「頼りがい」「レディー・ファースト」という言葉をもとに共依存関係という概念について二回に渡って述べてきました。今回は、「マザコン」という現象について述べたいと思いますが、ここに至って非常に厄介で退屈な問題が幾つかあります。
「マザコン」という言葉は、約十年前に放送されたドラマによって注目をされ、認知された存在だと思います。それ以前も、嫁姑問題に絡んで男性の性格の問題はあったと思いますが、それに「マザコン」という名称が与えられたことで一気に、嫁姑という女性間の問題から男性の問題と捉えられるようになったと言えるでしょう。 その「マザコン」という言葉は前回述べた「レディー」という言葉と同様に英語です。 どちらも訳語を当てずにそのまま使われていますが、日本語化の過程で意味が変容されています。 「マザコン」とはマザー・コンプレックスの略ですが、コンプレックスという言葉の元の意味と「マザコン」にはかなりの違いがあります。 最近も「マザコン」男性とその恋人、母親の三者関係をテーマにしたドラマが放送されていたようで、その主人公が「母親を大切にしてどこが悪い!」と叫んでいるシーンを見ました(本編を見たことはないので、CMでです)が、母親を大切にしたり、母親と仲がいいこととコンプレックスは結びつきません。このドラマのホームページで、“マザコン=母親を大切に思い愛している”としていますが、それ自体がコンプレックスの意味から外れています。 なぜなら、コンプレックスがある場合は、そのコンプレックスに触れる関係が上手くいかない・自分の意図から外れることになるはずだからです。単に仲のよい母子関係にある男性を「マザコン」と非難している女性の方が、コンプレックスを持っていると考えた方が妥当です。 詳しい話は次回に述べますが、とにかく、母親と単に仲がよかったり、関係が上手く行っていることはコンプレックスと結びつかないはずです。 さて、“厄介で退屈な問題”を延べておく必要があると考えるので、「マザコン」についての詳しい話を次回に延ばすのですが、その問題とは、コンプレックスという概念を生み出した心理学という学問の持つ問題です。 心理学は科学なのか?心理学の様々な流れが提供している学説は科学的なものなのか? という問題が一つ。 もう一つは、その学説は、それによって示された人間の正常なあり方(モデル)という倫理学に触れるため、それが倫理学の見地から妥当なのか?という問題です。 こう書いていて見るだけでも非常に厄介で退屈に感じますが、簡単にでも前提として述べておかないと私が述べようとすることが表せなく、後々の文章と一貫しないおそれがあるので、述べて置きます。 第一の問題ですが、これは科学とは何かという問題を聞いているのと同じです。そして、その確実な解答は出ていません。幾つかの重要な科学の要件として、仮説と実験による理論構築・その理論を使って実際の現象を操作できるか・同じ実験をして同じ結果を得られるか・仮説と実験が追試できるように詳細な論文になって公開されて他の研究者がチェックできるようになってるか、などがあります。心理学でも心理療法に使われる学説は、この要件のいくつかを満たせないものがあります。一つの学説に反発して、独自の学説を作り、それが一つの理論として心理療法に使われています。 ですから、分析としては面白いが、その分析が本当に間違いのないものか、同じ人間を治療するための医学と同じ程度に科学的と言えるのかは疑問があると考えられます。 しかし、だからといって心理学と占いを一緒にしてしまうのも同意できません。 例えば、手相占いをしている人と比較してみます。 占い師がカルテのような書類を作っているのを私の経験上知りません。 なぜカルテが重要な違いになるかというと、カルテを作らないと、その人がどんな手相をしていたか、それに対して自分はどんな診断をしたかが残りません。すると、その人に対する占いが外れたときに、原因を追究し、自分の占い理論が間違っていたか、理論の当てはめ方が間違っていたかも分からず、外れたままの自分の占い理論と経験で他の人を占ってしまいます。要は、進歩が無いんです。 外れたことを、相手のせいにすることしかできません。また、占い師に外れた占いの責任を問うこともできません。 対して、心理学理論を元に治療行為をする場合は、カルテを残さなくてはなりません。 そうすることで、患者の記録と自分の診断や治療経過が書類で残り、そして上手くいったり、躓いたり、失敗したときに、原因を追求でき、自分の理論と経験を修正でき、また、他の心理学者や医者、臨床心理士などの専門家によって検証されたり、間違っている可能性がある理論の修正情報も共有され以降の治療に生かされます。 ですので、心理学には自然科学と比べて色々と弱い点がありますが、理論が応用され、百年以上の経験とそれに基づく修正が行われてきた実績を考えれば、少なくとも、一つの重要な人間を分析する視点として認めるべきだと思います。 又、恋愛をめぐって心理学の見地からも言論がなされていますが、中には還元主義的(なんでも心理学によって解説できてしまう)なものもあります。確かに、説得的で興味深いものがありますが、恋愛(やそれに関連したもの)を心理学だけで事足りるとする態度は受け入れられません。心理学自体の弱みもありますが、視点がどうしても現在の抽象化された個別の関係で話が終わってしまう可能性があるからです。現在、恋愛と言われている行為態度や言論を分析するには、やはり別の人文科学や社会科学からの視点や成果も必要だと考えます。 もう一つの問題です。心理学の学説や理論の示す人間のあり方(モデル)が倫理的な規範としての役割を担ってよいのか?という問題ですが、私は積極的なモデルとしては認めるべきではないと考えますが、消極的なモデルとしてなら妥当だと思います。 つまり、“人間は~であるべき”ということを心理学が示すことは妥当ではないが、“~ことをすると・・・となるので注意した方がいいよ”と言うことは妥当だと考えます。 これは簡単に言えば、明らかに不幸なことを避ける以外は、アドバイスをする程度しか認めないということです。アドバイスですから、聞く聞かないは自由です。それは、前の問題で述べたこととも関係します。つまり、心理学という学問自体のもつ弱点があるので、“~するべき”といえるほどの力は与えないほうがいよいと考えられるのです。心理学の学説や理論が示す人間のモデルの検討のためにも、他の学問分野からの成果が必要だといえます。 後者の問題は倫理学上の様々な問題と絡むのでサラッと流すものではないのですが、それについては、性交をするのは何歳から許されるべきか?という問題を考えるときに述べたいと思います。 以上で、「マザコン」問題の前振りは終わります。 次回こそ本当に、「マザコン」問題を直接扱います。
by sleepless_night
| 2005-06-23 22:07
| 性
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