味が何の為にあるのか分からなくなると考えられます。   
 142条143条と146条の関係を解説できるかたいらしたら、お願いします。 例えば、「候補者・政党・後援組織と何の委託関係等の関係がないブログ開設者が、公示期間以前から各党や候補者の政策や行動について比較し論評した場合」にはどうなるのでしょう?できましたら、条文の適用要件とあてはめ、その他の条文との整合性についても触れていただけると助かります。)
 


 (以下、私見です。)

 しかし、この解釈を146条の法文から導くことは考えられません。

 146条はこう定めます。
 “何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第142条(文書図画の頒布)又は第143条(文書図画の掲示)の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。”

 つまり、146条は確かに“何人も”が対象なのですが、同時に“142条又は143条の禁止を免れる行為として”という目的に関する限定が明確に規定されているのです。
 そして“142条又は143条”はどちらも、選挙事務所や候補者や政党のポスターなどについての規定ですから、その対象になるのは実際にそれらに関わる候補者本人や事務所の正規・非正規の職員や後援会の実働者だと考えられ、その他の一般人は含まれないと解釈されます(※)。

 ですから、わざわざ148条をもちださなくても問題はないと考えられるのです。
 ⇒追記:但し、選挙運動だと見做される危険性をさけるためなら、148条をもちだすのは妥当だと考えられます。また、146条の解釈で“142条又は143条の禁止を免れる”という目的についての限定がなくてもよいと解釈されるなら、146条の問題と考えることは理解できます。その場合は、上記追記で述べた142条143条と146条の関係が、理解できません。

 そこで無理が現れて迷走しているもう一人が、自民党の世耕参議院議員です。
 世耕議員はご自身のブログでこう述べています。
 http://blog.goo.ne.jp/newseko
 “選挙の公示後に、候補者個人あるいは、比例区で党名を書いてもらう立場である政党の公式ホームページ(あるいはメルマガ)でその候補者や政党の選挙運動を告知する行為と、候補者ではない者(私も含む)が選挙運動や特定候補への投票の呼びかけにならないよう留意しながら個人的に作成しているブログとでは全く意味が異なる。
 前者は総務省も見解を示しているように、残念ながら公職選挙法上認められていない。(私は個人的には公選法を改正し、きちんと利用できるようにすべきだと考えているが、現在のところ認められていないのが現実である。)
 後者については特定の候補者名を表記せず、選挙運動になっていなければ問題はない。
 一部にこれらを同一視する見解があるが、そのような見解を認めてしまっては、今ネット上で展開されているこの選挙に関する自由な意見表明を制限することになる。私は候補者でない人物が、選挙運動や特定候補への投票の呼びかけにならないよう留意しながら作成するブログ等については、最大限自由が尊重されるべきだと考える。”
 
 整理すると、こうです。
 ・“候補者個人、政党の公式ホームページ”と“候補者でないもの”は別。
 ・前者での選挙運動の告知はダメ。後者の場合は候補者名を出さず、選挙運動になっていないらないい。
 ・よって、私のブログはOK。民主のHPはダメ。

 この理屈の無理がでるの一つは、“候補者でないもの”があまりにも広くとられていることです。
 つまり、前述したように、 公選法146条は“142条又は143条の禁止する行為を免れるため”という限定から考えて、142条や143条の記載するような行為を行う立場の人、候補者本人はもとより選挙事務所関係者が対象ですので、そこには当然、候補者本人の所属する政党の人間が含まれます
 特に、世耕議員は自民党の役職についている方です。
 選挙の候補者を擁する政党の役職にある人間が、選挙期間中にその政党の候補者の当選を目指し・支援する活動をしていないと評価できることは考えられません。
 現に、世耕議員のブログには討論会やメディア戦略の事務を行っていることが書かれています。これが、現在、選挙運動をしている候補者本人を支援する政党の活動ではないということはできるのでしょうか
 世耕議員は146条の対象となる人物であることは否定のしようがありません。
 その人間と、政党に所属する人間でも、特定候補者の事務所関係者でも後援者でもない人間(即ち146条の対象外の人間)を同じカテゴリーで考えることこそ適切ではありません

 無理が出る二点目は、“特定候補者名を表記せず、選挙運動になっていなければ問題ない”という点です。
 146条は、“政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する”とあるように“特定候補者名”のみならず“政党その他の政治団体”をも含んで禁じています。
 どうして、世耕議員は政党名をわざわざ除いて条件をつけているのでしょう
 その論拠が示されていません。
 二大政党制が進んでいること、小選挙区制という政党公認が重要な要素となる選挙システムを採っている以上、政党の名前は候補者の名前と同様に重要であるはずです。
 なのに、どこをどう考えて、政党名を出すのはよしとしているのでしょう?
 日本に住んでいる日本人は原則として、小選挙区での投票権を持っています。
 各人がどこの選挙区に在住しているかを表明してブログを書かなくても、政党名を書いて論評をすることは不可避的に、それを読む人の地区から立候補しているその政党の候補者を論表していることになります。(特に、今回の選挙で自民党は郵政民営化法案という一つの法案に関して反対した議員を公認せずに、その一法案に賛成する殆ど名前を知られていない公認候補を同一選挙区に立てています。彼ら・彼女らにとって自民党に公認されているということが唯一に近い、政党名が自分の名前に冠されていることが、選挙における当選可能性をささえているはずです。その選挙区が注目をあつめている選挙で、特定候補者名前を出さないければOKというのは無理がありすぎる。)
 そして、論評をすることには、その人への投票を呼びかけや忌避の呼びかけを程度の差はあるものの含まざるを得ません。
 ましてや、自民党の国会議員で、役職にまでついている人間(146条の対象となる人間)が自分や自分の周囲の人間(選挙の責任者クラス)の行動とそれについての感想を公にする行為に自党や自党の候補者のアピールを含まないなど考えられません(あからさまな投票の呼びかけ以外はよいと考えているのだろうか?感覚で合法か違法か判断するだろうか?)。
 現在の行政の解釈(そして自民党が従っているとされる解釈)では、これこそ146条違反の可能性があります。 
⇒追記:おそらく、候補者だけなのは、選管による選挙運動の定義が“特定候補者の当選をはかること、又は当選させないことを目的に”とされているためだと考えられます。しかし、述べたように、小選挙区制と比例代表制を採っておいて、特定政党の主張を述べることが選挙運動ではないと考えるのは妥当性を著しく欠くと考えられます。勿論、それを含めると通常の政治運動ができなくなるのではないかとの疑問も生じますが、現在でも候補者本人について判別する基準がある(一応あるらしい)のだから、その疑問を持って致命的とはできないはずです。

 
 この2点をどうクリアするのか?現在の自民党が従っているとされる、総務省の解釈内でどうクリアできるのか?
 いいとこどりはできませんよ。

 さらに言えば、世耕議員の解釈と希望は矛盾しています。

 候補者になっていない議員を一般人と同じカテゴリーにいれておいて、特定候補への呼びかけになっていないならばよいと解釈すると、かえって一般人の発言を抑制しかねません。
 つまり、(候補になっていなくても)議員の発言は所属政党を強く連想させ、その政党の意見を述べていると認識されます。そのレベルで求められる特定候補への呼びかけになっていない表現とは、できてたとしても殆ど内容のない感想めいたものになるはずです。
 望んでいる“最大限の自由”とは、そんな感想を表明する自由ですか? 
  

 いずれにせよ、もともとの公選法の解釈自体に無理をしてインターネット選挙運動を抑制していることが問題なのですから、あっさりと解釈を変えてしまえばいいのだし、その解釈でさえ法律解釈の最終的な決定権を持たない行政のものです。(ただ、解釈を悪い方に変えることも当然にできるわけで、そこを避けるためにも公選法の改正は是非とも必要でしょう。)
 
 

 
※)これは総務省ですら認めています。
“公職選挙立候補者との委託関係が立証されない限り、一般市民がその政治的見解を特定の候補者名・政党と結びつけて表明することは、当然許され、またそれがインターネットのウェブページやブログを通じて公開されることも禁止されるべきでない”

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2005/08/no_action_lette_3b49.html
 
⇒これは総務省の見解ではなく、南山大院の町村教授から総務省へ送られた照会状に示された解釈でした。ご指摘しただいた、S-Iさんに感謝いたします。
 照会状の回答はこちら
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2005/08/no_action_lette_3b49.html
“「(1)外形上選挙運動と認められる行為」や、「(2)142条等の禁止を免れる行為とみなされるもの」は、ネットワークを用いてすることができないというのが基本”とのことだそうです。
 総務省は“文章図画”にインターネットの表示画面を含めて解釈しているので、142条や143条で候補者や政党がインターネット選挙運動をできないと牽制している。142条や143条を免れることを防止するためにある146条は“何人も”としている。とすると、146条は一般の人には関係のない規定のはず、まさに町村教授が指摘したように委託関係がある場合に限られるはず。それにもかかわらず、146条の回答で(1)を持ち出されると、法文の“免れるため”というのは無視して総務省は解釈しているのだろうか?
 そうだとすると、本当にネットでまともな政治論評はできなくなりますね。
さらに追記:そもそも、インターネットの普及で、それ以前なら人的・物的・時間的なコストを相当に必要とされる政治運動が極めて容易になったために、政治運動と区別が曖昧な選挙運動についてまで多くの人ができるようになったことに、公選法が対処できていないのが最大の問題であることは論を待つまでもないでしょう。 こんな法律を放置することは、民主主義に対する犯罪とまで言える立法の不作為です。  
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by sleepless_night | 2005-09-06 01:00 | メディア