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私のお金。


 ほんの月4500円でスリランカの子の人生を劇的に変えられる。
 100万でワーキングプアに貧困脱出チャンスを与えられる。
 →なぜ助けようとしないのか?
    ↓
 ひとつの答え。
 ①自己犠牲教洗脳
 ②自己犠牲教でたいした数を救えない
  →実際には自己犠牲を払わずに他人を助けるほうがはるかに多くの人を助けられる。
 ③人類史上最強の「人助け生産性」を誇るビジネス装置
 例:ユヌスのグラミン銀行
  →“ビジネスというのは、それが利益を生み出す限り、無限に膨張できるという、永久機関のような性質を持っています。だから「貧者の救済」と「利益の創出」の二つの効果を生み出すビジネス構造を組み立てれば、自己犠牲によって貧困者を救う場合の何百万倍もの数の人々を救うことことができるわけです”
 ④自分の体力を温存したまま、「生産性の高い人助け」をする。
  →自己犠牲を払わずに人助けすれば、より多くの人を気軽に助けることができる。
 ⑤募金も投資効果を十分に考えてやれば、何千倍もの人々の未来を変えられる。
  →失業中の日本人より東南アジアの子ども。
   個人の与えられるリソースは有限、助かる人を優先して助ける。
 ⑥生物学的な起源
  →進化の過程で獲得した自己犠牲教は環境変化であわなくなっている。
 ⑦「自分の富をふやす過程」と「その富を他者に分け与える過程」の二つの過程で他者を助ける。
  →搾取でなく、win-win関係で富の総量を増やすべき。
 ⑧ネット空間における人助け。
  →下二割の魚の釣り方を教えても役に立たない人を持ち出す反論。それにより、ネット空間で魚の釣り方を教える子とろみが偏見と悪意に覆われ、伝わらなくなる。本当に必要とする人々がネットに接続していない。
 ⑨終わりに
  →効果的人助けは、自己犠牲で身を減らすよりより自分を強くして、win-winビジネスを展開すること。
   ゲイツは独占して莫大な富を獲得し、使いきれずに、慈善事業へ。
   “ 十分に自分の価値を蓄えれば、やがて自分のなかから価値があふれ、他人の分け与えられずにはいらられなくなる”
   成功には多くの失敗が必要だから、失敗した人も救済に貢献している。

 分裂勘違い君劇場:あなたは、なぜ、自分のお金を貧しい人々に分け与えないのですか?                    

                *

 この「答え」は前提を見逃して導き出されている。

 “そもそもあるものがなぜ自己のものであるといえるのか。”

 なぜ、私は私の身体を含めて、私のもとにあるものを「私のもの」だと言うのか。
 それが問われなければならない。

 私がそれを制御できる・しているからか?
 しかし私のもとにあること、また意のままにそれを私が使えること、これらの事実と、それを他者に使用させず、私の意のままに動かしてよい、処分してよいという規則・規範とは、全く次元の異なったところにある。 

 その人が制御されるもの、生産されるものがその人のものになる。
 “これは事実ではなく、そうなるべきである、そうなるのが正しい、という一つの倫理命題、一つの主張である。”
  
 確かにただの信念かもしれないが、「私が生産した・制御しているものを私が所有する」、という仕組みは、そうでない仕組みよりうまくいくのだとも考えられる。
 しかし、そのことは“財が誰かのものであった方がよいということは言える(言える場合がある)としても、誰のものであったほうがよいのかということは言わない。”
 また、私的所有を前提とした市場による交換・分配の有効性についても、“世界にある財が、交換の始まる時点において誰のものであるかが決定されていなければ、交換は起こりようがなく、その初期値の設定を定める規範は、市場の中にはない。”
 だから、有効性や効率性という観点から言えば、「私が生産した・制御しているものを私が所有する」という仕組みは必ずしも有効・効率的ではない。少なくとも、「生産・制御→所有」の「→」が肯定される必要はない。
 つまり、「私が生産した・制御している」ことと「私のもの」であることをつなげるものではない。

 「私の生産した・制御しているものは、私のものだ」
 「私が生産した・制御しているから、私のものだ」
 は正確には
 「私が所有しているから、私が所有する(べき)ものだ」
 という信念、倫理命題となる。

 だから
 私は、なぜ、自分のお金を貧しい人々に分け与えないのか?
 この問いは、「私がお金を持っている」「お金のない人がいる」という二つの事実を前に発されたものの様に見える。
 だが、「私がお金を持っている」という事実には上述したような信念「私が所有しているから、私が所有する(べき)ものだ」が隠れている。
 従って、この問いは問い自体がすでに答えを含んだ問いだといえる。
 即ち、「私が所有しているから、私が所有する(べき)もの」という答えとなるべき信念に立っているのだから、「貧しい人々に分け与えない」のは当然なのだ

 そして、出された「一つの答え」も、やはりその信念を犯さないものとなっている。

 ちなみに、⑤で日本の失業者より東南アジアの子どもの教科書代へ10万を寄付するのは、本人が制御できないことで倒れたと原因帰属すると援助を強く動機付けられるという救援活動における心理規定要因として知られていることと同じ。
 つまり、それが有効か否かが救援の動機付けとなっているというより、何が原因でその人が救援を必要としているのかという予想された理由に対する感情が動機付けるか否かを規定している

 
  引用)『私的所有論』立岩信也著(勁草書房)

               *

 この記事を読んだときに、池田信夫さんの記事を言い換えたものかなと感じた。⑨で例に出されたビル・ゲイツの財団設立についても、結局、そんなことをするよりマイクロソフトをもっと儲ける会社にすることのほうが有効じゃないか、という話もあるようで、結局どうなのか、ダンコーガイ。



関連記事:すること・しないこと、愛すること・正しいこと、欺くこと・捧げること。テロの隣人
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by sleepless_night | 2008-03-17 22:19 | 倫理