2010年3月22日、NHK総合テレビ 午後10時~11時30分放送。 放送記念日特集 激震マスメディア~テレビ・新聞の未来~ 出演 キャスター:藤沢秀敏解説委員長 黒崎めぐみアナウンサー ゲスト:日本新聞協会会長 内山斉 日本民間放送連盟会長 広瀬道貞 ドワンゴ会長 川上量生 ITジャーナリスト 佐々木俊尚 学習院大学教授 遠藤薫 NHK副会長 今井義典 * あまりにも広瀬道貞さんの話がギャグみたいで面白すぎて、書き起こしながら笑ってしまった。 こんなギャグとまじめに付き合わなくてはいけないテレビ朝日関係者には同情を禁じえない。 * 司会のキャスターの発言はかなりは要旨が分かる程度に端折ってあります。 ゲストのコメントはなるべく正確に記しているつもりですが、語尾や言葉遣いは変えてある部分があります。 すべての正確性は担保しませんので、必要なら各自で確かめてください。 * 映像:広告代理店勤務31歳。テレビを見ない。ネットで済む。 司会:「冒頭のVTRをどう見たか。一言ずつ感想を」 内山:「新聞とテレビの新たな存在感を示す時代を迎えたんじゃないかな。」 司会:「新聞を読まない、テレビを見ないという人が増えてることに危機感を覚えないか」 内山:「だからこそ、新たな時代、あとでどうしたらいいかと言うことを申し上げたい」 広瀬:「大変な時代になったことはよく分かるけれども、もしテレビや新聞の存在感がなくなったらなば、この国の民主主義とか、国民の暮らしの安全だとか、そういうのがおかしくなってくる。ここはしっかりしなくちゃならないと感じた」 川上:「VTRでもあったが、今、ネットを使っている人はテレビとか新聞とかの時間が減っているのではなくて、まったく見ない。それを今日、力説しようと思ってきたけれど、既にvtrで言われてしまったので、どうしようと」 司会:「その背景などをうかがいます」 佐々木:「基本的には新聞もテレビも日本人にとって最も良きメディア空間であるという存在ではなくなってしまった。なぜそうなってしまったのか。あるいはその先にどういう新しいメディア空間が待っているのか。という展望的な議論ができればと期待している。」 遠藤:「私はちょっと緩やかなことを考えていたけれど、昨日あることがあって、昨年の政権交代に続いてメディア交代が起きるのではないかと思っている」 司会:「緩やかなことを考えていらっしゃったというのはどういうこと」 遠藤:「もうちょっと転換が2・3年はかかると考えていた、でも、もしかするともっとドラスティックな変化が起きるかもしれない」 今井:「今のビデオを見ながら来年の7月24日テレビは完全にデジタル化するということを考えると、正直身の引き締まる思いがする。新しいプラットホームに、放送と通信がいっしょに上っていく時代が始まる。さあ、どうとりくむか。大変な時代だと思う」 司会:「感想は立場によって様々だが、共通しているのはマスメディアが激動の時代に入っているとことではないかと思う。今日は、皆さんと率直で建設的な議論を進めていきたいと思います」 司会:「テレビを見ている人の意見も受け付けます。番組内でもできるだけ紹介する」 司会:「マスメディアの世界で何が起きているのか。メディア先進国と言われるアメリカの現状をご覧いただく」 映像: ロッキー・マウンテン・ニュースの廃刊。アメリカで100以上の新聞廃刊。ネットニュースの台頭。自分たちで取材をしないストレートニュースサイトの登場。広告費の減少。テレビの視聴者ばなれ、10年で700万人。独自の番組制作を放棄する地方テレビ局。3大ネットでもリストラ計画。 司会:「アメリカではマスメディアの危機は社会の危機だ、さっき広瀬さんがおっしゃったように民主主義の危機だという見方もある。去年連邦議会で公聴会が開かれて、経営難に陥った新聞社に対して公的支援をするかどうかといった議論まで起きている。この新聞などマスメディアの衰退というのは、社会にとっても深刻な事態と受け止められている。」 司会2:「そうですね。そして日本の状況はどうなのか、ツイッターの皆さんのご意見をみていたが、アメリカではなくニッポンの現状を知りたいというご意見もありましたので、まずお応えしてまいりましょう。まずは新聞の発行部数です。徐々に減少してるのがわかります。特におととしから去年にかけて100万部以上減少している。そしてテレビです。テレビの週刊接触者率というのは、1週間に5分以上テレビを見た人の割合。国民全体では9割以上になるが、20代では100人の内12人は1週間の内テレビを見ている時間が5分未満ということになる。そして、広告費です。テレビと新聞は緩やかに落ちているが、インターネットの広告費、去年は新聞を抜いた。」 司会:「本格的な議論を始めたい。まず、日本のマスメディアの現状をどうごらんになるか」 佐々木:「ものすごく簡単な情報の需要と供給に関する市場原理みたいなもの。今まで情報はマスメディアが独占していた、だからみんなが情報を知りたいのだけれど、マスメディアにしか情報がなかった、つまりそこで供給が絞られていた。これがある意味、マスメディアに対する人々の情報の飢餓感を招き、一方、マスメディアに余剰の富が流れ込む、そういうモデルだった。ところが、インターネットの出現によって完全にその需給バランスがくずれてしまった。膨大な数の情報が流れ込むことによって供給が増えてしまった。そうすると需要を満たす以上の情報があるということは当然、需要を供給する側の富そのものも減っていく。これはごくあたりまえのこと。もう1点大事なのは、こういうことを話しをすると、じゃあその情報はいったいどこからくるのかと、新聞やテレビが流しているのを単にネットではコピーしているだけじゃないんですかという意見があるが、実は今起きていることはそうではない。つまり、たとえば、政権交代がありいろいろなニュースが起きると新聞やテレビはもちろん、それについて一次情報を流す。その情報に対してネットの側ではものすごい膨大な数の言論が、それについてどういう意味付けを行うのか、どう考えるのか、どう評価すべきなのか、分析論考がものすごい勢いで行われている。そういうものの全体の総体としての情報量が増えているということ。つまり、今までだったらマスメディアの1次情報しか読めなかった、それに対するどういう風にニュースを評価するかまで含めて、情報量が全体として莫大な量になってきている。と言う中では、同然マスメディアが持っていた役割の部分というのは減少していくのはしょうがないということだと思う。だから、僕はこの状況と言うのは、おそらく後戻りは絶対しないのではないかと考えている」 内山:「アメリカと日本じゃちょっと新聞の構造が違う。まずアメリカでは150年の歴史の新聞がつぶれちゃったといいますが、日本では日本語の新聞ができて来年で140年、やっとそういう状況です。さて、どう違うかと言うと、日本では宅配制度、家庭に新聞が配られているのが、だいたい95%。アメリカではだいたい75%、フランスなどは29%なんです。ですから、買いに行かなきゃない。去年公益、財団法人の新聞通信調査会というところが世論調査を行い、新聞について。83%のかたが、戸別配達を続けてほしいという要望をしているという、違いが一つあります。それから、収入構造ですね。アメリカの場合はだいたい、8割が広告です。日本の場合はだいたい3割くらいです。アメリカでは新聞が1400ある。1社平均の販売発行部数は4万部です。日本の場合は10倍以上の62万部と。そういう違いがあるという。これが現状です」 広瀬:「テレビの場合、人々のテレビ視聴時間、これは1980年代、一番テレビの盛んなころ、23・40分、1日、だったが、今もほとんど変わっていない。それから、そう視聴率、という数字、みんなが見ている、視聴率はどうかという、これもほとんど変わっていない。で、確かに、先ほど出ていたように広告費、広告収入と言うのは、ここ2年ほど、下がってきております。ただし、そのことからみますと、テレビの存在感と実際の収益のところとは別物だと考えた方がいい。メディアの専門家のみなさんは、アメリカではああいう劇的なことが起きているという、おそらく5年とか10年後とかには日本でも起きるだろうと、こう見ているのだけれど、先ほど申しましたように、20年近くテレビとの接触率は変わっていないということは、日本はいったいどうなっているのだろうと、日本とアメリカ、あるいはヨーロッパとどう違うんだろうと、そこを考えてもらいたいと思うんですね。私論ですけれども、今新聞は宅配と言ういわば新聞のインフラがしっかりとしているということは、ありました。テレビも同じであって、地上波テレビと言うのはですね、ホントに全国津々浦々まで電波が通ります。今回のデジタル化も山の中、海岸側、50戸、100戸と言うことろまで届かせるには、大変なお金をかけている。で、そういうところにはインターネットもいかない、場合によっては新聞もいかない、携帯電話も、そもそも用事の時しかかけないという具合で、そういうところでテレビ離れというのが起こるというはずないんです。今後、番組をしっかりしていく、あるいは、CMについても効果のあるものを工夫していく、そういうことで存在感を示していけると、私はそう思っている。日本と欧米とではテレビの事情がそうとう違うなと、そういうことが大事だなと」 司会:「日本とアメリカとは制度とか、ビジネスモデル的なものが違うということですけれど、いまの経営が厳しい状況は、景気が回復すれば、一時的には好転するかもしれないけれども、長期的にはどうか。佐々木さんは構造的な変化が起きていると、需給の関係ががらっと変わっているという話だけども」 内山:「テレビの場合を先に言うと、確かに2001年にITバブルが崩壊します。そのあとずっと10年間は、いまがそうなんですけど、ほとんど1%上がったり1%さがったりと言う具合でほとんど平準利益でいっています。時代がたち、全体の文化水準が上がったのに、なんで上がらないのかと言う疑問はあるが、とにかく、大きく下がることはない。しかし、リーマンブラザーズ以来下がったところは、まだもちなおしていない。それにちょうどデジタル投資が大変な重荷になってきた。それで収支が悪くなって、201社、民間放送局があるが、おそらく2009年度3月期の決算だと、半数前後が赤字になりそうだと。つまり、私は今の経営の不本意な姿は極めて循環的なもの、景気に左右されたものだと風に思う」 司会:「受信料で成り立っているNHKの立場からどう考えるか」 今井:「社会的な傾向でいえば、もう人口の減少が始まっている。高齢化が進んでいる。NHKでいえば接触者率の全国調査でていましたが、NHKだけでいえば、NHKに全く接触しない人は24%いる。やはり、全体的な傾向の中で、受信料で放送を出していく、受信料で社会の公共空間を創っていく、という役割を維持していくためには、我々はもっと自己革新を遂げなくてはならない。昨日のとおり今日やっていけばいい、今日のとおり明日もつづくだろうと、そう考えるのは間違いだ。」 司会:「若い世代の新聞テレビ離れが進んでいる理由をどうみるか。既存のマスコミが若い世代を惹きつけるコンテンツを出していないということなのか、メディアへの接触の仕方が、技術面の進展もあって根本的に変わってきているということなのか」 川上:「理由はいろいろあると思う。まず、実際に本当に若い人はテレビを見る人はすごく減っている。われわれのニコニコ動画の例を紹介すると、1日200万人のユニークユーザーが、ログインするサイトなんですが、平均利用時間が1時間。一見で帰ってしまうお客さんもいるので、そういう人を除いてみると、1日2時間私達のサイトを利用している。こう云う人はテレビを見ていない。見る時間がないからです。ここまでネットを使っていると、人間の24時間というのは同じですので、そうするとネットの方に時間を吸い取られてしまっている人は、確実にテレビを見ない。それは我々のサイトだけでも1日200万人いる。僕は構造的な変化が起きていると思う。」 司会:「若者にとって新聞テレビはどんな存在か」 遠藤:「若者の話もあるが、さきほどドラスティックに変わるのではないかと申し上げのは、昨日研究者仲間としゃべっていて、40代のリベラルな知識人を自称する人、その方はいままで新聞のコアな読者層を形成していたと思うが、その彼が、僕はもう新聞やめた、やめてみたらなんでもなかったと、こう云う風に言ったんです。そういういいかたというのは、2009年の総選挙の前に、80代の知人でずっと自民党の強固な支持層であった、彼がぽつっと、もう自民党はやめたと言ったのと非常に感覚が似ていた。つまり、若年層の動きもそうですが、コアな部分で崩れ始めると、これは大きな変化が起きるのではないかという風に思う。若年層に話を戻すと、若年層は見ていません。それも、ここ数年急激に起きている。従来だと、講義の最初につかみでテレビドラマやCMの話をして引きつけようと努力してみたりしようとするが、これがぜんぜん効かなくなってしまった。みんなバラバラなものだから、いってもわからない、きょとんとして。新聞はもっと悲惨な状態。すいません。ただし、さきほどおっしゃったように、接触者率とか視聴率は意外なほど下がっていない。また、世界の中で日本は非常にがくっと新聞やテレビに対する信頼が高い。これは確かです。しかし、それで安心していられるかと言うと、そうはいかなくて、つまり接触者率が高い、資料率が必ずしも下がっていない、しかし、その中身はどうだろうと、そういうことを考えると、非常に視聴の質が下がっている、つまり、テレビはつけっぱなしになっている。そこのところも接触者率にカウントされてしまう。しかし、信頼度、新聞テレビに関しては完全に年齢と比例して信頼度が高い。しかし若年層になると下って、20代ではインターネットが一番信頼されている、当結果が出ている。これは一時的なものではなくて、非常に長期的にこういう傾向が出ている。また当然のことながらアメリカでは同じことが起きている。ということは、けっしてアメリカと日本とが無縁の状態にあるのではない。そう考えられる。」 続き→激震マスメディア~テレビ・新聞の未来~、広瀬道貞75歳の今。その2 #
by sleepless_night
| 2010-03-28 10:13
“象徴としての天皇陛下の前では全ての人が同等である。したがって、陛下に申し上げる場合、人名にさまとかさんとかの敬称をつけない。総理大臣であろうが誰であろうがすべて姓だけで呼ぶ。「大平が参りました」、「入江が申しております」というように。これでよいのだけれども、侍従が総理大臣や侍従長を呼び捨てにしているようで何とも気がひける。そこで「総理大臣が参りました」、「侍従長が申しております」というように肩書きで申し上げると総理大臣や侍従長にも敬意を表していることになり、まことに具合がいい。こういうとき肩書きは便利なものである。” 角田素文 『宮中侍従物語』入江相政編 * 今月14日に来日する次期国家主席との観測もされる習近平副主席と天皇陛下との会見が内規による一か月前の申請を特例的にまげて実現されることについてマス・メディアは大勢で批判的だ。 羽毛田宮内庁長官も“「陛下の国際親善活動は、国の大小や政治的重要性とは別次元で行われてきた。(特例扱いは)二度とあってほしくない」”と述べている。 天皇の政治利用ではないかという指摘は、そもそも天皇が政治的存在以外のなにものでもないので、云々することが馬鹿らしい。 胡錦濤主席が98年の副主席時代に天皇陛下と会見したことのつり合いや小沢民主党幹事長の訪中の返礼という意味合いなどがあるのだろうけれど、政治的に天皇陛下との会見の慣例を破ることは適当かには疑問がある。 天皇と言う儀典上の最上位者を持ち出す、それも特例でというのは大きすぎるカードをきることに思えるし、建前であると分かっていても「国の大きさ等」とは関係のない次元で天皇は動くということの説得力を傷つけることになるだろう。 敬称をつけないのは国内事であるだろうが、今回の特例扱いは天皇の一君万民的な平等性の持つイメージを落とすことにもなりかねない。 正に慣例で続いてきた天皇というあり方で、慣例を破ることにもう少し慎重であってしかるべきだと感じる。 #
by sleepless_night
| 2009-12-12 21:49
| メディア
岡田外相:全メディアに記者会見を開放 フリーも 岡田克也外相は18日の記者会見で、外務省での記者会見について「原則としてすべてのメディアに開放する」と述べ、記者クラブに所属する報道機関以外にも参加を広げる方針を明らかにした。 岡田氏によると、開放の対象となるのは「日本新聞協会」「日本民間放送連盟」「日本雑誌協会」「日本インターネット報道協会」「日本外国特派員協会」の各会員と、「「外国記者登録証保持者」。また、これらの媒体に定期的に記事を提供する人に限り、フリーランス記者も認めるとした。ただし会見に出席する記者は事前登録を必要とする。 毎日新聞 09年9月18日 21時15分 須藤孝 * 実際の運用を見ないと結論は出せないものの、おおむね「公約」実行とみてよい程度だと思う。 岡田克也外務大臣によって、世界のメディアにとっては小さな一歩だが、日本の民主主義にとって大きな飛躍となりうる決定が表明された。 彼の決断を讃える。 官邸についても、逢坂誠二衆議院議員と藤末健三参議院議員が早速働きかけているようなので、経過を見守りたい。 ※毎日の記事ではクラブ側の反応が書かれていないのは、なぜだろう。不気味だ。 #
by sleepless_night
| 2009-09-18 22:00
民主党という野党が生まれ、二大政党制による政権交代ある政治を繰り返し訴えて選挙を戦い、十数年かけて、それが実現しました。 では、どうして二大政党制や政権交代が必要とされ、私たちはどうして政権交代を是としたのか。 もちろん、多くの理由があげられるでしょう。 しかし、その理由に必ず含まれたのが、一つの政党がずっと政権を担い続けることで権力が腐敗する(した)という理由でした。 一つの政党が何十年も政権を持ち続けたことで、行政(官僚)との間に緊張感がなくなり、さらには行政(官僚)に立法(議員)がとりこまれ、官僚支配が横行し、私たちの税金が官僚や元官僚たちによって、国民のためではなく官僚や元官僚のため、官僚にとりこまれた議員(の支持者)のために浪費されてしまっているという理由です。 だから、私たちは先の参院選と衆院選で、政権を変えることを選択したのです。 一つの政党が政権を担い続けると腐敗する。 この事実認識をもって投票したのなら、私たちは今回の官邸記者会問題についても同じ事実認識を持ち、行動しなければ筋が通らないことになりますし、政権交代の選択の意義すらあやうくしてしまうことになります。 確かに、これは政権交代や二大政党制ほど有名でもなく、投票の理由とはならなかったかもしれません。 官邸をはじめ行政機関、企業などの取材がどう行われているのかを知る人や興味を持つ人は多くはないからです。 しかし、ジャーナリズムやメディアに少しでも関心がある人で記者クラブ問題を知らない人はいないし、もし疑問や関心をもつなら直ぐにネット検索で要点は理解されます。 とても簡単なことだからです。 一つの政党が政権を担い続けると腐敗する。 それと全く同様に、一つの集団のみが権力への取材を独占し続けると腐敗する。 私たちが政権交代を選択した、この理由と全くパラレルに記者クラブ問題はあるのです。 一つの集団がずっと取材権を独占してきたことで、取材対象(行政・与党)との間に緊張感がなくなり、さらには情報提供や便宜供与をネタに権力(行政・与党)にとりこまれ、情報の隠ぺいや操作が横行し、私たちの知る権利が国民のためではなく権力(行政・与党)や自分たちに都合のよい情報をばらまき本質的な調査や批評を怠ることの大義名分とされ、権力や税金の使われ方の監視や調査もなされず、権力(行政・与党)の浪費・濫用を放置してきた。 このような現状を打破する情報公開こそ政権交代の最も基本的な意義であることを理解してきたから、民主党も岡田・小沢・鳩山の歴代代表がずっと党の会見を記者クラブ以外のフリーランスや雑誌記者たちにも開放してきたのです。 野党民主党を取材してきたビデオジャーナリストの神保哲夫さんがおっしゃっているように、記者会見の開放は実行するのも理解するのと同じくらい簡単です。 今まで官邸の会見に出来てた人たちを排除するのではなく、新たな人たちを受け入れるだけなのです。世界の先進国で当たり前にされているように、基準を明確にして、受け入れるだけなのです。 そして今までの取材の独占は全く理由が成り立たないし、違法ですらある(記者クラブ加盟以外のメディアを排除する権利も行政から無料同然で施設占拠をする権利もないのです)のですから、会見を開放することで記者クラブ側が非難してきたなら、いくらでも反論できます。小学校中学年程度以上の人なら、なぜ開放するのかを聞いて、開放を拒む側とどちらがまともかは理解できます。 一つの集団のみが権力への取材を独占しつづけると腐敗する。 一つの政党が政権を担い続けたために腐敗したように。 知らされていなことを知らない、ことに気付くだけで、この腐敗を取り去ることを阻むことはできなくなります。 なのに、この認識を持ち続けてきたはずの民主党が記者会見を記者クラブの手から国民の手へ取り戻せなければ、いったい、いつになったら国民は自分たちの知る権利を取り戻せるのだろう。 毎日や産経が経営に行き詰まり、身売りするまで待つのだろうか。 もう、いいかげんこんな馬鹿げたことで騒がなければならないのは止めたい。 だから、希望をすてずに、民主党に働きかけよう。 #
by sleepless_night
| 2009-09-17 19:49
| メディア
“流動層を取り込もとする過程で、「世論と政策の政治」よりは、政党と候補者への「認識を操作する政治」が盛り上がったのである。” 『代議士のつくられ方』バク・チョルヒー著(文春新書) * 中選挙区制が自民党の派閥存続を支え政党や政策中心の選挙とならないことなどの批判を受け、1994年の政治改革4法案成立により96年衆院選の衆議院選において小選挙区制が導入された。 しかし、“握手とういう選挙技術は、少なくとも大都市以外、日本では流行しているとは言えない。”と1971年に佐藤文生の衆議院選を調査した時にジェラルド・カーティスが描写し、さらに“神奈川県(第三区)選出の若い衆議院議員、河野洋平に、彼の後援会のことを尋ねた時、彼は、後援会にあまり関心を払わない、自分の選挙区は東京のベッド・タウンとして首都東京へ通勤する人々の住宅地が主体であり、「浮動票」が多すぎるから、と答えた。組織化の努力に値するだけの有権者数を、後援会に勧誘することは不可能だと河野は信じているのだ。”とのインタビューを得た(『代議士の誕生』サイマル出版会)時から40年近い時間が過ぎて小選挙区制が導入され圧倒的多数で政権交代がなされた今。 選挙はどぶ板が当たり前のこととなり、後援会は一層重要度を増していることを、カーティスの弟子であるバク・チョルヒーが1996年の平沢勝栄の衆院選を調査したことで描き出した。 カーティスが調査した71年の佐藤は票まとめをする人物らの存在で一度も足を踏み入れない地域・演説する必要もない場所があったが、小さくなった選挙区では対面によって対立候補に支持者を奪われなくする必要が生まれ、取りこぼすことを前提とした地域を持つ贅沢は失われた。 中選挙区では当選に必要な支持者を集めればいいミニマリスト戦略だったのが、小選挙区では競争相手に勝つために可能な限り多くを集めるマクシマリスト戦略を採らなければならないからだ。 だから、政党の掲げる政策は小選挙区導入の意図とは逆に似通ったものにならざるを得なかった。 (幸いなことに現在までは)目立った社会的分裂もイデオロギー的対立も存在しない日本では政党が利用できる流動層を取り込む戦略は、波風を立てずに、いかに信頼できるイメージを有権者間に醸成するかに重点を置かれる。 特に、有力な地方メディアが存在せず、対面よりもマス・メディアからの情報を重視する都市部の有権者を獲得するには、マス・メディアという「認識を操作する」集団・機構との関係を議員となろうとする者は重視せざるを得ない。 マス・メディアが情報の受け手の「認識を操作する」ことは、マス・メディアが情報のゲートキーパーである、と言い換えられる。 社会心理学者クルト・レヴィンが家庭食習慣の主婦の決定・影響の研究において提唱したこの概念は、D・M・ホワイトによって新聞のニュース選択へ応用され、それはA・Z・バズによって取材と編集の役割の違いに着目した「二段階行為モデル」へ発展し、さらにP・J・シューメーカーによってより広くニュースの制作に関わる諸力の相互関係を分析する概念へと展開されていった。 * 今日、民主党・社民党・国民新党の連立による鳩山内閣が発足し、記者会見が官邸で行われた。 昨日までの自民党・公明党連立政権と同じく、これまでの自民党政権と同じく、記者クラブが主催し、“特例”として、記者クラブのお情けと新政権への顔立てで、数社の外国メディアと雑誌記者を入れて、会見が行われた。 再三の問いかけと再三の明言は見事に破棄された。 そして、問いかけられたことも明言されてきたことも、マス・メディアは知らせていない。 もはや古典的な概念となっているゲートキーパーの研究が恥ずかしくなるほど、古典的な情報統制が今日もまた維持されたわけだ。 一日二回の、ポーター(お使い段階の人)やリポーター(ストレートニュースの記事を書ける段階の人)たちの愚にもつかない下らない質問(なのかイチャモンなのか懇願なのか雑談なのか分からない会話)に付き合う「ぶら下がり」が1回に減らされることに“首相への取材機会を減らすのは認められない」と、再考を求めている”のに、実績のあるフリーランスの出席を認めないという。 情報が欲しいのか、欲しくないのか、はっきりしてくれ。 これじゃあ、そそり立つ巨大なクソが官邸の入り口をふさいでいるも同然だ。 さて、その巨大なそそりたつクソの皆さんが集った今日の会見で鳩山総理はこう述べた。 “今までのように、国民の皆さんもただ1票を投じればいいんだという発想ではなく、ぜひ政権に様々ものを言っていただきたい。政権の中に参画していただきたい。私たちが皆様方のお気持ちを、いかにしっかりと政策の中に打ち出していけるか否かは、国民の皆さまの参加次第にかかっているとも申し上げていいと思います。” なので、さっそく私は声を上げる。 私たちの目の前を塞いでいるゴミをどけてください。 さもないと、次の参院選では民主党に入れません。 このメッセージを民主党、その衆議院議員・参議院議員へあらゆる手段で届けよう。 この民主党の対応について、「すぐにはできない」「仕方がない」といった反応がネットに散見されるが、池田信夫さんが述べているように、記者クラブは国民共有の財産である官邸を不法に占拠している。記者クラブが会見を主催することや会場を利用することが問題なのではない、彼らが独占する権利も占拠する根拠もないのに、している不法集団となっていることが、問題なのだ。 今日、それを正さなくて、いつできるのだろう。 もちろん、この不法状態を晒し、正そうとすればマス・メディアは抵抗する。 しかし、それなら会見を別の場所で開けばいいのだし、海外メディアや記者クラブに加盟していないで排除されている雑誌メディアら地方メディアへ案内を回せばよいのだし、会見は成立する。 このような事態になれば、国民でも今までいかに異常なのかくらい理解するだろう。 「自由に来てください」と官邸が言っているに、行かないのはマス・メディアの側なのだから、彼らが出席しないならそう会見で言えばいいのだ。 もし会見を別の場所でやるのが無理なら、現在の官邸記者クラブ主催でさせても、彼らから相応の会場使用料などを徴収すべきだ。 これは、石原東京都知事が記者をコントロールする手段にしたものだ。 「メディアを敵に回すな」とメディアが言ってみたところで、味方になるわけじゃない。自民党の復権とそれを通じた自分たちの権益維持(なにせ、今のマス・メディア体制は自民党がつくったのだし)を目指すのは目に見えている。長年自民党に張り付いてきた人たちがマス・メディア内部での力を失ったわけではないのだから、民主シンパがいいようにしてくれるというのは幻想だ。 だったら、さっさとやってしまった方がいい。まさか自分たちの権益を奪うことはできないと思っていた相手が、あっさりと権益を奪われた時、政権を失った自民党議員と同様に呆然とするだけだろう。 参照) 新首相就任会見、雑誌記者の参加認める 朝日、自時… と報じられているが、実際は少し違うらしい。 J‐CAST 首相会見の出席枠拡大 民主党が記者クラブに申し入れ PJニュース 民主党と記者クラブが「密約」、首相会見出席は徳麗華津限定的にと ビデオジャーナリスト 神保哲生 なぜ記者会見がオープンでなければならないのか 新聞が書かない民主党の「公約破り」(山口一臣の「だめ編集長日記」) 鳩山政権 神保さん上杉さんそのほか雑誌記者さんへきつくお灸をすえる Gatekeeping international news:an attitudinal profile of U.S.television journalists. #
by sleepless_night
| 2009-09-16 22:53
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