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「性」の世界へ

 「なんで、彼のことを好きになったの?」
 そう聞かれても、好きになろうと思って好きになったわけじゃないのだから答えようが無く、どうしてそんなことを不思議そうに聞かれ、答えなくてはならないのか。
 「じゃあ、あなたはどうして彼女を好きになったの?」
  逆に聞き返しても、納得する様子も無い。
 自分にとって同性を好きになることは、なんの意識もなく起きる感情であるにもかかわらず、それを不思議そうに質問され、むしろ説明を求める権利があると言わんばかりの態度で接される。

 同性愛者であることを公言し、活動の一つとして同性愛者のためのサイトを運営している伊藤悟さんは“私たちはパーフェクトな説明をいつも求められるんです。”(※)と述べています。
 同性愛者の多くは、上記したような問答と感想を経験する様です。 
 
 性同一性障害を持つ人の場合は、同性愛者よりも、この点では楽なのかもしれません。
 体の性別と心の(自分で思っている)性別とが違っている、乱暴に言えば、間違って男や女に生まれてしまったのですから、接する側は「この人は、男(女)に見えるけど、それは体が男(女)なのであって、本当は女(男)なのだ。この人は間違ってしまった人、それを分かっている人。本当は女(男)なのだから、男(女)を好きになるのは正しい。」と思うことができるからです。

 しかし、同性愛者は違います。
 「この人は男(女)なのに、男(女)を好きになっている。自分でも男(女)だと思っている。なのに、男(女)と性交をしたいと思っている。」
 そして
 「私は男(女)で女(男)を好きになり、女(男)と性交したいと思っている人間だ。だから、男(女)なのに男(女)と性交したいと思っている人間とは違うのだ。」
 と思われる。
 だから
なぜ、男(女)なのに男(女)を好きになったのかを聞きたい、不思議に思って当然だ、と考えて質問される。不思議なことを質問するのは当たり前のこと。当たり前のことをする自分は当たり前の人間だ,と思われる。
どちらも、当たり前、自然だと思っているのだけれど、一方にしかそれを持ち出せる資格がない。

「どうして、あなたは女(男)を好きになり、性交したいと思うのですか?」
 そう質問され、自分がどうしてそうなのかを考えてみた時、「どうしてだろうね」とニヤリと笑えるなら、これからこのブログで述べてゆく様々なことを楽しく思ってもらえるかもしれません。
「男(女)が女(男)とヤリたいと思うのは自然じゃないか。何を馬鹿なことを言ってんだ。」
と思うなら。思うというよりも反射的に発するなら、その人こそ、これから述べるようなことを知る必要はあるでしょうが、楽しめはしないと思います。

 キンゼイ・リポートで有名なA・キンゼイの共同研究者であったW・ポムロイは
 “あらゆる人間一人一人が他人にとっては未探検の暗黒大陸である。それは暗黒ではあるが豊穣な大陸である。未知であるが故にそれは神秘的な豊穣である。”
 と人々のセクシュアリティ(人が持つ性的欲求・欲望)の世界を表現しました。
 
 “「あの人はこういう性格だ」と判断を下せる相手を、誰でも百人程度はもっているだろうが、「あの人の性生活はこんな風だ」ということができる相手は誰でも指折り数えるくらいしかもっていない。この自分の外なる性の世界に対する実見聞できない貧しさが、こと性に関しては独断的で偏狭なものの見方を多くの人に当てはめてしまう。”(※1)

 セクシュアリティは、「性」の世界の一片に過ぎません。
(「性」と「」をつけているのは、性交のみではなく、交際・恋愛(恋・愛)や結婚など、その考察に必要なジェンダーやセクシュアリティなどを広く含めるためです)

 しかし、おそらく、それが一番「性」の世界の面白さを感じさせる部分でしょう。
 いつも一緒に働き・学んでいるあの人はどんな性交をしているのだろう。
 今日、電車で正面にすわったあの人は、帰宅してどんな性生活を持つのだろう。 
 その人と性交をする機会がなければ、それを知ることはできない。
 経験的に、それは、いつも見せいているその人と同じではないだろうことは予測できる。
 積極的でいかにも激しい性交をすると思える人が、まったく消極的で禁欲的な性生活を持っているかもしれないし、普段は全くおとなしくて冴えないあの人が果敢な性の開拓者となっているかもしれない。
 何十年と付き合いのある友人がどんな性交をするのか。
 会って一時間しか経過していなくとも、性交経験を共有した人間の方が、それについては知ることができる。

 私達は、その海がどんな海底構造をしているのか、海流はどう流れているのか、深さはどのくらいか、何が・どのように生息しているのかを知らずとも、海を泳ぐことができ、知らずとも海を楽しんでいます。
 では、海を泳いでいる時、「その場所は1万メートルの深さがあるよ」と言われたらどう感じるでしょうか。
 ゾッとする、自分の下に1万メートルもある、何がいるのか分からない、そこに自分が浮いている、そう一瞬恐怖が沸き起こるかもしれません。
 しかし、海で泳ぐことは楽しい。そして、怖いけれども、自分の下にある一万メートルを知りたい。
 「性」とは、そのような海のようなものだと、私は考えています。
 知らなくても楽しめる、知ったらかえって面倒かもしれない、でも知りたい。
 
 「性」は、海を知らずとも・考えずとも、浮いていられる・泳ぐことを楽しめるのと同様に、知らずとも・考えずとも、生きている世界です。
 現に、なぜ、自分が男性・女性なのかを考えなくとも、生きています。
 そして、人を好きになったり、性交したり、さらには子供が生まれます。
 
 性は、なぜ語られなくてはならないのか?で述べたように、その世界は“特殊な経験”ではないのです。
 しかし、海に浮いている・泳ぐことは“特殊な経験”ではないけれども、それで海が何であるかを知ることが簡単なことではないのと同様に、「性」は“特殊な経験”ではないけれども、知ること・考えることが簡単なものではないのです。
 「性」を語ること、「いき」を語ること。で述べた無粋であるという点もそうですが、それは複数の要素が切り離せずに絡み合い相互に影響しあう、地底構造や海流・海水の性質が生息する生物の様相と密接に関係するように、複雑なものであることも困難さの原因です。
 おそらく、無粋である点、は本来的なそれらの困難さをカバーするための擬制の困難です。
 「性」は、私達の生命に直接に関係します。私達は「性」抜きには存在できなかったのです。だから、「性」は一人一人の実存的な問題(倫理の問題)を不可避的に含みます。そして、私達が作る社会は、社会として存続するために「性」を管理しようとします。管理といっても法律などの公権力(のみ)ではなく、それ以上に文化や社会構造などの見えない力が大きな役割を担います(いつ・どこで・だれと・どのような性交をすることが文化的に普通だとされるのか、男性や女性は、どう振る舞い・どう生きることが普通だとされているのか、明文化されていなくても、教育や雇用の形態や選別で、どのような誘導がなされているのか等)。「性」は扱いを間違えれば、個々人、社会の存在を脅かすだけの力を持つ問題なのです。
 そのために、「性」の持つ本来的な困難さを覆い隠す、仮の困難さが設置されているのでしょう。
 また、いちいち、困難さに付き合っていれば、日常は平穏には営めないのです。

 「その下に一万メートルあるよ」
 と言われたときの、恐怖、ゾッとした感覚。
 それの持つ意味を考えることを避けるために、“自然な・当たり前の”感覚はあるのでしょう。
 でも、怖がって反射的な拒絶をとる必要があるのでしょうか。
 
 海底構造や海流について知ったところで、海を上手く泳げるようになるわけではない。
 しかし、知ることは楽しいと思う。
 知りたい、知って苦しい・面倒くさくなるかもしれない、それでも知りたい。

 人生の意味と目的で述べたことを敷衍すれば、知ろうとすることは、用法②の「意味」を求めることでしょう。
 自分が生まれたこと、していること、生きていること、の情報を求め・考える、それで何がどうなるということもないけれども、知らない・考えないよりも、「意味」があることをできるかもしれない、少なくとも納得はできるかもしれない。

 力不足ではあっても、この“豊穣な暗黒大陸”を進んでいきたいと思います。


 性は、なぜ語られなくてはならないのか?の冒頭で出した、スタンダールの対話文には続きがあります。
 
 “若者:恋をすれば誰でもよくやることですからね。しかし、『恋愛論』はそれを防ぐ術もおしえてくれます。
 老人:いや、君の本が私にもう一度あんな目にあわせてくれるほうがずっといいよ。”

 スタンダールの『恋愛論』を読んでも、そして、このブログを読んでも、“あんな目”にもう一度あわせることはできないでしょう。
 その手の話は、膨大なハウ・ツー本がありますし、それらの本でさえ、はたして効果的なものなのか、私には分かりません。
 
 性交やそれに密接に関連する「恋愛」「結婚」、それについての情報や考察に触れることで、今まで見えなかった・整理できずに混乱し放置されてきた自分の中の思考や感情に取り組む助けにはなるでしょう。
 自分にとってそれらが何なのか、どんな位置づけで、自分はどうしたいのか、を認識する助けとはなるでしょう。

 しかし、それが“あんな目”をもたらすものでも、上手くなるものでもないでしょう。

 それでも、私はそれを知り、考え、述べてみたいと思います。
 なぜなら、それが私には楽しいから。

 
 
 
 

 


※)『異性愛をめぐる対話』(飛鳥新社)伊藤悟・梁瀬竜太著
 お二人が運営している、すこたん企画 http://www.sukotan.com/
※1)『アメリカ性革命報告』(文春文庫)立花隆著 
 キンゼイについては、キンゼイ研究所HP
http://www.indiana.edu/~kinsey/research/ak-data.html でリポートが読めます。
 ギンゼイの生涯についても
映画『愛についてのキンゼイ・レポート』http://www.kinsey.jp/が公開されています。 
by sleepless_night | 2005-10-17 20:11 |
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