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セックスと契約と「えこひいき」。


(1)灰になるまで
①障害者からのカミング・アウト。

 2004年に出版された河合香織著『セックス・ボランティア』(新潮社)はタイトルや“障害者だってやっぱり、恋愛したい。性欲もある。”との帯の文句からも分かるように、タブー視されていた障害者の性の問題を取り上げた作品として話題になった。
 同書は、執筆のきっかけとなった69歳の障害者の介助による自慰行為のビデオから始まり、その登場人物である竹田芳蔵さんの風俗利用などの性生活や考えの話が記されている。
 だが、他の取材相手の障害者は20・30代、海外の事例で50代と老年ではない。
 また、同書の焦点はあくまで障害に当てられ、年齢に関しては特に当てられていない。
 人は死なない限り年をとり、高齢者と呼ばれる65歳を迎える。
 個人差はあるが、やがて様々な身体精神機能に衰えが現れ、障害を持つようになる。
 このことを考えれば、障害者の性には本来、老化による障害を持った人々の性も含まれて考えられなければならない。
 確かに、同書によって河合さんは“障害者の性をタブー視してないもののように扱う現実”“障害者の恋愛を美談として褒め称える風潮”に疑問を呈したが、老年という誰しもが障害を持つ時期の性のタブーに触れられなかった点で、疑問を呈したはずの社会の性に関する先入観や偏見を拭い去れなかったと思える。

②オッパイのある幸せ
 “肩と肘が曲げられなかった寝たきりの特養の入所者が、毎日ベッドにくる若い寮母の尻に触ろうとして、必死になって腕を動かしていた。滑稽な光景かもしれない。猥褻行為との見方もできようが、それがいつしかリハビリの役目を果たすことになり、肩も腕も元のように動くようになったという。 また、男性指導員などがベットを巡回すると、女性入所者が指導員の股間を触り、猥談を持ちかけ、嬉々としていることも少なからずある。”
 “いくつかの施設で、好意を持った入所者同士が月に何度か夜、ベットを行き来したり、夜中に男女でトイレに入り、朝方まで出てこない、といった性交渉の現場が寮母などによって目撃されている。 また、朝出勤すると、前日の夕刻にはきれいに清掃されていたトイレの便座周辺が、自慰によって放出されたと思われる精液で汚れていることも少なくないという。 大半の若い寮母は、始めて入所者同士の性交渉の現場を見たり、自慰の痕跡を見ると困惑する。”(寮母=介護福祉士)
 「女」としての価値を確かめるように一回三百円で売春する女性入所者、触って欲しいと清掃作業の男性に金を渡そうとする寝たきりの女性入所者、寝たきりの女性入所者の胸や性器を触りながら自慰するのをやめさせるために女性器を模した自慰用品を与えられた80過ぎの男性入所者、入所者同士のカップルに嫉妬して包丁を振り回して暴れた女性入所者、頑としてリハビリを拒んでいたのに好きな女性入所者ができたとたんに受け入れて歩けるようになり性交を頻繁にして同室者に苦情を言われて施設側にばれた男性入所者。
 実際に行動に限らず“職員が「新しい男性が入所されますよ」と告げると、女性入所者たちは入所当日の朝はそわそわして、身だしなみにも気を配る。女性が入所してくる、となれば、男性はそわそわして、髭を剃り、髪に櫛を当てたりする。”
 厚生労働省の研究班が全国の老人福祉施設4699へ行った調査では、平均で男性の95.3%、女性の80.9%に性欲があるとの回答結果が出ている。
 もちろん、施設入所者だけではない。
 熊本悦郎(札幌医科大名誉教授)の調査によると、回数に個人差があるが、60代後半の男性の約5割が月2回以上・女性の5割が月1回以上、70代でも男性の約5割・女性の約3割が月1回以上の性交渉を持っている。
 また、中高年専用風俗や特別割引をしている風俗もある。
 女性の場合、金銭によって欲求を満たす場がない。切羽詰って利用しているスーパーの男性店員に500万出すから抱いて欲しいと訴えた裕福な女性までいる。これは極端だが、配偶者を喪い恋人を作ったり、自慰で解消したりする女性はいる。相続問題や介護問題になる老年男女の結婚が近年は問題になっている。
 
③灰になるまで
 若い人の中には、老年の性など特殊な(異常な?)事例だと思っている人もあるかもしれない。実際、こういった話をすると信じない人もいる。
 しかし、性交は生殖のためだけにはないことは理解できるだろうし、本能だけでできるわけでもない。
 どんな体位をとるか、どんな部位を使うか、いつ・どこでするか、それは時代・文化によって異なる。それ以上に、個人個人でも異なる。
 ためしに、親しい同性の友人がどんな性交をしているかを当てられるか考えるといい。
 想像くらいは当てずっぽうや、過去の猥談からできるかもしれない。
 しかし、その想像が当たっているかは、実際に見てみないと分からないし、見てみたところですべて分かるわけでもない。
 それが自分の親や祖父母、その世代にも当てはまる、ということ。
 
(2)男と女と二つの原理
①ケアという概念

 日本では約二十年前から使われだした「ケア」という語は、現在では様々に使われ日常語として流通している。
 特に医療・介護・福祉・教育・倫理などで「ケア」という語、概念は注目されている。
 だが、その意味は一律ではなく、使われる場所や人によって異なる。
 訳語としてみても「介護」や「看護」といった狭い範囲を指すものから、中間的な「世話」、より広く「配慮」や「気遣い」が当てられ、「ケア」の当事者もそれに伴って広く、倫理思想としては人間全体に関るものと言われる。
 「ケア」という概念に関して考察した代表的な一人であるキャロル・ギリガンは「ケア」を男性的な正義の原理と対照的な女性の原理として提唱した。
 つまり、契約関係などの確立した個人による言語的な関係に適用される公正といった近代社会(「男」社会)の中心的な原理とは対照的に、共生的で非言語的で包括的な人間関係に働く原理を「女」性的なものとして位置づけ、従来の正義中心(=男性中心)の西洋哲学に対抗する必要なものとして提唱した。

②必要とされる「えこひいき」
 「ケア」が語られる現場はすべてだが、看護・介護の現場を例にしてみると、理解されやすい。
 看護はもちろん、介護も契約によってなされる場合が多くある。
 その時、契約が求めるのは公正な債務の履行、正義の原理であり、個々の患者や利用者は契約によるサーヴィスを受ける権利を有し、看護・介護従事者はそれをする義務がある。
 反すれば、契約(そして正義の観点から)に基づく批判を受け、責任を追及される。
 従って、患者や利用者に対しては個人というより、その契約がどうであるかが重要になる。同じ契約ならだれであろうと同じ権利と義務の関係が生まれる。そこに個人の違いはない。
 だが、現場でいちいち契約がどうだといったことなど考える余裕もなく、個人個人が必要としてい看護・介護を行おうとする。そして個人個人は異なる存在として認知され・応えられる。その姿勢こそが看護・介護に従事する「ケア」の専門職のアイデンティティだとも言える。
 だから、そこには必然的に「えこひいき」が生まれる。個人個人は求める態度・必要とされる感情が大きく異なり、その相手にする看護・介護従事者も個人の感情が触発され、それに影響された態度と行為を行ってしまう。
 つまり、契約が守備する範囲外の人間関係が生まれてしまえば、だれにでも同じ様に笑うことはできなくなる。
 ここで、正義と「ケア」は、どう相互に関係を調整するかが問題とされ、現場で問われ続けることになる。

③男と女 
クローズな人間関係があり、そこに男と女がいれば、恋愛感情や欲望が生まれる可能性が表れる。
 「ケア」の現場である老人福祉施設でも入所者同士だけでなく、入所者から職員への求愛行動があり、その対応に施設側は苦慮している。
 求愛行動だけでなく、直接的な行動、猥褻行為を行おうとする入所者もいる。
 単に契約関係で規律された場ではない。それでは運営できない・されていない場だからこそ、そのような問題が起きやすい(してもいいと錯覚させるものがある)。
 だから、単に犯罪行為や契約違反として処理することができない。それをすれば楽かもしれないが、場の意味付けが変わってしまう。
 しかし、紛れもなく契約関係もある。
 二つの原理の間で、苦慮する。
 
(3)性欲に限って
①契約による「ケア」の保護

 正義と「ケア」の根本的な対立は措いて、性欲の問題に限って言えば、両者は相補的に使われうると考える。
 この場合や(1)で挙げたような問題化した事例なら、「ケア」を守るために契約を使うようにしなければならない。
 つまり、介護従事職員と入所者は「ケア」の関係であるがあくまでも契約が前提にあるのだから、契約を持ち出して処理するべきだと考えられる。
 この程度の簡単な理屈ですむなら、他の問題でも簡単に処理できるのではないかとも思えるが、そうではない。(2)③で述べたように場の性質を考えると簡単に処理できるものではない。
 だが、性欲の問題、性の問題は他と違い、人間関係の秩序を大きく変える・破壊する力を持つ問題なので、人間関係(「ケア」)を守るための要請が他と比較して例外的に高い。
 性交渉・類似行為(自慰など)に職員が関れば、その職員と入所者との間には強力な「えこひいき」の通用する関係、血縁関係に比する関係が生まれてしまう。同時に、他の入所者にも行えば、別の強力な「えこひいき」の関係が生まれ、当然二つの「えきひいき」の通用する関係は両立せずに激しく対立する。つまり、施設での「ケア」がなりたたなくなる。
 また、介護職員がそれに巻き込まれて精神的肉体的に疲弊すること、介護職員が都合のいい風俗関係者と社会からみなされて福祉に取り組もうとする人がいなくなる危険性はもちろん、これによって施設全体が破壊されうる。
 だから契約という前提を明確に持ち出し利用し、施設の機能により切断できるようにしなければならない。これは、施設職員と利用者が双方で合意しているから・愛し合っているから、望んでいるからいいという問題ではない。リハビリになると寛容する部分でもあってはならない。「ケア」のプロとしての地位を契約で守らなくてはならない。
 具体的には、介護の契約と風俗関係者との契約で、関る人間を可能な限り分離する。
 風俗関係の契約には、その契約に対して別に金銭が発生し、その余裕のない施設利用者も出るが、施設外の社会がそうであるように受け入れてもらうしかない。
 
②残されるもの 
 『セックス・ボランティア』でも問われることになる、権利としての性交・自慰はありうるのだろうか。
 体が動かないから自慰ができない、障害で外に出られず性交相手を探すことはできない、金銭的に風俗関係者を利用することもできないし、障害のために思うように働いて稼ぐこともできない。
 (1)②で紹介したように男性ならまだ金銭で風俗を利用することもできるが、女性では難しい。

(4)二つのQOLの必要性
①二つのQOL

 障害者の性の問題をQOL(生活の質)の視点から捉える必要はある。
 だが、QOLから望ましいから性を積極的にということができるほど、性は単純でも積極的にどうこうできるものでもない。
 人間の生に深く関るからこそ性は必要とされ、それが必要なほど簡単にはいかない。
 性を重要で必要としている人の相手にとっても重要で必要なものだから、契約があれば簡単にできるわけでも、「ケア」だからと言ってできるわけでもない。
 障害者の性をQOLから考えるときに、障害者のQOLを支える人のQOLを同時に考えられなければSOL(生命の尊厳)に反する事態を生む。それを放置すれば、必ずQOLを保つ・向上させようという動機も社会から失われる。尊厳のない人間の生の向上を考えようとする人などいない。
 
 北九州で看護師が70~90代の認知症患者4人の足のつめをはがした事件があったが、この種の虐待は少なからず存在する。
 老人福祉施設でも監視カメラを設置したりしているところがあるが、カメラにはプライヴァシーの観点から写さないところもあるし、映らない死角もある。
 施設に併設してある病院や外部から来る非常勤の医師がいてチェックしているから安心だと思うかもしれないが、特に病院を持ってる施設内で隠蔽できるし、しやすい。変死しても内部の医師が処理してしまえば警察に知られない。
  
 在宅はもちろん施設についても、最大の利用者や予備軍となるこれからの老年世代が自分たちのQOLだけ考えるか、それを支える人々のQOLまで考えて(政治的に)動くことができるかが、本当に大きな違いを生むだろうし、その結果は自身らが身をもって体験することになるだろう。

②「ケア」における二つのQOLの重要性
 ①で述べたこと障害者のQOLを支える人のQOLという視点は「ケア」において、重要な意味を持つ。
 (2)で「ケア」という概念の広さや正義の原理との対象性について述べたが、これに加えて「ケア」には相互性によって形成されるという側面がある。
 つまり、「ケア」とは、「ケア」する側とされる側が独立に存在して行為を行い・受けるものではなく、相互の共同作業であるコミュニケーションのプロセスによって生じる現象を指す。個人個人が主体性を持つ間に「ケア」は形成される。だから、一人一人の「ケア」は違うし時に「えこひいき」的な要素を伴う。
 したがって、片側だけにQOLを求めても「ケア」が望ましいものとはならない。
 「ケア」を受けようとだけ強欲に求めればもとめるほど、「ケア」は手に入らない。
 もちろん、有償の看護・介護の場合には契約による義務と権利が発生するので、共同作業に求められる労力に差はある。だが、「ケア」が「ケア」である以上、契約で成立するものではない。 


引用・参照)
(1)『熟年性革命報告』『熟年恋愛講座』小林照幸著(文春新書)
(2)『ケアを問いなおす』広井良典著(ちくま新書)
(4)「ケアとしての医療とその倫理」清水哲郎著(『ケアの社会倫理学』有斐閣選書)
   「実践知としてのケアの倫理」池川清子(同上)
  高齢者虐待について
 http://careworker.seesaa.net/category/287519-1.html 
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by sleepless_night | 2007-07-21 20:22 |

30代未婚女性への10節/三十路にワルツを踊れ。


 編集者・安原宏美さんのブログ掲載記事について。
 「赤木智弘さん、「強者女性」に「かわいい!」といわれる」 「“30歳からの恋”を邪魔するもの」 
 同記事が25~35歳のキャリアウーマンを対象にしたファッションモード誌『Numero Tokyo』の掲載用とのことですので、以下も主にその女性層に向けてのものと考えていただくのが適当だと思います。
 読者層の地雷原を走る脚気兵士のような脈絡と特有のポジティブさに苦慮が偲ばれる記事にからめて補足や疑問や突っ込みをしたものですが、部分を利用したものなので全体に対して批判や批評するもの・できたものではありません。また、補足や疑問についても最終的なものではなく、考察のスタートに最低限必要な程度です。
 なお、安原さんのブログからの引用は緑色に変えた部分です。
                  *


①働く女は「女」ではなくなる。
 “日本の女性たちが、頑張ったご褒美にステキな王子様を待ちのぞむ気持ちは分かります。でも、“舌も目も肥えた30代女性を満足させ、なおかつルックスも好みで、豊漁力もあって家庭も大事にしているる男性”なんて言い出したら、出会いの多い編集の仕事をしている私でさえ、そうそう会ったことがありません。”

 “フォーマルな組織の持つ規範はいわゆる「男らしさ」という理念とほとんど一致している。情に流されずに目標を追求すること、言い訳しないこと、責任感が強いこと、これらのことは組織人として必要な徳であるだけでなく、男性の理想像でもある。”(※1)
 働くとは「男」になることだと言える。
 第三次産業が産業の中心となった現在であっても、それが仕事である以上、利益・業績を上げることが従業員には求められる。
 働く女性は「男」であることを男性に証明するために過剰同調して「女」を捨てるか、諦めて「女」で売るかすることになり、いずれにせよ男性の評判を落とす。働く女性は、このダブル・バインド状況にどう対処するか、どういった態度で臨むか選択を迫られる。
 業務内容が「女」的なもの、看護師や客室乗務員といった「女」の代表的な職場であっても、計られ・具体的な数値を出す責任が求められる。そこで成功を望めば、「男」として「女」を演じる女性という捩れた状況を生きなくてはならない。(※2)
 このアイデンティティをめぐる混乱は、働く女性に「男」社会に対して殺伐とした感情をもたらし、アクト・アウトとしての浪費(「男」社会に向って、自分たちが男性より力ある「男」だと復讐的に力を誇示しているとも言える)や退行的な「癒し」の消費に向わせる。
 一方、「男」である男性にとっては、そんな「男」女は選択から外れる。
 「男」が欲しいのは「女」なのだから。
 収入という名の“包容力もあって家庭も大事にしてくれる”「男」が欲しいのは「女」であって、“肥えた30代女性を満足”させようなどは考えないだろう。(※3)

②「向上心」は結婚の「上」を向けない。
“「美しくなりた」は向上心のひとつです。つまり、こうした向上心を持つ女性の対象は“美”だけではありません。おしいいレストランの情報、ワイン、エステ、歌舞伎にフラダンス…などなど。”

  そもそも、レストランやワインや野菜や歌舞伎の知識の蓄積やフラダンス習得、マラソンの「向上心」の言う「上」は、何の「上」に向っているのか疑問。
 雑誌やテレビなどのマス・メディア言説が評価する浪費活動能力からすれば確かに「上」かもしれないし、同じ様な知識の蓄積であるオタクやマニアが「向上心」と言われないのもそういうことなのかもしれない。
 だが、“結婚相談所の坂本洋子氏によると、男性が女性に望む要素は、4K(かわいげのある、家事がすき、かしこい、軽い)にまとめられ”(※4)としたら、 浪費活動能力は結婚生活に求められる「かしこさ」に反する。
 しかし、化粧やメイク技術で“いくつか分からないくらいに若く見え”る40代まで現れているのだから、“結婚とは「カネ」と「カオ」の交換”(※5)とまで言い切るのは無理としても重要な資源である「カオ」の点では結婚可能性に対して「上」に向っているのではないか、と考えられる。
 ところが、“いくつか分からないくらい”ではなく、いくつか分かる若い女性がいるという事実を前に、この「上」には直に限界を突きつけられる。

③結婚は「自分磨き」にならない。
 “男性同様に社会に出て、がむしゃらに働いてきた女性の多くが「せっかく面白くなってきた趣味もやめられないし、生活レベルは落とせない」と言います。自分に投資して、磨き上げた彼女らに釣り合う男性は一体どこにいるのでしょう。”

 小倉千加子(心理学・聖心女子大非常勤講師)さんは、女性の結婚を“学歴に応じて「生存」→「依存」→「保存」”に分類した。
 「保存」とは“結婚によって今の自分が変わること”を否定する中堅以上の大卒女性の結婚を指し、上記引用の女性の“「せっかく…落とせない」”は、これに該当すると考えられる。(※6)
 「向上心」をもって「自分磨き」してきた努力に釣り合う相手と結婚する。
 ここで重要なのは、もちろん結婚することではなく、“釣り合う”こと、つまり「自分磨き」をしてきた自分に見合う、「磨かれた」自分を「保存」したまま(その一環として)結婚できること。
 しかし、それまでの「自分磨き」、レストラン情報・ワインの知識・歌舞伎・フラダンス・ピラティス・野菜ソムリエ・マラソンと違って、結婚生活は一人ではできないので、自分の時間と労力を相手に消費しなければならない部分が不可避にある。
 つまり、「自分磨き」は結婚によって「保存」することはできない。
 そして、値上がりすることの無い株に投資し続け、手元に株券は「保存」される。
  
④「男」はオヤジになるが、女性はオヤジになりきれない。
 “私が以前会社で働いたとき、ある同僚の女性が残業しながら「嫁とマッサージチェアが欲しいなー」とふとつぶやきました。みんな「そうだよねー」とか頷いていましたが、でも同時に「やっぱり嫌だ」という空気も漂っていました。”

 ①で述べたように、働くことに求められる性質は「男」であり、仕事に熱意を持つ女性は「男」とならなくてはならない。
 働く「男」となった女性の結婚観が「男」のそれに類似してくるのは当然だといえるが、それでも女性であるという事実から「男」の結婚観と違う点も残る。
 山田昌弘(家族社会学・学芸大教授)さんは、“男性にとっては「イベント」、女性にとっては「生まれ変わり」”と男女の結婚観の特質を表す。(※7)
 ③で述べたような「保存」を求める場合、結婚は男性と同様に「イベント」に位置づけられるようにも思えるが、世間の意識やそれを内面化した自己は結婚が女性を「生まれ変わ」らせる(社会の位置づけを変える、アイデンティティを変える)ことを意識させずにはいられない。
 
⑤男を養う「男」への覚悟の逃げ場と慈善化。
 “ベターな選択として、「嫁が欲しい」とつぶやいたその言葉どおり「男を養う」という覚悟を持って、恋愛を経て結婚し、長い将来を共に歩み、お互いに成長していくのも一案かもしれないですね。”

 「男」への覚悟を勧めてみた後に“女性が出産や育児で助けが欲しいとき、頼もしい男性として活躍しているかもしれません。”と男性が“化け”て女性を「生まれ変わ」らせてくれる希望の逃げ場を作っておく。(※8)
 そして、本来なら“キョンキョンだから”の部分を“キョンキョンだって”と誘導し。
 さらに、“「愛」とは何かを考えると、社会の状況を理解し、必要とあれば他人にも手をさしのべる優しさと行動力ではないでしょうか。”と結婚を慈善化の高みに誘おうとしている。
 確かに、恋愛も結婚も規範的な行い(「~べし」を求める行為である点と、社会規範から推奨されるという点で)なので、結婚と慈善は方向としては整合する。

 ⑥いい男がいたら、どうだというのか。
 “「いい男がいない、いても結婚している」というボヤキは、未婚の30代以上の女性たちが集まって、ご飯でも食べに行けば、誰かが必ず言うセリフ。”

 ここで言われる「いい男」がいたらどうだと言えるのか疑問。
 つまり、未婚の「いい男」が未婚30以上の女性の近くにいたとして、それがその女性にとって何の意味や影響を与え、関係すると考えているのか。
 「カネ」がその男性が「いい男」かどうかの一つの要素となるとして、現時点で「いい男」なら、「カネ」という要素は今後も増える可能性が比較的高く、「いい男」はより「いい男」になる可能性がある。
 それは、「いい男」は現時点以上に選択可能対象が増える可能性があることを意味する。
 その様な「いい男」の存在が、未婚の30代以上の女性にとってどのような意味・影響・関係があると、当の女性は考えているのか。。(※9)
 (可能性としては、「いい男」は広い選択可能対象の中から相当の確立で自分を選ぶはずだと考えていること、「いい男」の定義に自分の価値を認めることが重要な要件として含まれていること、などもあるが妥当な解釈としては漠然とした結婚願望に充当する具体例があることで高揚感を味わえるということが考えられる。が判然としない。)

⑦「幸せ」な「結婚」と「結婚=幸福」は違う。 
 “30代にもなれば、若気の至りで突き進むことなく、「この人と結婚して“幸せな生活”を送れるか?」と現実的に考える人多いんでしょう。”

 「結婚」と「幸せ」が結びつくと考えている時点で現実的ではない。
 離婚率の上昇を挙げるまでも無く、不幸な結婚も幸福な結婚もある。さらに、不幸や幸福も複雑で、ある人・ある時期に不幸な状況を生き抜くことが、後に・ある人にとっては幸福に感じることだってある。漠然と幸不幸を考えても、具体的に幸せを考えても、幸せを把握することはできない。
 “けれども奇妙なことに、この現実の世界では、「結婚」を飾るのはいつも同じ、決まりきった一つの記号なのだ。いうまでも無く、それは「幸せ」(あるいは「幸福」)という記号である。”という疑問を考えた加藤秀一(社会学・明治学院大教授)さんはその答えを “結婚後の生活がうまくいくかいかないかと言う水準の幸福とは別に、結婚そのものであるような幸福という観念が存在する”ことだと考える。(※10)
 また、山田昌弘さんも“もし独身で寂しく不幸だと感じている人がいるとしたら、それは「結婚すれば幸福になるはず」と思い込んでるからであり”、実証的根拠がない私見だが“結婚は、幸福を保証しない。この点が理解されるなら、結婚はもっと、もっと増えるのではないか。結婚難の本当の原因は「結婚=幸福」という思い込みにあるのではないか”と指摘する。
 現実的に考える人は、「結婚」にそれほど「幸福」を期待しない。

⑧本能ならとっくに出産している。
 “感動の恋愛談”と“犯罪”が紙一重な状況では、男性が自粛傾向に陥っているのは無理も無いことです。それに、もともと30代女性は「結婚をあせっていると思われたくない」でしょうから、積極的にアプローチしづらい。というわけで、恋に発展しにくいのではないでしょうか。 
 そして、恋愛の次は「結婚」です。これはさらに大変な状況です。恋愛は本能みたいな部分がありますが、結婚は「制度と生活」にほかなりません。”


 まず、感動的な恋による結婚の矛盾は当然で、情熱や感動は時間経過で逓減していくし、制度という安定性に本質的にそぐうものではない。
 “実際にロマネスクな恋愛いが多くの障害を克服するとしても、たった一つ、どうしても打ち破れない障害がある。それは持続性である。とろころが、結婚は永続するためにもうけられた制度である。”“ロマンスは障害や、つかのまの刺激や、別離を糧として生きる。結婚の方はそれと反対に、日々の親近と習慣によって成り立つ。”とルージュモンが述べた様に。(※11)
 また、あっせってると思われなくないが積極的になれず感動的な出会いを希望するという態度は、“無私無欲でイノセントな部分を印象付けないと女性のジェンダーは評価されないから、打算はなんとしても隠しておかねばならない”と小倉千加子さんの解釈に加えて、⑦で述べたような「結婚=幸福」の影響も指摘できる。結婚のためにも、幸福のためにもならない(なっていない)態度は、結局「結婚=幸福」という観念が指示する決まりごとの遂行の試みのようなもの。
 
⑨間違った心配はしない。
 “ストーカーもDV男も困りますが、でも「いい男がいない」と遠吠えする前に”

 DVは恋人や配偶者がいなければ成立しないし、最も多いストーカーは親子・親友・恋人などがストーキングする拒絶型なので、「いい男がいない」と叫ばなければならないほど遠くに男性がいる時点で、心配する必要はかなり低い。

⑩必要なのは紀香魂ではない。
 趣味が“女磨き。”英語にすると“Self care”なのか。 そして、“not 100% juice”は嫌い。
 それが紀香魂。(※12)
 
 30代以上の未婚女性に必要なのは、藤原紀香さんのような誤った(無謀な)ロールモデルではない。
 喜びにあふれた音楽だ。
 くるりの『ワルツを踊れ Tanz Walzer』を聞き、カラオケでは「ハム食べたい」を目をつぶって想いを込めて歌ってみて欲しい。男性たちは津波前の潮のような勢いで退いて行くだろうが、いままで見えなかった海底の岩が見えるようになるだろう。(※13)




引用・注)
(※1)「日常生活とジェンダー」江原由美子著(新潮社『ジェンダーの社会学』収録)
(※2)“女性が対人的職業に就くと新しいパターンが展開する。そのパターンとは、女性が受け取る基本的敬意は少ないということである。たとえ、女性がエスコートつきで建物に出入りし、車にはおかかえの運転手がいて、雨上がりのみずたまりから守られているとしても、彼女たちは、女性の低い地位の一つの根本的な帰結からは保護されていない。つまり女性の感情は男性の感情のようには尊重されないのである。こうした地位の効果として、客室乗務員の仕事も、女性と男性とでは内容が異なることになる。”
 “女性は、家庭で感情管理の訓練を受け、家庭から進出し、感情労働を必要とする実に多くの仕事に就いた。一度彼女らが市場へ進出を果たすと、ある種の社会的論理が作動する。社会全体の分業システムによって、<どのような職についている>女性も、男性より低い地位と小さな権威を割り当てられる。その結果、女性には「感情原則」に対抗する防御の立てが与えられない。”
 “女性たちの心の奥底にある「私のもの」に対するこだわりは、自分の中の非常に大きな部分を「私のものではない」と放棄せざるを得なかったことを示しているのである。”
 “「なんでそんなふうににタバコを持つんだい?」とその男は尋ねた。微笑みもせず、相手を見上げもせず、スチュワーデスは再び煙を吐いていった。「もし私にタマがついていたらこの飛行機を操縦しているよ」。女性の制服、女性としての「演技」に包まれた心は男だった、ということである。”
 『管理される心』A・R・ホックシールド著 石川准・室伏亜希訳(世界思想社)
(※3)引用元は“目も舌も肥えた30代女性”。
(※4)『結婚の社会学』山田昌弘著(丸善ライブラリー)
 山田著は十年近く前のものなので、内容が若干古く、国立社会保障・人口問題研究所の「13回 結婚と出産に関する全国調査」では、35歳以下の独身男女の希望するライフコースで、急激に結婚と仕事の両立が上昇し、専業主婦が低下していること、初婚男女の年齢差が縮小・妻年上の増加などの変化を踏まえて読む必要がある。ただ、晩婚・非婚化や男性の職業・年収と結婚の相関性や実際の結婚生活での男女の役割分業の問題は同調査でも変わっていない。また、“男女の魅力の差異は、感情という形で身体に染み付いているだけに、説得などによっては変えることはできない。”という「魅力の性差」の指摘や結婚も恋愛も価値追求行為であるという(別著の)指摘は重要。
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(※5)『結婚の条件』小倉千加子著(朝日新聞社) 
 生存・依存・保存とう図式は、2003年の同書よりだいぶ以前の95年(平成7年)「国民生活選好調度調査 豊かな社会の国民調査」の3章の3「女性にとっての仕事」“女性は家庭にとどまるか、職場にでるかの選択をして、その結果働いている人がかならずしも仕事を収入の手段とは考えていないからであろう”という指摘と一致する。
(※6)小倉著
(※7)山田著
(※8)妊娠出産中に「男」であることは無理なのだから、男性の助けを求めるのは仕方がない。が、“化ける”可能性のある男性を持ち出すのは「生まれ変わり」願望への逃げだろう。もちろん、逃げること自体は悪いことではないし、逃げなくてはならない時だってある。問題なのは、逃げられない場所へ逃げようとしてしまう無理な願望や誤解。
 また、“手をさし伸べる”ことを「愛」とするのは、近代以前の用法からすれば妥当。つまり、目下の物・者をかわいがるという意味の「愛」。
(※9)縮小しても平均約2歳の年齢差があり、女性が20~35までが主な結婚年齢層であるのに対し男性は20~40までと広いことや、男性は結婚年齢が上昇するにつれ相手が年下になることを考えると、男性が選択可能対象からより若い女性を選ぶ傾向は否定できない。
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(※10)『<恋愛結婚>は何をもたらしたか』加藤秀一著(ちくま新書)
(※11)『愛について』ルージュモン著 鈴木健郎・川村克己訳(岩波書店)
 騎士道恋愛、宮廷恋愛、情熱恋愛の系譜を引き“カップルでできている国”フランスの恋愛と結婚に関して、棚沢直子・草野いづみ著『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか』(角川ソフィア文庫)は1950年から“恋愛結婚”が“一つの価値としてフランス全体が共有した20年間”があったが、1970年から“恋愛はしてもそれが結婚「制度」に結びつくことを、もうだれも「自明」とは思わない”と述べている。つまり、恋愛と結婚の共存はルージュモンの引用どおりの結末を示した。ちなみに、ルージュモンは“自由意志によってもたらされる結果は、それが幸福なものであろうとなかろうと、それを受ける入れる義務があることを教えるのが、結婚の本質と現実に一層適用する”ので、理性で決定したら“節度を守る覚悟”を決めろと述べている。
(※12)日本語版 http://www.norikanesque.com/jpn/index.html
    英語版 http://www.norikanesque.com/eng/index.html
  (schovanistsも嫌いだそうですが、何かは不明。)
(※13) http://www.jvcmusic.co.jp/quruli/
  聞きながらこのエントリを書いたので。
 
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by sleepless_night | 2007-07-18 23:32 |

改訂版。





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by sleepless_night | 2007-07-07 18:05 |