「頼りがい」と共依存について述べた前回の後半部として、今回は「レディー・ファースト」についてです。
「レディー・ファースト」は「頼りがい」と同様に、女性にとって好ましい男性の行為態度に含まれるものでしょう。 中には外国人男性と比較した日本人男性の欠点として、あるいは、外国人男性の優れた点であるとして語る人、言論もあります。 ですが、直截的な疑問がわきます。 「レディー・ファースト」って「レディー」であることが前提なのではなかろうか? 「レディー・ファースト」を求める女性は自分が「レディー」だと自認しているのだろうか? 「レディー」という単語は、確かに女性一般を指す言葉ではあるのですが、無礼だったり無教養な女性を、皮肉以外で、指すことはないでしょう。 女性を示すほかの単語との区別は、丁寧な表現であることが主ですが、それはもう一つの区別理由と関連しているはずです。つまり、「レディー」は現在でもそうですが、貴族の妻か娘を示す敬称としての単語であることです。貴族の属する階級で、恥ずかしくないだけの礼儀と教養が求められる女性ということです。 ですから、「レディー」は女性一般でも、丁寧さを要求される(丁寧に扱うことがふさわしい対象を指す)場合に使う単語であると考えてよいでしょう。 そうすると、「レディー・ファースト」を受けるには、単に女性であることでは不十分だといえます。 「レディー・ファースト」を求める女性の中に、自らの中身を問う態度が見られるでしょうか? どうも、女性に親切にすることを「レディー・ファースト」と“勘違い”している人が少なくないように思えます。 もし、女性に親切にすることが「レディー・ファースト」で、女性であることのみを根拠に「レディー・ファースト」を受ける資格があると考えるなら、それは女性であることを根拠に差別する男性や社会を認めなくてはなりません。それを分かって、「レデイー・ファースト」を賛美しているのでしょうか? 今から約三十年前に、大きな運動になったウーマン・リブや、現在騒がれているジェンダー・フリーは、この“勘違い”に疑問を突きつけるものと考えてよいでしょう。 女性である、生物学的に女性に分類される、それを根拠に特定の行為態度を要求すること・されることの問題を提起し・改善を要求していると言えます(思想内部でも大きな幅がありますので、これに当てはまらなかったり、非常に極端なことを求める流れもありますが、基本的にこの生物学的性別の社会での意味を問い直す姿勢は共通しているはずです)。 生物学的に女性か否かは子供を産む性か否かが判断要件として決定的な価値を持ちます。ということは、生物学的に女性であることが重視される社会は、女性に子供を生むことを義務的な役割だとみなす社会だといえます。それは個々の女性の生き方を、個々が望むようにできない社会だと言えます。産まない女は女として間違っていると見られる社会が、女性にとっても男性ににっても好ましいとは思えません。 つまらない話をしましたが、要は、「頼りがい」と共依存と同じ根を持っていると言うことです。 「頼りがいのある」男に「頼り」たい女と、「頼りがい」を持ちたい男、「頼りがいのある」が男のほめ言葉として自然に取られる社会は、“勘違い”した「レディー・ファースト」と同様に、その個々人のあり方以上に、男であること・女であることを理由に推奨される行為態度が重視されるということです。 そこで、今までと違った方向で生きたいと思っても、性別を重視する態度が作り出した共依存関係にあったなら、阻害しあうでしょう。 「頼りがいのある」男は自分の支配する環境に女を閉じ込め、「頼り」にしたい女は閉じ込められて安心感を得る。 “勘違い”した「レディー・ファースト」を賛美して、自分が「レディー・ファースト」を受けるに値する人間かを自省しなければ、「頼りがい」の孕む共依存関係を推奨し、自分もその関係へと陥る可能性があるはずです。女なんだから「頼り」たい、女なんだから「レディー・ファースト」されたい(されるべきと考える)人には、男なんだから「頼りがい」を持ちたい、男なんだから「レディー・ファースト」したい人がピッタリです。お互いに性別を持ち出した関係で依存しあえばよいのかもしれません。 ですが、共依存は共依存です。お互いにその関係でお互いを縛りあう可能性が存在しますし、態度の持つ意味を意識して変えなければ、新しい関係も共依存的なものになるでしょう。 一つの共依存が苦しくなったり、依存が思うように行かなくなって、別の新しい共依存へ渡っても、同じことになる可能性が高いはずです。 自分が「レディー・ファースト」を受けるに値する人間だと自信がある女性には、言うことはありません。それが“勘違い”でないことを祈りましょう。 注)女性に親切にするなということを言っているのではありません。 女性と言う性別であることを理由に親切にすること、親切にすべきだと思うことが、危険を胎すると述べているのです。 これは、別の問題を述べる際に詳しく述べますが、「レディー・ファースト」を求める女性の態度が、相手にパートナー(共働者)ではなく、ペアレント(親)やプロテクター(保護者)であることを求めるように思えるときがあるのです。 また、これら外国語の流入と、それらを日本化してしまうことで生まれる様々な問題についても、折に触れて述べて行きたいと思います。 注2)今回は「レディー・ファースト」を中心として話をしたので、女性について問題の比重を置いてしまいました。 次回は、この反対に男性のマザコン問題について述べたいと思います。
by sleepless_night
| 2005-06-19 15:26
| 性
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