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マザー・コンプレックスから「マザコン」へ、熟年離婚の道。

 前半で述べましたように、一般で言われる「マザコン」とマザー・コンプレックスは違うと考えられます。ですが、「マザコン」とマザー・コンプレックスは無関係ではありませんし、最初に持ち出した「頼りがい」ということとも結びつきが出てきます。
 勿論、「マザコン」に「頼りがい」を感じる人はいないでしょうから、マザー・コンプレックスを持つ人(正確には、コンプレックスを解消し切れなかった人)とです。ただし、間接的に「マザコン」とも関係します。マザー・コンプレックスの時代の先に「マザコン」の時代が現れる と考えられるのです。
 
 このことを考えるためには、少し時代をさかのぼってみなくてはなりません。
 スタートは1950年付近です。つまり、団塊の世代と言われる人々が生まれた時代です。
 この1950年付近に生まれた人々は第一次ベビーブームと言われるように、世代内の人口が多い世代です。団塊の世代の人々は「金の卵」と言われる地方から都市へ多量の就職者を輩出し、日本の製造業を支えてきた人々です。世界の時代状況も味方して、日本は急激な経済復興・成長を遂げた時代です。団塊の世代と言われた人々は、非常に仕事へ没頭した人々だと言えます。それは、同時に特異な家庭形態を作ることに寄与しました。つまり、専業主婦が成人女性の主流となったのです。かつては、一部の上流階級しか許されなかった専業主婦という既婚女性の特異なありかたが、社会の経済発達とそれに乗った男性の賃金上昇によって可能になったのです。
 このモーレツ社員と専業主婦の間に子供が生まれ、それが第二次ベビーブームになりました。この子供達が結婚するのが、1990年台初頭からです。すなわち、「マザコン」が一般に認知されたドラマが放映された時期です。
 
 これを踏まえて考えてみます。
 まず、団塊の世代の人々の中でも地方から「金の卵」として出てきた人たちは、十代で故郷を離れた人たちです。しかも、それは沢山の兄弟姉妹がいる上、現金収入に乏しい地方社会では生きてゆくこと・生活を向上することが望めないから、苦しい家計を助けるためと言う理由が少なからずあったと考えられます。そうすると、彼ら・彼女らの中には両親との間で十分に感情的な分離を経験できるだけの時間的な余裕をもてなかった人たちが一定程度以上の割合で存在したと考えられます。つまり、感情的な分離のための基礎的な安心感とそれに基づく葛藤を経た上での新たな感情的な結びつきを作るだけの余裕がないままに、故郷・家族を離れざるを得なかった人たち、マザー・コンプレックスを含む、家族関係でコンプレックスを生じたまま解消できなかった人たちです。

 この人たちが結婚し、子供を育てることになります。
 結婚の形態は、上述したように、モーレツ社員と専業主婦の取り合わせです。
 モーレツ社員は家庭へと向ける力も時間も少ないはずです。家庭、子育ての全権は母親が握ることになるでしょう。
 そこで、前半で述べたように母親自身のコンプレックスを子供に思いのままに投影できる可能性が出てきます。つまり、コンプレックスを解消できる間もなく故郷・家庭を離れざるを得なかった女性が、誰にも制約されない自分の家庭の中で子供へと自分のコンプレックスを投影できる環境があるのです。
 一方で父親はどうするかと言えば、所謂水商売の女性へと、接待もかねて向かうことができます。そこには、自分を(高額な金銭を払うことで)受け入れてくれることが保障されている女性が待っています。そこで、コンプレックスに影響された行為・感情を満たすことが可能です。また、コンプレックスは理不尽な行動をとらせるだけの力がそれ自体であると考えられ、コンプレックスの持つ構造に上手く嵌れば大きな力を発揮できると考えられます。これが時代の求めた社員像と合致した可能性があります。つまり、会社は、母親の代わりに社員の故郷を失った寂しさと基礎的な安心感を与え、社員はそれに対して全労働力を奉仕する、労働による疲労は所謂水商売の女性が慰撫してくれる、というマザー・コンプレックスの代償行動がモーレツ社員としての男性の行動だと解釈できるのです。そして、マザー・コンプレックスに動かされていた人たちも外形的には非常に「頼りがいのある」人だと見えることも十分にあるでしょう。外形的には、仕事に一途で忠実な人間と見えるのですから、女性からみれば「頼りがいのある」と見えてもおかしくはありません。モーレツ社員ですし、所謂水商売の店等での付き合い・接待も多いでしょうから、自分の深い個人的な部分を家庭で見せる時間的な余裕も限られているので、「頼りがい」に疑問を持たれる様なことも少ないのも加えて、コンプレックスの持つ厄介な面を見せなくて済む可能性が高かったと考えられます。(※)

 このように、マザー・コンプレックスと「マザコン」の両方の存在が可能になります。しかも、マザー・コンプレックスが生き残れる社会環境が「マザコン」を育成できる環境ともなっていると考えられます。  「頼りがいのある」男性とその妻が作った家庭が、「頼りがい」と対極とみなされる「マザコン」を産んだと解釈できるのです。

 今回は、少し社会の構造などへと話が触れました。この構造は今後も様々な場所で引き出されると思います。日本の恋愛や家族の歴史を考える際にはどうしても、第二次大戦後の変化ははずせない問題です。それは直接、現在の私達をとりまく恋愛や結婚の言説を作り出した時代だと考えられるからです。もう一つ、江戸から明治という大きな変革期もありますが、これと並んで大戦後の60年は重要な時代だと考えられます。
 少しずつ、この過去から現在への変遷という話の筋が見えてきましたが、次回も現代の問題にとどまりつつ、全体の話の筋へと勢いをつけて生きたいと思います。

 ということで、次回はより現代的な問題であるストーカーについて述べたいと思います。
 
(※)近年、話題になっていいる熟年離婚は、このコンプレックスを解消できないまま、経済環境に支えられて結婚・子育てをできた人たちが含まれていると考えられます。
 つまり、定年を控えて、男性はそれまで程、仕事や外での時間の消費が少なくなり、女性は子育てを終える状況で、改めてお互いに向かい会った時、お互いの持つコンプレックスに触れてしまうこともたぶんにあるでしょう。そうすると、今まで男性は会社と、女性は子供と共依存関係を作ることで外見的には上手くいっていたのが、男性は会社を、女性は子供を奪われることで関係に変化が生じるでしょう。そのとき、関心の大部分に共通点のない男女が、お互いのコンプレックスと対峙して解消へ向けた歩みを共にする可能性はかなり低いと考えて妥当だと思います
 『超少子化』鈴木りえこ著(集英社新書)には“子供に大変手のかかる時期に妻をサポートした夫へは、その後も妻の愛情や信頼の気持ちが続き、二人の関係は良子のまま持続する。”とあります。
 これは、当たり前のことですが、私が上述したことと重なるでしょう。
 母親・家族へのコンプレックスを解消できないまま都市へ出てきて、結婚し子育てをする夫婦でも、二人で子育てをするには、夫はモーレツ社員を突き進むことはできなかったでしょうし、何よりも妻による子供へのコンプレックスの投影がし難くなったはずです。また、二人で過ごす時間が多くなり、二人で様々経験をすれば必然的にコンプレックスに触れる場合があったはずです。そのとき、二人の間でともにコンプレックスの解消に向けた歩みがなされたこともあったでしょう。特に、育児と言う重労働であり、二人とも逃れられない責任をこなす中で、余裕を失い感情を爆発しあったりすることが、感情によって結び付けられた心的複合体であるコンプレックスを意識化させ、それを解消する機会になった幸運な場合もあったはずです。同書のこの部分は、非常に重要なことを過去、現在、未来の夫婦に伝えている内容だと思えます。
 
by sleepless_night | 2005-06-26 14:15 |
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