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ストーカーの心理/解説編 精神病系・パラノイド系 

 今回は、ストーカーの心理類型についてです。
 DSM(『精神疾患の診断・統計マニュアル』)についての解説を挟みましたので、ストーカーの分類について再度挙げておきます。詳しくは以前の記事をご覧下さい。分類を使用するにあたっての重要な情報も含まれておりますので、ご覧になっていない方は是非とも目を通して頂きたく思います。
 ストーカーの分類については多くありますが、その中でも行動・関係類型についてはミューレン(※)らの分類から、心理類型については福島章(※1)説を採用します。
 行為・関係類型とは、ストーカーと被害者との関係とストーカーの行為を焦点にした分類で、この分類がないと具体的事例への当てはめに不便で、実用的な分類として勝手が悪いものとなると考えられます。
 心理類型とは、ストーカーがストーキングという犯罪行為をするに至った心理を焦点に分類するもので、これによってストーカーの理解や治療、ストーカーへの対処が理解できると考えられます。
 この二つの類型を組み合わせることで、ストーカー問題を総体的に分析・理解することができると考えます。
 後者、心理類型について個々の類型の解説を述べ、その後で、二つの類型を組み合わせを提示する予定です。

 さっそく、話を進めます。
 福島説では、心理類型を
 (1)精神病系
 (2)パラノイド系
 (3)非精神病系 -1)境界性 -2)自己愛性 -3)反社会性
 と大きくは3類型、全部で5類型とします。
 
 この一つ一つを解説するということは、必然的に、医療情報を示すことになります。
 そして、前回述べましたように、これから示す情報はDSMに大きく頼ります。
 参照するDSMは最新のDSM-Ⅳ-TR(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第四版新訂版)です。(※2)
 はじめに、DSMからの極めて重要な引用をします。
 “DSM-Ⅳは、臨床的、教育的、研究的状況で使用されるよう作成された精神疾患の分類である。診断カテゴリー、基準、解説の記述は、診断に関する適切な臨床研修と経験を持つ人によって使用されることを想定している。重要なことは、研修を受けていない人にDSM-Ⅳが機械的に用いられてはならないことである。DSM-Ⅳに取り入れられた核診断基準は指針として用いられるが、それは臨床判断によって生かされるものであり、料理の本のように使われるためのものではない。中略。このマニュアルに含まれる診断基準を有効に適用するためには、各診断基準群に含まれている情報を直接評価できるような面接が必要である。”(序・臨床判断の活用 より)
 この引用を理解して頂ければ十分だと思いますが、これから提示しますDSMの基準は、ストーカーの分類と、それを通じた理解の為に不可欠だと判断するので引用を示すのであって、それぞれの診断を振りかざして他者を病気呼ばわりするためのものではありません
 重ねて、DSM基準を提示する意味を確認させていただきたいと思います。
 以前も述べましたように、精神医学(を含む心理学)は大変に危険なものだと言えると考えます。肉体の病気や障害を素人判断で診断したり治療したりすることの危険は一般的に理解されていると思いますが、心理学はある種の親しみがあるために危険性を看過されているように思います。
 心は見えませんし、触れません。ですから、切っても切れませんし、血も出ません。
 しかし、その反面で、心を傷つける、普段意識しない部分まで探りを入れると、思わぬ動揺や深刻な痛手を負うことがあると考えられます。
 ですから、例えば心理学の一分野である分析心理学の専門家としての資格、分析医(医と付きますが、必ずしも医者ではありません。分析心理学の理論を使った心理療法を行う資格があると言う意味の医です)を取得するには教育分析という、治療者となる人自身が長期の分析を受けなくてはなりません。治療する側は自分の心理を十分に把握しておかないと、患者の心理に巻き込まれて、治療者自身がダメージを受けたり、治療で深刻な間違いを犯す危険があるからです。
 では、この様な危険な存在は触れるべきではないのでは?と疑問に思うかもしれません。
 当然です。
 しかし、これも以前述べましたが、恋愛、結婚などの男女関係(同性愛の場合は同性間)
について、性という分野の話をするに当たっては避けることができません。心理学はこの分野に限らず、それが登場した時から、社会思想に多大の影響を与えてきました。そのことからも分かるように、心理学は分析・理解にとって非常に切れ味の良い刀だといえます。切れ味の鋭い刀は、扱いを間違えると相手は勿論、自分までも大きく傷つけます。

 ですから、過剰なほどの注意を喚起させていただいて上で、この魅力的だが危険な道具に触れたいと思います。
 尚、注などで提示した参照資料に基づいた既述ですが、医療情報ですので、あくまでも参考の範囲に留めてください。

 心理類型の(1)精神病系について。(※3)
 “統合失調症(原文・精神分裂病)などの精神病が発病しており、その症状の一つである恋愛妄想、関係妄想などがストーキングの動機となるケース”(福島)
 統合失調症とは、妄想・幻覚を伴い感情・思考の調和やまとまりを維持できなくなる症状の精神疾患で、社会的・職業的機能の著しい低下が伴います
 19世紀後半のドイツの精神科医E・クレペリンが様々な症状を持つ患者達の中に共通して特有の痴呆性を見出したことから、それが一つの病気ではないかと推測し早発性痴呆と呼ぶことを提唱したことに、統合失調症の歴史は始まります。
 続いて、スイスの精神科医E・ブロイラーが早発性痴呆と呼ばれる症状の患者達が必ずしも痴呆に至るわけでもないことから名称を精神分裂病と変えます。現在、誤解を招く恐れがあるとして改称されたこの名称は、当時主流だった連想心理学(人の心は観念などの連想機能で構成されると考える理論)の影響で、この精神疾患の原因が心の連想機能が低下し、正常に働かなくなったことだと考え、精神分裂病と呼ぶようになります。
 統合失調症は、百人に約一人の割合で起き、ガンと同程度で多くの人に発病する一般的な病気です。原因は、遺伝要因や環境要因が挙げられていますが、単純に示すことができるものはありません。ただ、遺伝要因は一卵性双生児の不一致率が高い(同じ遺伝子を持っているにもかかわらず他の病気よりも、一卵性双生児がどちらも統合失調症にかかる確率が低い)ことが分かっていますので、遺伝するのでは?という心配は意味が無いことが分かっています。 
 かつては、不治の病のように見做されていたものの、現在は薬などの発達により、50~60%の人が日常生活に不自由のない程度に、さらに20~30%の人が介助者の支援で生活でき、慢性化し常に介助者を必要とする人は15~24%とされています。
 統合失調症は優勢な症状によって主に4つの病型に特定されます
 妄想を中心的な症状とする妄想型、効果的なコミュニケーションを損なうほど著しい会話の脱線・滅裂、日常生活に支障をきたす程の著しい行動の混乱・無秩序を中心的な症状とする解体(破瓜)型、過剰な運動性や逆の不動性・拒絶性などを中心的な症状とする緊張型、顕著な症状が無くなった後も持続的に軽度の症状が見られる残遺型、の4つです。
 
 この中で、ストーカーの心理類型と関係すると考えられるのは、妄想型ということになります。 (しつこいようですが、統合失調症を持つ人がストーカーとなる確率が高いのでも、ストーカー予備軍となるわけでもありません。警察統計では、統合失調症を含む精神病を持つストーカーは全ストーカーの内でも0,6%を占めるに過ぎません。)
 妄想とは“外的現実に対する間違った推論に基づく間違った核心であり、その矛盾を他のほとんどの人が確信しており、矛盾に対して反論の余地のない明らかな証明や証拠があるにもかかわらず強固に維持される”(DSM)もので、ストーカーとなった場合、他者の仕草を勝手に自分への好意の合図だと確信したり、相手との関係を周囲によって妨害されていると信じたりと、様々な妄想の内容があります。
 統合失調症の妄想型は、妄想を持っているものの、認知機能や感情が他病型より比較的保たれているため、恋愛妄想や関係妄想などに基づいてストーキングできてしまうと考えられます。
 ただし、比較的保たれている認知機能や感情によって逆に道徳や法律を認識できる可能性も、治療を受けている場合は薬で妄想をコントロールできる可能性もあり、ストーキングをすることもかなり難しいと考えられます(※4)。
 ストーカーの心理類型の精神病系は統合失調症だけではもちろんなく、他にも妄想を引き起こす精神病が考えられますが、心理類型の中心を(3)人格障害系と捉えるために代表的な妄想を症状とする統合失調症妄想型に止めます。

(2)パラノイド系について
 “《妄想》をもっているが、妄想以外の点ではまったく正常者と変わらない能力を保持している”“《パラノイド》には統合失調症の軽症方と見られる《パラノイア》と、特別の正確の人に心理的・環境的なストレスが加わって起こってくる《心因性パラノイド》の二種類がある”(福島)
 まず、《パラノイア》、つまり、妄想性障害から。
 妄想性障害は、統合失調症の妄想のように奇異ではない、実生活で生じうる状況に関連した妄想が少なくとも一ヶ月続き、基本的に、心理社会的機能の著しい低下が無く、妄想を口に出したり、行動に移したりしないと、そうとは気づかない精神疾患です
 妄想の主要な内容に基づいて、色情型、誇大型、嫉妬型、被害型、身体型の主に5つに分類されます。
 ストーカーの心理類型と関連するのは、色情型と被害型だと考えられます。
 色情型とは、他者が自分を好いていると言う妄想内容を持つ場合で、性的な魅力よりもロマンチックで精神的な関係に関するものが多く見られる。相手として有名人から全くの他人まである。
 被害型とは、自分が陰謀や監視、追跡や中傷や毒物混入の対象となっているとの妄想を持っている場合です。
 妄想性障害はまれで、人口の0.03%程度が持っていると考えられています。
 一見正常に見えること、社会的機能が低下していないことから、妄想性障害を持った人がストーカーとなった場合はかなり厄介だと言えます。
 公的機関に相談しても相手が妄想性障害だと気づかれなかったり、逆に訴訟を起こされたりする場合もあり、さらに、心神耗弱(刑法39条2項)として刑が減免される可能性があります。
 《心因性パラノイド》の《心因性》とはストレスやショックなどの心理的な影響を原因とするもので、そのような原因によって生じる妄想だと考えられます。(※5)
 
 長さの関係で、今回は(1)(2)で終わり、次回に本番とも言える(3)人格障害へと進みます。
 
 ※)『ストーカーの心理』(サイエンス社)P・E・ミューレン、M・パテ、R・パーセル共著 詫摩武俊監訳 安岡真訳
※1)『ストーカーの心理学』(PHP新書)福島章著
※2)『DSM-Ⅳ-TR 精神疾患の診断・統計のマニュアル』(医学書院)高橋三郎 大野裕 染谷俊幸 訳
※3)『統合失調症』(ちくま新書)森山公夫著 から統合失調症の歴史を
   『統合失調症』(講談社)伊藤順一郎監修 から回復率を
   参照し、DSMの資料と組み合わせています。
   犯罪率は、http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki17/taiou.pdfより
※4)社団法人 日本損害保険協会
  『予防時報209号・精神分裂病と人格障害』和田秀(川崎幸クリニック医師)著
  http://sonpo.or.jp/business/library/public/pdf/yj20914.pdf
   より、統合失調症を持つ人の刑事事件発生率の低さの原因についてを参照しています。
※5)心因性パラノイドについては、これ以上の資料が見当たりません。
   文字通り心因性で妄想を生じさせている場合をまとめて指していると考えられますが、はっ  きりしませんので、以降、パラノイド系と指す場合は妄想性障害を中心に考えます。
  

      
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by sleepless_night | 2005-07-23 00:32 | ストーカー関連

ストーカーとは何か?/ストーカーの心理を問う前に

 ストーカーとは何か?/ストーカーって一つじゃないの?でストーカーの分類と分類の歴史を通して分類すること自体の問題について述べるに引き続き、分類の内の心理類型について必要な範囲で解説を加えます。
 ストーカーについて突っ込み過ぎて当初の目論見である恋愛や結婚などの男女関係についての話から離れているようにも思いますが、今しばらく我慢していただけるとこの突っ込んだ話の意義が見えてくると思います。
 私自身もここまでストーカーについて回数を裂くようになるとは、実のところ、思っていませんでしたが、話題の核を十分に述べるためには避けることができませんし、特に、今回触れるDSMについてはストーカー問題について書かれた書籍で無視され、暴走気味な感があるので述べておきたいと思うのです。

 さて、前回からDSMと普通に使っていましたし、これからストーカーの心理について話をする時にDSMが多く登場することになりますが、ご存知ない方のためにも、そもそもDSMとは何かから話さなくてはなりません(※)。 
 DSMとはDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorderの略称です。
 逐語訳をしますと、精神の障害(病気)の診断と統計の手引き、となります。
 前回述べたように、発行しているのはAmerican Psychiatric Association(アメリカ精神医学界 略してAPA)と言う学会です。APAはその名の通り、アメリカ合衆国の心理学・精神医学の学者・医師が属する最大で、最も有力で権威ある学会です。
 DSMはAPAによって1952年に最初の版(第1版)を発行され、現在の第4版の改訂版に至っています。
 どうしてアメリカ合衆国の学会が作った手引き書(マニュアル)でグダグダと話をしなくてはいけないのかと言いますと、このDSMがアメリカの精神医学・心理学のみならず世界の精神医学・心理学に携わる人から(勿論日本でも)聖書のような扱いを受けている(そして、ストーカー関連の書籍でも必ずと言っていい程DSMの基準が出される)からです
 もう一つ、WHO(世界保健機関)が発行しているICD(International Classification of Disease 訳:疾病の国際的な分類 現在は第10版)もありますが、これとDSMが精神医学・心理学の診断の指標として代表的な存在となっています。
 ICDという国際機関の発行する診断指標とアメリカ合衆国という一国の学会が作った診断指標が同等(若しくは、DSMの方が多用される)の影響力を持っているのです。
 ですので、病気か否か、何の病気かを決めるためのマニュアルであるDSMについて、DSMに問題があるなら、それについて触れておかなくてはいけないと考えるのです。単純に、DSMに記載されていることを根拠に、人に病気にがあるとか、障害があるだとかと判断するのは本当に危険です。特に、ストーカーというそれだけでも犯罪者として扱われる対象を、精神病だと判断する、精神病(や人格障害)が原因だとするような危険な雰囲気がストーカーについて書かれた本にはあるように、私には感じられる(※1)のです。
 
 まず、DSMがどうしてアメリカ合衆国のみならず世界で影響力を持つようになったかと言いますと、それはDSMの第3版が現れるまでの精神医学・心理学の状況に原因があると考えられます。
 すでに心理学についてはその弱み(※2)について述べましたが、その弱みがもろにDSM-3の出現まで精神医学・心理学の現場に現れていたのです。自分の習った先生や、自分の属している組織の上司、または、その地域や国の精神医学・心理学の権威者によって、用語・診断内容や方法がばらばらで、そこにいる限り、自分の先生や上司、権威者が言ったことに異議を挟むことが難しかった、つまり、先生・上司・権威者=診断のマニュアルだったので、それらの人々が言っていること、診断したことが正しいと見做されることになります。そこに、DSM-3が登場しましまた。
 DSM-3には、いくつかの代表的特徴があり、それらの存在によってDSMが現在の地位を獲得したのですが、その中の一つに操作的診断基準があります。
 操作的診断基準とは、診断する側の主観を排し、病因ではなく症状の無味乾燥な既述を並べることで操作性を持った診断基準です(幾つかの基準を後に出します)。
 この診断基準を採用することで、それまで自分の先生・上司や権威が即診断基準となって異議を挟むことが困難だったものが、現れた症状をDSM-3の基準に合うかどうかという視点が診断に持ち込まれ、その基準への適否を持ち出すことで自分の先生・上司や権威と違った診断を採りやすくなった(それまでの権威へ対抗できる新しい権威が登場した)と考えられます。又、DSM-3がそのような利便性から世界で影響力をもったことで、バラバラだった診断基準に統一の要素が生まれ、精神医学・心理学自体の弱みを軽減でき、学者・医者の間での思考・意思疎通にも利したと考えられます。 
 しかし、そのDSMには問題点が幾つか指摘されます。
 まず、操作的診断基準の利便性も相まって、日常が病気化されてしまう点です。DSMの診断基準を読むと、殆どの人が病気だと見做される恐れがあり、DSMの権威によってそれが裏書されてしまう問題があります。ですが、これは利便性のあるマニュアルを取る反面として致し方ない、許容範囲の問題だと言えると思います。
 看過できないのは、DSMの病気の採否や診断基準の形成にある問題です。
 表面化した問題の最たるものに、病気としての同性愛があります。
 DSM-2に性的倒錯の一つとして挙げられ、病気だとされた同性愛は、DSM-3が出されるまでの間の社会変化、それによる同性愛者達(APAの会員も含む)の運動の攻撃対象になりました。
 しかし、DSMは精神医学・心理学という科学を標榜する分野のマニュアルです。
 誰かが何か言ったこと、社会の多数の心証が変わったことで、科学的な基準であるマニュアルが変わってよいのでしょうか?
 ですが、もともと、同性愛がDSM-2に入れられていたのは精神分析学の影響が原因であり、精神分析学の人間観を基準に考えること、精神分析学の科学性が保障されていることが前提として必要だったはずなのです。
 そして、繰り返すように、精神分析学(心理学)には脆弱性があります。
 科学性に脆弱さを抱えた前提での判断とそれに対する社会の価値観変化という科学ではない要素との戦いが、DSM-3にはあったことになります。 
 そして、妥協的に“性的志向性の障害”という新しい診断がAPAで承認されにもかかわらず、DSM-3を実際に作るときになって“自己違和的な同性愛”という診断名が登場し、おまけに、DSM-3の改定版でこれが削除されてしまったのです。
 この一連の動きが、科学性を支えるデータと理論の検証というよりAPA内部の政治性によってなされたと指摘されています。
 もう一つ、人格障害というこの後の話で登場する診断名に関する問題があります。
 DSM-3の改訂版の草稿でマゾヒスティック・パーソナリティ・ディスオーダー(自虐的人格障害、マゾヒスティックといっても性的な意味ではなく、自虐的で他者からの承認を不快に感じる障害を指す、以下、MPDと略します)の名称と診断基準が提唱されました。しかし、その診断基準を見ると“アメリカ人らしい利己主義に染まってない行動”が精神障害だと言っているようなものになっていたのです。MPDは改訂の審議過程で名称を自己敗北型人格障害と変え、診断基準に小さな訂正を加えられ、DSM-3の改訂版の特別付録に入れられましたが、DSM-4ではなくなってしまいます。その一連の動きも、科学的な検証とは言い難く、恣意的だという指摘がされています。
 また、人格障害の一つである境界性人格障害の成立も、同様で、診断基準を作る過程で、他の診断と明確に分離できなかったにも拘らず、DSM-3に入れてしまったこと、そして、この診断名が医師の側の都合(新しい病気をつくることで患者を拡大できる。人格障害の特殊性を利用して医師と患者との間に起こったトラブルを患者の人格障害のせいにできる)の為に使われてしまう恐れがあることが指摘されています。
 
 そして、勿論、これら全てには倫理学上の問題があります。
 例えば、同性愛を問題にするとして、どうして同性愛が病気だと考えられるかと言えば、精神分析の想定する人間の精神の理解もさることながら、一般に受け入れらていたのは、男は女に、女は男に性的な興奮を感じるのが「自然」だからというのが大きいのでしょう。
 そして、「自然」と言わしめる根拠は、自分の体験と男女間の性交ではなくては子供ができず、子供ができなくては人類が現在まで存続しなかったからでしょう。
 しかし、自分が男(女)に性的な興奮を覚えるという「自然」な体験、男女の性交で子供が生まれる、この二つの事実があっても、その事実を根拠に男性(女性)は女性(男性)に性的な欲望を感じることが「自然」であり「正しい」、という倫理的な価値の根拠とは認められません。
 なぜなら
 男性は女性に性的興奮を覚える→男女の性交が「自然」だ→同性の性交は不「自然だ」→不「自然」なことは「正しい」とは言えない
 という一連の論理は
 同性愛は「正しい」とは言えない→理由は、不「自然」だから→理由は、男女の性交が「自然」だから→理由は、男性は女性に性的興奮を覚えるのが「自然」だから→男女の性交が「自然」だ→同性の性交は不「自然」だ→不「自然」なことは「正しい」と言えない→同性愛は「正しい」とは言えない・・・・ と論理が循環してしまいます。つまり、主張する(証明する)事実の価値を、主張される(証明されるべき)事実によって根拠付けてしまっているのです。 
 同様に
 男女間の性交が「正しい」→理由は、性交とは子供を作る行為だから→男女間の性交で子供は生まれる→子供が生まれるから男女間の性交が「正しい」・・・・・と循環して、主張の根拠が主張の対象になってしまっています。
 このような循環論を持ち出してしまうと、証明として成立しないのは理解されると思います。俺が言っていることが「正しい」、なぜなら、俺が言っているからだ、と同じで、自分の意見に同意していない相手を合理的な論理を用いて説得し合意を得るための技術である証明とはならないからです。
 このように「自然」である、そもそも、「自然」なのかにも問題がある中で、何を病気にするか(何を「正しい」人間の行為とするのか)、どうそれを判断するかを、曖昧で、少数の間で政治的に決定していることに問題があるとされるのは当然です。性交の許可年齢を検討する際に詳しく述べますが、事実と価値の混同の問題です。
 
 では、どうするのか?DSMを無視するべきなのか? 
 私は、コンプレックスの問題でも述べました様に、一つの分析の道具として価値があると考えています。
 但し、あくもでも以上に挙げたような様々な難点を踏まえたうえでのです。
 DSM、そして精神医学・心理学を占いと同じような感覚で接すること・扱うことにも非常に危険を感じますが、聖書や神託のような扱うことにも非常に危険を感じます
 DSMが頻繁な改訂をすること、それがデーターの蓄積を待たずにであることが、非難を避けるための策略だとの見方もありますが、私は、それがあくまでも暫定的で過程的な知識の集積であることを表すものだと見たいと考えます。
 曖昧で、政治的かもしれませんが、それでも間違いを訂正できる、しようとする姿勢を持ち続けることが精神医学・心理学への信頼、科学への信頼を支える重要な要素だと考えるからです。
 
 以上を踏まえた上で、ストーカーの心理類型の解説を進めます。
 続き⇒ストーカーの心理/解説編 精神病系・パラノイド系 

※)DSMの歴史、DSMの問題点については『精神疾患はつくられる』(日本評論社)ハーブ・カチンス スチュワート・A・カーク著 高木俊介 塚本千秋 監訳 と以下の文書を参照しています。
国立精神・保険センター精神保健研究所社会精神保健部 部長 北村俊則氏
  http://www2.kuh.kumamoto-u.ac.jp/kokoro/research2a.html
医学書院 週刊医学界新聞 第2248回
  http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1997dir/n2248dir/n2248_03.htm
※1)精神病や人格障害を患う人が決まってストーカーになるわけではないと明確に否定してあるのですが、書籍の大半を人格障害の解説に充てているという形態から説得力を欠くように私には感じられます。著者が精神科医や心理学者、カウンセラーであることが大きな理由なのでしょうが、無邪気に利用しすぎの感が否めません。せめて、精神医学や心理学の問題について一章割く位の配慮があっても良いのではないかと感じられます。
※2)マザー・コンプレックスについての文章を参照してください。
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by sleepless_night | 2005-07-18 11:02 | ストーカー関連

ストーカーとは何か?/ストーカーって一つじゃないの?

 前回ストーカーとは何か?/騒音オバサンと野口英世でストーカーの定義とその定義を使った熱心な片思い行為との線引きについて述べました。今回は、ストーカーの分類について主に述べます。
 話を進めるまえに、定義を振り返り、分類以前の共通点を確認しておきたいと思います。

 定義には二つ、法律の定義とそれ以外の定義を出しました。
 法律の定義はストーカー行為規制法二条の要件を、それ以外の定義については三人の定義をまとめたものをだし、その違いはそれ以外の定義の要件②である妄想・幻想であることを述べました。
 そして、熱心な片思いとストーカーの線引きとしても、その要件を用いて、その行為者が相手側の出したメッセージによって思考・行動を修正できるか否かがポイントであると述べました(法律の要件は満たしても、法律による行政の対応を申請するか否かのポイント)。

 又、ストーカーは規正法が示すように恋愛感情・好意の感情に関係した行動であると日本では限定されているが、もともとはハラスメント(嫌がらせ)というそれまでの法律では規制されなかった行為が、権利意識の拡大によって法律によって規制の対象となったものの一部であることも述べました。

 以上、前回の記述をまとめてみますと、ストーカーとは幻想・妄想によって為される嫌がらせ行為であることが理解されると思います。
 ストーキング(ストーカー行為)には、このことから特徴的な行動傾向があると考えられます。
 それは、妄想・幻想に基づく故に、定義にある執拗・反復性に加えて、思考・行動が激化する傾向と、相手を支配(所有)しようとする傾向です。
 この共通点に立ち、ストーカーの分類を述べたいと思います。
 
 でも、なぜストーカーの分類が必要なのか?そもそも分類は可能なのか?という疑問点もあります。
 ストーカーの分類の必要性は、ストーカーと呼称される存在が単一の名称でくくられることが危ういほどに多様であるため、分類をしないと分析もそれを通じた理解もできないからです。
 被害者との関係、加害行為の種類、期間、激化の程度・可能性、原因となったストーカーの性質、ストーカーの育成環境、生活環境など多様であり、理解するためには、それらを収集されたデーターから読み取り、特徴付けて分類しなくてなりません。
 ストーカー関連の書籍でも、分類に対するスタンスはかなり消極的なものです。
 それは、必要であるが、分類が困難だからです。
 “現状におけるストーカーについての分類化・分析は精神科医によってもまちまちであり、多様である”(岩下)、“ストーカーの行動は予測不能というのがむしろ一つの特徴ですから、その行動を統計的に分類をしていくのは非常に難しい作業となります。中略。類型に当てはめることでかえって被害者に先入観を持たせてしまうことにつながり、その結果被害を大きくする可能性もある”(高畠・渡辺)。と言ったような慎重さが分類する側にはあります。
 そもそも、ストーカーの研究のための分類は、“特定の専門家や個人の目的、理論的関与から生じた様々な優先項目による”(ミューレン・パテ・パーセル、共著、※)、つまり、誰が、どんな集団を対象に、どのような目的で、分類をしたかによって異なります。
 分類を一番初めにしたのは、1993年にゾーナほかがロサンジェルス市警の事例研究を元にストーカーの動機・被害者との関係を軸に、色情狂・恋愛脅迫症・単純な脅迫症状の三つに分類したものです。これは精神分析学(※1)と司法制度の二つの観点に立ち、分類にあたってDSM(アメリカ精神医学界の発行している精神障害の診断マニュアル)を標準にしたものです。
 以降、1995年のハーモンらによるニューヨーク刑事・最高裁法精神医学クリニックの紹介した被験者を基に被害者とのつながり方・かつての関係のあり方の視点からの分類。
 1996年のライトらによる、被害者から提供された48項目のチェックリストに基づく、被害者との関係・動機などによる分類。
1997年のキーレンらによるストーキング罪公判の被告人精神分析を基にした精神病か日精神病かという二分類。
1999年のミューレンらが、自身のクリニックへ裁判所・医療関係者から回されてきたストーカー、自ら来院したストーカーの精神分析を基に、動機とストーキング発生状況と被害者との関係の二つの観点から5つへの分類。
と、分類法が現れているますが、分類の意味が一定しないこと、データーの収集の問題などから、確立した分類はないと考えられています。
 日本での市販の書籍でも、古典的・現代的(春日)、関係類型と心理類型のクロス(福島)
精神病と非精神病(岩下)、目的自体のストーカー・手段としてのストーカー(小早川)、被害者との関係と心理類型(高畠・渡辺)とそれぞれの立場や目的で異なった分類が提供されています。
 
 さて、この分類の混乱状況からどれを選択するかというと、行為・関係類型を1999年のミューレンらの分類から、心理類型はほぼ全てが同様なので代表的な福島章(上智大教授・精神科医)による五つの分類を採用したいと思います
 ストーカーの行動や被害者との関係、そのどちらに偏って分類しても具体的な事例への適応が簡単ではあっても実効性や分類としての効果が低いこと(福島説は関係に重点が置かれすぎに感じます)、さらに、心理分類だけでは単なる後付の分析で終わってしまうこと、分類の当てはめ自体が困難であることから、双方を補う形で併用し、二つの分類軸をクロスすることで許容範囲の妥当性を確保できると考えるからです。
 具体的な分類を以下、挙げます。
 [行為・関係類型]
 ①拒絶型:一定以上の親密さのあった関係(親子・夫婦・恋人・親友・長年の同僚・取引相手・医師患者・教師生徒など、親密さが相当の年月によって形成されていた関係)が壊れた時の生じるストーカー。
 ②憎悪型:拒絶型ほどの親密さの無かった関係の相手、若しくは、殆ど知らない他者に対して、相手を恐怖・混乱させたい欲望から生じるストーカー。
 ③略奪型:自己の性的妄想を満たすための対象をストーキングするタイプ。
 ④親しくなりたいタイプ:相手と相思相愛の関係を築きたいとの一方的な意図から生じるストーカー。
 ⑤相手にされない求愛者タイプ:社交技術・求愛の技術が著しく低い、若しくは、男性性を過剰に持ち出すことから生じるストーカー。
 おそらく、④⑤が日本で一般的に想起されるストーカーでしょうし、ストーカー規正法が念頭に置いたのも④⑤、加えて①でしょう。特に、②はまったくストーカーとして認知されてない存在、前回述べた奈良の騒音オバサンが当てはまるタイプでしょう。

[心理類型]
 (1)精神病系:統合失調症などの明らかな精神医学の治療対象。犯罪を犯しても、責任阻却(刑法39条)されるタイプ(※2)。
(2)パラノイド系:責任阻却される可能性のある妄想障害があるタイプ。
 (3)非精神病系:人格障害などの、精神医学が治療対象とするか意見が分かれるタイプ。責任阻却されず、一般と同様に処罰対象になる。
  (3-1)境界性
  (3-2)自己愛性
  (3-3)反社会性
     へと、さらに分類される。
 
 ここから先、行為・関係類型と心理類型のクロスをする前に、心理類型について前提を述べておかなくてはなりません。
 以前、コンプレックスでも触れた心理学(精神医学)、特にDSMとの関係で前提抜きに話をするめるのは危険すぎると考えるからです。
 尚、次回ストーカーとは何か?/ストーカーの心理を問う前にでも触れますが分類はあくまでも分析と理解のためであって、差別と排除のためではありません
 ストーカー規制法を始め、刑事法、そのほかの法的措置の対象となっても、日本の刑事政策の基本は更正です。応報ではありません。

※)『ストーカーの心理』(サイエンス社)P・E・ミューレン、M・パテ、R・パーセル共著、詫摩武俊監訳、安岡真訳 分類の歴史は同書の4章に拠っています。
 (福島)=福島章 著 『ストーカーの心理』(PHP新書)
 (岩下)=岩下久美子 著 『人はなぜストーカーになるのか』(文春文庫)
 (春日)=春日武彦 著 『屈折愛』(文春文庫)
 (高畠・渡辺)=高畠克子・渡辺智子 著 『ストーカーからあなたを守る本』(法研)
 (小早川)=小早川明子 著 『あなたがストーカーになる日』(廣済堂出版)
※1)精神分析学は、心理学の一つの分野・学説で、フロイトによって創始され、現在にいたるまで多くの分析家を輩出し、修正を重ねてきた。日本仏教でたとえると、天台宗の比叡山のような存在。
※2)刑事法では、基本的に、その犯罪とされる行為が、該当する条文から読み取れる要件を満たすこと、その行為が条文が示す刑罰から見て処罰するほどのものか、そもそも行為者は行為の意味を認識していたか、という3つを満たしていないと処罰できません。
 このうちの最後の、行為の意味を認識していたか(自分の行為を認識していたか)がないと、行為への刑事責任を問えない。このような場合に責任が阻却されたといわれます。   
 
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by sleepless_night | 2005-07-15 00:11 | ストーカー関連

ストーカーとは何か?/騒音オバサンと野口英世

 ストーカーというと、どんな人間を想像するでしょうか?
 実際に、ストーカー被害に会った人もいるでしょうし、ストーカーの被害者が身近にいた人もいるでしょう。マス・メディアでも殺人にまで至ったストーカーをはじめとして、様々な形でストーカーに関する情報が見られるようになりました。 
 ストーカーという言葉が1995年にリンデン・グロスの本(※)によって紹介されて以来、ストーカーは身近な危険の一つになったことは確かでしょう。
 でも、ストーカーとは正確にはどのような人物を言うのでしょうか?
 もしかしたら、ストーキングとは言えない行為まで含めて呼んだり、ストーカーなのにそうだと認識していないこともあるのではないでしょうか?
 
 正式名称、ストーカー行為等の規制等に関する法律(施行H12・11・24)の2条から、法律上のストーカーの定義を抜き出して見ますと
 “特定の者に対する恋愛感情その他の行為の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者またはその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定のものと社会生活において親密な関係を有する者に対し”一号から八号に定める行為を“反復してすること”です。
 整理しますと
[目的]恋愛感情・好意やそれが満たされなかった時の怨恨の感情を充足する目的
[対象]当該特定の人、その配偶者や同居の親族、社会生活で親密な関係を有する人
[行為]一号から八号の行為の反復で保護法益を侵害、若しくは侵害される著しい不安を与え ること
[保護法益]被害者の身体の安全、名誉、行動の自由、住居等の平穏
以上、四つの要件を満たす行為がストーキングとなると考えられます。
 http://www.ron.gr.jp/law/law/stalker.htm
これは、今までは個々の行為では軽犯罪や刑法で処罰することが困難な事例へ対処するために“侵害”のみならず“著しい不安”を与えた際にも違法として処罰することで、他の法律とは大きく異なります。

 この法律の定義では、ストーカーの心理面へは踏み込んではいません。法律ですからどういった心理過程でストーカーとなるのか、ストーキングするのかは問題とはなりませんから当然ですが、この点について補足的に他のストーカーについての定義を参照してみます。
福島章(上智大教授・精神科医)、春日武彦(精神科医)、岩下久美子(ジャーナリスト)の三方の著書(※1)からストーカーの定義として共通する要素を抜き出してみますと三点あります。
 ①一方的な好意・恋愛感情
 ②妄想・幻想
 ③繰り返し・執拗に接近・付回すなどして迷惑・攻撃し被害を与える人
 となります。

 つまり、法律にはなかったのは②の幻想・妄想です。三者は精神医学の関連から②を要件としていると考えられます。法律でこの要件を入れると、いちいち精神鑑定をしなくてはならないので、外形から判断できる行為や目的を挙げて済ませたのでしょう。

 ストーカーという言葉を持ち込んだリンデン・グロスの著書では定義がないのですが、概ね、この定義に当てはまっていると考えられます。

 さて、このような二つの定義の関係を考え、ストーカーについての理解を深める最適の人物が新千円札の顔となった野口英世です。
 野口は山内ヨネ子と言う女性を二十歳の時から二十五歳まで追いかけています。野口はヨネ子に一目ぼれしてイニシャルでラブ・レターを山内家へ数回投函し、それに対して山内家はヨネ子の通っていた女学校と協力して差出人を探し出し、野口英世が当時フランス語を習っていた教会の牧師から止めてもらうように説得を依頼したようです。
しかし、それでも野口はあきらめずに、上京して医師開業試験予備校・済生学舎でもヨネ子を見つけて付きまとい、野口が開業試験に合格した後も、ヨネ子の家に上りこみ好意を伝えようとしたようです。(※2)

これはストーカーと言えるのか?単なる強烈な片思いではないのか?
 野口のケースは重大な二つの問題を提起してくれます。
 第一に、ストーカーとそうではない人の線引き問題です。
 第二に、ストーカーと時代状況の問題です。

第一の線引き問題を野口英世のケースで考えて見ます。
  これは非常に微妙で線引きを判定するには最適かもしれません。
 手紙の件があってから数年後、ヨネ子は野口と同じく、医者になるために福島から上京します。そして、上京後に、東京の医師開業試験予備校・済生学舎で一方的な野口のアプローチに含まれていた野口の個人講義の押し付けを受け入れていた部分があったようです。この押し付け講義でヨネ子は野口から頭蓋骨の標本をプレゼントされているようですし、何度も野口がヨネ子の家に訪ねてきた中で数回は家に上げたこと(ヨネ子は当然、当時の若い独身女性と同様に一人暮らしではなかったし、来客を上げるかどうかも年長の監督者が決めたはずです。)もあるようです。
 現在のストーカー防止法が当時あったとすれば、ヨネ子も家族も当然に警察へ申し出ることができ、野口英世は“住居等におしかけること”(二条一号)“面会、交際その他義務のないことを行うことを要求すること”(二条三号)を繰り返しているので、警察はヨネ子や家族からの要請のに基づき、警告(四条)や行為禁止の仮命令(六条)をすることができます。
 でも、法律的にはそうできても、果たして強烈ではあるが片思いであって、ストーカーだと見做すべきなのか否かが判断の難しいところです(ストーカー規正法は被害者の申し出がないと適用できません。また、私達の日常生活には厳密な法の適用をすれば違法である行為が多く含まれています。ですので、法律的には可能でも、実際に適用するかどうかの判断が問題になります)。現在、最も多くのストーカーが生じるのは元配偶者や元交際相手ですので(※3)、法律ではストーカーとして対処することができるが、心情として相手をストーカーとして法律の適用を迷うという問題と同じだと言えます。後に触れますが、ストーカーだった場合には、最初の対応が極めて重要になるので本当に難しい判断となります。

 法律を持ち出すかどうかの判断の鍵は、法律の定義とその他の定義との違いである②幻想・妄想だと、私は考えます。 つまり、相手が自分の側が出したメッセージによって行動を修正できるか否かです。 
 詳しくは次回のストーカーの心理面で出します色情狂・病的心酔、人格障害で述べますが、具体的に法律による対処を考えるかどうかは、この点で判断されるべきだと私は考えます。
 そうしますと、野口は最初に手紙を出した件でフランス語を習っている牧師から、ヨネ子は付き合う気も好意も無いことを伝えられているにもかかわらず、長期にわたって自分の感情や行動を修正することがなかったと言えるので、法律による対処を受けるのが妥当だと考えられます。 すなわち、野口英世は法律的にストーカーだと認定されるべきです

 但し、ここで第二の問題です。それは野口英世のこの行為は明治時代のことです。明治時代に現代の法律や、現代の概念としてのストーカーを持ち込んでいいのかという問題があります
 言い換えると、ストーカーは普遍的にストーカーなのかという問題です。
これも、次回の心理面で詳しく述べますが、結論を述べますと、基本的には違うと考えるべきです。
 しかし、やはり要件②の点は重要だと考えられます。
 どんな時代であれ、相手がいる関係で、自分の信条や感情だけで関係を作ろうとすることは不可能ですし、ましてや相手が受け入れないからといって加害行為や脅迫行為が許されることはあるべきとはいえません。
 時代や社会によって、許容範囲が違うことはあっても、ストーカーだと認定するべき存在の核はあると考えます。
 野口英世は、明治時代の基準から考えても、かなりグレーゾーンだったことは確かでしょう。もし、野口が手紙を出した時に医院の責任者(医院のオーナーである医師が日清戦争へ軍医として出征していたので、医院に書生として住み込んでいた野口が医院の管理責任を任されていた)ではなく、ただの労働者だったら、警察がすぐに介入していたでしょう。また、女性の地位が低く、同郷意識が高かった時代だったことも、野口の行為がグレーゾーンで留まった(行政の介入が要請されなかった)と見做される原因だったはずです。

 野口の例はあくまでも例だとしても、ストーカーは非常に身近であると同時に、やはり難しい判断が必要となる存在だと言えます。
 この難しさは、上述したような判断の難しさもありますが、ストーカーという言葉だけが一人歩きし、正確な理解がないことも多分にあるはずです。
 その最も有名な例が最近マス・メディアで有名になった奈良の騒音オバサンです。
騒音オバサンと近隣住民との十年に渡る苦闘を、オバサンの強烈なキャラクターと共に伝えられ話題となりましたが、住民がどうして十年も信じられないような困難に晒されたかというとストーカー法が生まれた海外の経緯から切り離されて日本ではストーカーが広まって、ストーカー法が制定されてしまったからだと、考えられます。

 ストーカーという言葉が海外で登場したのは、1980年代からで、それ以前は鹿狩りで鹿を追う人という意味が一般的だったようです。(※4) まず、有名人への執拗な付きまとい行為がスター・ストーカーとして注目され、女優がストーカーに殺害された事件によって認知が広まり、それがやがて家庭内暴力に含まれる配偶者からの嫌がらせ・加害へと概念が拡大して、さらにハラスメント(嫌がらせ一般)に含まれるようになったようです。
 つまり、日本ではセクハラとストーカーが結びつけて考えられないのです(何度も指摘しましたように、外来語の受容時の意味の捻じ曲げ問題です)が、ストーカーはハラスメント(嫌がらせ)の一部であって、それまでは違法とは想定されなかった行為に対処する時代の要請の一つだと言えると考えられるのです。
 最初に反ストーカー法を制定したカリフォルニア州法を見てみます明確に現れています。
 http://caselaw.lp.findlaw.com/cacodes/pen/639-653.1.html
 646・9(a)“any person who willfully ,maliciously,and repeatedly follows or willfully and maliciously harasses another person and who makes a credible threat with the intent to place that person in reasonable fear for his or her safty ,or the safety of his or her immediate family is gulty of the crime of staking.”とあります。
 又、イギリスでは嫌がらせ行為防止法で対処します(http://www.opsi.gov.uk/acts/acts1997/1997040.htm)。
 このような例からも、ハラスメント(嫌がらせ)という、それまでは違法性や加害性が社会から認められなかった分野が、人々(主に女性)の権利意識の向上によって、違法行為となっていった一つがストーカーだというのは理解されるでしょう。

 日本は、最初にリンデン・グロスによって紹介されたのが、一方的で妄想的な好意感情やそれが満たされないときの憎悪感情に基づくストーキング行為でしたし、マス・メディアもストーカーをハラスメントと関係するものだとは報道していませんでした(私の知る限り)。
結局、法律もストーカーはストーカーとして“恋愛感情又はその他の好意の感情”という制限をつけてしまい、ストーカーを社会の権利拡大の流れから切り離してしまったと考えられます。

 もともとの、ストーカーの位置づけ、カリフォルニア州法を見ても分かるように、騒音オバサンは明らかに、故意的に近隣住民を脅かし・困らせる行為を繰り返していたようですので、立派にストーカーの概念に当てはまります

 ですが、この日本のストーカー概念の限定(流れからの切り離し)は理由があるとも言えます。
 カリフォルニア州法をはじめとしてアメリカの約20州の反ストーカー法や連邦法、そのほかの国の反ストーカー法には各国憲法から違憲性があるのではないかという疑問があるのです。
当然、それは日本に同様の反ストーカー法が制定されれば、違憲の疑いが相当に出てきます。
 警察をはじめとする行政の恣意的な運用の危険は非常に大きいと言えるでしょう。特に、昨今の微罪での過剰な拘禁や有罪判決を見れば、日本で同様の反ストーカー法を制定するのは危険すぎるかもしれません。
 アメリカ各州の反ストーカー法にも、適用除外対象としてジャーナリストや労働争議などを挙げているものもありますし、適用についても具体的な行為(回数等)を挙げて法の悪用を予防する措置が採られています。
 もし、これらの措置が法律で明確に規定されていない反ストーカー法が制定されれば、議員のメディア規制のまたとない手段となってしまうことは明らかでしょう。

 もっとも、このようなハラスメント等の法意識の変化にストーカー規正法が位置づけられているとの意識は、見られません。それはそれで怖いことです。

 次回は、ストーカーの分類と心理面へと話を進めます。

※)リンデン・グロス『ストーカー』(祥伝社)
※1)福島章『ストーカーの心理』(PHP新書)、春日武彦『屈折愛』(文春文庫)、岩下久美子『人はなぜストーカーになるのか』(文春文庫)
※2)渡辺淳一『遠き落日』(角川文庫)
ロックフェラー大学  http://www.rockefeller.edu/benchmarks/benchmarks_060704_d.php
 野口英世の胸像は今も、ロックフェラー大学図書館にあり、それを目当てに日本人観光客が大学にきているようです。大学のホームページでもあるように、アメリカ、そして所属していたロックフェラー研究所(大学)でも、野口の存在は無視されているに近い状況のようです。新千円の顔になったと聞いたとき、日本人の私でさえ驚き疑問をもったのですから、アメリカ人にしてみたら理解不能に近い出来事だったのでしょう。
※3)警察庁 http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki17/taiou.pdf。ストーカーが元配偶者や元交際相手であることが最も多いのは海外でも同様です。
※4)P・E・ミューレン、R・パーセル、M・パテ 共著『ストーカーの心理』(サイエンス社)
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by sleepless_night | 2005-07-08 23:04 | ストーカー関連