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プラトニックなオナニーとAVの挫折。

 飯島愛さんが出演なさったアダルト・ヴィデオ(以下AV)を見たことがあります。 
 飯島愛さんがテレビのヴァラエティなどに出演するタレント活動をし始めていた頃ですので、1990年台初頭のことだったと思います。
 飯島愛さんが相手のAV男優と後背位で性交している一場面だけですが、写真のようにその場面を今でも記憶しています。
 飯島さんをテレビに出演しているタレントとして認知していたことも一因だと思いますが、それ以上に、後ろからAV男優に性器を挿入され四つんばいで前後に動かされていた(様に見える)飯島さんの姿から澱みのような疲労を感じたことが大きかったのです。
 以来、飯島さんを見ると、この記憶と感情が連想されます。
 飯島さんの半自伝的小説『プラトニック・セックス』(小学館)は2000年に100万部以上売れ、映画・ドラマ化までされたとのことですが、こうして思い起こして調べてみるまで、そこまで大ヒットしたことを知りませんでした。
 5年という時間に記憶を抗わせるほどの興味が私になかったからなのか、2000年当時も興味がなくて知らなかったのからなのかはわかりませんが、『プラトニック・セックス』は、飯島さんについての私の記憶と感情の連想にひとつの疑問を加えています。
 
(1)プラトニック・セックスとは、いかなる性交を意味するのか?

 私たちの「恋愛」の歴史、「恋愛」の「愛(アイ)」の歴史として最初となるプラトンの愛について述べてみます。(※)

①プラトン的
 プラトニックとは言うまでもなく、古代ギリシアの哲学者プラトンを指します。
 プラトンは中期の著作『饗宴』と『パイドロス』で愛(エロス)の思想を語っています。
①-1 『饗宴』は悲劇詩人アガトンの催した祝勝宴でなされた愛の神(エロス)への出席者それぞれの賛美の演説を取り上げたものです。
 第一の演者ファイドロスは愛の神(エロス)は神々のうちでもっとも古く、徳と幸福の源泉である。なぜなら、愛する者(少年)の存在こそが愛する者にもっとも恥の意識を惹起させ、もっとも勇敢に戦わせることができるからだと主張します。
 第二の演者パッサニヤスはファイドロスの演説へ修正を唱え、エロスを万人向けのものと高貴なものに分けます。前者は、男女を問わず魂よりも肉体を愛し愚昧さを深める。後者は、理性と力強さ故に、女性よりも男性を、少年よりも年長の青年へ向かわせ、導く者と導かれる者として智と徳の増進に結合するものと主張します。
 第三の演者エリュキシマコスはパッサニヤスの主張するエロスの二分を支持すると同時に、より広くエロスを捉えます。肉体においても健全優良と不良病素、音楽の和音、季節の変化による繁殖と疫害、神々への人間の犠牲と占いについてもエロスが役割を話していると主張します。
 第四の演者アリストファネスは愛の神(エロス)への賛美を人間の原型から主張します。アリストファネスによると人間には男・女・男女と三種の性があり、4本の手と脚を二つの顔を持つ球状の姿をしており、力強く気高い存在だったために神々に挑戦するに至った。神々は人間を弱体化させるために真っ二つに切断した。人間は切断されて以降、再びひとつの体となることを切望するようになり、この完全な姿への憧憬と追及がエロスだと主張します。
 第五の演者アガトンは前の演者たちはエロスのもたらす福利を賛美しているが、それ以前にエロス自体の本質を賛美するのが先だと主張します。愛の神(エロス)は神々の中の最年少者であり、これは、愛の迅速さと年若い者に常にあることからわかる。エロスは柔軟でもあり、これは愛が柔らかな魂に宿ることからわかる。そして、強制や不正によって愛が成されないから、エロスは正義であり公平である。エロスに触れたものが勇敢であり詩人となることから、エロスは勇敢であり智恵でもある。醜悪によって生じないことからエロスは美でもあり、美は善である。
 最後の演者ソクラテスはアガトンの否定から始めます。
 愛(エロス)とは何物・者かへ向けてであり、何物・者かを所有していないことから求める。エロスが美しく知恵を持つなら、エロスがそれらを求めるはずはない。したがって、エロスはそれらを有しない。
 ソクラテスはディオティマという識者から聞いた話としてエロスについて語ります。
 エロスは無知でも醜でも悪でもない。
 エロスは術策の神ポロスと貧窮の神ぺニヤの子であり、母によって貧しさや汚さを、父によって勇敢さや術策をもち、決して富裕になることも困窮することもない、中間にある。
 中間者とは求める者であり、美や智や善を追求することが愛(エロス)である
 エロスとはそれらの永遠の所有へむけられたものだといえる。
 死ぬべき存在である人間は、美しい者の中の懐胎・出産によって不死を目指す。
 肉体以上に魂における徳を教育によって若者の中に残し不朽を目指す。
 この愛の奥義に参するためには、若いうちから美しい肉体を愛し、その中に美しい思想を産み付けなくてはならない。そして、最初の美しい肉体は他の美しい肉体と姉妹関係を持っていること、あらゆる肉体の美が同一不二であること、そこから、肉体上の美よりも魂上の美を価値の高いことを悟らなくてはならない。

①-2 『パイドロス』は、当時の高名な弁論家リュシアスが語った愛(エロス)に関する弁論について、『饗宴』の第一の演者ファイドロス(パイドロス)とソクラテスとの対話を記したものです。
 リュシアスの「恋(エロス)によって相手を選ぶべきではない」という演説を賞賛したファイドロスにソクラテスは同じ主題でより優れた演説をし、さらに、リュシアスの演説も、ソクラテス自身の演説も聞こえのよさだけであり内容は真実ではないことを伝えます。
 そして、愛の神(エロス)へ、真実ではない内容をもってその名を汚したことを雪ぐために新たな演説をします。
 ソクラテスは人間の魂の本質について語ります。魂は不生不滅であり、天界において神々に従い諸々の真実の相を見る。諸々の真実の相のうち、美は天界においても、地上においても輝き、人間の知覚を刺激する。人間の内の魂は、魂において見た真実の美を想起、それを求めて翼なき鳥のように不可能な飛翔を欲望(マニア)する。美を備えた存在の放射によって魂は美を求めるもだえから救われ喜びに満ち、離れると苦悶し、相手を自らの魂の癒してとして崇敬する。この心情が恋(エロス)である。かくて、恋を装うものではなく、真に恋するものによって身は神のごとき奉仕をうけ、恋するものの言葉や優しさに感動し、こたえの恋(アンテロース)が生まれる。そして、互いの魂に満たされた情念の力で魂は失われた翼を生じ、神々の世界に向けた道へと踏み出すことができる。
 ソクラテスは、この命題の真偽について両方の演説をすることで、弁論による真実発見の術についてファイドロスに語ります。

② この二つの作品からプラトンの愛(エロス)についての思想を整理するとこうなります。
 まず、人間の愛(エロス)はかつて見た真実の美の相を魂が想起すること、自分の中にない美を求めて生じる。
 美を求める心情は、美しい肉体を通じて美しさそのものへと向かう(確かにプラトンは魂の肉体に対する優越を認めているものの、美という真理へは、美しい肉体を通じて接触することを述べているので、プラトン的(プラトニック)というのは単純な肉体や外見の否定とは解釈できない)。
 真実の美への崇敬から求めるものは欲望の暴走を理性の働きでおさえ、受け入れられた愛(エロス)によって欲望は性交として実現する。そして、真実という永遠を欲するのと同様に、性交の実りは永遠への望みである。

③ こう考えますと、『プラトニック・セックス』とは真実の獲得へと向けた人間の働きとしての性交を意味すると解釈できます。
 同著は未読ですし、映画もドラマも未見ですので、飯島さんの人生がこのような営みであったのかは不明ですが、近いうちに読んで確かめたいと思います。

(2) さて、紀元前4~3世紀の古代ギリシャの思想は、やがて紀元の境目となる出来事で大きく勢力を損なわれます。
 紀元、すなわち、キリスト紀元、イエスの生誕です。
 イエスの新しい思想は、福音書という形で現在に伝わっています。
 常識と思いますが確認しておきますと、福音書は、マルコ、ルカ、マタイ、ヨハネの四つで、成立はこの順に紀元60~90年の間だとされています。
 最後に成立したヨハネ伝はギリシア文化の影響下にあったためか、従来の愛の表現としての主流であるエロスをエロティックな意味合いから避け、アガペーという表現でイエスの愛を表します。
 初期のキリスト教はユダヤ教色の強い部分とアガペーの思想をもたらしたギリシア色の強い部分がありました。(※1)
 ギリシア色、ヘレニズム的な肉体と魂の二元論の受容はユダヤ的な性関係への一般視から罪悪視への変化をもたらします。初期のキリスト教にとっての最大の異端グノーシス主義との接触によって理論・制度の早急な整備を進める中でヘレニズム的な要素を利用しました。権威の混乱から、教会と信徒の整備が必要とされ、信徒集団を律する性規範が要請されます。そこに二重規範が生じます。すなわち、エロスとアガペーです。
 教団の構成員として子孫を必要とし、同時に性交を要請すること(エロス)とヘレニズム的な禁欲と魂の優越(アガペー)をいかに調整するかが問題化します。
 解決策として、教会は専門の聖職者集団と信徒という集団を二分化し、禁欲をする聖職者集団のアガペーによって、その他の信徒の生殖・性交(エロス)に救いを与える仕組みを採ります。
 これは同時に、ユダヤ教の律法のような外形的な社会規範の色彩の強い性の規律・拘束から、規律の内面化・浸透を促したことも意味します。
 つまり、ユダヤの律法のように人間の行動を外形的に拘束することで規律を維持するのに対して、イエスの説教では喩えや抽象的な黄金率を提示するにとどまり、聞くものにとって基準は明らかにされません。具体的にいかなる行動をとればイエスの愛に適うものなのか分からないにもかかわらず、イエスの示した愛(アガペー)を把握しておかなくてはならない。そこに不可視の規律の覆いが生じ、人々は不可視の中心にある愛に向かって、超空間的に結び付けられることになります。そして、愛を判断する正当権を教会が把持します
 “千八百年の間教会は人間の愛を、いわば去勢した形でしか、隣人愛の姿でしかみとめようとはしなかった。そうした形をとった愛はもはや性的魅力とは無関係で、したがって結婚論議にも例外的にしか登場しなかった。中世を通じて、愛が夫婦の抱擁の正当な目手となることは決してなかった。配偶者に対する義務の履行、生殖、それだけが夫婦交接の理由として認められた。”(※2)といわれるように、愛はあくまでも不可視の中心点である神(そして教会)の専売特許となったのです。

(3) このような愛と性交の専売制にあっては、当然、自慰(オナニー)などもってのほかということになります
 オナニー、オナンの罪は“ユダはオナンに言った「兄嫁のところにはいり、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫を残しなさい」オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入るたびに子種を地面に流した。(創世記38章8・9節)”を指し、本来は広く膣外射精を意味します。
 6世紀から11世紀の懺悔聴聞規則書では反自然の罪として2年ないし10年の贖罪断食が規定されていますが、聖職者による自慰であっても実際は50日の贖罪しかかされていない小さな罪として扱われていませんでした。(※3)
 自慰が現在ほどに着目されるのは、18世紀に入って宗教的罪悪から医学的病気へとオナニーが移ってからです。(※4)
 これは、近代に入っての子供観・青年観が大きく関係します。つまり、近代社会の産業によって生産の場・教育の場と家庭の役割が大きく分離し、教育や医療が発達したことで、子供は大人によって保護し・教育されなくてはならない存在として家庭の中心に位置するようになります。家も使用人などが同居する仕切りのない構造から個室化がすすみます。そうなると、教育により文字を読める子供・青年が自分の個室で読書するという習慣が誕生し、さらには、ポルノ小説を読みながら自慰をするという“オナニー空間”が成立します。
 “オナニー空間”は大人の保護によって誕生し、逆に、大人の監視を妨げ不安を増させます。 この不安はオナニーを宗教的罪悪から医学的病気へと表現されるようになりました。

 現在では、自慰が病気であるとの言説は、少なくとも教育や医療の場では流通していないと思います。
 自慰は“オナニー空間”の発達とともに産業を作りました。
 日本では1970年台以降の団地によって子供の個室化が進み、同時に、一家に一台だったテレビが個室へと備わるようになり、80年台ではビデオが普及します。
 この一連の“オナニー空間”の変化は、“オナニー空間”の到達点と言い得るほどに大きなものだともいえます。
 「こんなに清楚で可愛いのに、ほんまにセックスするんかい」との言葉に代表されるAVのアイドル路線からナンパやブルセラやレイプなどリアリティを追求した企画モノを経ての頭打ち、この一連の試みが個室の“オナニー空間”で人知れず、しかも日常裏に起きていたことは興味深いことです。 
 “オナニー空間”の成立以来、追い求められてきた自慰の補助としての性交の姿、ファンタジーが、AVの出現・発展によって終に“オナニー空間”において実現したのです。
 それは、文章でも音声でもなく、公開の空間ででもなく、個室において映像によって実現された。私的領域故に秘され、追い求められた性交の実相がAVによって、私的空間に、しかもファンタジックに再現され、それが性交と同様に日常的なものとして位置を持ちえるようになった(さらには、実際の性交を浸潤することにもなった)のです。
 
(4) 美しさを求め、AVにアイドル路線をとっても、リアリティ(真実)を求めて企画モノをとっても、自慰が自慰であるゆえに、ない翼を羽ばたかせる魂のように無力に地上に留まったままである。
 自慰は宗教的罪悪からも医学的病気からも切り離され、中空に飛び交う電波が伝える「恋愛」と漂う。
 プラトン的な試みも潰え、イエス的な規律も消失し、“オナニー空間”の到達が残される。
 そして、AVに出なくなった飯島愛さん。
 飯島さんのプラトニック・セックスは、挫折した“オナニー空間”に代わり、何かを掴み得たのでしょうか。


 次回も引き続き「恋愛」の歴史についてです。

 前回→「恋愛」/言葉を超えて




※)『饗宴』(岩波文庫)プラトン著 久保勉訳
  『パイドロス』(岩波文庫)プラトン著 藤沢令夫訳
※1)『性愛論』(岩波書店)橋爪大三郎著
※2)『結婚に関するキリスト教教義』(『性の歴史』藤原書店収録)J‐L・フランドラン著
※3)『西洋キリスト教世界における避妊・結婚・愛情関係』(同上)
※4)『性への自由/性からの自由』(青弓社)赤川学著
※5)『AVの社会史』(『色と欲』小学館 上野千鶴子編)赤川学著
 赤川学(信州大学助教授)さんは日本のオナニー界においてオナニー三部作の金塚貞文さん、実践の杉作J太郎さんと並ぶ巨星。
 
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by sleepless_night | 2005-12-29 19:44 |

「恋愛」/言葉を超えて

 前回恋愛の混乱と恋の普遍性の(2)言葉を越えての続き。“「恋愛」はなかった”とはどういうことか?について述べます。

 まず、話を進める準備として、“「恋愛」はなかった”に対する最も一般的な反発・反論の根拠である、動物としての本能、つまり性欲の普遍性からの反論を否定しておきます。

① 動物としての人間には本能があり、性欲は本能である。「恋愛」は性欲に基づく。したがって、「恋愛」は本能であり、普遍的である。という考えについて。
 これが“「恋愛」はなかった”を否定できるものではないことは二つのことから言えます。
 一つは、性欲、性交と「恋愛」がイコールではないことです。
性欲やそれに駆動された性交に普遍性があるとしても、「恋愛」によらなくとも性欲の満足や性交が可能であることから、性欲の存在は“「恋愛」はなかった”を否定できません。
 もう一つは、これに重ねて、性欲や性交が「恋愛」へと実現される必然性はないことです。
 つまり、性欲・性交=「恋愛」でもなければ、性欲・性交⇒「恋愛」ということも言えないのです。
 ただし、この二つは、あくまでも“「恋愛」はなかった”を性欲・性交の存在によって否定できない、本能によって「恋愛」を保障できないことを示すだけで、“「恋愛」はなかった”を積極的に肯定することにはなりません。

 そこで、重要になるのは「恋愛」をするとは何かということの検討です。

②-1「恋愛」をするとはどう言うことか?
 (1)③で述べたように、「恋愛」という語は、「恋」でも「愛」でも表す(翻訳する)ことができなかった言葉として、二つを併せてできた熟語です。
 既述したように、「恋愛」という訳語は表れてすぐに定着せずに、ラブ・ラーブなどから好愛・恋情・愛情・情交・恋着・恋慕などと試行錯誤が行われてきた中から生き残り、落ち着きました。
 それまで使われてきた「恋」に、ややマイナーでネガティブな「愛」をくっつけただけの安直さ、恋や愛という字が経てきた年月から来る慣れ、言葉としての座りの良さが成立に寄与した便宜的なものだとも言えます。
 しかし、「恋愛」という語は偶然で便宜的に出来たものかもしれませんが、ある部分でよく出来た言葉と評価できます。
 それは、「愛」という語を使用したことに大きく原因があります。
既述したように、「愛」は「アイ」として用いられることが少なく、「愛(アイ)」という言葉も「恋愛」と 同様に明治以降の言葉だと言えます。そして、「愛(アイ)」と「恋」の最大の違いは規範性の有無です。
 「恋愛」の「愛(アイ)」には、規範性が込められているのです。
 正確には、「愛(アイ)」として明治以降に再利用された言葉が担わされた規範性が込められているのです。

②-2 規範とは何か?
 規範とは“行動や判断の基準となる模範、判断・評価・行為などの基準となるべき原則”です。つまり、「~べき」論です。
 規範、「~べき」の宛先は言うまでもなく人間です。
 そして、個人内の規範ということもあり得ます(自分はどう生きるべきか等)が、行動や判断・評価ということは基本的に多数の人間が集まる社会の中の人間の規範ということを意味します。
 ですから、規範性ということは社会性という言葉にも置き換え得ます。
 言わば、社会の中の「べき」論です。
 
②-3 「恋愛」の規範性。
 「恋愛」の規範性とは「恋愛」の「愛(アイ)」の規範性ということです。
 「愛」は過去も、現在も男女間の好意感情を表す言葉でありますが、同時に、男女間よりも広い範囲を対象として男女間のとは異なる感情・思念を表します。
 それを、「恋愛」の「愛(アイ)」という限定、「恋」と「愛」という言葉を併せているのですから「恋」+「愛」⇒「恋愛」の順であるのを、逆に「恋愛」⇒「愛(アイ)」という形で限定して話すことになります。
 さて、その「恋愛」の「愛(アイ)」の規範性とは何を意味するのか?
 規範の内容、即ち「恋愛」の内容については、これから紹介して行く「恋愛」の歴史の後で述べたほうが理解され易いと思います。
 ですので、「恋愛」の規範性そのもの、「恋愛」に規範性があるとは何を意味するのか?ということについて述べます。
 ここで再び橋本治さんに登場願います。(※)
 “意外なことかもしれないけど、世の中に恋愛っていうものはないんですよ。そりゃあるかもしれないけど、世の中に存在する恋愛っていうものは必ずいかがわしいものなんですね。(中略)。恋愛っていうものが存在することを許されているんだったらサ、別に、結婚したら人間はそれをやってはいけない、なんてことにはならないもんでしょ?(中略)だからサ、恋愛って、ないの。あったとしても公然とその存在を許されてはなくって、たとえば“大目に見られる”“黙認される”って言うような形でしか存在を許されないのね。(中略)結婚ていうことを前提にして交際っていうのを続けてきて、それで結婚する寸前にその道筋っていうものをブッた斬ってみれば「ああ、この世に恋愛っていうものが存在する余地っていうものはないんだなァ…」っていうことは簡単にわかると思いますね。それをやったのが男であるにしろ女であるにしろ、ぜったにロクでもない言われ方しかしない。“婚約不履行”で訴えられたり損害賠償請求なんてことを起こされたりするって言うことは、それが恋愛なんかでなかったんだった言うことの証明以外のなにものでもないですからね。恋愛が結婚に続いていくと思っていて、どうやらそれがそうではないらしい、そういう続かせ方はなんか無理みたいだからやめようと思ったとたん、「傷物にしたな、金払え」ったいう請求が追いかけてくる。それが結婚まで行けば“祝福”っていうのがやってきただろうけど、たまたま結婚というものに行き着けなかったという理由だけで請求書というものが追いかけてくる。「だってあれは私たち二人の間での恋愛というものであった訳で…」なんてこと言ったってもう通らない。恋愛というものがこの世に公然と存在するものであったら、そのことで裁判沙汰なんかが起こる訳はない。(中略)このことではっきり分かることは、この世には結婚というものはあって、そのことはとても確固として存在していて、それのお余り、そこに行く途中のお目こぼしてとして“それを恋愛として享受する自由”とか“楽しい交際”っていうものがあるっていうことですよね。”
 (1)②-3で述べたように、橋本治さんは「恋愛」と「恋」を混用しています。
 上の引用部でも「恋」の意味で「恋愛」を用いているのですが、それが「恋愛」というものの規範性をよく表せています。 
 橋本さんは“結婚したら人間はそれをやってはいけない”“婚約不履行で訴えられたり損害賠償請求なんてこと”“「傷物にしたな、金払え」”と不倫や婚約不履行を例にして「恋愛」の存在できる余地のなさを訴えていますが、これは「恋愛」が「恋愛」だから生じるものですから、逆に「恋愛」の存在証明のようなものです。
 つまり、「恋愛」に規範性がある、社会の中の「~べき」論があるから不倫や婚約不履行という形態が存在するのです。(これは二つ意味があります。ひとつは不倫や婚約不履行という否定されるべき、忌まわれる存在があるのは、基準となる規範が存在するからという意味。もうひとつは、「恋愛」の規範があるから不倫や婚約不履行、特に不倫が存在できるという意味。つまり、不倫の前提となる結婚状態があっても、それが「恋愛」の「愛(アイ)」の規範から見て支持できないようなものならば、より「愛(アイ)」の規範に適った関係を優先するべきだという根拠ともなりうるという意味でもあります。)(※1)
 もっと積極的に表せば、「恋愛」とは規範を伴う行為であり、価値追及行為であると言えるのです。(※2)
 “「恋愛」はなかった”というのは、そういった規範や価値追求の行為である「恋愛」がなかったということです。
 規範性、社会の中の「~べき」論、社会の中の価値追及行為には大きく二つが関係します。
 ひとつは、結婚という制度です。
 もうひとつは、性交です。
 「恋愛」とは、結婚という制度と性交という行為と組み合わされることで規範性や価値を形成するものなのです。
 これは、近代即ち明治時代以前とは決定的に異なります。
 結婚に「恋」が必要、「恋」による結婚こそが正当なものだともされていませんでしたし、性交に「恋」が必要であり、「恋」による性交やその結果である新しい生命の誕生こそがあるべき姿だとも考えられてはいませんでした。(そんなことを言っていればイエが守れない。)
 さらに、「恋愛」の規範性、価値追及に関係する性交の主体である人間観も近代以前と以後では大きく異なります。
 個人という言葉も「恋愛」と同様に明治時代の訳語として登場しましたが、この個人という言葉が示すような一人の人格が「恋愛」をし、「恋愛」に関連するところの性交が人格に深く根ざしたものであるという発想もありようがないのです。
 「恋愛」に規範性があるからこそ“「恋愛」はなかった”といえるのです。

(3) 整理
 言葉を整理しておきます。
 「恋」:個人の中の、特定他者に強く惹かれる感情のこと。
 「恋愛」や「愛」と異なり、規範性や社会性は不要。したがって、「恋」は社会や時代の影響を受けずに普遍的に存在し得ると言える。(※3)
 
 
 「愛」:対象に限定されず、規範性に基礎付けられた肯定・好意感情のこと。
 恋人、夫婦、家族、友人、と身近な人物・関係から学校・会社などの組織や国家、さらには人類、生物と幅広く、その存在や関係を重要なものと認める感情。

 「恋愛」:特定他者に対する相当程度に強い好意感情を規範や価値追求に現すこと。
 「恋愛」の「恋」と「愛」と二つの語の内、「愛(アイ)」の方が要素として圧倒的で、「恋」を型付けていると言える。
 
 
 では、肝心の「恋愛」の内容とは何か?ということについて、次回以降で「恋愛」へと続く歴史を振り返ります。


※)『恋愛論』(講談社文庫)橋本治著
※1)明治以前も以降も、不倫は姦通・私通や浮気・不埒・不義・密通と呼ばれて否定されるべきものでした。女性の不倫は1947年まで姦通罪として犯罪でした。しかし、そこでの不義とは「恋愛」の規範性に反することではなく、イエの論理に反することであって、現代の不倫とは意味がことなります。姦通罪を廃止するか否かの審議においても、女性の姦通によって夫が自らの血を継ぐ子孫を残せないのではないかという点が重視されています。
 不倫という言葉が現代のように既婚者と未婚者、若しくは既婚者と既婚者の関係を一般に意味するようになったのは1980年以降です(広辞苑では1983年以降)。以前は、不倫は文字通りに人倫にはずれるという意味です。
 イエの論理に反するのが不義であるということは、イエ(公儀)の承認がない関係は未婚同士であっても、買春であっても不義であり、タテマエとしては犯罪となりました。(タテマエはあくまでもタテマエにすぎず、性の規律の徹底とは程遠いのが実際です)
参照:『不義密通』(講談社選書メチエ)氏家幹人著
※2)『情熱と親密性の間』(朝日新聞社『恋愛学がわかる』収録)山田昌弘著
 「恋愛」が価値追及行為であることは、本田透さん(『電波男』)と酒井順子(『負け犬の遠吠え』)さんによく現れています。 →『電波男』は「答え」となりうるのか?
※3)求愛型ストーカーは「恋」をしている、「恋愛」における「愛(アイ)」の規範性の変化を伴った広域化によってはみだした「恋」によって現れた存在とも言いうる。
 参照→世界の中心で愛を叫ぶもてない男とストーカーをめぐって
 
 
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by sleepless_night | 2005-12-19 21:00

ご質問への応え。

 「報道」の「真相」のコメント欄より、104様のコメント:フロムが他人への愛と、自己愛とは一致すると考えるのはなぜか?またその難しさについておしえていただけないでしょうか? 

 『世界で一つだけの花』と「自己愛」をめぐって/人格障害part3補論の記事をお読みくださってのご質問と考えて、応えさせていただきます。

 以下、『愛するということ』(紀伊国屋書店)エーリッヒ・フロム著/鈴木昌訳の第二章“愛の理論”の要約です。
***************
 人間は死の認識に端的に表されるように孤立した存在であり、その孤立感から逃れたいというのが人間の最も強い欲求である。
 孤立感から逃れる・克服する幾つかの手段の一つが、自分以外の他者と融合すること。
 この他者との融合の達成を単純に愛と呼ぶことはできない。
 なぜなら、融合の達成手段は多様だから。
 そこで、恣意的にではあるが、実存の問題に対する成熟した答えとしての他者との融合を愛と呼び、未成熟なものを共棲的結合と呼ぶ。
 愛は受動的な感情ではなく、能動的な活動である。愛の能動性は、愛とは与えることであるという表現に良く示される。
 与えるとは犠牲や剥奪されることではなく、自分のもてる力のもっとも高度な表現である。自分のもてる力、生命力の表現行為であり、喜びである。与えることで相手を豊かにすると同時に、自分も高められる。
 愛は、与えることの他に、配慮、責任、尊敬、知という性質を持つ。
 配慮とは、愛するものの生命と成長を積極的に気に掛けること。
 責任とは、外から押し付けられる義務ではなく、自発的で、相手の要求に応じる用意があるということ。
 尊敬とは、その人のありのままの姿を唯一無二の自由な存在として認めること。
 知とは、自分の思い込みや想像を押し付けるのではなく、相手の本質を知ろうとすること。
****************

 104様のご質問に対する答えとしては、愛は能動的な活動であるとフロムが考えていることが重要なのではないかと思います。
 より端的に申せば、愛は能動的な活動であり、能動的活動の前提には能力の問題があるということです。
 対象が自分であれ、他人であれ、必要とされる能力は一緒であり、人間の成長過程(能力形成)の段階が自分⇒他者の順であるために、自分を愛せること(自己愛)が他者への愛へと“連結”している、前提となっていると考えられるのでしょう。
 
 104様の仰る“その難しさ”についてですが、自己愛と他者を愛することとが“連結”する難しさのことを仰っているのだと解しますと、それは愛するという能力を持つこと、愛することができる人間として成長すること(成熟すること)の難しさと言う事ではないでしょうか。
 “愛とは本質的に、人間的な特質が具体化されたものとしての愛する人を、根本において肯定することである。中略。特定の個人を愛するときにはじめて人間そのものを愛することになるが、人間そのものを愛することはあくまで特定の人間を愛することの前提なのである。”
 まず、自分の存在を、自分の生き方、生きる様を“肯定”できるか。
 その能力を他者へと向けることができるか。
 さらに、特定の他者のみならず、人間という存在そのものへと向けることができるか。
 言い換えると、人間という存在への根本的な信頼感を基調にして生きることができるか、ということかもしれません。

 

  尚、この記事はフロムの同著を私がどう解釈しているかを示したものであって、フロムの愛の定義や同著の内容の全てを私が支持していると言うことではありません。

 心理学に関するスタンス⇒勘違いする男と女/「マザコン」問題の前提ストーカーとは何か?/ストーカーの心理を問う前に
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by sleepless_night | 2005-12-13 21:09 |

恋愛の混乱と恋の普遍性

 “恋愛っていうのは周囲に暗黒がある。その“暗黒”の性質っていうものがどんなもんかっていうのは今話しちゃったようなもんですけど、恋愛っていうものは必ずそういうもんなんですね。もうちょっと突っ込んだことを言ってしまえば、人間が恋愛をする、恋に落ちるということは、そこではじめて、自分を取り囲む、“暗黒”というものがある、そういうものがストーっと自分を取り巻いて来ていたんだっていうことを知ることなんですね。”
          『恋愛論』(講談社文庫)橋本治著

 “恋人以外の人にのろいをおくらぬとは、恋人を愛するが故に他人を損なうようにならないことだ。恋の中にはこの我儘がある。これが最も恋を汚すのだ。”
         『出家とその弟子』(新潮文庫)倉田百三著

 大正5年(1916年)と昭和61年(1986年)。
 70年の時を挟んだ、この二つの作品には、二つの共通点があります。
 一つは、言葉遣いの混乱(未整理)。
 もう一つは、恋の普遍性。

(1)言葉の問題
 橋本治さんは、恋愛と恋を、倉田百三は恋と愛を、同じものとして扱っています。
 恋愛、恋、愛、これらの言葉の整理からはじめます。

 『出家とその弟子』は、浄土真宗の宗祖・親鸞の死後に、親鸞の言葉を唯円がまとめた(とされる)『歎異抄』を戯曲化した作品です。(※)
 したがって、設定は親鸞の生きた13世紀です。
 この時代、「恋愛」はありませんでした。
 それを考慮してか、同作品中には「恋愛」と言う語は出てきません。
 しかし、作品の内容は「恋愛」そのものです。

 どういうことか?
 
① 非常に簡単に言えば、13世紀当時に「恋愛」と言う言葉がなかったと言うことです。 
 「恋愛」という言葉が日本語の辞書に現れた最初は1887年版『仏和辞林』だと推定され
ています。(※1)
 そして、実際の用例は1870年~71年に出た中村正直訳の『西国立志編』だとされています。当初は、訳語が落ち着かずに、“ラーブ”“ラアブ(恋愛)”などとして、訳語がそのままに使われなかったものの、明治時代を通じて「恋愛」という語は定着して現代に至っています。(「恋愛」という訳語は『仏和辞林』からではなく、幕末から明治で使われた『英華辞典』の系譜に属すると考えられています。)

② では、「恋愛」という訳語が出現する以前はどうしていたのか?
 その疑問に答えるのが、「恋」と「愛」です。(※2)

 「恋」も「愛」も、日本最古の歌集である万葉集(8世紀)に現れる古い表現です。
 但し、どちらも現在の意味とは異なります。

②-1 まず、「恋」について。
 現在、「恋」は男女間の一定以上に親密な好意感情を示す際に主に用いられますが、古来はより広い人間関係においての感情を示すために用いられています。
 しかし、「恋愛」なき時代において、男女間の愛情表現を担った最たる言葉であることも事実です。
 日本における最古の文献資料の一つである記紀歌謡では「恋」を表現した例は非常に少ないのですが、万葉集では相聞歌という分類があることが示すように「恋」を詠った歌が多くあります。
 「恋」即ち「コイ」と言う言葉そのものの意味は何か?
 20世紀、日本の民俗学の基礎を築いた一人、折口信夫は「コイ」を「タマコヒ」と同根であると指摘しました。
 では「タマコヒ」とは何か?
 「タマコヒ」とは「魂乞」です。
 古来、日本人はミ(身)にタマ(魂)が宿っているのが生きていることだと考えていました。ところが、このミ(身)とタマ(魂)の関係には不安定さがあり、タマ(魂)はミ(身)からふらふらと離れてしまったり、他のタマ(魂)がついてしまったりということがある、そして、それが死であったり、病気であると考えました。(※3)
 「魂乞」といは文字通りに、タマ(魂)をコフ(乞う)ことです。
 つまり、男女に限らず、親密な感情のある人間関係とは、それぞれのミ(身)が近くに存在することと同時に、ミ(身)の中のタマ(魂)も近くに存在することだと考えたために、その関係がなくなることは相手のタマ(魂)が離れてしまうことだと考えます。
 そこで、その関係がなくなること、離別を悲しみ、相手を慕う気持ちを、今は離れてしまった相手のタマ(魂)を乞うことと考え、「コイ」という言葉になったと折口は指摘します。
 さらに、万葉集当時は平仮名も片仮名も成立していなかったことから、漢字の音を用いた表現がなされていました。
 「コイ」も「恋」以外に「古非」「孤悲」と表現されます。
中でも「孤悲」とは単に音を借用したのではなく、「孤独の悲しみ」という意味を込めているのではないかとの考えがあります。
 「恋」という表現を用いた場合にも、万葉集の通例である「~に恋ふ」の「~に」を対象と同時に原因の助詞と解釈すると、「恋」とは相手に引き寄せられる自分の感情を意識すると同時に、相手との間に物理的心理的な距離が存在していることを悲しむという、内向的で受動・消極的な感情を表す言葉だと考えられます。

②-2 「愛」について。
 「愛」については三つのことを押さえておく必要がります。
 一つは、「愛」とは「恋愛」の出現以前には「アイ」として今日ほどには用いられなかったことです。
 「愛」を「アイ」として用いることと同時に、「愛ず」「愛しい」という表現、つまり、「恋」
に近い自分の内向的な感情表現として用いられます。「愛」が現在のように「アイ」として用いられるのは、「恋愛」と同じく明治以降です。
 二つ目に、「愛」にはネガティブな意味があること。
 つまり、仏教で言う四苦八苦に愛別離苦とあるように、「愛」には執着(愛着)の意味があったためにネガティブな意味がありました。(このために、室町以降にやってきたカトリックの宣教師は「愛」の変わりに「お大事に」を用いています。)
 三つ目に、これは現代でも言えますが、「愛」の用いられる対象は男女間のみではないこと。
 「恋」も男女間のみではありませんでしたが、「愛」はより広い対象に用いられます。

②-3 「恋」と「愛」
 以上で、「恋」と「愛」について述べましたが、実は「恋」と「愛」を分ける最も重要な点を抜かしています。
 明確に指摘しなかっただけで、内容としては述べてあるのですが、以降のためにもハッキリさせておきます。
 「恋」と「愛」を分ける最重要な点は、規範性(社会性)の有無です。
 「愛」には規範性がありますが、「恋」にはありません。

 これは②-1で述べた「恋」そのものの意味からも分かると思いますが、「恋」は自分一人の気持ちの問題ですから、「~であるべきだ」という要素がなくとも成立します。
 端的には、所謂片思いというものを「恋」と表現できることからも理解されると思います。もう少し加えると、一方的に誰かに強い好意感情を向けている人に向かって「愛しているなら諦めろ」ということはできても「恋する気持ち」は抑えられないことが言えるということです。
 つまり、冒頭に引用した橋本治さんの文は「恋」についてであって、倉田百三の文は「恋」と「愛」を同じ文脈で未整理に使ってしまっているのです。特に、倉田は“聖なる恋”などと「恋」に「愛」の要素を混在せて用いています。

③なぜ、「恋」と「愛」を結合させた「恋愛」と訳語が作られたのか。
 「恋愛」という訳語が固まる過程で「愛」という言葉を「アイ」として用いることもあったのですが、②-2で述べたように「愛」は広い意味を持っていたために男女間に限定することを示す場合として、それ以前の男女間の感情表現として主だった「恋」をくっつけたと考えられてます。(※4)
 「恋」だけでは、二つの理由で訳語としてそぐわないと考えられました。
 一つは、②-1で挙げた「恋」の内向性。
 もう一つは、次に述べる「恋」に近世における断絶があるからです。

④近世における「恋」の断絶。(※5)
 近世、つまり江戸時代が始まる17世紀やその過程である16世紀になると遊里が整備されました。
 それ以前から、もちろん遊女(売春婦)は「遊び女(め)」として存在していましたが、都市が発達した近世からは都市に存在する異界としての遊里が登場します。
 遊里は単純に男性の性欲を解消する場としてのみならず、一つの文化を育む土壌となりました。
 そこに、「恋」が取り入れられます。
 代表的には花魁などの高級遊女との間に擬似的な「恋」の体験がなされ、ついには、遊里という特殊な場所へと「恋」が収斂されます。
 もちろん、都市における遊里という異界へと押し込められているわけですから、それは規範性(社会性)を欠く「恋」とは同じものではなく、「色」と呼ばれる独特のものとなります。
 「色」では「恋」のような偶然性や危険性は殺がれ、個別性もありません。
 遊里という場所にいけば、用意されている安全な遊戯化された「恋」です。
 このように「恋」が遊里という場所へと、そして肉体関係の要素を強くもったがために、近世(江戸時代)が終わり近代(明治時代)へと入った時に、「恋」は男女関係における感情表現の主たる地位を「恋愛」へと明け渡さなくてなりませんでした。

⑤「恋」を断絶させた遊里という場、遊戯としての「恋」はその漢字を生んだ中国が源です。(※6)
 「恋」という文字の最初の用例は『易経』(前4世紀)ですが、現代のような意味ではなく「思う」「偲ぶ」の意味で、用例も少なく、晋代(4世紀)になると詩の表現に「恋」が多くなるがやはり男女関係の感情表現には限定されず、中国最後の王朝清でも同様です。
 日本では遊里の「恋」を表す「色」は、美しい女性を意味し、広がって現代も使う好色のような欲望を意味します。
 「愛」も、男女間のというよりもより広くを対象にします。
 では、中国では日本の「恋」に相当した言葉はなかったのかというと、「情」がそれに該当します。しかし、日本の「恋」とは異なり、夫婦間でも未婚男女間でも遊女との間でも「情」という言葉が用いられます。
 この言葉の状況が示すように、中国では19世紀にいたるまで男女間の「恋」を思想的に語ろうとうする動きがなく、「恋愛」は日本から逆輸入(「恋愛」という文字自体は宋代の『青瑣高議』にある)されたのではないかと推測されています。
 まず、中国では前5世紀には王侯貴族の間では「父母の命、媒酌の言」による結婚とその前提となる男女交際の禁止が常識化しており、媒士という官職が存在することから、広くこのような男女関係の規律があったと考えられています。
 つまり、男女関係は個人的なものではなく、共同体の存続という観点からの強度の制約があったと考えられます。
 このような厳格な制約が長く維持されたため、夫婦間での感情をも「情」と表現し、むしろ夫婦間の方が主流となります。
 そして、未婚男女の接触のなさが夫婦間の「情」を生んだと同時に、唐(7世紀)などの巨大な都を持つ王朝が成立し、それを支える官僚機構が現れると、高級官僚や文人の間では遊里での遊女との交際が日常化します。
 ここでの儀礼化された「恋」が日本での遊里にも用いられ「色」となるわけです。
 しかし、日本と異なるのは、中国ではやはり「父母の命、媒酌の言」に表される儒教文化によって男女交際の自由が強く阻害され、交際の中で生じる感情の機微を重視する「恋」ではなく、遊里や閨房での技術に収まってしまう傾向が続きました。

(2)言葉を超えて。
 さて、ここまで「恋」「愛」「恋愛」と言葉について述べてきましたが、言葉がなくとも、表すものがなくとも「恋愛」はあったのではないか?という疑問が当然に現れます。
 対して、“翻訳語「恋愛」によって、私達はかつて、一世紀ほど前に、「恋愛」というものを知った。つまり、それまでの日本には、「恋愛」というものはなかった。”との断言もあります。
 しかし、はたしてそうか。
 おそらく、“「恋愛」はなかった”という言葉は世間から非常な抵抗を持って迎えられるものでしょう。
 基本的には、“「恋愛」はなかった”を私は首肯します。
 但し、それは、あくまでも「恋愛」という言葉、そしてそれに括られた概念や感情の集合として認識されることがなかったという意味で、人が人に強い好意の感情をいだかなかったということでは全くありません。
 この点について、もう少し丁寧に述べます。


※)『歎異抄』を戯曲化といっても、『出家とその弟子』の親鸞や善鸞と唯円との間の会話に相当するような内容は『歎異抄』にはありません。念のため。『出家とその弟子』は内容の8割方が新約聖書の影響にあり、キリスト化された親鸞像を倉田が創出したものだと評価するのが相当だと考えます。
※1)『翻訳語成立事情』(岩波新書)柳父章著
※2)『日本人の愛』(北樹出版)伊藤益著
※3)『霊魂感の系譜』(講談社学術文庫)桜井徳太郎著
※4)『恋愛の起源』(日本経済新聞社)佐伯順子著
※5)『<男の恋>の文学史』(朝日新聞社)小谷野敦著
※6)『恋の中国文明史』(ちくま学芸文庫)張競著 
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by sleepless_night | 2005-12-11 11:52 |

「報道」の「真相」

 Hiroshi Yamaguchiさんのブログhttp://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4065735
で日本テレビの「真相報道バンキシャ!」に疑問が呈されています。

 すでにhkkkdさんが『北海道に住む国家公務員日記』の「取材の自由」の限界で必要十分な解説をなさっているので、何も法律的には言うことがないのですが、一つ繰言を加えさせていただきます。

 番組HP(http://www.ntv.co.jp/bankisha/index.html)によると、福沢朗さんと菊川怜さんが同番組のメインキャスターを勤めていらっしゃいます。
 そして、番組のタイトル通りに同番組は報道番組に分類されています。
 http://www.ntv.co.jp/news-info/index.html

 福沢朗さんは、88年から日本テレビのアナウンサー、そして、05年6月30日に退社して、現在はフリーアナウンサー。
 http://66.102.7.104/search?q=cache:CU4sFza2Xv4J:www.asahi.com/culture/update/0513/013.html+%E7%A6%8F%E6%B2%A2%E6%9C%97&hl=ja
 菊川怜さんは、オスカープロダクション所属の女優(タレント?)。
 http://www.oscarpro.co.jp/profile/kikukawa/

 女子アナものAVではなく、女子アナがAVに出る日で述べたことがここでも言えます。

 福沢さんもアサヒビールのCMに出演なさっています。
 http://www.asahibeer.co.jp/shinnama/

 女優に報道番組のキャスターをやらせる時点で、すでにこの「真相報道」とやらの底が見えていたのです。
 それに追いうちと言うか、裏書というか、お墨付きというか、を福沢さんがしたのですね。

 最初から、「報道」とは認識するべきではない、と言うのが「真相」ではないでしょうか。


追記)H Yamaguchi(山口浩)さんのコメントを受けて。
コメント:“「バンキシャ!」のキャスターの人々の本職に関する点は、正直よくわかりません。利害関係がまずいというのであれば、「参加型ジャーナリズム」なんて存在自体おかしいですよね。誰が番組に出てるかより、何をやってるかのほうが大事なように思えるのですが、どうでしょうか。”

 利害関係がまずいというのであれば、「参加型ジャーナリズム」なんて存在自体おかしいというご指摘について
 これは、“利害関係がまずい”即ち「報道に携わるものがCMに出てはいけない」と言うこと自体を「参加型ジャーナリズム」の存在を理由に否定できるということでしょうか?
 そうであるなら、順序が逆だと私は考えます。
 つまり、ジャーナリズム・報道において「参加型ジャーナリズム」以前にマス・メディア(新聞、テレビ、雑誌、ラジオ)にジャーナリズム(職業ジャーナリズム)があり、そこで報道、ジャーナリズムとは何かという理念や概念が生まれたはずです。
 確かに、既存のマス・メディアの報道・ジャーナリズムに限界や欠点が目立ってきたことから「参加型ジャーナリズム」が考案されたのだと思います。
しかし、既存のマス・メディアの報道やジャーナリズムによって生み出されてきた報道やジャーナリズムという理念・概念自体を否定するものではないのではないでしょう。
 「報道に携わるものがCMに出てはいけない」ということ、より広範に言えば、「ジャーナリストは当事者になってはないけない」「ジャーナリストは読者・視聴者に対する義務を最上に置かなくてはならない」という倫理規範は「参加型ジャーナリズム」に要請されるべきこそすれ、それをもって従来の報道やジャーナリズムを否定する理由にはならないと考えます。
 (海外のニュースについてはネットを主に情報源にしているので分からないのですが、海外でも報道番組のキャスターがCMに出ているのでしょうか? 金融問題に関するニュースを伝えて「CMです」と言った直ぐ後に、同じ人物が「~の保険はよい」と伝えるという事態は海外でも起きているのでしょうか?)

 では、“利害関係がまずい”によって「参加型ジャーナリズム」は成立しないのか?と言う点について。
 まず、「参加型ジャーナリズム」をどのような位置で考えるのか、「参加型ジャーナリズム」に対してどのような期待を持つのかという前提によって、この点についての見解は分かれると思います。
 「参加型ジャーナリズム」が既存のマス・メディアによるジャーナリズム(便宜的に「従来ジャーナリズム」と呼びます)に代替するもの、競合するものに位置する、として期待するのならば、“利害関係がまずい”は「参加型ジャーナリズム」にとって大きな問題となるでしょう。
 特に、現在のネットの大部分の言説が匿名によって成っている、匿名情報が大きな力になっていることを考えると、“利害関係がまずい”を回避する、「従来型ジャーナリズム」と同様の利害関係に関する倫理規範を保持することは「参加型ジャーナリズム」に対する期待の実現を大きく阻害するはずです。
 これは、現に「参加型ジャーナリズム」を標榜しているJANJANの記事を見ると理解されるのではないかと思います。(記憶違いです。JANJANはペンネームも可でした。http://www.janjan.jp/journalist/journalist.html)
 「参加型ジャーナリズム」を「従来型ジャーナリズム」の代替や競合するものではなく、補足的なもの、さらには「従来型ジャーナリズム」にはない機能(議論や視点の多角性)と言う点からみれば“利害関係がまずい”は「参加型ジャーナリズム」にとって致命的なものとは言えないと考えます。
 確かに、“利害関係がまずい”という認識、報道やジャーナリズムの実践に関わる倫理規範の認識があることは必要だと思います。
 しかし、「従来型ジャーナリズム」の担い手と違って、それを生業にしていない以上は“利害関係”の明示、それも主に発信者の倫理観に頼っての、があることでよしとしなければ現実的ではないでしょう。
 その脆さを補うことは、「従来型ジャーナリズム」なら不可能だと思いますが、「参加型ジャーナリズム」ならば「参加型」故に可能だと考えます。
 つまり、「参加型ジャーナリズム」の機能によって“利害関係”から生じる偏りが是正される可能性、若しくは、偏ったものであると他の参加者によって示される可能性があると言うことです(報道ということではありませんが、ソニーが宣伝目的でブログを利用した件でこのような機能が発揮されています)。⇒追記:ユートピア論を唱えるつもりはありませんが、“許された危険”とネットの匿名性で述べたような善意に期待する部分はあります。もちろん、善意に依存するというのではなく、基本的には善意であろうという期待に立つという意味でです。現状でも厳しさは感じますが、これを放棄するとネットを利用した「参加型」の力は相当に落ちると思います。

 この二つのタイプがハッキリと分明されて存在せずに、幾つもの「参加型ジャーナリズム」の場や組織がそれぞれの色合いで存在することができれば、“利害関係がまずい”ということを何とかクリアできるのではないかと、私は考えます。
 これが「参加型ジャーナリズム」の最終的な形としてどうかという疑問があり、ネット出現以降のジャーナリズム全体の形としても最善とは思えませんが、ひとまずの形(一つの段階)としては適当なのではないかと思っています。

 誰が番組に出演しているかよりも、何をやっているかの方が大事というご指摘について
 これは全くその通りだと思います。
 上記の記事の書き方が悪かったために、本業が何かということを指摘しているように読めてしまったと思います。
 しかし、基本的には上記記事でもリンクした女子アナものAVではなく、女子アナがAVに出る日と同様のことを述べたかったのです。
 
 何をやっているか、報道をしているのか、ジャーナリズムを実践しているのか、ということが、報道番組としては言うまでもなく核心だと思います。
 それができていないことと、誰がやっているか、その人物が報道やジャーナリズムをどう考えているのかは結びつくはずです。
 今回で言えば、福沢さんはアナウンサーとして報道やジャーナリズムに関わっていたものの、CMに出ること、人物に対する視聴者の信頼を一企業の宣伝に用いたという行為によって、どの程度の考えでやってきたのかが表されているのではないでしょうか。
 菊川さんの報道やジャーナリストとしての実績を私は知りません。
 本業が何かと言うことではなく、なぜ報道とは言えない、ジャーナリズムの実践とは言えないと認識される行為を報道の名の下でできたのか。
 それが、メインキャスターを務める二人が何をしている人なのか(本業が何かということを決めるのではなく)を見ることでも理解されるのではないかと思います。

 一企業の商品を宣伝すること、つまり、視聴者への義務よりもスポンサーへの義務を優越したものと認識される行為を行えた人物と演技することを実績としてきた人物だから、できたのではないか。
 そう私は思います。


 
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by sleepless_night | 2005-12-02 22:46 | メディア

ウォシュレットと「恋愛」の発見

 「性」について本論へ入ります。
 本論というからには長い話となり、これまでの記事同様に大変に退屈な話となります。
 そこで、話の前にトイレに行っておきます。
 (以降、シモの話が続きます。食事の前後や気分の優れない方、シモの話題に嫌悪感が強い方はご注意ください。)
 
 私はトイレが好きです。
 トイレは大小便をする場ですが、好きなのは大小便ではなく、トイレという場所です。
 しかし、大小便と切り離して存在するトイレはありません。
 したがって、大小便をする場としてのトイレという空間が好きというのが正確なところでしょう。
 
 “わたしは、幼少のころから、なぜか糞尿に興味をいだき、「人間はどうしてウンチをするの」といって、学校長だった謹厳なる父親を悩ましたものである。これこそ、偉大なる科学の科学心の芽生えというべきであろう。少年の頃、私は肥溜めに落っこちて、全身黄金仏となって救い出されたことがある。このとき、糞尿の神は、わたしに乗り移ったのであろうか。やや長じ、高等学校生徒のころ、私は大学受験勉強をほっぽらかして、狸の「ため糞」の研究に没頭した。狸という動物は、糞を撒き散らさず、一箇所のまとめてする習性をもっている。わたしは、狸をたずねて中部山岳地帯の山野を跋渉し、ため糞をみつけると随喜の涙を流したものである。大学にすべりこむや、さっそく「狸のため糞の観察とその記録」という堂々たる学術論文を書き上げたが不幸にして、学会の認めるところとならなかった。つづいてわたしは、「獣類の糞尿に関する総合的研究」という一大テーマをかかげて文部省の科学研究費を要求したが、にべもなくぺけにされてしまった。世の識者たちは、およそ糞尿などというものは科学研究の対象にならない、と考えていたらしい。わたしは、大学を卒業すると、世をはかなんで伊豆の山奥に遁世し、もっぱら狸を友として暮らしていたが、あるとき一貫の書物を手にしたことによって、翻然と悟りの道へ入ったのである。” 中村浩(共立女子大教授・理学博士)※

 悟りを得てはいませんが、トイレには行けます。
 トイレ、特に自宅以外のトイレとは、そのトイレが属している建物のほかの部屋とは明らかに異なる空間であり、違った空気が支配する場だと感じます。
 換気設備が整った清潔なトイレに入ると、それまでの思考や感情からひと時の開放を得ることができます。

 さて、そのトイレに入り一息ついてみます。
 見渡してみますと
 トイレにはドアがあります。
 男子トイレなら小便用と大便用の個室があります。
 大抵は水洗トイレで、トイレットペーパーが備え付けてあるか、小さなパッケージで売っています、近年はウォシュレットの場所もあります。
 そして、手洗い用の台も大抵はあります。

 なぜだろう?
 なぜ、トイレにドアがついているのか?
 なぜ、ドアがあるのに、個室があるのか?
 なぜ、水洗なのか?
 なぜ、紙がロールになって備わっているのか?
 なぜ、手を洗う場所があるのか?

 過去へと思いをはせてみますと、4,000~6,000年前のトイレ跡である福井県の鳥浜貝塚のことが浮かんできます。(※1)
 貝塚は生活場の遺跡です。鳥浜貝塚には、川の杭の跡と周囲に糞石があることから、日本最古のトイレだろうと推測されています。
 糞石は約40箇所の遺跡から発見されている、文字通りに、大便が化石化したものです。
 川に杭を打っただけの露天ですが、川ですので自然の水洗トイレです。
 これに構築物が加わり所謂、川屋(厠)となり、時代が飛鳥、奈良、平安となり都ができるまでになると、川上ではなく、側溝による水洗トイレが現れます。また、水洗ではなく汲み取り式のトイレも現れます。このようなトイレができる以前から貴族階級では桶箱と呼ばれるオマルのようなものを部屋の隅で使い、やがて専用の部屋が作られるようになりました(トイレのような施設ではなく、桶箱を使う専用の部屋)。
 貴族などはこのような施設を利用することもできますが、庶民は空き地や道端で用を足したと考えられています。
 これらから得られた糞尿は、中国から伝えられて、稲作などの肥料に用いられました。
 時代が下り、江戸時代になると、人口が密集した都市がいよいよ発達し、トイレは必要性を増します。
 庶民の住居である長屋には、各戸にトイレはなく、長屋ごとの共同トイレです。
 形態は、汲み取り式で下戸(腰までの戸)で、下肥は近郊の農家へと売られ、その代金は長屋の持ち主の収入となります。
 裕福な商人や大名は、平安貴族と同じような容器上のものを使いました。
 時代が明治以降に一部で水洗化は進むものの、東京への人口密集から、下肥が過剰となり、それまで売るものだったものが、料金を払って回収されるものとなります。

 このような歴史を振り返ってみると、トイレは、個室化すること、水洗化することが、トイレのあるべき姿のように思われます。
 そうすると、まず、トイレにドアがあり、トイレ内に個室があることがトイレとしてあるべき姿に即していると言えます。
 
 トイレで用を足した後、人間は他の哺乳類のように自然脱肛しないため、そのままにすると便は臀裂部に付着することになります。
 二足歩行をする人間は、四足歩行するそのほかの動物と異なり、内臓の重みが直腸へと作用するために肛門挙筋に肛門脱肛をするだけの余裕がなく、さらに、二足を支えるために発達した大臀筋のふくらみによって、肛門が露出されませんので、肛門が自然に乾燥されることがありません。
 このような人間の肉体構造を考えると、用を足した後に紙で拭くというのはもっともなことに思えます。
現在のロール状のトイレットペーパーは十九世紀のアメリカで開発され、日本には明治時代に輸入されしようされるようになりました。
 それ以前、紙で拭くことができたのはごく一部の特権階級で、他は様々な植物の葉を使用していました(他には籌木と呼ばれる木の箆があります)。明治以降も、古新聞などを使い、専用のトイレットペーパーを用いるというのは水洗トイレが普及した戦後です。
 変遷がありますが、拭くということ、そして、より素材がやわらかいものに変化したことがわかります。

 私のいるトイレとはなんとトイレとしてあるべき姿に即したものなのかと感心します。
 このようはトイレを使えない・使えなかった人々を思うと心がいたみ、爽やかなトイレ空間へ感謝の気持ちを新たにして、トイレを出ようと思います。

 トイレを出ようとすると、浮かない顔をした知人がいます。
 体調が悪いのかと、浮かない顔の原因を尋ねると、理由は二つあるとのことです。
 一つは、普段、ウォシュレットを使っているために、紙で拭くとスッキリしないということ。
 もう一つは、彼女を待たせているが、長くトイレにいたために大便をしたことが分かって恥ずかしいとのこと。
 
 なるほど、ウォシュレットの心地よさを体験してしまうと確かに紙ではスッキリとしない感があります。
 しかし、大便をトイレでしたことが恥ずかしいのか。
 彼女の前で野糞というのなら分かりますが、トイレですることが恥ずかしいのか。

 トイレから帰る道で、つらつらと考えます。
 
 まず、水で洗うということは清潔にするという点からは、紙で拭くとは比較にならないほどに優れた手段だと認めざるをえません。
 そうです。紙で拭くことは、人類の三分の一の習慣です。
 そして、水で洗うというのは、ヒンドゥー、イスラム世界をはじめ、ヨーロッパのビデの文化など、決して少数派ではありません。
 さらに、男性の大便時のみならず小便時にも拭く・洗うというイスラムの伝承・文化を考えれば、トイレットペーパーの柔らかさに浸っていた私は間違いだったとも思えます。
 では、ウォシュレットではないトイレで紙で拭いて済ませるのか、それとも水で洗うべきなのか(ここでは、便宜上、濡らした紙という折衷案は除外して考えます。つまり、紙で済ませるか、指と水を使って洗うか)。
 “乾いた紙でふくことだけで満足しているかぎり、この状態は変わらない。乾いた紙でふけば、肛門にしがみついている糞便の固まりは取り除けるが、全部は取り除けないことは必然的な事実なのである。一部は下着に吸着され、その残りは肛門の周囲の皮膚に乾いた汚れとして残り、場合によっては、肛門の周囲の陰毛に付着し、炎症の原因になる。”
 理詰めで言えば、指で洗ったら、指を洗えば済みます。だからといって指で洗うことの抵抗感は拭えずに煩悶します。 

 もう一つの、トイレを使うという羞恥心の問題はどうなのか。
 前述したように、トイレは時代が進むにつれ、社会の上層になるにつれ個室化しているならば、トイレという空間はコミュニケーションから隔離されてしかるべきものであり、さらに広がってトイレという空間にいること・いたこと自体がそのほかの空間や時間から隔離・秘匿されるべきものだ、それがトイレのあるべき内容だと考えられます。
 しかし、日本以外の歴史に目を向けてみると、個室化が時代の進展や社会の上層とイコールではないということが分かります。
 日本がまだ川に杭を打って用便を足していた頃、古代シュメールや古代バビロニアでは既にレンガで造られた下水を備えた水洗トイレが殆ど現在の洋式便所と同じものが存在しました。
 もう少し下って、古代ギリシアやローマでも水洗トイレがあります。
 ところが、古代ローマが分裂した5世紀ごろからヨーロッパではトイレが修道院や城などの一部を除いてなくなります。排泄が非常に野放図になってしまったのです。
 室内でつかうオマルが主役となります(有名なヴェルサイユ宮殿もオマル式)。
 現在の水洗の形が定着したのは19世紀以降です。しかもバスルーム式で、密室ではありません。
 時代が進むにつれ、社会の上層になるにつれ、トイレは個室化し、トイレはコミュニケーションから隔離・秘匿されるという図式が通用しません。
 つまり、トイレを使う恥ずかしさには一定の方向があるとは言えなく、ありうべきトイレの方向も不変ということではないと言えます。
 時代や社会化の進みによって羞恥心があるのなら、ニューギニアのメルパ族やカナダのインディアンのように見られると自殺するほどの羞恥心があること、もう少し穏やかには日本のアイヌ民族のように秘匿性を強く維持したこととが整合しません。

 そもそも、トイレという施設ができ、さらには水洗が要請されたのは、自然が消化できる限度をこした糞便を生産する過剰な人口が集まっているからです。
 遊牧民なら、人数も少なく、一定期間で移動することからトイレなど必要なく、さらには清潔です。
 柔らかい紙で拭かなくてはならないことは、食物繊維が少なく炭水化物の多い食事をしているために便が柔らかいからです。
 そして、食生活と便が変化しても紙で拭くことを変えず、さらには、(特に女性は)密着した下着をつけるようになり、乾燥を妨げるものまでつけています。
 手を洗って清潔ですと言いたいところが、これでは、肝心な場所を無視していることになります。
  
 トイレから帰り、椅子に座り、改めて考えますと、二つのことが言えることが分かります。
 一つは、縦と横を意識して考えないと間違うこと。
 縦と横とは、日本の縦の時間の流れを追っても、同時にある(横にある)他の国・地域の時間も見なければならないということです。
 もう一つは、根本的・基本的・生得的で普遍な行為・感情だと思っても、そう簡単には言えず、文化やそれを支える環境に大きく依存していること。つまり社会構築的な部分が大きいということです。
 人で排泄を行わずに生きてきた人はいなく、これは人の根本的で生得的な行為です。
 しかし、その排泄ですらこれほど多様な形態(どこでするか、いつするか、どうするか、何で拭くか)があり、さらには、それに伴う感情も多様です。
 そして、排泄行為もそれに伴う感情も、文化とそれを成立させる環境という要素が大きく影響しています。

 当たり前だと思っていたトイレが分からなくなります。
 言い換えると、トイレとして(の流れ)の本質だと思っていたもの、形態や排泄に伴う感情には社会によって作られた部分が多く存在し、それが意識されることで、混乱した気持ちが生じます。
 
 生きている限りは排泄をします。
 生きているということは、母親が自分を産んだということです。
 母親が自分を産んだということは、母親が父親と出会い、性交をしたということです。
 これは普遍的で根本的で生得的な事実です。
 そして、この性交にまつわること、母親と父親、男と女が出会うことということ、つまり「性」についてこれから述べていくわけです。

 まず、日本人にとって紙で拭くことからウォシュレットという水で洗うことへの転換に比類する大きな出来事、「恋愛」の発見から始めます。
 
 

※)『糞尿博士・世界漫遊記』(世界思想社)中村浩著
※1)トイレ・排泄の歴史については、『「トイレと文化」考』(文春文庫)スチュワート・ヘンリ著、『トイレと付き合う方法学入門』(朝日文庫)鈴木了司著を主に参照しています。
 糞石については『糞石』千浦美智子著(『スカラベの見たもの』TOTO出版収録)を参照。
 トイレの羞恥心については、ヘンリ著と『浄・不浄の社会行動』小西正捷著(収録)を参照。
 尻拭きと人間の身体については『人はなぜ紙頼みをするのか』香原志勢著(収録)を引用・参照。 
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by sleepless_night | 2005-12-01 21:07 |