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差別戒名。


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 『中外日報』昭和54年10月11日
 人権の国際化に悪質な挑戦
 「日本に部落問題は存在せず」町田曹洞宗宗務総長(全日仏理事長)が重大発言
 アメリカのプリンストンにおいて 第三回世界宗教者平和会議で
  世界46カ国から350人の宗教代表者がアメリカ、プリンストンに集い、国際会議、世界宗教者平和会議(略称=WCRP)が、8月29日から10日間の日程で開催されたが、会議半ばの9月5日、最終現実問題部会の席上で報告された“日本の部落問題”に対し、日本代表団の一員である町田宗夫曹洞宗宗務総長・全日本仏教会理事長が、「日本に現実に部落問題はない。百年前まであったが今は全く存在しない。ただ、部落問題、部落解放を理由に騒ごうとしている一部の人たちがあるだけ」と発言、同報告書から「日本の部落問題」の削除を要請した。その後、延々40分にわたり討議が行われ、町田氏の三度にわたる「日本に部落問題は全く存在しない」との執拗で、感情的な発言に、結局、議長採決で同報告書からその項目は削除された。しかし他の日本代表団からも、町田氏の“無責任発言”を重要視し、“日本の宗教者の信頼を失う発言”“外国の指揮者から嘲笑される”として今後、WCRP日本委員会、キリスト教、仏教会など宗教界は町田発言問題を取り上げる模様。

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 戒名の格付け法の手引き書の一つ、『貞観政要格式目』は9世紀半ばの「貞観」を称しているが、15世紀初~中期に東寺(真言宗)の僧侶たちが自宗派の優越性・正当性を訴えるためにつくられたものだと考えられている。
 朝廷を権原としてきた真言密教の意図が反映され、禅宗を“慢心倒破仏心宗”とし、力を持った商人などを“三家ノ者”として強く貶めている。
 江戸時代に『貞観政要格式目』を原本に作られた『真言引導要宗便蒙』では「秘口云 商人ト駄賃と皮剥ト 三所ノ者ト云 難第一トス」とし、民間信仰の担い手として力を発揮した商人や職人などの職能者を罪ある者としている。
 近世に幕府の宗教統制が強まったため、統制に対応するための手引き書として宗派に関係なく『貞観政要格式目』は出回り、それぞれで都合よく利用した。
 もともと中世には河原を生活の場とした多くの職能者の存在形態を意味した「河原者・えた」が、江戸時代の身分制によって一身分とされていた。
 先祖供養を最高徳目と奨励する吉宗の享保期に寺請制が強化され、現在の「格式としての戒名」が成立定着し(お金で買える戒名)、その一環として、過去帳記載方法や戒名の付け方の身分差別がなされるようになり、「えた・非人」には牌格からはずれたものを位戒として定められた上で、寺院ごとの独自性にゆだねたので、特定の文字を用いない場合でも、戒名は身分格式をあらわすものとして機能した。
 したがって、地域・時代によって差別戒名に違いがある(浄土真宗の法名にもある)。
 そのような相対的差別指標ではなく、明確な身分差別の戒名に用いられたのは「革門ト 灵(下が火ではなく大)・革尼ト灵(下が火ではなく大)」や頭字に「連寂」。差別戒名をあらわすのに使われた字としては「革・草」の各種変字や「ト・僕」、インドのアウトカーストを意味する「旃陀羅」や「蓄」、「松・柏(の白が百)・苗(に「まだれ」)・宿・除饉女・紅門・精門」などがある。
 「三家ノ者」は江戸中期においても広く商人や職能者など賎民をさしたが、幕府により「えた身分」とイコールとされ、差別戒名は根拠であるはずの仏教の理屈から離れ・形を借りた身分制度維持に用いられた。
 明治4年に、解放令が出て被差別身分は表向きなくなることになり、差別戒名も激減した。
 しかし以降も、江戸時代の手引書が内容をそのままに・不完全な訂正で復刻・重版され、教団における差別が自覚されず、先祖の差別戒名を変えてもらうのに高額な金銭を要求されたケースなどがある。

昭和54年の「町田発言」は差別戒名の問題、宗教者の差別の歴史への反省の無さを露わにし、大きな非難を集めた。
山口県の禅昌寺に住する町田はその後の『部落解放』での対談で“「体のしんにあるものをかえていくには精神的苦痛はどうしても必要」なことを述べた後、現在の心境をつぎのようにかたっている。
春は新入社員、夏は学生が来られますね。二泊三日くらいの日程で参禅される。(略)多いときには一日に7,8時間くらい法話の時間をもちます。近頃は、曹洞宗の経典の「修証義」第四章に出てくる「貴賎の衆生におきて…」というところへ来ますと、「貴賎の衆生」とは「一切衆生」ということだが、人の尊い卑しいは何できまるか。それは生まれや育ちではない。その人の行いによってきまる。それが仏の教えであるが、わが国でも大きな過ちがあるのは、「同和」問題である。ある地区に生を受けたがゆえに、あるいはその縁故者であるがゆえに差別視されるという、そういう不条理をいつまでも許してはならない。(略)時間の許す限り、この問題を掘り下げるようにしています。”

「町田発言」をきっかけに曹洞宗は自宗の差別戒名を調査し、現在も作業を続けている

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 戒名は、その字が表すように、受戒を受けた仏教徒としての名だ。
 しかし、所謂ブッディスト・ネームとしての戒名には、仏教としての根拠がない。
 歴史的に、戒名は中国で生きている間に用いられる別名「字(あざな)」に対する死後の「諱(いみな)」に由来すると言われる。だが、中国では葬送儀礼は儒教が担っていたので、死者に対する名づけである日本の戒名とは異なる。中国で受戒によって仏教徒としての名が用いられていたのが、日本において葬送儀礼が仏教に担われるようになり、死者を「ほとけ」と呼び生者と区別することと重なり、死者に受戒した仏教徒としての名であった戒名を付けるようになった。
もともとは役所の名称・天皇の譲位後の御所を指した「院」が天皇の戒名に、足利将軍以降の歴代将軍に「院殿」がつけられ、やがて寺院建立などに貢献した社会的身分の高い人々にも付けられるようになり、上述したように江戸時代の寺請け制の下で広く死後の身分を示すものとして確立整備された。
このように、日本で死後に付けられている戒名に仏教としての根拠はない。
 そして、本来なら生きている間に仏教徒としての受戒を受けて戒名を得るべきものが、死後に付けるものだと常識的に認識されている。それを仏教団側も認めている。江戸時代の名残によっているのだから、もはや異常が正常になっている。
 
 仏教を信じていない、知らない人々が、死んだというだけで戒名を得る。
 それもタダではない。数十万から数百万、時に一千万を一行の名前の為に支払う。支払うように寺から当然の様に求められ、遺族は不満を言いながらも支払う。
 僧侶は、それは「喜捨」「布施」だと言う。生前から仏教に貢献していれば、死亡時に(不満が出るような)大金を要求することはない。大金は生前の行いの代わりである、嫌なら戒名を付けない・ランクを下げればよいと。
 葬儀の不満で必ずといっていいほど出る戒名を、どうして評判を下げてまで仏教寺院は固守するのか。
 もちろん、建前を言えば「仏教寺院の葬儀を望むのだから、故人や遺族は仏教徒である」から、ということになる。しかし、実態を見れば異なるものがあることは分かる。それは、戒名が一寺院(に所属する僧侶)が付けたものでしかなく、他の仏教寺院では通用しないということから理解される。つまり、A寺院で付けられた戒名はB寺院では通用しない、A寺院からB寺院に何らかの理由で墓地を移す場合にはB寺院(所属の僧侶)で戒名を付け直すことが求められることから、戒名は仏教徒としての名前ではなく寺院の檀家としての名前でしかないことが分かる。墓に限らず、何らかの事情で同じ宗派でも葬儀の導師と墓のある寺の僧侶と異なる場合には、後者の僧侶が戒名を付ける(戒名料を求める)ことになる。要は、戒名とはゴルフ場の会員権のようなものだ。
 その例えで言えば、もし戒名が仏教徒としての名であるというなら、当然寺院が変わっても通用する、ゴルフのプロライセンスのようなものであるはずなのに、そうはなっていない。
 だから、仏教教団・僧侶がどう建前を言おうと、戒名は仏教徒としての名ではない。
 日本の戒名は、歴史的に根拠のないものであるのと同時に、宗教としての理屈すら成立してない。
 
 なぜ、こんな奇妙なものが残存しているのか。
 それは、仏教教団・寺院側にとっては、どのように批判を浴び・不満の源泉となっていようと手放すことが出来ない価値があるからだ。
 戒名の付け方は、宗派ごと・寺院ごとで異なる。だから、基本的には自由な設定ができ、ランクを操作することで寺院は収入をコントロールすることができる。
 戒名は葬儀の一回きりの収入源となるだけではなく、その後の回忌法要などで収入源となり、さらに寺院修理などでも寄付をランクに応じて檀家(遺族)に要求することができる、金蔓になっている。
 檀家側、戒名を支払う側にも価値はある。それは、死後の保険(免罪符)ということや死者への気持ちを形に出来るということと同時に、戒名に明確なランクがあることで、一目で自分たちの地位(や財力)を他者に示すことが出来るという価値だ。

 このような社会的な地位を表し・機能する“戒名は社会を支える宗教的なシンボルの一つなのである。 戒名が社会秩序を維持することに貢献している以上、社会は戒名に対する批判を好まない。戒名を批判することは、それだけにとどまらないかだ。(略)それは、結局のところ日本の社会そのものを批判することにもなっていくのだ。”
 “戒名は、公に定められた制度ではない。その起源もあいまいである。一般には、仏教の教えと結び付けて理解されているが、日本に見られるような形態は、日本だけに限られている。日本以外の社会に戒名は存在しないといってもいいだろう。ところが、その事実は公にされないまま、死者に戒名を付けることはあたりまえだという観念がいき続けている。それでいて、戒名は生者たちに大きな影響力を持っている。戒名は、無言のうちに私たちを動かしているのだ。”

 差別戒名と院殿居士は一続きになっている。
 戒名は全てが「差別戒名」だといっても差し支えない。
 社会で差別を貫徹するためのトドメが戒名だと言える。
 社会と変わることのない、それどころが社会に現れる差別以上に鮮明に社会の序列のあり様を宗教が見せ付けるものだ。
 『核式目』は真言密教が、当時力を付けてきた禅仏教と独自の民間信仰を担う力を持つ職能人たちに対する敵対心を表したが、それは時の統治権力にとってそのままには受け入れらなかったため、権力の意図に沿う形に変形して、えた・ひにん等の被差別民に対する差別の正当性付与と貫徹に寄与した。
 その基本的な姿勢は今も変わっていないのだ。
 「差別戒名」を付けた仏教教団も、それを受け入れている私たちも、この歴史的現実を自ら直視できていない。
 自分たちの所有地にあった差別戒名の刻まれた墓石について“「先代からあると聞いていた。うちのじゃないし、うちには関係ないから(本山には届けなかった)」”と住職が言えてしまう。例え、自分たちが直接関与したものではないとしても、同じ仏教が担った差別の歴史に、どうして“うちには関係ない”のか、どうしてこれほど無自覚・無責任でいられるのか。
 それは分からない。この程度の人間しか今や寺にいないということなのかもしれない。
 だが、だからこそ、都合のいいように理屈を作り出し・曲げて「差別戒名」を金蔓にし続けてきたのだし、続けていられるのだろう。
 その金蔓は私たちの差別したい心に根をはり、蔓を伸ばし続ける。

 ただ今後、この金蔓を伸ばすために必要な太陽(金)や、金蔓を巻きつける棒(子孫)が減少すれば伸ばしようは無くなるだろう。
 しかしその時は、また別の金蔓を仏教教団・寺院は見つけようとするだろう。
 差別したい心という土壌があれば、植え付けることができるのだから。

 差別したい心を見つめることを説いた仏教の名の下で。
 
          



引用・参照)
『宗教と部落差別』中尾俊博著(柏書房)
『差別戒名の歴史』小林大二著(雄山閣BOOKS)
『戒名』島田裕巳著(法蔵館)

 『身分差別社会の真実』斉藤洋一、大石慎三郎著(講談社現代新書)では、えた・ひにん等の被差別民の起源について“すでに中世には被差別民が存在しており、「賎視」が成立していたのだから、それを権力が民衆支配に最大限に利用したと考えるべき”と述べ、権力による創造説や分断説に疑問を呈している。そして“中世の被差別民が、一方で「賎視」されながら、他方で「ケガレ」や「キヨメ」という特殊な職能の保持者として、いわば「畏怖」される存在でもあった”んのが“近世の被差別民に対しては、こうした両様の観念のうち、「畏怖」の念がうすれ、「賎視」の念のみが強められたと考えられ”、“江戸時代中期の享保期ごろから、権力によって差別が強化されたようにみられる”と述べている。
 
 
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by sleepless_night | 2008-08-10 16:32 | 宗教

テロの隣人



“イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある司祭がたまたまその道を下ってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て哀れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』”さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」”
                 ルカによる福音書10章30節~36節

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 大阪市にはホームレス状態にある人々が約4000人いる。
毎年約800人が路上、公園、水中、簡易宿泊所、運がよければ病院に運ばれて死ぬ。
死因は病死、餓死、凍死、自殺、暴行死など。
大阪市西成区、釜ヶ崎には約2万5千人の日雇い労働者がおり、約1万9千室の簡易宿泊所がある。簡易宿泊所は住居と認められないため、住民票を取ることが認めれず、選挙権を行使できない(つまり、憲法の三大原則の一つ「国民主権」の「国民」から実質的に除外されている)。仕事を探し、部屋を借りようにも、金銭的余裕に加え保証人がハードルとなって極めて困難な状態に置かれている。そして、住居がないので「居宅保護」も受けられない。

 約20年前から釜ヶ崎に赴任し、釜ヶ崎の労働者支援活動を行っている本田哲郎神父(フランシスコ会)は“貧しく小さくされている人”と彼・彼女らを呼ぶ。
“彼らは「社会的弱者」と呼ばれてはいても、社会的に弱い立場に立たされているという意味であって、彼ら自身が無力だというのでは”なく“持っている力を発揮するための「場」や「条件」を奪われているだけ”であり、“「小さい者」ではなくて、「小さくされている者」”だ、彼ら・彼女らを小さくしているのは中流クラス以上の人々、そこには教会に今日集っているキリスト者達も含まれているという。
 本田神父は原典の読み込みから、旧約・新約聖書“この二つが共通していっていること、それは「神は貧しく小さくされている者と共に働かれる」この一事”だったとの認識にいたる。
 アブラハム、ダビデ、モーゼ、イスラエルの民、マリア、ヨゼフ、12使徒、彼らが宣教した人々、そしてイエス自身も、皆貧しく虐げられた人々だった。
  “神は底辺の人たちを選び、その人たちと共に立ち上がることをとおして、すべての人を救われる”、“貧弱だからこそ、神がご自分の力をその人たちに託し、自分たちが貧しさ小ささから立ち上がって、まわりの人々を解放しつつ、共に豊かになっていけるように定めている”のだと。
貧しいことが良い、価値があるのではない。貧しくない人が貧しくなろうとする必要はないし、貧しくない人が貧しくなったとしても、貧しく生まれ育った人々と同じにはなれなるわけではないし、“はじめから下積みでがんばるしかない、そういう状況におかれている人たちを差別することになる”。へりくだりを評価する際の根拠とされる従来の聖書解釈“神→人間→僕→十字架の死”というイエスの生涯も間違っている。貧しく小さくなる競争をするのではなく、貧しく小さくされている人々から学ぶ、正義に反する、抑圧的な社会構造の被害をもっとも受けている人々の願い・洞察・価値観・感性に学び、協力・連帯することで救い(解放)が社会にもたらされる。
 そのためには、現実の対立の緊張から逃避し偽りの和解・調和を選ぶのではなく、「敵」を明確に認識し、被抑圧者と連帯しなければならない。
 “いくら個人的・私的な生活態度がつつましく、敬虔で、善意に満ちた人であっても、その人が社会の富裕な側、力を持つ側にいるということは、貧しい人たち、力を持たない人たちを抑圧する側にいるということ”であり、“富と権力の恩恵を、正義に反して自分たちだけで享受できる仕組み”が問題である以上、中立はありえない、と言う。
 隣人愛の「愛」は家族・夫婦などにあるエロスでも、友人などの好意を持つ関係にあるフィリアでもなく、アガペーである。平たく言えば「大切にする」こと、好きになれない・愛情を感じられない相手でも、一生懸命大切にしようとする。貧しく小さくされている人々を好きになれないとしても大切にする。同様に、敵を敵だと認識することを放棄するのではなく、敵を敵として認め、愛すること。抑圧に加担することで損なわれる尊厳を回復させるように解放すべきだと訴える。
 そして、“福音はつげ知らせるべきであるけれども、宗教は宣教すべきものではない”、“宗教はどれも限界がある”と述べ、重要なのは福音的視点であり、「ケリュッソー:告げ知らせる」、“正しくは「身をもって告げ知らせること」”であると福音の普遍性を訴える。

 本田神父の主張・運動は解放の神学の日本版だと評価できる。
 1950年代から南米でカトリックの反貧困運動を理論的に支えた解放の神学の提唱者の一人グスタボ・グティエレスは教会が“政治に関する事柄は、低次元のもの”として関心を向けないことを批判し“教会の歴史的現存は、必然的に政治の次元を含む。”先進国の発展の副産物として抑圧されている南米の解放は、経済的次元と同時に政治的文化的、倫理的な次元を含み、解放者としていのイエスやキリスト教の存在意義に関わると述べる。
  “正義と公正がなければ神を知ることは存在しない。”
 “救いの業を厳密な「宗教的」分野に限定して、その普遍性に気づかない人々とは実に、救いの業を矮小化してしまっているのである。(中略)彼らは、救いの価値を守るため(あるいは彼ら自身の利益を守るため)に、人民と社会階級とが、他の人民と社会階級によってつながれている従属と抑圧から解放されるために戦っている歴史のただなかから、救いを取り去ってしまうのである。彼らは、キリストの救いが、あらゆる悲惨、略奪、疎外からの根源的解放であることを認めるのを拒むのである。そして、彼らはキリストの業を「守ろう」として、それを「失う」のである。”
 教会は現状維持を意味する政治不介入から不正な体制・秩序との絶縁へと決断し、「脱中心化」する必要があり、聖職者・信者・非信者の区別を超え、“キリストの業と霊性とが、救いの真の要である、という認識”を持ち、福音・救いの普遍性に立って、改良主義に堕せず、“人間があらゆる従属から開放され、自らの運命を担う者たりうるような、質的にまったく異なった社会を求めるなかで”、“「新しい人間の創造」”を目指すべきである。
  “中立は不可能である。これは我々が直面する事実を、容認するか否定するか、という問題ではない。むしろそれは、我々がどちらの側に立つか、という問題である。”
 “福音は、万人に神の愛を宣言し、神が愛したように愛せよ、と呼びかける。”“すべての人を愛するということは、対立を避けるということではない。作り出された調和を保ち続けることではない。普遍的愛は、被抑圧者との連帯の内に、抑圧者をもその権力、野望、そしてその利己主義からかい法しようと努めるものである。「客観的な罪の状況に生きるものへの愛は、われわれに彼らを解放すべく戦うよう要求する。貧しい人の解放と富める人 の解放とは、同時に達成される。」”“「敵を愛する」ことは緊張関係を緩めはしない。むしろ、それは体制全体に挑戦し、社会を覆す形をとっていく。”
 グティエレスも聖書における“貧しさは人間の尊厳にさからう、したがって神の意思に反する、恥ずべき状況”であると述べ、記述から“貧しさに対する力強い拒絶”が示されているという。
だが、キリスト者にとっての貧しさの意味という点に関して、グティエレスは“連帯と抗議へのかかわりとしての貧しさ”を提唱し、自らの意志で貧しくなることへの一定の評価を与えている。
 貧しさは悪であるが“貧しさを、あるがままの姿として-すなわち悪として-受け入れ、それに抗議し、廃絶のために闘う”ために、貧しくなることを肯定している。

 1950年代に生まれた解放の神学は、南米はもとより、アジア、アメリカにも影響を与え、日本でも在日や障碍者の運動に影響を与えた。
 だが、「解放の神学は死んだ」といわれるように、南米の解放の神学もバチカンの圧力などもあって力を弱め、理論的主導者の一人レオナルド・ボフは聖職を辞した。
 しかし、イスラムやアメリカ福音派に代表されるように、政治に対して宗教が影響を与える流れはやんでいない。そして、それらは純粋に宗教運動であるというより、背後には貧困をはじめとする社会問題を抱えている。宗教教団が自らの教勢を伸ばさんとしたり、国家が宗教による統治を試みても、背景にあるものを見過ごし、思うようには利用できていない。
宗教の復権を生み出したものが、宗教の発展を阻害する要因でもある。
本田哲郎神父が“宗教はどれも限界があるな、と強く感じています。”と述べて、信者を増やそうとしない、洗礼を行おうとしない、福音の実行・実現を強調するのにも、これが関係するように考えられる。

 宗教は大きな可能性を持つ、大きな可能性をひきつけるというべきかもしれない、が日本の貧困をはじめとする社会問題に対する可能性は期待されるのだろうか。

 一人の日本人がインドで「解放の仏教」とでも呼ぶべき運動を主導している。
 1935年岡山に生まれた佐々井実は中学卒業後上京、丁稚奉公の後、帰郷し薬剤行を営むも女性問題に悩み廃業し投身自殺を試みるも止められ放浪の後帰郷、日本パルプの子会社に勤めるも満たされず出家を試み延暦寺・久遠寺・総持寺などの本山を尋ねるも「大学を出ていないから」とあしらわれ彷徨先に倒れ山梨県の大善寺(真言宗智山派)住職井上秀祐に拾われ2年間修行に励む。1960年、井上の計らいで高尾山薬王院管主山本秀順により得度。法名を秀嶺とする。大善寺に一時帰り、再び求法の旅にで、鹿児島の教王寺(日蓮宗)で修行。62年に薬王院に帰り、住み込みで新聞配達をしながら大正大学に通い、岐阜の正眼寺に参禅、浪曲師二代目東家楽水を襲名し仏教浪曲の巡業を行い、手相・姓名・易を学び有楽町で易者をする。山本秀順に薦めで65年にタイ留学、パーリー語を習得しパクナーム禅の最高位を贈られるも、女性問題を起こし帰国へ。しかし途上インドの日本山妙法寺へ行き、八木天摂のもとで修行、大宝塔建設に従事。妙法寺・藤井日達に疑問をいだくなか、夢で老人に「我は竜樹なり。速やかに南天竜宮へ行け」と告げられたのを受け、竜(ナーガ)宮(プール)から、ナグプールへ行く。題目を唱えまわりイスラム教徒住人の迫害をうけつつ、仏教徒に受け入れられ始めるなか、不可触民である仏教徒の貧困、仏教僧の既得権益に胡坐を欠く無能に触れ、不可触民出身の仏教徒(仏教によるカーストの打破を志向)でインド憲法の起草者アンベードカルの命日12月6日にあわせ八日間の断食・断水行を行い注目を集める。行の場所に寺院建立を求める募金運動が起こり69年に建立。寺院建立運動を続けるなか、(本人は否定的だが)祈祷師としての力も評判を集める。73年、日本山妙法寺と決裂。80年全インド仏教大会の大導師、アンベードカル改宗25周年記念実行委員を務める。国・派閥で分裂しあらそう仏教徒を統合する役割を担う。200以上の寺を建立し、82年アンベードカル入滅式典の導師、83年に全インド比丘総本山建設委員長を務める。85年、中央政府の国籍許可にもかからわず、(反仏教の占める)高級官僚・警察組織による妨害で強制退去命令を受け、87年に不法滞在で逮捕。数万人が警察を囲み、連日各地で大抗議集会が開かれ、十万人を超す署名、陳情で各政党が警察を非難する声明を出し釈放、国籍取得。89年アンベードカル生誕100周年記念式典導師を務め、20万人大改宗集会導師など少なくとも80万人の改宗に携わる。92年から大菩提寺奪回運動を主導。2003年から政府少数者委員会仏教徒代表。改宗者は一億を越すといわれる。
 “マハトマ・ガンディーが裸身を白衣で包み、無欲の姿勢で歩いているのを見て、私は背広を着、ネクタイを締め、ちゃんとした家に住んでいる。私は人間の欲望を否定しない。逆にそれらを肯定する。一切の人間的権利を三千年来奪われてきた人々にとって第一にもっとも必要なのは、社会的平等と自由と人間性の確立であり、それらをこの現実世界で獲得することである。人間の可能性をどこまでも追求することのできる社会を実現することである。そのためには戦わねば何者の手にすることはできない。わたしの仏法は戦う仏教なのだ”
 アンベードカルのこの言葉を引いて、佐々井師は瞑想仏教への対決、人間解放の道としての仏教を提唱する。

 密教化の後13世紀に消滅したインド仏教の復活と言えるこの運動は、階級支配からの解放運動のひとつだった釈迦の行いと重なると同時に、その変容とも重なる。
佐々井師が日本に残っていたらとも思うが、経歴からもわかるように彼は日本社会を飛び出した存在だ。出会い、導いた宗教者たちは恵まれたものであったが、日本の仏教会に納まることはできなかっただろ。
 そしてなにより、インドの社会事情(対立すべき集団が宗教に基づくため、対抗的に宗教を持出すことが有効)やインド人の素地が大きい。

 だとすると日本において可能性としてあるのは、新宗教しかないと考えるべきだろうか。
創価学会、立正佼成会、霊友会、PL教団、天理教などの数百万・数十万の信徒を抱える大教団ならば、宗教が社会を動かす可能性を持つだろうか。

 しかし新宗教の大教団とはいっても、可能性は低減しつつあると言える。
 政党まで抱え、断トツの影響力を持つだろう創価学会も既成化が進み、組織が拡大よりも単純再生産に向かっていることは避けられない。伝統仏教よりは意識的だが、3世・4世ともなれば「家の宗教」化する。さらに、組織引き締めの役割を果たしていた公明党の選挙活動も、自民党との連立で曖昧化している。
大衆を主体とする新宗教として規模を拡大したが、組織の拡大は官僚化を不可避に伴い、官僚化は大衆とは容れない。
だが、大衆から脱すれば自己否定になり、それもできない。
 今後社会の二極化が進み、新宗教が発展した戦後や明治大正のような社会的紐帯から切り離された下層労働者階級が形成されることがあれば、再び新宗教の市場となるとも考えられる。
 ただ、創価学会がアピールするような現世利益獲得については、確率自体が社会に増加しなければ実現されないだろうため、「ウリ」になりにくいだろう。
 
 なお、テレビなどでポピュラリティを得ている占い師・呪術師のような存在は、消費者として享受している(好きな時場合に好きなようにトッピングする)層に支えれていると考えられるため、主体的担い手として教団や運動などの支える大規模で緊密な集団を形成するとは推測されない。
 マス・メディアに取り上げられなくなる、新しいネタが登場すれば、忘れられるし、代替されるだろう。
 突風のような気まぐれが社会現象を一時的に生じさせることはあっても、根本的で長期的な変化を社会に与えることはできないと思われる。

 大集団、大衆を基盤とするのではなく、エリートによる小中規模の新しい新宗教という可能性も考えられる。
 佐々井秀嶺師のような日本から飛び出すタイプ、既存の伝統仏教集団に納まりきらない修行や活動を志すエリートたちが形成する小中規模の団体・運動は、これからの日本社会における宗教を考えたとき、もっとも可能性を持つかもしれない。
 まず、一般的に葬式仏教と揶揄される伝統仏教団は、商業的慣習的な支持を得ることはできているが、実存的な欲求を満たすことを求める存在とは認知されていない。
 そして、商業的慣習的にも伝統仏教団の支持は失われつつある。葬儀・供養という伝統仏教の牙城でさえ、仏教離れは徐々に進展しつつある。
 だが同時に、多くの人々は実存的信念や超越的価値観を一から組み立てることもできないし、自らのみによって組み立てられたそれに揺らがないでいられるほど強くもあれない。
 そこに、堕落した既存の伝統仏教団ではなく、エリートによる新教団が信頼の投影先として必要性がある。
 この新宗教は、明治大正に天理教や大本教が法規制や世間の警戒をかいくぐるために形式的に神道の一派となったように、仏教の一集団として形成されることが予測される。つまり、いかに新しいのに、新しいものだと見せないか、いかに正統性を印象付けて信頼感をもたせることができるかが重要だと考えられる。
 鎌倉仏教が大衆に浸透しやすいように易行化することで仏教のリバイバルを成し遂げたのと対照的に、難行化しエリートによって担われる仏教としてのリバイバルだとも言える。
だだし、この新宗教が一定以上の規模を超えたとき、伝統仏教団の反発・妨害が必ず生まれるだろうし、貧しさの尊重といった価値観が一般社会を攻撃するものとみなされればバッシングを受けるだろう。また、エリートを支えるための資金が大口の寄付や富裕層の寄進によれば、伝統仏教団となんら変わることがなくなり、やはり支持を失うだろう。   
 
 ここでも、「貧しさ」をどう位置づけるかが問題となる。

宗教団にとって、貧しさは正当化することのほうが安全だ。
現世利益や富の祝福をすれば、利益が実現されなかった人や富をもてなかった人々を自宗教の「救い」からもらしてしまうことになる。
貧しさを正当化しておけば、少なくともそれに引かれてきた人々を逃さずにすむ。
また、財・富裕の創出・蓄積に価値を見出すなら、宗教という非世俗を持ち出す必要はそもそもなくなる。

マザー・テレサは“Poor is beautiful.”と言った。

本田哲郎神父は、貧しさの正当化を拒んだ。
しかし、本田神父は「貧しく小さくされている者」の立場から見えるものに価値を見出している。
すると疑問が生まれる。もし世界の人々が貧しさから解放されたら、その価値、イエスの力の働きは失われてしまうのではないか。
佐々井秀嶺師は、貧しさの正当化を拒んだ。
しかし、人間の可能性追及が圧倒的な富裕と圧倒的な貧困を生み出しているのではないか。
結局、仏陀が教えたように、人間の欲望を解決されなければ、新しい敗北・貧困を生み出すだけになってしまうのではないか。

もちろん、両氏は貧しさの拒絶というより、不公正・不正義への糾弾をしているのだと解釈するほうが妥当だ。
しかし、結果を考えれば、今富んでいる人々の富・財産を奪うことを意味するし、中間層にとっては貧しくなることを意味する。
それが、貧しさの正当化をなくして可能だろうか。
貧しさを正当化したからこそ、仏教もキリスト教も不労の上に大伽藍を建ててきたのではないだろうか。そして、両宗教が大伽藍に安住してきた・しているから、貧しさから批判され、貧しさの中から本田神父・佐々井師が生み出されたのではないだろうか。



          *
 “神の前で、神と共に、われわれは神なしで生きる。”
 1945年、ヒトラー暗殺のためにドイツ国防軍情報部に勤務し、計画に関与したデートリッヒ・ボンヘッファーは処刑された。
  神学者・牧師として聖書に基づいて悪による悪の根絶の不支持・絶対平和主義を標榜し、ナチスに抵抗する告白教会に加わっていたボンヘッファーは、霊的問題と現実的問題に聖書解釈をわけることを否定し、「機械仕掛け(デウス・エクス・マキナ)の神」や論理の「補完物」としての神ではなく、限界状況で罪を引き受ける(ヒトラーを暗殺する)ことで、人として歴史的現実に責任的に生き十字架に架けられ(苦しみ捨てられ)たイエスの行き方に倣おうとした。
 ボンヘッファーの思想は、現実社会への宗教(神学)のかかわりとして、解放の神学の先駆けだとの評価を受ける。

 ボンヘッファーの思想や行動は危険だ。
 ヒトラー暗殺ではなかったら、オウム真理教のテロとどう違うだろう。
 しかし、テロを起こせない、限界状況においてテロを起こせない宗教は、社会においてどれほどの意味を持つだろう。
 一般社会と同じ価値観や行動で、宗教を標榜することにどれほどの意味があるのだろう。

 本田神父の活動が全国に広がり、社会を変えることはないだろう。
 福音の普遍性を訴えても、聖書自体が特殊な社会で普遍性を認知されるとは思えない。
 しかし、宗教が日本において人々に働きかける力を持つ、希望のようなものがあってほしいと思う。

 橋本徹大阪府知事の財政再建の下で、彼の活動がどのように扱われるのか確かではないが、ホームレスにまわす金が今より増えるとも想像できない。
 寺院は慈悲を説きながら斎場経営に、教会は愛を説きながら幼稚園経営にいそしむだろうし、創価学会は公明党に票を入れるだろう。
 慈悲と愛と票の隣で、ホームレス状態の人々はダンボールを敷き横たわり続ける。
 テロでも起こさない限り、その隣を人々は通り過ぎるだろう。
 


引用・参照)
毎日新聞:野宿女性 浜松市役所に運ばれ死亡 「あと一歩」対応なく
『釜ヶ崎と福音 神は貧しく小さくされた者と共に』本田哲郎著(岩波書店)
 本田神父が言う、神は「貧しく小さくされた人々」を通して働くということは、その人々が素晴らしい人格者だから言うことを聞こう・見習おうということを意味するのではない。
 本田神父は人々との連帯における4つのステップ、「痛みの共感から救援活動」→「救援活動の行き詰まりから構造悪の認識へ:怒りの体験」→「社会的・政治的行動へ:構造悪と戦う貧しい人たちの力」→「『単純な弱者賛美』から真の連帯へ」、第4のステップで非現実的な誤解に基づく賛美を“「差別の裏返し」であり、わたしたちの連帯と支援を空洞化させるもの”と指摘する。

『解放の神学』G・グティエレス著 関望・山田隆三訳(岩波現代選書)
『解放の神学』梶原寿著(清水書院)
『破天 一億の魂を掴んだ男』山際素男著(南風社)
「週刊エコノミスト 2004年8月31日号」
『創価学会』島田裕巳著(新潮新書)
『新宗教の解読』井上順孝著(ちくまライブラリー)
『ボンヘッファー』村上伸著(清水書院)
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by sleepless_night | 2008-02-16 17:21 | 宗教

トイレの神世界

 “いやな話であるが、トイレで自殺する人は意外に多い。ある自殺志願者がトイレで死のうとしたが、あまりの汚さに、
 「こんな汚くて、臭いところで死ぬのはいや」
 と、きれいにしてから死のうとトイレの掃除を始めたところ、気持ちが落ち着き、自殺を思いとどまったという。”
           『トイレと付き合う方法学入門』鈴木了司著(朝日文庫)

              *

(1)素手・素足でトイレ掃除
 “警察官のモラル低下が問題視されるなか、新人教育に、素手と素足で行うトイレ掃除を取り入れる警察学校が増えていいる。もともとカー用品販売チェーン創業者が社員の意識改革のために始めた取り組みだが、実施した警察学校の共感は「警察官に必要とされる思いやりの気持ちが芽生えた」などと評価。卒業生が自発的にトイレ掃除を行う学校もあり、「便器とともに心も磨く活動」として一役買っている。
 広島県警察学校(広島市南区)では毎週通うと金曜の授業後、約480人の初任科生が、校舎や寮のトイレ15ヵ所で清掃活動に取り組んでいる。真冬にもかかわらず、生徒たちは素手に素足。汚れがみえない便器の裏や排水溝の置くまでを小さなタワシで一時間あまりかけて磨き上げていく。
 県警はこれまでにも、暴走族の構成活動としてトイレ掃除を取り入れてきたが、「つらいことに積極的に取り組む姿勢を身につけさせよう」という共感の西岡達也警部(43)の発案で、昨年4月から警察学校でも導入した。
 初めは清掃をいやがっていた生徒たちも、回を重ねるにつれて積極的に取り組むようになったという。
 初任科生の内田幸恵さん(26)は「最初は便器に直接触れることに抵抗があったが、汚れを落としていくたびに達成感が生まれた」。信好剛裕さん(25)は「トイレを使うとき、掃除をする人のことを考えてなるべく汚さないよう心がけるようになった」。
 西岡共感は「気づかずに汚しているトイレを磨くことで、警察官に必要な他人を思いやる気持ちを持つようになり、訓練でも自発的に行動するようになった」と手ごたえを語る。
 山梨警察学校(山梨県甲斐市)も3年前から、平日の朝夕2回、生徒約30人が交代でトイレ掃除を行っている。
 きっかけは、当時の副校長がトイレ掃除活動を広める「掃除を学ぶ会」の県代表を務めていたこと。この元副校長は「人とのいやがる仕事を率先してする警察官に育ってほしいと話ている。
 鹿児島県警察学校(鹿児島市)は平成18年11月から、初任科生を対象とする年2回のトイレ掃除を取り入れた。
 課外活動ではあるものの、「お世話になった学校への感謝の気持ちを示そう」と、警察学校の同期同士で自主的にトイレ掃除を行う卒業生もいるという。
 各校の取り組みについて、警察庁人事課も「体験型教養の一環として、奉仕の精神などを養う有効な取り組み」と評価している。”
 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080102/trd0801022135003-n1.htm 
 産経新聞 2008.1.2.21:34

 トイレを素手・素足で磨くという、掃除の目的からすると無駄・無意味なこの行為が、産経新聞記者・読者の琴線に触れただろうことは容易に想像される。
 産経新聞記者・読者以外の多くの人にとっとは、理解しがたい愚行に思われるし、赤痢・チフス・A型肝炎・ポリオなどの口糞感染症予防という点からも悪夢のような行為だろう。
 しかし、この馬鹿げた行いの意味を考えることは、警察(官・組織)を理解する上で有用なものだと思われる。

(2)スカトロ・イニシエーション
 ①イニシエーション

 イニシエーションは、宗教学・人類学で用いられる概念で、日本語では「通過儀礼」と訳されることが多い。
 イニシエーションは年齢別集団が社会秩序維持に重要な役割を果たす社会において機能するので、形骸化した成人式からも分かるように、現代社会では見られなくなっている。
 イニシエーションは大きく、成人時に行われるものと、新しい資格を持つことを確認するものとに分かれる。前者では、成人時の割礼や抜歯など、後者では洗礼や聖職資格取得の修行などがあげられる。
 フランスの人類学者ヴァン・ジュネップはイニシエーションが「分離」「移行」「合体」の三つの場面からなると分析し、特に「移行」が重要な役割を果たすことを示した。
 アメリカの文化人類学者ヴィクター・ターナーは「移行」が俗から聖へと至る過程であると指摘し、イギリスの人類学者エドモンド・リーチは「移行」の場面をマージナル・ステージと呼び着目し、それが聖なる特徴を持ったカオスの時期だと指摘した。
 
②トイレの聖なる二面性
 “今でこそ日本人には、トイレは「御不浄」すなわち汚いところとのみとらえられ、逆にそれだからこそ清潔(衛生的)にしておかねがならないとも考えられているが、かつては厠が聖なる場と考えられていた場合が多々あった。それはカミを祀る、浄なる場でなければならなかったのである。(中略)それは大晦日の大祓ののち、元旦にかわやに灯明をあげて祀る神であり、ところによっては、わざわざそこで年取りの行事をするところもあった。”
 かつてトイレが聖なる場所とされたことは、トレイが清潔で心地よい空間であったために人々が親しんでいたとことを意味しない。
 聖性は、マイナスとプラスの両極を備え、ひきつけると同時に拒む矛盾した性質を備えている。
 トイレは排泄という人間の境界を脅かす行為であり、出す糞尿は異物である。それは、不潔であり、不浄であるが、不浄は不潔とはことなり、プラスとマイナスの二面性を持つ。つまり、聖性に関わる浄・不浄と清潔・不潔はイコールとなるとはいえない。端的な例として、聖なる河ガンジスを見れば、死体やゴミの浮く濁った水は不潔だが、そこで沐浴するヒンデゥー教徒は浄化される。
 また、地理的にも、かつて(といっても100年も前ではないが)トイレは独立して戸外にあり、生活の中心からは離れた異界として存在した。

③学校のトイレ
 学校は社会に出るまでのイニシエーション期間だといえる。
なかでも、全寮制(=「分離」)で朝から晩まで指導官が生徒に付きっ切りで一挙手一投足を指図する警察学校は、イニシエーションの典型のような体験を与える。
 イニシエーションは、抜歯や割礼や苦行のような苦痛・困難を伴い、「移行」においては日常の俗界とは異なる聖なる混沌を体験する。祭りのときに、裸になったり、墨・泥などで粉飾したり、仮装・女装をしたりなどが象徴的にそれを表す。
 
 警察学校とはイニシエーションの時空であり、その中でも周辺的で不浄な異空間であるトイレこそ「移行」の象徴的な場所だといえる。
 そして、日常(を支配する観念)では否定され・絶対にありえない素手・素足でトイレを掃除する行為は「移行」の聖なる混沌を明確に表現している。

(3)記事解説
 あらためて、(1)の記事を読むと
 トイレ掃除の効果として指摘されているのは 
 “察官に必要とされる思いやりの気持ちが芽生えた”
 “つらいことに積極的に取り組む姿勢を身につけさせよう”
 “トイレを使うとき、掃除をする人のことを考えてなるべく汚さないよう心がける”
 “気づかずに汚しているトイレを磨くことで、警察官に必要な他人を思いやる気持ちを持つ”
 “人とのいやがる仕事を率先してする警察官”
 とされている。(もちろん、答えた生徒の中には内心とは別に、聞かれたのでもっとららしいことを答えてみたとする人もいるだろう。)
 する生徒もさせる教官も“つらいこと”に耐え“思いやり”を持つことを、トイレ掃除から学んだと述べている。
 
 だが、この生徒たちは駅のトイレや公衆便所や施設のトイレを素手・素足で掃除しているわけではない。
 彼ら・彼女たちが“思いやり”を、学んでいるのは警察という、これから自分たちが属することになる組織の中にすぎない。 

 トイレはどれほど磨いてもトイレである。不浄であり、大好きで嘗め回したい快楽の園ではない。警察のボーナスがトイレ掃除となるわけではない。
 つまり、彼ら・彼女らにとって嫌なことに変わりはない。
 そして、トイレ掃除は素手・素足でする必要もないし、掃除の目的と素手・素足は関係がないことにも変わりない。
 素手・素足のトイレ掃除は、この無意味・理不尽な“嫌なこと”を(変えようとするのではなく)受け入れさせ、“思いやり”ある人間を作る、と言う。

 要するに、このイニシエーションを通過することで得られること、イニシエーションが求めることは、「警察組織の中で嫌なことも受け入れて、トイレ掃除を経験した仲間同士思いやろう」ということだ、と解釈できる。


 裏金作りはいやだ、知らない人の名前で領収書を書き・印鑑を押す作業は明らかに犯罪だ。警察官は犯罪を取り締まる側の人間なのに、犯罪に加担しなければならない。でも、これも警察組織に必要なことだと上司は言う。嫌なことだけど、受け入れなければならない。いやだった、素手・素足のトイレ掃除のように。

 仲間が事故を起こしたら、“思いやり”を示さなければならない。素手・素足のトイレ掃除で学んだように。

              *

 トイレ掃除をして自殺をやめた例があるとして、それは「トイレ」掃除が効果的だったのではなく、トイレ「掃除」が効果的だったと考えるのが妥当。
 トイレでなくとも、掃除をすれば達成感だってあるし、体を動かし・視界を広げたことで浄化感もえられるだろう。 
 トイレ掃除や素手・素足に粘着するのは、上記のようなイニシエーションを経させること以外に無意味だし、馬鹿げている。
 さらに、イニシエーションだとして何を試し・伝えようとしているのが重要だ。教官が「本物の神」を見たといって、十万円のお守りを買わせたりするかもしれない。また、イニシエーションを経ることで、そこで形成された自我に固まり柔軟性を欠いたり、集団への一体化の反作用として排外的・自集団中心の姿勢を身につける危険もある。
 そしてもし、イニシエーション的な意図を欠くなら、支配欲とスカトロ趣味でしかない。



 
引用・参照)
 『イニシエーションとしての宗教学』島田裕巳著(ちくまライブラリー)
 「浄・不浄の社会行動」小西正捷著(『スカラベの見たもの』TOTO出版 収録)

 補論
 『新宗教事典』『新宗教・人物・教団事典』(弘文堂)
 『会社のカミ・ホトケ』中牧弘充著(講談社選書メチエ)

             *


(補論)会社のトイレ
一燈園

 明治38年に西田天香によって創始された新宗教。ただし、宗教とは称しておらず、宗教法人ではなく財団法人懺悔奉仕光泉林(昭和4年。京都山科)と登録。保育園から大学まで所有。光泉林では「同人」とよばれる300人ほどが共同生活をし、印刷・出版・農業等に従事。「研修会」と呼ばれる活動も実施。
西田は明治5年に滋賀県長浜の紙問屋に生まれ、20歳のときに北海道干拓事業に参加。そこで出資者と耕作者との対立に悩み、帰郷。長浜の愛染堂に篭り断食4日目未明に大悟し、下座・奉仕生活に入る。争わずに生きる生きかたとして無所有・下座・懺悔奉仕を提唱。大正10年の著作『懺悔の生活』がベストセラー。戦後昭和22年から参議院議員を一期務める。昭和43年死去。
一燈園は神仏自然を包含するものとしての光を礼拝、仏教(西田の生家が熱心な真宗門徒。南禅寺で参禅経験。用語に双方の影響が見られる。)とキリスト教の影響、汎神論的傾向がある。
修行としては、一切の執着心・利己心を断ち切り、光(おひかり)に身を捧げつくす、路頭托鉢がある。托鉢のなかでも特に、自らを生存競争の最下位に位置づけ何者も損なわない心を養うため、他家を訪れて便所掃除をさせてもらう六万行願が重視されている。

②呼ぶなら、ひゃくばん・ひゃくばん
 創業者の鈴木清一が一燈園の生活に身を投じた経験を持ち、創業したケントク(靴クリーム製造)、ダスキンともに自身の信仰をビジネスに強く反映させた。
 ダスキンは「祈りの経営」を標榜し、社員を「働きさん」(社長が「働きさんナンバー1」として、入社順に番号をつけ社員の平等を示す)、給料を「おさがり」、ボーナスを「ご供養」と呼ぶ。
 社是・社訓に相当する「ダスキン悲願」「ダスキン一家の祈り」の読誦のほか、一燈園のおつとめがおこなわれ、入社式には一燈園の当番(最高責任者)が臨席、研修では一燈園の六万行願も行われる。
 
③会社バカとイニシエーション
 “俗なる仕事や組織に聖なる意味を付与すること、それが会社宗教のおおきな役割”
 近代資本主義を体現するようなビル郡の屋上や谷間には、会社の神社があり、神職を呼んで(松下では専門の社員がいる)役員クラスが毎月参拝する。高野山や比叡山には会社墓(かいしゃばか)が数百存在し、創業者や物故社員、中には取引関係のある会社従業員のための法要が営まれている(参墓だが、なかには遺髪などを収めているものもある)。
 中牧弘充(国立民族博物館総合研究員大学教授・人類学)は、日本の会社に現れるこれら宗教を「会社宗教」と呼び神社を通じて安全・商売繁盛の現世利益を祈願し、仏教を通じて英霊・先祖供養・会社存続の祈念が行われ、“会社と宗教の関係はむしろイエとそれに付随して実践される宗教行為に似ている”と分析する。
 そして四月一斉入社も“人類学的な視点からすると、そのような「同期の桜」はオセアニアの島々やアフリカの戦士集団として分布している年齢階梯集団のイニシエーションにダブって見える”と述べている。
 
④トイレを磨いて
 今はなつかしい彼がテレビの中で元気(今も知らないところで元気だろうけれど)だったころ、「会社は誰のものか?」という商法から遠く離れた議論が所々でなされていた。そのとき経営者の一人くらいが「会社は神様仏様のものだ」といってもよかったのかもしれない。
 ウェーバーが言ったように資本主義のエートスは、禁欲主義的で自己目的的な労働という宗教倫理観に繋がる。そんな「天職」を信じて働く有能な人間がいたら、会社(経営者)にとってはうれしいだろう。その嬉しさは自らの業績や富にとって有益だからというのが大半かもしれないが。
 もっとも、「会社が神様仏様のもの」と言う経営者がいても、その神様仏様は「イエの」という限定がつきやすく、普遍性・社会性を導くには遠い。
 まして「会社は社員のもの」といってはばからなければ、自社の正社員のみを眼中におき、それを支える非正規労働者たちや途上国、地球環境など頭に浮かばないだろう。
 無所有・下座・懺悔奉仕を信奉し、便所掃除の取り組んだってこんなことを起こしたりしているのだ。
 トイレ掃除は、(「トイレ=ネガティブな場、を磨く自分」を受け入れるために、それまでの自我を揺るがさなくてはいけないので)個人レヴェルで自我を崩して新しい思考・思想を受け入れさせ易くし、会社などの組織のイニシエーションとして利用できる。
 しかし、これ以上トイレ掃除をさせる会社・組織が増えても会社バカを増やすだけ、のような気がする。
 
 




 
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by sleepless_night | 2008-01-06 10:03 | 宗教

This is Christmas,so what?

 “私はクリスマスの夜は必ずミサに行く。乃木坂に近いある女子修道院にクリスマス・イブを送るチャペルがある。
 家族だけでなく“キリスト教”に関心のない友人たちも連れて行く。その友人たちが隅の席で困ったような、しかし満更でもない表情をして座っているのを見るとおかしい。
 ミサがすむと、その由修道院では修道女たちが熱い紅茶やケーキをご馳走してくれる。
 「どうだった」
 と無宗教の友人にケーキを食べながら問うと、彼等の何人かは、
 「一年に一度ぐらい、こんな夜があっていい」 
 という意味のことを答える。”
       『心の航海図』遠藤周作著(文春文庫)

 “この国のクリスマス・イブは“ファックの日”。“イブなんだからして当たり前”。この日にSEXしないほうが恥ずかしいという、キリスト教の人からすれば、なんともうらやましい日になっているのでした。”
       『女子の生きざま』リリー・フランキー著(新潮OH!文庫)

              *

(1)ファースト・クリスマス 
“切支丹の夢が覚め切れない日本では兎角に基督教が異端扱ひされて、耶蘇というと舶来の穢多のように毛嫌ひされる。其の中でクリスマスだけは不思議に人気を集めて信者でない方面にまでも流行してきた。パパさんママさんと児供に呼ばせる家庭では聖誕を祝して忙しい歳暮にノンビリした春の魁けを味はせる。…今は片山里の児供迄もクリスマスが待たれてをる。俳句の季語となつたほど日本の生活化して、銀座や日本橋の商店がクリスマスの装飾を年中行事はおろか、郊外の淋しい町の玩具屋の店先にまでクリスマス御進物の建札を見掛ける。夫程クリスマスは年々盛んになりて、教会へ行く者が一人も無い家庭でも聖樹を飾って児供と共に無邪気な一夜を面白く遊ぶ風俗が次第に殖えて来た。”
 と、明治中期のクリスマスを評論家・内田魯庵は描写した
 明治7年に裃姿のサンタクロースを登場させ、初めて日本人がクリスマスを主催してからすぐ、キリスト教会や学校を拠点に、商店街を通じ、クリスマスは日本の年中行事へ浸透した。
 
(2)
①1%

 リリー・フランキーさんに指摘されるまでもなく、クリスマスは多くのキリスト教にとってイエス・キリストの誕生を祝う宗教上の祭儀だ。
 だが、明治に内田魯庵が言ったように、平成にリリーさんが言うように、そして文化庁も言うように、日本人にキリスト教徒は全国諸宗教団体申告の信者総数でも約1%しかいない。(ただ81年のNHKの宗教意識調査ではキリスト教徒を自認する人は若干多く約2%で、12%が何らかの親しみを感じている)
 明治6年(1873年)にキリスト教禁教の高札が撤去されてから、既に140年近くが立とうとし、その間に膨大な人的・物的資源が投じられたのにもかかわらず、キリスト教は「1%の壁」を破れない。
 その間、新宗教の中には一団体で公称1千万人の信者を抱えるまでに成長したものまで有る。

②温暖湿潤気候 
 キリスト教布教はなぜ失敗したのか。
 “キリスト教の土着化をめざすいくつかの方向がすでに明治期に現れ、あるものは孤立におちいり、あるものは埋没に堕するなど、土着化は多難な道程を辿った。政治的には禁圧→黙認→公認という過程の中で土着化の阻止条件は後退したが、他方、文化的には、さまざまな文化機関の発達により教会が西洋の思想と文明の橋頭堡である性格を薄めていくに従い、日本社会一派の文化レヴェルとの落差も縮まり、落差から小慈雨べきエネルギーも乏しくなって、土着化の推進条件はその力を弱めた。こうして、キリスト教の種が落ちた日本の土壌は、土の薄い石地、いばらのふさぐ地であって、所詮、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ良い地ではなかったのではないか、との感を深くせざるを得ない。”
 森岡清美(東京教育大名誉教授・社会学)さんは、キリスト教の日本における受容・土着化についてそう述べる。
 これは、遠藤周作が中期の代表作『沈黙』で“「たずさえてきた苗はこの日本と呼ぶ泥沼でいつの間にか根も腐っていった。」と棄教した宣教師フェレイラに言わせ、切支丹を取り締まる井上筑前守に“「土の違い、水の違い」”と言わせたもの。初期の作品『白い人』で妻帯した元神父デュランに“「腐った国、黄ばんだ人種」”と呼ばせたもの、そして晩期の代表作『深い川』で大津に“「ぼくはこの国の考え方に疲れました。彼等が手でこね、彼等の心にあうように作った考え方が…東洋人の僕には重いんです」”といわせ、遠藤が作品で一貫して描き・追求してきた、日本の湿潤な土壌と西洋の乾堅な文化(キリスト教)、といった視点と重なる。
 日本の「風土」に西洋のキリスト教は育たない。この140年は無駄な努力だったという解釈。
 
③歴史と展開
 1549年のフランシスコ・ザビエルの来日から約1世紀、中世日本にはキリスト教の世紀があった。
 大名の庇護の元で70万の信徒が生まれ、セミナリヨ(神学校)やコレジオ(大神学校)が作られ、日本人司祭が養成された。
 1614年の徳川幕府の禁教令から30年後、最後の司祭マンショ小西の死後、日本のキリスト教徒は各地で潜伏し、200年後の宣教師再来日を待つことになった。
 1873年のキリスト教禁教の高札撤去以前、1865年にカトリックの司祭プチジャンは隠れキリシタンと出会い、プロテスタントの宣教師バラから日本語教師・矢野元隆は洗礼を受けた。
日本における近代キリスト教の出発点だといえる。
 プロテスタントは禁教の高札撤去以前から宣教師を60人投入し、宣教準備に当たらせていた。すでに布教が行われていた中国語のテキストを使い、日本人の協力を得て日本人用の書籍を作成し、言葉を習得し、医療奉仕や教育活動を始めた。
 72年には日本人による初のプロテスタント教会も生まれ、禁教下でも信者が増加した。
 73年後も、キリスト教は公認されたわけではなく、1884年まで神仏以外の葬儀が禁じられ(自葬禁止)、1899年の内務省令まで宗教としても公認されていなかった。公認後も国家神道の整備により制約を受け、結局、1945年の敗戦後までキリスト教は政治的に抑圧されていた。
 壬申戸籍から戸籍には所属神社が記載され、1906年には神社へ公費から供進され、生徒の神社強制参拝が行われるようになる。
内村鑑三の不敬事件に代表されるようなキリスト教信者の教員の辞職や免職や1899年の訓令12号でキリスト教主義の学校から徴兵猶予と上級学校関進学の特権が剥奪された。
 文化的には、講演会の妨害など、反論本の配布が仏教側から行われたり、祭りのときに教会や信徒の家が壊されたりした。特に真宗の強い北陸ではキリスト教排除運動が行われ、門徒が地域から布教を締め出す盟約を結んだり、法的根拠なく埋葬を拒んだりが行われた。
 その政治的・文化的逆風のなかプロテスタントは当初、教派の垣根を越えて布教に当たろうと超教派団体・日本基督公会が設立された。だが、禁教高札撤去後、各教派は各自の宣教会へと動き、50個の公会は大きく3つに分かれていった。
 明治末までにプロテスタント信徒数は全体として8万人を、教会は600を超えた。発展は単調ではなく、18 72年ごろに少数増加軌道に乗り、83年~89年ごろに横浜発の大リバイバルにより爆発的に増加し、90年ごろからリバイバルの反動と初期指導者の死、反欧化主義・国粋主義の中で停滞し、93年ごろには甚だしい停滞、1899年ごろからキリスト教圧迫に対抗してリバイバル運動が起き再び急増し、沈静安定期へと向かった。(カトリックは明治末までに4万5千、正教は2万5千まで増加)
 昭和初期にはプロテスタント約20万、カトリック9万まで増加した。 
 1930年代末、戦争へ突入するなか、キリスト教は成長を止められる。
 1939年宗教団体法により40年にプロテスタント諸派は明治の初めに実現し損ねた超教派の統一組織・日本基督教団が結成される。明治神宮を参拝し、礼拝で宮城遥拝し、君が代を歌った。1月25日のクリスマスは、大正天皇の誕生日・天長節のために、他日に移して祝われた。
 戦後、GHQの協力もあり、宣教が再び力を入れられ、急増、1960年までにカトリック32万、プロテスタント40万まで増加。
 そして、「1%の壁」で現在まで立ち止まっている。

 信徒層も一律ではなく、初期は殆どが没落士族であり、僧侶や上昇的豊商も加わった。明治中期から社会解体が進み、小資本家や豊農などのブルジョアが加わり、やがて都市のホワイトカラーが加わっていった。信徒層の変化にかかわらず、キリスト教は一貫して新しい文化への関心が高い知識人によって支えられてきた。

④メイド・イン・ジャパン
 “キリスト教そのものは受け入れても、教えの運び手は拒絶したということ”
 “土着運動の信者にとって、キリスト教はいまや日本の宗教なのである。”
  マーク・マリンズ(上智大教授・宗教社会学)は、「主流派」キリスト教やその研究者たちから無視されてきたカリスマ的準教祖に指導され、日本文化と聖書の双方の多元性の中から生まれた小規模なキリスト教土着運動・教団の分析を通じて日本人のキリスト教に対する姿勢をこう述べる。
 “独立したキリスト教運動の創始者にとって、宣教師が移植した伝統は利用価値のある情報源ではあっても絶対的真理とはほど遠いものだった。”
 近代日本キリスト教の草分けの一人内村鑑三は清教徒主義とクエーカーの影響を受けながらも、日本在来の伝統とキリスト教を断絶したものとせず「過去のキリスト教化」を通じ西洋人宣教師と対立し、士族階級の倫理観をキリスト教に適用し、宣教師の教会を中心とした布教形態ではなく、講堂などでの非聖職者による講義・雑誌・学術研究での布教という無教会運動を創始した。
 横浜バンドの宣教師から洗礼を受けた村松介石は儒教や新神学や高等批判の影響を受け原罪や三位一体や処女懐胎などを否定した万教帰一の立場にたつ道会を明治末期に開いた、メソジスト派の教会で受洗しドイツ改革派の東北学院で教育を受けた河合信水も儒仏の教えをキリスト教に統合することで豊かさを増すと考え、研究と瞑想の末に、救済者としてのキリストを信じるのみならずその遺志を実践するための修行の必要を訴え、昭和初期に郡是製糸株式会社(現:グンゼ株式会社)敷地内に基督心宗教団を開き、教育部長を務めた。
 第一期土着運動の主体は士族的出身者であり、儒教的な知識と自己修養をキリスト教に持ち込み土着化させた。
 第二期土着運動は第一期と大きく異なる。
 メソジスト教会の牧師の次男に生まれた村井じゅん(「屯」のした二「二」)は青山学院中退後自殺を試みたときに聖霊の存在を感じ異言を発し、キリスト教宣教に向かい、天啓史観とペンテコステ(個々聖霊の働きを強調し、その証拠としての異言や奇跡・癒しを重視するキリスト教)的、現世利益的な特徴、聖職者と信徒の役割分離した組織を持つイエス之御霊教会を開いた。ホーリネス教会の宣教師だった大槻武二は満州で「キリストと出会い」、「御名を呼ぶ」ことで生ける神と出会い奇跡と神癒を得られるとする信仰、イスラエル再生のために祈りと援助活動、聖職者育成にも力をいれる聖イエス会を開いた。無教会運動に影響をうけるも、主知主義的な姿勢に不満をもった手島郁郎はそのペンテコステ版ともいえる原始復員運動・キリストの幕屋を開き、原始キリスト教再興の観点からユダヤ教・イスラエルの伝統を重視し、同時に日本文化とのつながりをもとめ記紀なども高く評価し国家主義的傾向をもった。
 第二期土着運動は、西洋の教会・行政組織に類似した形態を採る一方、主流教派が軽視した日本人の民族宗教的な関心からの聖書を解釈を取り入れ、先祖崇拝・生者死者との相互影響を配慮した(死者の救済など)。
 これら土着化がなされた運動・教団は、ほとんど衰退してしまい、“日本においてきり巣今日への反応がみられないことと、キリスト教が土着化に失敗したことに関連があるという説明は、観察された事実と一致しない”し、“土着化が成長に対する「治療法」”であるとも言えない。
 一方でキリスト教布教が「成功」した韓国の事例をみると、土着化した韓国キリスト教は日本の第二期土着化運動と同様にペンテコステ派で、“キリスト教化した坐堂の宗教”といわれる。
 同じように、仏教儒教の伝統を持ちシャーマニズムが強く残る国でキリスト教が成否を分けたのには、韓国にとってキリスト教は植民地支配の抵抗・解放者として受け入れられ、日本にとってキリスト教は西洋というアイデンティティを脅かすものと結びついて受け入れられるという“どんな布教戦略家の手にも負えない状況”が隠れた次元としてあったのではないかと指摘する。
 
(3)余暇の消費
 “人間が本当の「余暇」を持つことができるのは、彼自身の力をふりしぼることによってではなく、むしろ恵みによって、いわば忘我の状態においてである、といいましたが、秘蹟が人間に対して及ぼす影響力がまさにそれです。
 人々はまさしく秘蹟によって「魅了され、魂を奪われて」神へと心をささげるのです。このことはクリスマスのミサのなかの一説で明らかに言い表されています。「私たちはいまこの目で神をうち眺めることができました。願わくは私たちが目に見えないものを愛することできるように高めてください」”

 ヨゼフ・ピーパー(ミュンスター大名誉教授・哲学的人間学)は現代と古代ギリシア・中世スコラ学の労働と余暇の概念を通じて、現代社会は労働(理性)に支配され余暇を喪失し、それが人間の尊厳や安らぎを奪っていると訴える。
 これは通俗的な「余裕有る暮らし」を訴えるものではない。
 ピーパーは古代・中世の哲学で、認識が、探求・比較・証明などの緊張を伴う「理性」とその基礎の上で直感的受動的な観察を得る「知性」、訓練によって断片的な認識を得る働きとそれを超えて全体を認識する働き、に分かれており、近現代は労働(=「理性」)を偏重し人々から真の自由(それ自体に目的を含む完全な自由)を奪っている。そして、労働(=「理性」)偏重は、苦労・困難を自己目的化して、休息までも労働への回復に位置づけられ、安らぎを奪っていると考えている。
 “人間が彼固有の尊厳にふさわしい生き方を放棄してしまうこと、それが「怠惰」の意味でした。言い換えると、それは神の意思に従った生き方をしないこと、人間が真実の、そして究極的な意味での自分自身であろうとしない、ということです。”
 現代人が労働の支配から余暇を守り・実現するためには、ヒューマニズムのみでは不十分であり、余暇の本質である解放・一体感による安らぎ・肯定感をもたらす祝祭、それに不可避に含まれる礼拝を持つことだとピーパーは述べている。
 
 遠藤周作は、冒頭の引用の続きでこう述べている。
 “「こんな夜」というのはどういう意味だろう。
 推定するに毎日、生活ために働かねばならぬ我々が、生活を超えた「心を清められたい」願望を充たしてくれるような夜のことを言うのだろう。(中略)そういう日が人間に一年に一日ぐらいあっていいのではないか。それは別にキリスト教でなくてもいい。昔の日本人にとって元旦のような日が。”(遠藤は「生活」と「人生」を分けて考えている。)
 
 ピーパーも遠藤も、宗教学で言うところの世俗化を嘆き、聖性の必要性を述べているが、その宗教(社会)学では「近代=世俗化の進展」という予想(P・バーガー)は既に外れたものとされている。
 島薗進(東大院教授・宗教学)さんはそれを“社会の個人化と、個人の宗教化”と表現し、宗教(性・的なもの)は教団といった組織を通じてではなく、個人化した形で現れていると指摘する。(スピリチュアリティ、新霊性運動)
 
(4)ラブホのチカラ
 “裏通りにこっそりとあるならともかく、真昼の光を浴びて町の中に立ち並んで言うラブホテル群や、堂々と幹線道路の脇に並びサーチライトでその存在を誇示し、盛り場の夜をネオンサインで彩っている。(中略)自分たちのセクシャルな行為については、日常生活では切り離して考えたいと思う一方で、これほどストレートにセックスと結びついたハコモノが日常的な風景の中に点在している(場所によっては群生している)ことを、意識しないでいるのはとても不思議なことだ。”
 鈴木由加里(東洋大非常勤講師・現代文化論)さんはラブホテルという日本独特の存在を通じて日本人のセクシュアリティに働く力を“射精重視の風潮やアダルトビデオなどの影響を受けた定式化された性行為を、恋愛の公式にあてはめてしまうことに、疑問を抱かせな”くし“<わたしたち>にそこで演じるべき恋愛役割や行うべき行為を割り振ってくれる”ものと分析する。
 ラブホテルは江戸時代の出会い茶屋、料理屋、明治の待合(娼婦と性交場所)、戦後の連れ込み(温泉マーク)を経て昭和30年代に郊外のモーテル・都心のアベックホテルから昭和45年以降(1970年代)に確立したもので、昭和55年以降(80年代)のディズニーランドの影響を受け現代のラブホテル観(過剰な概観装飾・鏡・回転ベット)を生み出した。
80年代は、射精産業やAVとともに「物語消費」に適応する身体を生み出し、その「物語」の典型が恋愛だった。そして、「物語」だから初体験をラブホテルですることに抵抗感がある。

(5)クリスマスの宿題
 “新霊性文化が個人主義的な考え方を尊んで共同体の形成を好まず、商業主義や消費主義に適合的であることはたしかである。”
 
 70年代以降のラブホテル確立と新霊性運動は一致する(恋愛と宗教という「物語消費」)。
 クリスマスがラブラブな(運命の)彼・彼女とのイベントだと(まで)認識するなら、それはクリスマスのラブホテル版といってもよい。運命とまでいかずとも、大切な・特別な日として利用するならば、そう言えるだろう。
 (“一年三六五日が恋人たちのためのクリスマスというコンセプトで作られているラブホテルも存在している”)
 
だが、(1)の内田魯庵が描いた明治のクリスマスはいったい何なのだろう。
祭りには聖俗交歓・公式的な祭儀と聖俗融合・非公式な祝祭があり、時間がたつにつれ後者が強調されて残る。日本の祭りは大きく、先祖祭祀・農耕儀礼に別れ年中行事として続いてきたが、特に先祖祭祀については(2)④で述べたように日本人の宗教にたいする姿勢として強く存在してキリスト教土着化に影響を与えてきた。
ただ、明治・戦後の人口移動は農業人口を減少させ、都市部に移った人々を先祖(父系の代々の集合)から切り離したことで、日本の年中行事を大きく変質させたことも確か(先祖観の変化:父系代々の集合→双系の曽・祖・父母)だ。
しかし、移植文化は移植先とまったく異質・逸脱したものならば、移植・土着化ができないこともキリスト教土着化からも示されている。
とするなら、日本はクリスマスを受け入れる素地を持っていたと考えられる。
 これがいったい何なのか、今晩暇な人は考えて、わかったら教えてください。
 
 キリスト教徒の人々へ Mrry Christmas.
 それ以外の人々へ、Safe sex.




引用・参照)
 『日本の近代社会とキリスト教』森岡清美著(評論社)
 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』マーク・R・マリンズ著 高橋恵訳
                          (トランス・ビュー)
 『余暇と祝祭』ヨゼフ・ピーパー著 稲垣良典訳(講談社学術文庫)
 『ラブホテルの力』鈴木由加里著(廣済堂出版)
 『スピリチュアリティの興隆』島薗進著(岩波書店)
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by sleepless_night | 2007-12-24 10:15 | 宗教

「麻原だけは許せません、ではお知らせです」/普通のオウムと2億1千万の普通

 平成12年度、文化庁によると、日本の人口は2億1千万人を超えている。 

 “わかりにくいかもしれないけど、オウム以外のことについては、全くごく普通の人達ですよ。麻原さんやオウムの宗教観の話をしなければまったく普通の人たちですよ。たとえば私の友人が実はオウム信者だったとしても、何の不思議も思わない。そういうものです。そういう大前提は結構知られていない。”
 “松永さんだけじゃなくて、サリン撒いた人達もいい人なんですよ。これは烏山の講義なんかでも言って嫌がられたけど、それが極めて大切であって、サリンを撒いた人たちもいい人たちなんです。オウム事件の本質で一番こわいところは、いい人達がとんでもないことをやったということ。救済のためにサリンを撒くまでした、坂本一家も殺した、滝本・私も殺そうとしたというところが恐ろしいんで、「悪意の殺人は限度があるけど、善意の殺人は限度がない」、そこが一番の恐い本質ですね。”
     滝本太郎 (弁護士・日本脱カルト協会事務局理事)
     http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html#more より


 実家のある地元で神前、今住んでいる都市のプロテスタントの教会で式を挙げる。
 子供が生まれるとお宮参り。
 町内会の会費から神社へ寄付。
 子供が受験をするときは、密教系の寺院で護摩祈願、有名な神社で御札。
 受かった学校が新宗教系。
 マイ・ホームを建てるときは地鎮祭。
 実家が檀家になっている浄土系の寺院で法事。
 厄年に神社でお祓い。
 近くに買った墓地は禅系の寺院が運営。
 保険のつもりで戒名。 
 
 墓地を持つ寺院は、墓地を守らなくてはならない。
 寺院を守るために、墓地を守らなくてはならない。
 守るために、妻と子の存在が有利になる。
 寺務の手伝い、檀家の対応、安定的な後継者。
 宗教から家業へ。
 門を閉ざし、墓地管理、斎場経営、さらに駐車場経営に勤しむ。

 江戸時代の寺請制度、明治時代の廃仏毀釈、神社合祀。
 統治権力が宗教組織を組み込むことで民衆支配を徹底する。
 組み込まれた宗教組織は権力から保護を与えられる。
 対象としていたはずの民衆を置き去りに、統治権力と宗教組織のもたれあい構造内部の富と力だけが肥満する。
 肥満した組織は内部で窒息し、内実が腐敗し、無力化し、構造だけが残った。

 残存する過去の構造が、新しい構造を生み出す意欲も余裕も無くす。
 2億1千万人の普通が、民衆への意欲も余裕もない家業を支え続けている。

 家業でしかない寺院は、「風景」と化する。
 存在は知っているが、そこが自分に関係する場所だとは認識されない。
 
 “「一つだけいえるのは、どんな意地悪な質問にも尊師は逃げないんですよ。きちんと正面から答えていて、ああ、この人は本物かもしれないと思ったんです」”
 2億1千万人が支える「風景」を通り過ぎて、荒木浩さんは入信してしまった。

 ごく普通のいい人たちが「風景」を通り過ぎて、入信し、数々の犯罪を実行・加担し、今も“真理”を信じ続けている。

 サリン事件から10年以上が過ぎ、「風景」は変わらない。
 
 “(ワイドショーの)下ぶくれの司会者が「彼女には勇気をもって現実を見つめ、オウムの悪夢から一日も早く目覚めることを願っています」と目元を潤ませながらまとめ、「それにしても麻原だけは許せません、ではお知らせです」と通信販売のCMが流れ始める。”

 ほんの一時期、「オカルト」ものの番組が「自主規制」されただけで、CMの間に流れる番組には“いい人達がとんでもないことをやったということ”の理解・思索の影すら見えない。
 “「ではお知らせです」”と言うことで躊躇いなく全てが切り替わる。

 
  宗教に寛容なのではない。
 “日本人は宗教を軽蔑しているくせに、無知です。滑稽なことです。”(橋爪大三郎・東工大教授 社会学)

 “私たちの内なる宗教を認めず、宗教は私たちの外に存在するかのように振舞う、その主体性のなさは危険だ。”
                                 (上田紀行・東工大助教授 文化人類学)

 誰でもなくするための「みんな」の問題ではない。
 2億1千万人の1人である、私の問題であり、あなたの問題。
 宗教という、1分の1の問題。
 
 それが理解されない限り、きっとまた、何があってもいい続ける。
 “「ではお知らせです」”と。
 
 そして、2億1千万人の「風景」は変わらない。
 
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by sleepless_night | 2006-05-11 23:44 | 宗教

ふさわしい場所

 戸塚ヨットスクールの事件は、田口修二さん(※)の事件を思い起こさせます。

 もし、戸塚の事件がサリン事件の後なら、マインド・コントロールや洗脳と騒がれたでしょう。
 急襲して施設に連れ込み、丸坊主にして、暴力を与えて無力感に突き落とし、限界においつめて、新しい信念を与えると言うのは洗脳です。
 民主党は日本をあきらめてはいかが?で述べたように、マインド・コントロールや洗脳は宗教としては普通になされます。
 また、教育という過程をマインド・コントロールと表現することもできます。
 しかし、宗教で使われるマインド・コントロールや洗脳とマインド・コントロールとしての教育はベクトルが基本的には正反対です。
 宗教では、私たちが生活している社会を超越した価値や世界観を持ち、それらを体得させ・深めるために使います。
 教育は、私たちが生活している社会、軍と警察に暴力が限定された社会、で生きることを教える過程です。
 
 戸塚さんは、学校ではなく、宗教をつくるべきだったのかもしれません。
 四人の命を失ってなお、失われない彼の信念は宗教にこそふさわしい、と私には思えます。
 
 “「体罰のこつは、『進歩、進歩』と考えながらやることだ」”
  http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY200604290123.html

 体罰という名の暴力を振るう側に、進歩はあるのだろうか。


 ※)田口修二さん。オウム真理教の出家信者であった時、教団に疑問を抱き、脱会を申し出たが、却下される。富士道場での独居修行を指示され、事実上の監禁をうけ、殺害される。
 http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-11.html
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by sleepless_night | 2006-04-29 21:07 | 宗教

大峰山「炎上」について

 世界遺産に含まれ、修験道の修行場として女人禁制を現在でも維持している大峰山に、伊田広行(大阪経済大学教授訂正:立命館大非常勤講師)とトランスジェンダーなどの性的マイノリティの人々が登ろうとした(以下「大峰山に登ろうプロジェクト」)件について、気になった点を述べておきます。

 参照 伊田広行さんのブログ http://www.tcn.zaq.ne.jp/akckd603/page5.html
     内田樹さんのブログ http://www.tatsuru.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1355
朝日新聞http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200511040017.html

 「大峰山に登ろうプロジェクト」の概略。
 大峰山が女人禁制を維持していることに対し、禁制の開放やそのための問題提起を目的として、性別を問わずに様々な人々との大峰山登山を企画した。企画意図を理解してもらうために予め31項目の質問・提案書を大峰山の寺院に送付したが、寺院は登山中止を求める以外の回答をしなかった。登山予定日の11月3日に企画参加者35名が登山口に集まった。地元住民で信徒の男女約100人も集まり、35名に対して伝統や信仰を根拠に入山をしないように要請した。信徒男女100人いたが応対したのは総代で区長の桝谷源逸さん一人で、他の人とは話ができなかった。質問・提案書も住民へは渡せなかった。議論が成立しないまま信徒側が解散。企画参加者のうち3人が入山した。

(1)個人的領域と自由主義の問題。
 ① 大峰山には公道が通っており、その道を女性であることを理由に通行することを制限することは許されるのか。
 寺院敷地内や寺院や信徒所有の土地内に、女性が入ることを伝統や信仰によって制限することならば、憲法20条と22条1項の対立、14条違反の問題と解釈することができる(正確には、私人間の紛争なので不法行為の内容として違憲性を考える)。
 しかし、「大峰山に登ろうプロジェクト」は公道がある大峰山を登ろうという企画。
 したがって、法的には住民信徒側には女性の入山を制限する権利は認められない。
 よって、もし法的に争うことを考えるならば、寺院や信徒住民には、所有敷地周囲についてまで自己の伝統や信仰を根拠とする権利を主張できか否かが問題となる。
 ここでそのような権利として、村落などの地域共同体が伝統的・慣習的に河川や漁場や山林を利用することを法的に認めた入会権が考えられる。
 しかし、入会権は財産的な権利であって、伝統や信仰などの思想・感情をもって所有権のない財産の排他的な利用を保障するものではない。
② 仮に信仰や伝統の類似的入会権が認められたとしても、その権利をもって女性であることを理由に一律の入山禁止を主張できるか。
 信仰は憲法20条1項によって保障され、その権利は憲法上きわめて尊重される地位にある。
 そして、信仰の内容、是非については法律が関与するものではない。
 しかし、信仰の権利といえども、多様な思想信条を持つ多数人が構成する社会にあっては無制限なものではなく、対立する権利との間で制約を受ける。
 さらに、既述したように、問題となっている場所は大峰山の寺院・住民信徒の所有地ではなく、信仰や伝統を根拠とする類似的入会権によって保護されるにすぎない。
 また、伝統についても、伝統を伝統であることのみに以って擁護することはできない。
 結論を理由に用いては、理由を述べたことにはならない。問われるべきは伝統か否かではなく保護されるべき伝統か否かという内容についてであり、これは多くの伝統は伝統となり維持される過程で変化をしてきていることでも理解される。
 つまり、類似的入会権という権利を認めた上でも、権利の性質から考えて、同権利の行使には多分に制約があると考えられる。
 制約の基準としては、類似的入会権の維持に不可欠か、権利の行使が他の権利を相当程度以上に制約するものではないか、の2点が考えられる。
 女性を一律に入山禁止とすることが信仰や伝統の核心から見て不可欠かについては、大峰山の寺院・住民信徒側はその理由を可能な限り提示する必要がある。
 その際に、男性であれば娯楽目的でも入山できている現状をいかに考えるのかも示される必要がある。
 また、過去に部落出身者の入山を禁止していた伝統があったなら、その点について現在は開放しているにもかかわらず、女性の禁止を解かないこととの関係も示される必要がある。
 これらを示せた上でも、世界遺産・国立公園としての公共性、公道(入山)の一律の通行禁止という措置が類似的入会権の保護を超えていないかは疑問といわざるを得ない。公道を女性が通行することを一律に通年で禁止する権利を一宗教法人やその信徒に認めることまで法的に認めることは、憲法20条1項の「特権」を与えることに該当する可能性がある。
 類似的入会権の行使として相当程度に入るのは、女性が露出の多い格好をしないことや、時期・時間帯を制限すること、みだりに声を出してはいけない場所を定めること、が限度だと考えられる。
 14条については、(3)で述べておきます。


 (2)「大峰山に登ろうプロジェクト」の疑問点。
 ①目的と手段。
 大峰山の寺院や信徒住民に向けての質問・提案書の内容には、やはり問題がある。
 何が問題かというと、質問・提案書を読む側が理解・受け入れられる知識・情報を考えて書かれたものだとは、とても思えない点です。
 まず、妥当だと言えるのは以下。
 質問1(女人禁制の理由、伝統となった理由の質問)
 質問13(過去の部落出身者の入山禁止を解除した理由)
 質問15(登山やハイキングなどの男性入山と女性の一律禁止との整合性)
 質問28(一部公道である登山道の交通を制限することの問題)
 質問29(女人禁制に関する関係者の意識把握)
 質問30(禁制解除の条件)
 質問31(意見交換・勉強会の提案)
 
 これ以外がなぜ妥当ではないと考えるのか。
 質問2~12で性別変更・性自認・女装男装・閉経に関係した質問。
 質問14で犯罪者・異教徒・障碍者に関係した質問。
 質問16~18で修行者のセクシュアリティに関係した質問。
 質問23で人間以外の生物のメスについての質問。
 質問24~26で宗教と差別に関係した質問。
 は、問う者と問われる者との間に一定の信頼関係や友好関係ができて、表面的な言葉尻を捉えあうことがない段階でなければ、質問の実りはないと考えるからです。

 質問2~12について、性別変更や性自認の問題を持った人がいて、その人と信徒住民や寺院の関係者が接して、話ができた上で為されなければ、問われた相手は言葉や思考の遊びやいやがらせにしか思えない可能性が大きいことは想像に難くないはずです。
 信徒住民も寺院関係者も人情はあるし、人が人と話せば情は湧くでしょう。
 どうみても女性だと思い、女性と話していると思ったのに、実は男性だったと言われれば驚いて事情を知りたいと思い、問いかけるでしょう。手術もして、戸籍も変更したといった話や、その過程の苦労を知れば共感や理解への動機もおきる人は少なくないはずです。
 しかし、そういった手順を抜かして、いきなり自分の事情に立った質問をいくつもぶつけられれば、理解できない部外者としか受け取らないのは無理もないことだと思います。
 相手にしているのは、大学で社会学を学んだ人間ではなく、変化が穏やかで慣習が残る地域で父祖の代からの知り合いに囲まれて生活してきた人たちではないでしょうか。周りには、性別変更をした人や、自分の性自認に苦しんでいる(それを表明している)人はいなかったでしょうし、ジェンダーという言葉さえも知らないかもしれません。
 
 質問16~18で修行者の性生活や山内での性行動についての質問も、会話もできない相手にしても実効的なものだとは考えられません。
 いくら質問する側がセックスやマスターベーションを恥ずかしいことでもないと考え、真面目に問いかけても普通に答えが返ってくる可能性は低いことは想像に難くないでしょう。
 相手は、社会学を勉強した人間ではないのです。
 セックスやマスターベーションの話は、飲酒でもしてふざけてはなす程度でしょう。
 普通の人と、しらふで性の話ができる関係になるまでに、どれだけの時間が必要かを考えているとは思えません。質問23は、補足説明が無ければ馬鹿にしているのかと、多くは受け取るでしょう。 
 質問24~26は、大峰山に限らず、宗教にとっては厳しい問題です。
 寺院の関係者にそれをぶつけるのはよいとして、一般の信徒へぶつけることで何ができるのでしょうか。地域の伝統と深く結びついている(宗教というよりも宗俗に近い)だけに、信仰を選び取った場合と同様に自覚的に宗教問題を考え・学んでいる割合は少ないのではないでしょうか。
 一般の信徒もこれらの諸問題を知る必要・考える必要はあります。
 しかし、話もしたことがない人から聞かれて直ぐに答えられるものでも、考えようと動機付けられるものでもないでしょう。

  達成したい大切な目的があるなら、どうして、目的の重要さに比例した慎重さを手順にかけなかったのか疑問です。
 話がしたい、対話のきっかけとしたいというのなら、どうして時間をかけて融和的な状況を作らなかったのか。現状がいかに「間違った」ものであっても、それを直ぐに変えることはできないし、現状に生きている人たちにはそれなりの居心地のよさや安心感があります。「大峰山に登ろうプロジェクト」の考えはそれらを脅かす内容なのですから、せめて手段や手順は安心感を与えるようなものであるべきだったのではないでしょうか。
 この質問・提案書の内容では、踏み込みすぎて、相手を萎縮させてしまう、考える精神的余裕を与えずに退却させてしまうとは予想しなかったか。 
 あせらなくてはならない問題があったのか。

(3)対応
 寺院や信徒住民側の対応について。
 まず、寺院は(2)で妥当とした質問、さらに宗教者として質問24~26には答えを出さなくてはならなかったはずです。
 宗教の内容も形式も、宗教の定義にいまだ争いがあることを考えれば、独自のものであることはなんら問題がないが、宗教法人としての公的性質や公道の通行を制約していることを考えれば、誠実な専門家としての対応をしなくてはなならなかった。
 現在、さまざまな地域の宗教の現場では、これに類した問題が生じていることは、少なくとも寺院の代表や公報担当は知っていなくてはならないし、それが決してふざけたものではないことも理解していなくてはならないはずです。
 また、観光の資源として女人禁制を維持したいとう気持ちが微塵でもあるのなら、その口から出される「信仰」や「伝統」に、フジテレビ・ニッポン放送が持ち出した「公共性」へと向けられたのと同じ嘲笑が浴びせられて然るべきです。
 信徒住民には、(2)で述べたように、同情を感じる部分もあります。
 しかし、区長のような公職にあるものが、「差別ではなく区別だ」といった程度の認識で「プロジェクト」の訴えを流したのならば是認されるべき態度ではないと考えます。(補足的な説明⇒区別と差別
 「差別」と「区別」の違いを、憲法14条の解釈と重ねて考えると、「差別」とは14条違反の差異的取り扱い、「区別」は合14条の差異的取り扱いだと考えられます。
 つまり、平等原則を定めて「差別」を禁じた14条が示しているのは、一切の差異的取り扱いを禁止ではなく、不合理な差異的取り扱いの禁止です。
 そして、例示された「人種、性別、社会的身分、または門地」による差異的取り扱いは、歴史的に理不尽で苛烈な差別の結果を生み出してきており、これらを基準とした差異的取り扱いは不合理であり「差別」である蓋然性が高いことを示しています。
 大峰山の女人禁制は、男性については条件を課していないことから、性別のみによる一律の通行禁止で、「差別」に該当します。
 それをわかっている、議論をすれば分が悪いとわかっているから、対話をせずに、ひたすら頭をさげて済ませようとしたのでしょうか。
 しかし、それは何も解決しませんし、正面から向かい合って相手の意見とぶつかり合って自分の意見を確認・発展・修正していかなければ、これからも同様の問題で同じように頭を下げ続けることになります。放置は衰退を自ら招くようなものです。
  

(4)反応と誤解
 この件への反応に限らず、フェミニズムやジェンダー論には感情的な反発と曲解が多く見られます。
 事実ではない事例をジェンダー・フリーの結果だとしたり、ジェンダー・フリーを誤解したり都合よくつかう人を見てジェンダー論自体に怒りを転嫁させたり、ラディカルな議論を見てジェンダー論の全てを却下しようとしたり、何を怖がっていのか分かりませんが、落ち着いて情報を集めて考えた形跡なく反射的に否定しようとする人がいます。 
 それは、偽ブランドを見てそのブランド自体を非難したり、間違った着方をして動きずらいと怒ったり、ファッションショーの衣装を見てその非現実さをあざ笑うことに似ています
 その悲惨な状態に、この拙いやり方が加担してしまったのではないか心配です。
 不安定化する経済環境の中、多様な価値観や不透明な人間関係に対して、自分の不安感を慰撫し、強い自分を思い描こうと、幻想によって虚飾された過去の記憶にすがる人。自分が恩恵を受け、都合のよい部分だけを使おうとする人。
 そんな人々に、格好の誤解と曲解の材料を投げ与えてたことにならないか。

 (4)展望
 若い世代の女性の住民の中には、比較的、「プロジェクト」の話を聞こうという意思や興味のあるひともいるのではないでしょうか。
 今回も、一人だけ、区長が解散を発した後も呼び戻しにこられるまで10分ほど残って話をした女性がいたようです。
 時間とやりかたを考えれば、そのような人はすこしずつ現れるはずです。
 その人たちが、少しずつ増え、家族や友人へとゆっくりと広まった時、今回「プロジェクト」側が出したような質問や提案が信徒住民や寺院の主だった人・決定権や影響力のある人にまともに受けられるようになるのではないでしょうか。
 
 それは寺院にも信徒住民にも決して悪いものではなく、信仰の意味を問い直し、より豊かな伝統へとつなげるきっかけとすることができるのではないか。
 
 “世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい”
 
 そう信じたいと、私は願います。



 と長々と書いてみて、この件の要点は公道を制限していることで、結論としては(1)の終わりで示した妥協点を探ることだと思います。
 宗教内部の問題(当該宗教思想としての女人の「穢れ」)は全く別に、教学を中心に宗教学的問題として検討されなくてはなならないので、今回の件とは一応の区切りを設けなくてはならないでしょう
 
 それにしても、どちらかといえば大峰山の寺院や信徒住民の方が「悪い」ことをしている、権利を「振り回している」ように考えられるのですが、逆に、相手方がひどい叩かれ様です。
 「伝統」への造詣と愛着が深い方が多くいらっしゃるのでしょう。
 この方々の熱意によって、大峰山から観光客など不埒な存在はおいはらっていただけるのでしょう。 



追記) 私有か否か。
 問題となっている山上ヶ岳の道の所有権が、どこに属しているのか確実な情報を私も持ちません。
 概略は伊田さんのブログの記述、大峰山女人禁制の開放を求める会のHPの情報を前提にしております。
  なお、公道とは、所有権がなくとも、管理権が行政側にあれば公道となります。
  (会のHPの「開放の歴史」では“2004年6月 奈良県議会で「大峰山女人禁制」問題を女性差別の視点で質問。さらに、禁制区域が公道であり、道路法違反と追及。”とありますので、会は問題の登山道が道路法上の道路として公道だと認識していると考えられます。つまり、所有はどこであれ、管理権は行政側にあると認識していると考えられます。道路法4条は“道路を構成する敷地、支壁その他の物件については、私権を行使することができない”としています。 但し、この点について、道路法が一般法であり、国立公園内については優先される特別規定があるのかもしれません。 )
   
 また、言うまでも無く、国立公園であることから、その管理には、道路補修も含めて、税金が使われています。
 したがって、(1)で述べましたように、私有地の時こそ権利の対立が明確に成立することになると考えられます。
 公道の場合は、(1)②で仮定したような類似の権利を無理やりひねり出さないと、寺院・信徒住民側の主張は法的に通りえないと考えます。
 (伊田さんのブログには“区長が、「私たちはとにかく登らないでほしいということは伝えました。後はあなたたちが登るのを実力でとめるようなことはしません」との旨の発言をして、「さえ、皆さん、引き上げましょう」といったようなことを言って、地元住民みながいっせいに帰り始めた”とあります。なぜ、信徒住民側が口頭要請だけ伝えて、実力を用いようとしなかったのか。邪推ですが、この対応は訴訟を可能にさせてしまわないためとも考えられます。つまり、女性に登山をさせないことを違法だとして訴訟を起そうとしても、登ろうと思えば登れる状態にしておかれると、裁判によって実現される利益がないことになると考えられ、訴えても裁判所は判断をしないことが考えられます。)
 
 

 
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by sleepless_night | 2005-11-10 21:19 | 宗教

平原綾香の「意味」

 前回は平井堅さんの『life is・・』に触れて「意味」「目的」の二つの用法について述べましたが、この二つの用法の混用という形があらわになっているのは平原綾香さんの歌う『jupiter』です。この作品の作詞は吉元由美さんという方なので、歌詞について述べる際に平原さんのお名前を出すのは筋違いともいえますが、作品自体が平原綾香さんと切り離せないような認知のされ方をしていると思いますので、間違いともいえないでしょう。

 さて、歌詞について話を進めます。「意味」「目的」の混用を示す前に、歌詞の分析をします。

 まず、出だしであり、曲の最も印象深い(これは平原さんの声によるものが極めて大きいと感じます)“everyday l listen to my heart ひとりじゃない”とあります。
 これが何故、“ひとりじゃない”のか?
 歌詞からこの理由となる部分を抜き出してみます。

 “深い胸の奥でつながってる”
 “この宇宙の御胸に抱かれて”
 が直接的なものです。
 
 さらに、“私を呼んだなら どこへでも行くわ”“ありのままずっと愛されている”“いつまでも歌うわ あなたのために”も間接的な理由と言えるでしょう。つまり、“呼んだなら”と言うことは、コミュニケーション可能な位置に“私”がいることになりますし、“ずっと愛されている”ということは、距離的にそばにいなくても、“ずっと”気にかけてくれている存在がいると解釈できるので心理的には“ひとりじゃない”といえます。これらは“深い胸の奥でつながってる”と同じことを言っていると考えてよいでしょう。距離的にそばにいなくても、気持ちの上で“つながって”“ひとりじゃない”といっていると考えられるからです。
 
 “この宇宙の御胸に抱かれて”というのも“listen to my heart”“命のぬくもり感じて”と合わせて考えると“つながって”と同じことになります。
 “listen to my heart”は心音を聞いているいることですし、“命のぬくもり”というのも心臓から送り出される血液の暖かさです。
 “宇宙”と一見関係がなさそうですが、そこで「人は地球に生まれ、地球は宇宙に生まれた。したがって、宇宙の営みと人間の営みは究極的に一致している」と言う考え、「自然の秩序と人間の秩序は同じだ」という考えを媒介すれば、心拍や血液という人体と宇宙は関係します。
 “果てしないときを超えて輝く星が出会えた奇跡を教えてくれる”という部分からも、“輝く星”という宇宙の仕組み・法則と“出会えた”という人間の営みを一致させようとする考えが読み取れます。<※>
 つまり、人間は“宇宙”とも“つながって”いると言っていることになります。

 以上から、“ひとりじゃない”のは、“呼んだなら どこでも行く”“ずっと愛”してくれるような存在がいるので、心理的に“ひとりじゃない”ことと、“宇宙”と“つながって”いるので理論的に“ひとりじゃない”と言うことを表していると考えられます。

 ここまでで、「意味」「目的」の混用の基礎が現れています。

 「意味」「目的」について述べてきた文章で繰り返していますが、「意味」「目的」には二つの用法があります。用法①は超自然的・超人間的存在(神さまのような存在)や法則の示す「意味」「目的」です、用法②は人生をコントロールできたり、意図した結果への影響力を持てたときに感じる「意味」「目的」です(例えば、試験に受かる「目的」で勉強して合格したときに、「意味」があったと感じる)。
 
 この二つの用法からすれば、“宇宙”と“つながって”いることは用法①と関係します。
 上述したように、“宇宙”と“つながって”いるためには「自然の秩序と人間の秩序は同じだ」というような考えが無くてはいけませんし、これは“輝く星”が“出会えた奇跡を教えてくれる”のですから、『jupiter』はこのような考えを持っているといえます。そして、用法①は法則の示す「意味」「目的」ですから、“宇宙”と“つながって”いるとすれば、そこで使われる「意味」「目的」も宇宙(そら)という自然の法則(現在、人間と自然の間に共通した究極的な法則は見つかっていませんから、ここでの自然とは超自然的と考えていいでしょう)の示すもの、つまり、方法①の「意味」「目的」となります。

 そして、この歌詞では正面から「意味」「目的」に触れた部分があります。
 “愛を学ぶために 孤独があるなら 意味の無いことなど おこりはしない”です。
 この“意味”とは用法①の「意味」であると考えられます。

 ところが、“わたしのこの両手に何ができるの 痛みにふれさせて そっと目を閉じて 夢を失うことよりも悲しい事は 自分を信じてあげられないこと”とあります。
 これは、明らかに用法②の話です。
 つまり、自分という小さな存在ができることは、大きな社会や歴史の観点からは小さく、「意味」の無いことであるように感じます。その無「意味」さは“痛み”を感じさせます。“夢を失うこと”があれば「目的」を失い、“痛み”はなおさらでしょう。そこで、“自分を信じて”と励ましがあります。

 この歌詞全体はキー・フレーズである“ひとりじゃない”という部分に表されるように、超自然的・超人間的な次元を表現しようとしています。
 “宇宙”と人体の“つながり”という超自然的な話と、“御胸(みむね)”や“ありのままでずっと愛されて”という明らかなキリスト(超人間的存在)のイメージの話をしています。
 しかし、同時に“わたしのこの両手でなにができるの”“夢をうしなうことよりも悲しいことは 自分を信じてあげられないこと”という一般の人生の次元、生活の次元での話しがなされています。超自然的・超人間的な話が全体としてある中で、突然に“夢”という人間的・生活的な話が出てきてしまいます。

 違った次元の話を同じ歌詞の中、それも全体を無視する形で混ぜています。
 ですから、さっと聞くと“意味のないことなど”の部分の“意味”が用法①か②か分からなくなります。

 用法①の「意味」のように、人間を超えた存在などが示す「意味」(神様のような存在が、人間の生きる「意味」は~だ、と示す)なのか、用法②のように、私達が生活するなかでやってきたことの成果が感じられたときに言う「意味」なのか、迷い易くできています。
 
 この作品の曲は、ホルストの代表的な作品で、クラシックの定番であるだけに優れたものです。歌手である平原さんの声も独特で一度聞けば忘れない面白みがあります。

 しかし、歌詞はいただけません。あまりにも安易にニューエイジ的な概念を使いすぎている上に、それを貫徹もできていません。繰り返しになりますが、“自分を信じてあげられないこと”と“愛を学ぶために”につながりが無さ過ぎます(次元の違う話を入れているのですから当たり前です)。
 さらに言うと、“宇宙に抱かれて”“つながって”いるは子宮をイメージさせます。“ひとりじゃない”状態がこれでは、子宮回帰願望と同じです。子宮から出た上で、独立した個人としての孤独感や苦しみとそれを乗り切る希望を歌った平井堅さんの『life is・・』と対称的です。
 
 『jupiter』の印象で、以降の平原さんの音楽を能動的に聴いていませんが、もう少しきちんとした作詞の作品があれば聞かず嫌いを払拭して聞いてみたいです。

<※>このように宇宙や自然の内部にある秩序や法則にひそむもの(現代の科学や医学では分かっていない。西洋的な分析思考ではなく、東洋的な全体思考)こそ、人間に必要であるという考えは1970年代に登場したニューエイジと言われる思想潮流。
 耳障りの悪くないことが多いですし、日本人には馴染みのあるようなフレーズが多いのですが、それに完全に入り込む態度は受け付けられないでしょう(これはニューエイジに限らず思想全般についての日本人の態度ですが)。
 『jupiter』はこの日本人の思想への無自覚な態度や感覚で受け入れたり拒んだりする傾向をよく表しているとも言えます。 

 
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by sleepless_night | 2005-06-17 20:37 | 宗教

平井堅に見出した希望 人生の「意味」「目的」part3

 二回連続して人生の「意味」「目的」について述べてきました。

 ここでは、そのpart2で述べた内容を平井堅さんの『life is・・』を用いてより明確に述べてみたいと思います。

 読み直すのが面倒だったり、読んで頂いてなくても大丈夫なように、軽く前二回の内容を述べます。
 まず、人生の「意味」「目的」という言葉には二つの用法があること。
 それは、用法①:超人間的・超自然的な存在や法則の示した「意味」「目的」です。具体的には、神様が人生の「目的」は~だと言った、というようなもの。
 用法②:人生をコントロールする力や意図した結果への影響力を持てたときに感じる「意味」「目的」です。具体的には、一生懸命仕事をして成功したときに「目的」に「意味」があったと言ったり、失敗した時に「意味」が無かったと言うときの「意味」「目的」です。

 そして、日常で多くは用法②を使うが、混用してしまうことがあること。また、二つの用法に基本的な共通点があるので用法①の「意味」「目的」を持ち出さなくても、人生の「意味」「目的」を持つことが出来ると言うことを述べました。


 さて、『life is・・』へ話しを進めます。
 http://music.yahoo.co.jp/shop?d=p&cf=52&id=248066

 まず、“どうして僕らはこんなに 息苦しい生き方選ぶの”とあります。
 これは、実存主義的です。息苦しいというのはネガティブな状態です。“選ぶ”と言う言葉は普通、ポジティブな状態に使います。つまり、“選ぶ”というのは自分が“選ぶ”のですから、自分を苦しめることはしないと考えるのが普通です。しかし、どのような結果や状態であれ、自分の置かれた環境で、そこで可能な選択肢を“選ぶ”ことで自分の人生は成り立っているというのは一つの見方(実存主義)からは正当なものです。
 私は、この“選ぶ”という言葉と“息苦しい生き方”という言葉が並ぶのを違和感とともに、人生の“息苦しさ”を的確に表現したものだと思います。自分は自分が心地よくあるように“選ぶ”はずなのに、現実は“息苦し”さを感じることがある。自分が“選んだ”結果であるだけに、それはよけい“息苦し”さがあるのです。

 そして、さらにこの歌詞の重要なポイントであり、私が前回に述べたことと関連するのは
“答えなど何処にもない 誰も教えてくれない でも君を想うとこの胸は 何かを叫んでる それだけは真実”
“永遠は何処にもない 誰も触れることはない でも君が笑うとその先を 信じたくなるそれだけが真実”
“答えなど何処にもない~痛みを抱きしめるそれだけが真実”
 というサビの部分です。
 サビが重要なのは当たり前ですが、その内容に、私が前回に述べたことと共通する考えがあり、惹かれるのです。

 ここでは、“答えなど何処にもない”“永遠は何処にもない”とあります。
 つまり、私の述べるところの用法①「意味」「目的」(神などの超人間的な存在や法則の示した「意味」「目的」)は“ない”ということです。
 “答え”と言うのは“永遠”と対句になっているので永遠性のある“答え”だと考えられ、超人間的な存在や法則など(そこまで明確に意識しなくても、従うべき言葉だったり、間違いのない教えのような意味)を指すと解せます。
 そして、“答え”が“ない”とするならどうするかと言うと、“君を想うと何かを叫んでる”“君が笑うとその先を信じたくなる”“痛みを抱きしめる”としています。
 これが前回述べたことと重なります。
 用法②の「意味」「目的」(仕事で成功したり、試験に受かったりなど、「目的」に「意味」があると想ってした時)に、虚しさを感じることがあり、それは人間が有限の存在だからだと述べました。一人の人間がやることは、自分の思い通りに出来たとしても社会全体からは小さく見えたり、何をやっても結局死んでしまうということが虚しさを引き起こすと考えるのです。
 そこで、用法①の「意味」「目的」のように、神や仏などの教え、宗教団体の教義が持ち出される余地があるのですが、用法②の「意味」「目的」でも工夫をすれば足りると述べました。
 その工夫こそが、この歌詞のサビが表していることと同じだと解するのです。
 工夫とは、用法②の「意味」「目的」でも、自分中心ではなく、他者との関係に中心を移すこと(それまで人生の「目的」を自分が仕事で成功し金銭を得、地位を上昇させることや、自分が勉強して試験に受けることとして「意味」を見出していたことから、「目的」を自分が他人と良い関係を築くことから自分の人生に実りを見出すことで「意味」を見出すことに変える)ですが、この歌詞でも“君を想う”という他者との関係を重視することによって、“答え”“永遠”が無くても、それが無いことから来る“痛み”をも“抱きしめ”て“その先”へ進むことができるとしています。

 平井堅さんの他の作品、特に、恋愛をテーマにした作品では、このような考え方とは反対のもの(所謂オンリーユー・フォーエバー的な歌詞)が多いので、平井さん自身の意図は別にあるのでしょう。
 しかし、この作品を独立してみれば、私の考え方と似たものだと思っています。

 
 
 
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by sleepless_night | 2005-06-12 13:57 | 宗教

人生の意味と目的 part2

前回、「意味」「目的」には二つの用法があって、その混用は悪用されることがあると述べました。また、私達が日常で使うのは②の用法が多いことも述べました。

 さて、前回は何かに失敗したり病気になったり等の場合を例に話をしましたが、今回は逆の場合について述べたいと思います。

 ②の用法での「意味」「目的」は、自分の人生へのコントロール力や意図した結果への影響力を喪失した場合に言う「意味が無かった」や「目的が失われた」の「意味」「目的」ですが、仕事が上手くいったり、試験に合格したりしたときにもこの「意味」「目的」への疑念が生じることがあります。
 つまり、虚しさです。
 自分の人生をコントロールでき、意図した結果へ影響力を発揮できると通常は「目的」に自信を感じたり「意味」があったと思うのですが、反対に虚しくなる時もあります。
 それは、自分が有限であることから来る虚しさです。
 どれ程のことを成し遂げてもやがては死を迎えます、さらには、この地球自体も終わりがあると考えられています。そこまで考えなくとも、自分が為したことが意外と小さく感じることはあるでしょう。

 そこで、確かに①の用法での「意味」「目的」が登場する余地があります。
 偉大な宗教家が提唱し、それについて多くの先人が考えを重ねてきた知恵が、その虚しさを解決してくれる余地はあります。

 但し、いきなり①の用法へと飛躍することも実はありません。
 と言うのは、このような場合は①も②も似ている要素が解決に寄与すると考えられるからです。
 つまり、①の用法で「意味」「目的」があると感じる場合も、②の用法で「意味」「目的」があると感じる場合も、ともに活動による充実感が大きな要素を持つと考えるのです。
 違うのは、①の用法での「意味」「目的」には抽象性や普遍性を備えたものが多いので、有限性や小ささを感じさせることが少ないという点です。

 仕事に力を入れ成功したときも、勉強をして試験に受かったときも「目的」に「意味」があったと感じるでしょう。(②の用法)
 隣人愛を実践するために近所の老人の病院の送り迎えをしたときも、行施をしようとお寺の掃除をしても、新しい信者を獲得するために活動しても「目的」に「意味」があったと感じるでしょう。(①の用法)<※>
 どちらとも共通しているのは「目的」に「意味」があったと感じる基本に充実感があるということです。
 ですから、今まで、①の用法での「意味」「目的」に触れてこなかった人(宗教思想などに触れて事無かった人)が突然に受け入れようとする必要もないと言えるのです。

 ②の用法での「意味」「目的」でも、今まで自分を中心にしてきたものを、他人との関係へと意識を向けてみるだけでもだいぶ変化があると思います。(ここで注意して欲しいのは、“他人へ”ではなく“他人との関係へ”です。他人中心にはできませんから、自分と他人という関係から充実感を感じられるように注意を向けてみるということです)
 そうすれば、仕事で自分が成功する(出世する・金銭を得る)ことや試験に自分が合格するなど程に有限性や小ささは感じられず、他人との関係は自分一人よりも複雑性があるので、虚しさを引き起こす隙も減るでしょう。


 重ねて述べますが、①の用法での「意味」「目的」を考えることを否定しているのではありません。
 前回も述べたように、それは②を補うこともあります。
 また、②と違って普遍性や抽象性があるので、今までと違った人生へと導く可能性があり、それが素晴らしい人格を作り上げることもあるでしょう。

ただ、
 人生で挫折や病気などの心理的に余裕の無いときに、宗教団体が言う「目的」「意味」に触れたら、自分の失ったと感じる「意味」「目的」とは違った用法であるかもしれないということ。
 自分が「目的」を果たしても「意味」が無かったと感じたときに、宗教団体が言う「目的」「意味」へ、この場合は基本的に共通した要素があるので、飛びつかなくてもいいと言うこと。

 これらを心に留めておくと、無闇に宗教団体側の設定した流れに呑まれないと思います。
 それは、①の用法での「意味」「目的」について自分の側から落ち着いて考えを検討したり深めたりするためにも必要なことだと思います。

<※>戦後に拡大した新宗教団体でも、その教え(①の用法での「意味」「目的」)によって人々が救われたという以上に、その団体が提供するコミュニティーでの人間関係や活動による充実感が人々を救ったと言う見解があります。
 
 
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by sleepless_night | 2005-06-12 12:25 | 宗教