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ストーカーとは何か?/心理類型と行為・関係類型のクロス

 ストーカーの心理類型について、一通りの説明が終わりましたので、心理類型と行為・関係類型のクロス(二つの類型を重ねる)をしていきたいと思います。
 行為・関係類型を軸に、心理類型を重ねます。
 心理類型は、分析や理解には必要ですし、適していますが、ストーカーの情報を集める必要があり、初見では判別できず、具体的な事例の最初の当てはめに使うのには適していません。ですので、直接的に判別できる行為・関係類型を軸にした上で使うことが妥当だと考えるます。
 行為・関係類型はかなり以前に出しましたので、再度、同じ説明文を挙げ、追加的なものを加えてあります。
 尚、行為・関係類型は『ストーカーの心理』(サイエンス社)P・E・ミューレン、M・パテ、R・パーセル共著/託摩武俊監訳/安岡真訳に拠ります。

[①拒絶型]
 一定以上の親密さのあった関係(親子・夫婦・恋人・親友・長年の同僚や取引相手・医者患者間・教師生徒間)が壊れたときに生じるストーカー。
 この拒絶型が最も多い類型。警察の統計では、全ストーカーの約70~80%がこれに当てはまる。
 関係の喪失感から、よりを戻したい・断られた腹いせ、の目的を持つが、ストーキングという行為の過剰さがその目的を達成することに有効だではないとの認識はある。
 それでは何故するのかと言うと、権利意識や正義感という妄想の下に自分がストーキングを止めると、関係の喪失を認めることになる、ストーキングが相手と自分の関係を維持する行為なので、それは有効ではない、かえって有害だと認めても止めることができないからだと考えられる。
 権利意識・正義感から、脅迫・暴力につながる傾向がある。
⇒[心理類型]で考えると
 中心的には(3-2)自己愛性パーソナリティ障害系が該当すると考えられます。
 自分への誇大な評価から、相手にも関係を規定する権利があることを受け入れらない。独占欲が強く、相手の意思を考慮せず(共感の欠如)に、自分の思い描く世界に従わせようとする(不当な他人の利用)。
 尊大で傲慢であるようで、それは幼児的な全能感に基づくだけに、批判や拒絶に弱い。
 (3-1)境界性パーソナリティ障害系も、拒絶型に該当することが多いと考えらる。その場合は、自分の権利や正義という妄想が前面になく、喪失された関係への強固な依存が見られると考えられる。
 境界性の持つ空虚感を満たすため、その関係に一切の希望や期待を求めよう(極端な人物評価)とし、関係が失われることは、それに求めた一切の希望も期待も失われることを意味するので、喪失を受け入れられなくなる(見捨てられることへのなりふり構わない努力)。
 (3-3)反社会性パーソナリティ障害系は特徴的な関係の場合には拒絶型に該当すると考えられます。特徴的な関係とは、相手側に特徴的なスキがあり(※)、それに反社会的パーソナリティ障害を持つ人が付け込むようにして作られる関係のことで、同じような相手と同じようなトラブルを繰り返すことが考えれます。
 (1)精神病系(2)パラノイド系も、医者患者間の場合に考えられます。

[憎悪型]
 拒絶型ほどの親密さの無かった関係の相手、若しくは、殆ど知らない他者に対して、相手を恐怖・混乱させたい欲望から生じるストーカー。
 ストーキングの相手の選択には意味が無く、手当たり次第の感がある。
 憎悪とは、自分の中でストーキングのきっかけとなる出来事で感じた自分の感情をすぐに爆発させるのではなく、内にためて反芻し、確認・維持された強固で冷徹な怒りと憎しみの感情のこと。したがって、計画性が強く、脅迫的である。
 きっかけとなった出来事で、自分は被害者であり、ストーキングはそのお返しであると、正当化している。
 どの類型よりも脅迫行為を行いやすいが、実際の暴力行為へ及ぶことはどの類型よりも少ない。
⇒[心理類型]で考えると
 中心的には、(2)パラノイド系が該当すると考えられる。
 妄想以外は正常者と変わらない能力を持ち、妄想に基づく行為をその能力を使って実行し  ていく。
 (3-3)反社会性パーソナリティ障害系のようにも見えるが、憎悪型のストーカーは社会的な能力の低下がなく、自分の行為の結果を計算でき、保身行為をとることができ、直接的な暴力行為を取ることが少ないので、当てはまることは少ないと考える。

[略奪型]
 自分の性的妄想を満たすための相手をストーキングするタイプ。
 性的妄想の実現という目的のための手段としてのストーキング。
 目的が相手との関係を意図したものではなく、自分の欲望と妄想の実現と言う一回性のあるものなので、ストーキングの期間は他の類型に比べて著しく短く、外から観察できることが少ないため、警告となる兆候なしに暴力行為が発現する。
 拒絶型以外で最も暴力行為に至ることが多い類型。
⇒[心理類型]で考えると
 中心的には(3-3)反社会的パーソナリティ障害系が該当すると考えられます。
 特徴的な性癖を社会の中で統御できずに実現しようとする(社会・法規範の無視)、性犯罪  の前科を持つことが多いなど、パーソナリティの偏りが主観的苦痛でとどまらず、他者の法  益(法律によって守られる利益:生命身体財産など)侵害に及ぶ傾向が当て嵌まります。

[親しくなりたいタイプ(親密性要求型)]
 相手と相思相愛の関係を築きたいとの一方的な意図から生じるストーカー。
 最もしつこく、拒絶型以外で最も長期にわたり、多く見られる類型。
 孤独感で切迫する自分の生活を解決してくれる相手(理想の相手)だとみなして強い好意を持ち、その権利があるとの思いもある。求めるのが相思相愛といっても、所謂恋人や配偶者へ求めるような関係性というよりも、保護者的な愛情を求める。
 ストーキング自体が自分の生活の孤独感からの逃避・補償行動ともなる。
⇒[心理類型]で考えると
  見ず知らずに近い相手をストーキングする場合には、(1)精神病系(2)パラノイド系(3-2)自己愛性パーソナリティ障害系が該当すると考えられます。
 該当する心理類型にかなりばらつきがあり中心的なものを特定しにくい。
 ただし、孤独であり、それからの救いのために理想の相手を見るという点からは(3-2)の推定ができる(境界性系も該当すると考えられるが、自分に相手と関係をもつ権利があるとの思いが強い場合は自己愛性を考えた方が妥当すると考える)。
 相手が有名人である場合は、(1)精神病系(2)パラノイド系が中心的に該当すると考えられる。
 歌手や俳優などの芸能人の場合には勿論、社会的地位の高い人(著名な医者や学者、宗 教家などの人を助ける立場の人や行政組織の高官や企業の重役)の場合でも他の行為・関 係類型のように直接的な関係を持つことが考えられないので、それだけ妄想の世界がしっか りしてないとストーカーになれないと考えられる。

[相手にされない求愛者タイプ(求愛型)]
 親しくなりたいタイプとの違いは、相手の扱い方と関係の可能性にある。
 この類型のストーカーは、社交・人間関係のスキルが非常に低く、不器用で、鈍感であるために生じる。
 全ての類型の中で最も世間一般の男女関係(同性関係)に近いともいえる。(※1)
 比較的ストーキングの期間は短期。ただし、本人が変わらないために累犯性がある。
⇒[心理類型]で考えると
  中心的には(3-1)境界性パーソナリティ障害系(3-2)自己愛性パーソナリティ 障害系が考えられる。
 上手く関係性を作れない、相手の感情や思考に鈍感、自分の行動がどのような効果を持つのか評価できないことが、(相手を引き付けるために)自分の価値を喧伝することに夢中になったための場合なら(3-2)、空虚感から相手へしがみつこうとしたための場合なら(3-1)が考えられる。

 以上で、ストーカー問題の下拵えが完了です。
 このように見てみますと、一般にストーカーとして問題にされているのは、拒絶型と親密性要求型と求愛型の3つを指しているために、指摘されるストーカーの心理類型がパーソナリティ障害系に偏って注目されていると理解できます。
 特に、最も多い拒絶型の中心がパーソナリティ障害系であることは大きいのでしょう。
 つまり、このことがストーカーの心理をめぐる乱暴とも思える決め付けにつながっていると考えられるのです。
 そして、この心理類型と行為・関係類型のクロスだけ見ると、いかに心理類型として挙げられる病名や疾患名の持つ悪い面が強調されてしまっているかに気づくでしょう。
 心理類型だけの説明では、疾患全体について述べることができるのですが、クロスさせてみると、行為・関係類型が軸となるのでそれに直接結びつく心理類型の特徴を示さなくてはなりません。そこが、ストーカー問題(の心理類型としてのパーソナリティ障害)と通常のパーソナリティ障害に関する問題の取り上げ方に差が出る原因となっているのだと考えられます。
 
 憎悪型は以前に述べたように、最初からストーカー規正法の定義から外れているために、ストーカーだと認知されておらず、略奪型は目的のための手段であり、目的自体が強姦や強制わいせつに相当するのでそちらの罪に吸収され、独自にストーキングとして摘出されないためにストーカーとして認知されないと考えられます。

 ストーカーの歴史から切り離した定義、差異を無視した言論、社会からの隔離、そこから全体の中での視点が阻害されていることが見えてきます。
 それが、ストーカーと一言で名指される存在を不明なものにし、本来なら被害者として救済されるべき人を外したり、感情的な排除で済ませようとしたりし、騒いだ割に問題の解決になっていない、臭い物にフタ的な発想で終わってしまう。
 
  次回ストーカーから見えるものはで、このストーカー問題の帰結、具体的に何がストーカー問題が現代の男女関係(同性関係)を考える上で重要なのか、何がこれを通して見えるのか、に入ります。
 また、ストーカーの対策などについても補論の形で出します。
 
 
補足)境界性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害はどちらも、「幼児的な自己愛」に育成原因を求められるので、似ていますし、パーソナリティ障害自体が重複(境界性と自己愛性が重複して診断される)が非常に多いとされています。また、前々回に述べたように、自己愛的な要素はどの精神疾患にもみとめられると考えられています。

※)ストーカーの被害者側の特徴は別に述べますが、明らかに不幸で、本人も不幸だと思っているのに、なぜか同じような関係を繰り返してしまう、同じような相手を選んでしまう人の場合、不幸である関係に痛みの中の安らぎのようなものを感じていることが考えられます。依存が苦しいのにせずにはいられないのと同じことが、人間関係への依存である共依存も同様に言えると考えられます。
 フロイトは、このような苦痛をなぜか繰り返してしまうことを「反復強制」と呼びましたが、これは経験から学習されたものだと考えられます。
※1)求愛型の場合、かなり認定が微妙な人々がストーカーとカウントされることが多いと指摘があります。ストーカーの定義の問題についてで述べましたが、ストーカーと認定するか否かは、相手が自分の出したメッセージによって思考・行動を修正できるか否かだと考えられますので、唐突で不器用な求愛を時流や感覚でストーカーとするのは正確ではありません。
 ストーカーか否か、概念を正確に定義することは、問題を考える上での基礎です。
by sleepless_night | 2005-08-02 22:11 | ストーカー関連
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