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ストーカーの心理/人格障害編part3 自己愛性・反社会性

 ストーカーの心理類型(3)非精神病系の残り、(3-2)自己愛性パーソナリティ障害(3-3)反社会性パーソナリティ障害について一気に済ませます。
 ストーカーの心理類型について述べてきたこれまでと同様に、以下は医療情報を含みます。注などの書籍に基づく記述ですが、参考に止めてください
 DSM(『精神疾患の診断・統計のマニュアル』)の扱い方の注意、意義・問題点・位置などについてもストーカーとは何か?/ストーカーの心理を問う前にを(太文字だけでも)参照ください。

(3-2)自己愛性パーソナリティ障害(※)
 自己愛性パーソナリティ障害は文字通り、「自己愛」的なパーソナリティによって引き起こされる「障害」です。
 そもそも「自己愛」とは何かという問題を問うことは、ストーカー問題の帰結であり、その後の異性関係(同性愛なら同性関係)についての本論の序章になりますが、ここでは自己愛性パーソナリティ障害の説明に必要な精神分析学の範囲に収めます。
 前回・前々回の境界性パーソナリティ障害で述べたように、幼児は最初、自分と他者や周囲の世界との区別が付かない(自分=世界)認識を持ち、徐々に自分と他者は別の存在であることや、それ故に、自分の欲求は常に満たされるわけではないことなどを学んでいくと考えられています。
 つまり、幼児は最初の段階では、自分は何でもできる、自分の欲求は全て満たされるという認識状態にありると考えられます。
 この状態は自分=世界ですので、自分の欲求が全て満たされると言うことは、自分の何でもできる力で自分の欲求を全て満たす(と認識している)状態と言えます。自分(=世界)の全ての感情・欲求が全て自分(=世界)へ向かい・完結する、自分で自分を愛するということで「自己愛」と名付けられると考えられます。(※1)
 簡単に言えば、幼児的な万能感に強く支配されたパーソナリティだと言えると考えられます。
 DSMの診断基準で具体的な特徴を見てみますと

[診断基準]
誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人早期までに始まり、種々の譲許であきらかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上によって示される。
(1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇示する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
(2)限りない成功、権力、才能、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
(3)自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
(4)過剰な賞賛を求める。
(5)特権意識、つまり、有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由無く期待する。
(6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
(7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
(8)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
(9)尊大で傲慢な行動、または態度

となっています。
 どうしてこのような偏りがパーソナリティに生じたかは、他のパーソナリティ障害同様に特定されていませんが、やはり、育成環境に注目する専門家が多いようです。(※2)
 「自己愛」についての上述にある通り、幼児期は自他の区別が付かず、万能感の支配する世界だと考えられますが、それが保育者などの他者との関係の中で徐々に、自他の区別などを学ぶと考えられています。その過程で、幼児は保育者によって作られた安心できる環境の中、自分と他者の分離の認識という不安・恐怖を経験すると考えられるのですが、そこでは、保育者が幼児がもともとの万能感を上手く利用できるようにすることが必要だと考えられています。 
 即ち、幼児の言動を褒めたり、出来たことを反芻するように確認することで幼児が「自分はできる」という自信の源として利用できるようにすると同時に、その万能感が万能感のままでないように大人となることの手本(幼児が自分の力を向けようとする先・自分もなろうとする目標)を示すことが求められると考えられています。その過程が十分に保育的でなく安心感がなかった場合は、幼児的な自分=世界の認識に逃避したり、手本のような存在がない場合には、幼児的な自己愛(万能感)段階で留まったままになると考えられます。
 そのような保育環境が、幼児的を万能感(自己愛、自分=世界)段階に残留させ、誇大感、それに基づく特権意識や傲慢な態度、他者を自分の才能や偉大さを映す鏡のようにしか扱えないで利用する共感性のなさ、自他の区別に基づく他者の尊重の欠如、自分の誇大性を傷つけるような他者への嫉妬や妄想を生じさせると言うことです。
 
 このような自己愛性パーソナリティ障害が、どうしてストーカーの心理類型の一つとなるかは理解できるでしょう。(※3)
 幼児的な万能感のために、相手を相手として認めるのではなく、自分の偉大さや才能の映し鏡のように利用したり、自分のアクセサリーのように利用する、それが満たされなれないと、過剰なまでに怒りをもち、自分の欲求の正当性の確信や、それに基づく妄想(本当は自分のことを愛しているのだ・相手は能力が低くてまだ自分の良さを分からないだけだ)などによってストーキングに至る。
 ストーカーという犯罪の支配性という特徴と幼児的な自己愛(万能感)が一致してしまうと考えられます
 特に、自己愛性パーソナリティ障害の特徴である、誇大性や特権意識というのは幼児期の意識に属すると考えられ、脆弱性があるので、拒絶や非難に弱く、防御的に過剰反応すると考えられます。
 したがって、不幸にして周囲にアドバイスできる人やマネージメントしてくれる人がいない場合で、相手に拒絶された場合にはかなり厳しい事態を招くと考えられます。(※4)

(3-3)反社会性パーソナリティ障害
 パーソナリティ障害は現代の病、二十世紀が統合失調症の世紀だと言われるのに対して、二十一世紀はパーソナリティ障害の世紀であると言われる存在の中でも、特異で古典的な感じを持ちます。
 なぜ、そのように感じるかは診断基準をご覧頂くと理解されると思いますので、さっそく挙げます。

[診断基準]
A他人の権利を無視し侵害する広範な様式で、15歳以降起こっており、以下のうち3つ(またはそれ以上)によって示される。
(1)法にかなう行動と言う点で社会的規範に適合しないこと。これは逮捕の原因になる行為を繰り返し行うことで示される。
(2)人をだます傾向。これは繰り返し嘘をつくとと、偽名を使うこと、または自分の利益や快楽のために人をだますことによって示される。
(3)衝動性または将来の計画を立てられないこと。
(4)いらだたしさおよび攻撃性。これは身体的な喧嘩または暴力を繰り返すことによって示される。
(5)自分または他人の安全を考えない向こう見ずさ。
(6)一貫して無責任であること。これは仕事を安定して続けられない、または経済的な義務を果たさない、ということを繰り返すことによって示される。
(7)良心の呵責の欠如。これは他人を傷つけたり、いじめたり、または他人のものを盗んだりしたことに無関心であったり、それを正当化したりするこによって示される。
Bその人はすくなくとも18歳である。
C15歳以前に発症した行為障害の証拠がある。
D反社会的な行為が起きるのは、統合失調症や躁病エピソードの経過中のみではない。

 これは、犯罪者や文字通り反社会的とされる組織に属したり、行動を起こしたりする人にパーソナリティ障害の名前を付けてみただけといっても過言ではないと言えるでしょう。
 この基準のAのどれをとっても、他者の法益(法律によって守られる利益。例:生命身体財産)の侵害の危険を想定できるものです。
 反社会性パーソナリティ障害以外のパーソナリティ障害の診断基準で、このようなものは他にありません。そもそも、パーソナリティ障害は、精神病ではないが、著しく偏った思考や行動のために生活で頻繁に重大な支障や軋轢が生じることで主観的な困難をかかえる人を想定しているとされる(パーソナリティ障害の全般的診断基準を参照。本人が苦しことが中心であって、)のに、反社会性パーソナリティ障害は本人の主観的苦痛ではおさまらず、他者の法益まで侵害することを診断基準にいれている特異な存在です
 『人格障害かもしれない』(磯部潮著)ではこう記しています“B群の反社会性人格障害を除く三つの人格障害は罪を犯すといっても、自暴自棄になって、違法ドラックにおぼれたり、売春行為をしたりするようなケースがほとんどです。中略。自分自身を破滅に至らしめるような罪を犯しても、他人に直接危害を加えることは少なく、それどころか、自分自身を直接的に傷つけてしまうのです。”
 このように、反社会性パーソナリティ障害だけは扱いが別だと考えるのが妥当で、このパーソナリティ障害の心理類型のストーカーの場合には、対処を他の心理類型以上にしっかりと(特に、行政への働きかけを)しないと危険だと考えられます。(対処法なども、まとめて後に出します。)

 反社会性パーソナリティ障害の原因も特定されていませんが、養育環境に注目する説では、養育者との人間的な接触や愛着が欠如していたことで他者への共感性が獲得できなかったり、手本として適切な人物がいなかったことや手本としていた人物がその役割を破綻させてしまったことなどが考えられています。
 このように、反社会的パーソナリティ障害は現代に現れた特徴的な存在というよりも、古典的な“極道”の世界(の育成環境)にも通じる存在に感じられます。

 反社会性パーソナリティ障害を持った人がストーカーとなった場合は、その外の心理類型とは異なった支配性があると考えられます。つまり、他の心理類型では自分の妄想の世界や自分の万能感の支配する世界を満たされたものとするため(満たされなかったときの怒りもありますが、基本的には満たそうとする欲求があってストーカーを行う(幼児期の満たされなかった感情欲求を満たそうとする、ある種の湿っぽさがある)と考えられますが、反社会性パーソナリティ障害を持った人の場合、搾取的で操作的な要素があり、ある種の乾いた乱暴さが支配性の中にあると考えられます

 以上で、心理類型の説明を終了し、次回ストーカーとは何か?/心理類型と行為・関係類型のクロスに行為・関係類型との関係を示します。

※)『境界例と自己愛の障害』(サイエンス社)と『パーソナリティ障害』(PHP新書)
  『ナルシズム』(講談社現代新書)をベースにまとめています。
※1)「自己愛」はリビドー(性的欲動)の対象が自他未分離な自分であることを意味するので、本来なら、「愛」ではなく「欲求の向かう先」と言った言葉が適切なのでしょうが、概念の輸入時の翻訳で「愛」とされているのでそのまま使います。補論で述べますが、この曖昧な訳語の導入で、「自分を愛すること」の意味の混乱が生じて、分かりにくかったり、誤解がまかり通ってしまっているのでしょう。
※2)『人格障害』(至文堂)
※3)パーソナリティ障害の全般的診断基準でも、境界性パーソナリティ障害でも繰り返し述べましたが、母数が膨大(百万人単位)なので、原因として自己愛性パーソナリティ障害があっても、自己愛性パーソナリティ障害を持つ人がストーカーになる可能性が高いと言えることはありません
 また、自己愛性パーソナリティ障害自体が、自己愛の病理は精神疾患を持っている人に共通する要素なので独自に設けることが疑問視され、削除するか争われた概念です。
 自己愛性パーソナリティ障害自体を認めても、上述したように、自己愛性パーソナリティ障害を持つ人は、脆弱な自己愛を守るために他者との深い接触を望まない場合もあり、ストーカーとなることにマイナスの要素も抱えています。
※4)芸術家の中には自己愛性パーソナリティ障害を推測される人が指摘されていますし、前衛的だったり、耽美的である作品を作るには、その要素が必要とも考えられます。
 その際、生活面での低い対応能力をサポートしてくれる存在、上手く外部とのマネージメントを担ってくれる存在があると才能(があったなら)を大成できるとの指摘があります。(『パーソナリティ障害』岡田尊司著)


 
by sleepless_night | 2005-07-29 21:20 | ストーカー関連
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