“老人:何をそんなにむきになって読んでいるんだね。
若者:『恋愛論』という本です。 老人:なんだって?恋愛についてだって、むろん小説だろうね。 若者:違います。あなたは恋をしたことがおありですか? 老人:恋?女を持ったことならある。 若者:そんなことじゃなんです。あなたは恋に夢中になったことがありますか、眠れなくなったことがありますか。 老人:一度も無い。 若者:やれやれ。つまりね、あなたは誰か一人の女の人のために社交界でもの笑いになったことがあるかっていうんですよ。 老人:ちょっと待って、そうだなん、古いことで思い出せないが…そうだ、一七八九年だった。ある朝友達が来て、かわいいデルヴィルの奥さんがサロンへ入ってくると、みんなが私の顔を見ると注意してくれたことがあった。私の深刻な顔がひどくおかしいんだそうだ。 若者:それですよ。今僕がおすすめする大好きな本は、つまりそのおかしさを分析しているんですよ。 老人:あまりいい趣味じゃないね。”(※) スタンダールが自著『恋愛論』の宣伝の為に書いたこの対話文で老人に言わせているように、恋愛を論じるなど、“あまりいい趣味”ではないと私も感じます。 “恋愛は論じられるものでなく、するものだ”(※1)といわれる通り、黙ってしていればよいのです。 では、なぜ、論じようというのか。 勘違いする男と女/「頼りがい」と共依存で述べたように、このブログのタイトルには「性」とありますが、それは性交やその周辺域のみを語るためではなく、それを含んだ「恋愛」「交際」「結婚」といったことについて述べるためです。 そして、それを述べるためには「性」、つまり、ジェンダーであったりセックス(生物学的性別)についても触れなくてはなりません。 つまり、多義的な概念を担わされている「性」という言葉に代表させることで、スタンダールを含む多くの論考が持つ領域の限定を広げ、広範で多角的にある一つ一つを統合し、必要な基盤(地面)の提示を目指す意図です。 なぜ、語られなくてはならないのか。 それは、「性」(つまり、所謂、恋愛・交際・結婚、ジェンダーやセックスやセクシュアリティといった「性」という言葉に関連し、担われる概念)が「性」だからです。 もしこの世に、一人の人間、一つの「性」、しか存在しなければ、語られる必要はありません。 それは、この世が赤色のみで彩られていれば、色がこの世に存在するとは言えないし、色について語ろうとする人はいないだろうということと同じです。 一人の人間、一つの「性」、でしか在れないから、語られる必要があるのです。 一人の人間、一つの「性」、でしか在れない人間が、別の一人の人間、一つの「性」、と出会うことで「性」が存在する。 だから、私達は「性」を語り、伝え、受け取り、理解しようという営みを避けることができないのです。 「性」を語ることは困難です。 それは、“すべて愛というものは最も人間的なものだし、それを語るために特殊の経験が必要だということはない”(※2)という言葉に代表されるように、誰でもしている・できると思われるものであることが、困難の一因、論じることを忌まわれる(“あまりいい趣味じゃない”と思われる)一因と考えます。 確かに、この感覚・感想は、個別具体的な「性」、つまり、固有名詞的な「性」については適当なものです。 しかし、一般名詞としての「性」については違うと、私は考えます。 もちろん、一般名詞としての「性」は実際には存在しません。あるのは、常に個別具体の固有名詞的な「性」です。したがって、固有名詞的な「性」しか語りえないというのも首肯される主張です。 しかし、一般名詞としての「性」は、あえて語られなくてはならないと考えます。 それは、個別具体的な・固有名詞的な「性」は十分に語られているし、自然に生じているので、“あえて”の必要がないからであると同時に、そこでの恣意性を一定の枠内に収める必要がある(意思疎通の道具としての言語の機能性を保持する必要がある)からです。 日常語られる「性」、恋話(コイバナ)に代表される、とは「~の恋愛」であったり、「~の結婚」「~の性交」である(即ち、固有名詞的)にもかかわらず、それを意識されていない、言わば越権的な言論になっていることが見られます。 言語は恣意的なもの(※3)ですが、「性」(特に、恋、愛、恋愛)にはそれが上記の引用文のような理由で横行の余地が多分にあります。 それでもいいではないか、固有名詞的な「性」があり、それに何の文句があろうか、とも言えますが、無自覚な恣意性は齟齬や弊害を導きます。 自覚の上での恣意を遊ぶのならば、恣意のリスクを予測・管理できますが、無自覚な恣意は不意打ちの悲劇(こんなはずじゃなかった)を招きます。 特に、社会を構成する人間のバックグラウンドが多様化する現代ではその傾向が強まります。単一的なバックグラウンドや価値観が強固な社会ならば、無自覚な言葉の恣意性は、社会構造によって(良くも悪くも)安定性が担保される(そして、一時期の日本はそうだった)のですが、多様化すれば担保できません。 極端な例ですが、ストーカーの被害者になったら。でも挙げたドメスティック・ヴァイオレンス(配偶者・交際相手間での暴力)があるにも関わらず継続している関係はその典型です。 「愛」故に夫は妻を殴り、妻は殴られたあとの夫の優しさを「愛」だと言う。 もし、一般的名詞としての「性」が語られなくては、どうしてこの二者に合意された「愛」に異議を唱え、法の介入を要請できるでしょうか。 そこまでいかずとも、「愛」しているという言葉で、あまりにも多様で・両立しない感情や願望や欲求が言い表され(覆い隠され)、少なからずの人間が「こんなはずじゃなかった」との感想を持っているはずです。 前回(『電波男』は「答え」となりうるのか?)述べた『電波男』と『負け犬の遠吠え』(※4)とは、その一つの例に他なりません。 『電波男』はこう述べています。 “ああ…、心は、愛は、どこへいったのだろう。男の収入をアテにして贅沢しようとする女。これでは、結婚なのか売春なのかわからない。”“全ての恋愛が、相手の何らかの見返りを要求する売春行為になってしまった”“金や欲得から開放された純粋な愛、永遠の愛、そいういうものを求めているわけなのだ”“たまきたんのビジュアルに萌え萌え”“二次元彼女にはまだ、「部屋のごみをすててくれない」「飯を作ってくれない」という弱点が残っている。” 『負け犬の遠吠え』はこう述べています。 “恋愛体質者も、結婚を望んでいないわけではないのです。が、次々と男は現れるし、もう少しまっていればもっと良い男が現れそう。”“一人の異性から愛され、大切にされ、性的快感も得られ、しかし基本的には何ものにも縛られずに自由”“負け犬はごく普通の「自分よりちょっと頼りがいがあって、自分の仕事を認めてくれる男性」ってやつを求めてるわけです”“一人の異性にとても深く愛されたという証拠が欲しい>”“「一生愛し続けることができる人とだけ、セックスする」”“精神性の勝った恋愛相手を求めているのです。” 同じ言葉を使いながら、どうしてこうも現象として隔絶した存在になり、排斥しあうのか(さらに、自論のなかでも矛盾できるのか)。 それは、一般名詞としての「性」が語られていないからだと私は考えるのです。 そして、なぜ語られていないかといえば、それが困難だから、単に難しいばかりではなく、感覚として忌避される(自分が語ることも、他者が語ることも)から、面白(fun)くないからだと考えるのです。 「性」は最も私事性の高い場所に存在します。 それを、論じる、分析し、一般化することは、冒涜とまではいかずとも、嫌悪感や醜悪感が漂います。 無粋なのです。 ここで、“粋(いき)”とは何か、「性」を語ることの困難性と意義を“粋”を語ることは無粋ではないのかと言うことに重ねて、次回に続けます。 ※)『恋愛論』(新潮文庫)スタンダール著/大岡昇平訳 ※1)『対幻想』(春秋社)岡本隆明著 ※2)『愛の試み』(新潮文庫)福永武彦著 ※3)恣意的:例えば、田中という人を中田と呼んでも、田中という人間の実態はなんとも変わりません。ですから、ものの名前とは実態とは関係なく存在できる、いわばいい加減(恣意的)なものです。しかし、それに甘えて、自分が好きなように呼ぶことを多くの人がしてしまうと、言語は意思疎通の機能を果たせなくなります。目に見えない「恋愛」にはとくにこの恣意性が発揮され、「本当の恋愛とは~」のような言論が為されている、つまり、不当な一般化と裁定が見られます。 ※4)『電波男』(三才ブックス)本田透著 『負け犬の遠吠え』(講談社)酒井順子著 この二つの書籍の引用を見ると分かりますが、恋愛や結婚といった言葉よりも、「性」について、つまり、性交(を結点としての恋愛・結婚)についての考え方、女性・男性のあり方について焦点を合わせたほうが、問題が明確化できます。 その視点からの分析をせずに、「恋愛(恋・愛)とは~」としても、乱暴な先入観や願望の押し付け合いに終わってしまうでしょう。
by sleepless_night
| 2005-10-10 09:53
| 性
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