「性」について本論へ入ります。
本論というからには長い話となり、これまでの記事同様に大変に退屈な話となります。 そこで、話の前にトイレに行っておきます。 (以降、シモの話が続きます。食事の前後や気分の優れない方、シモの話題に嫌悪感が強い方はご注意ください。) 私はトイレが好きです。 トイレは大小便をする場ですが、好きなのは大小便ではなく、トイレという場所です。 しかし、大小便と切り離して存在するトイレはありません。 したがって、大小便をする場としてのトイレという空間が好きというのが正確なところでしょう。 “わたしは、幼少のころから、なぜか糞尿に興味をいだき、「人間はどうしてウンチをするの」といって、学校長だった謹厳なる父親を悩ましたものである。これこそ、偉大なる科学の科学心の芽生えというべきであろう。少年の頃、私は肥溜めに落っこちて、全身黄金仏となって救い出されたことがある。このとき、糞尿の神は、わたしに乗り移ったのであろうか。やや長じ、高等学校生徒のころ、私は大学受験勉強をほっぽらかして、狸の「ため糞」の研究に没頭した。狸という動物は、糞を撒き散らさず、一箇所のまとめてする習性をもっている。わたしは、狸をたずねて中部山岳地帯の山野を跋渉し、ため糞をみつけると随喜の涙を流したものである。大学にすべりこむや、さっそく「狸のため糞の観察とその記録」という堂々たる学術論文を書き上げたが不幸にして、学会の認めるところとならなかった。つづいてわたしは、「獣類の糞尿に関する総合的研究」という一大テーマをかかげて文部省の科学研究費を要求したが、にべもなくぺけにされてしまった。世の識者たちは、およそ糞尿などというものは科学研究の対象にならない、と考えていたらしい。わたしは、大学を卒業すると、世をはかなんで伊豆の山奥に遁世し、もっぱら狸を友として暮らしていたが、あるとき一貫の書物を手にしたことによって、翻然と悟りの道へ入ったのである。” 中村浩(共立女子大教授・理学博士)※ 悟りを得てはいませんが、トイレには行けます。 トイレ、特に自宅以外のトイレとは、そのトイレが属している建物のほかの部屋とは明らかに異なる空間であり、違った空気が支配する場だと感じます。 換気設備が整った清潔なトイレに入ると、それまでの思考や感情からひと時の開放を得ることができます。 さて、そのトイレに入り一息ついてみます。 見渡してみますと トイレにはドアがあります。 男子トイレなら小便用と大便用の個室があります。 大抵は水洗トイレで、トイレットペーパーが備え付けてあるか、小さなパッケージで売っています、近年はウォシュレットの場所もあります。 そして、手洗い用の台も大抵はあります。 なぜだろう? なぜ、トイレにドアがついているのか? なぜ、ドアがあるのに、個室があるのか? なぜ、水洗なのか? なぜ、紙がロールになって備わっているのか? なぜ、手を洗う場所があるのか? 過去へと思いをはせてみますと、4,000~6,000年前のトイレ跡である福井県の鳥浜貝塚のことが浮かんできます。(※1) 貝塚は生活場の遺跡です。鳥浜貝塚には、川の杭の跡と周囲に糞石があることから、日本最古のトイレだろうと推測されています。 糞石は約40箇所の遺跡から発見されている、文字通りに、大便が化石化したものです。 川に杭を打っただけの露天ですが、川ですので自然の水洗トイレです。 これに構築物が加わり所謂、川屋(厠)となり、時代が飛鳥、奈良、平安となり都ができるまでになると、川上ではなく、側溝による水洗トイレが現れます。また、水洗ではなく汲み取り式のトイレも現れます。このようなトイレができる以前から貴族階級では桶箱と呼ばれるオマルのようなものを部屋の隅で使い、やがて専用の部屋が作られるようになりました(トイレのような施設ではなく、桶箱を使う専用の部屋)。 貴族などはこのような施設を利用することもできますが、庶民は空き地や道端で用を足したと考えられています。 これらから得られた糞尿は、中国から伝えられて、稲作などの肥料に用いられました。 時代が下り、江戸時代になると、人口が密集した都市がいよいよ発達し、トイレは必要性を増します。 庶民の住居である長屋には、各戸にトイレはなく、長屋ごとの共同トイレです。 形態は、汲み取り式で下戸(腰までの戸)で、下肥は近郊の農家へと売られ、その代金は長屋の持ち主の収入となります。 裕福な商人や大名は、平安貴族と同じような容器上のものを使いました。 時代が明治以降に一部で水洗化は進むものの、東京への人口密集から、下肥が過剰となり、それまで売るものだったものが、料金を払って回収されるものとなります。 このような歴史を振り返ってみると、トイレは、個室化すること、水洗化することが、トイレのあるべき姿のように思われます。 そうすると、まず、トイレにドアがあり、トイレ内に個室があることがトイレとしてあるべき姿に即していると言えます。 トイレで用を足した後、人間は他の哺乳類のように自然脱肛しないため、そのままにすると便は臀裂部に付着することになります。 二足歩行をする人間は、四足歩行するそのほかの動物と異なり、内臓の重みが直腸へと作用するために肛門挙筋に肛門脱肛をするだけの余裕がなく、さらに、二足を支えるために発達した大臀筋のふくらみによって、肛門が露出されませんので、肛門が自然に乾燥されることがありません。 このような人間の肉体構造を考えると、用を足した後に紙で拭くというのはもっともなことに思えます。 現在のロール状のトイレットペーパーは十九世紀のアメリカで開発され、日本には明治時代に輸入されしようされるようになりました。 それ以前、紙で拭くことができたのはごく一部の特権階級で、他は様々な植物の葉を使用していました(他には籌木と呼ばれる木の箆があります)。明治以降も、古新聞などを使い、専用のトイレットペーパーを用いるというのは水洗トイレが普及した戦後です。 変遷がありますが、拭くということ、そして、より素材がやわらかいものに変化したことがわかります。 私のいるトイレとはなんとトイレとしてあるべき姿に即したものなのかと感心します。 このようはトイレを使えない・使えなかった人々を思うと心がいたみ、爽やかなトイレ空間へ感謝の気持ちを新たにして、トイレを出ようと思います。 トイレを出ようとすると、浮かない顔をした知人がいます。 体調が悪いのかと、浮かない顔の原因を尋ねると、理由は二つあるとのことです。 一つは、普段、ウォシュレットを使っているために、紙で拭くとスッキリしないということ。 もう一つは、彼女を待たせているが、長くトイレにいたために大便をしたことが分かって恥ずかしいとのこと。 なるほど、ウォシュレットの心地よさを体験してしまうと確かに紙ではスッキリとしない感があります。 しかし、大便をトイレでしたことが恥ずかしいのか。 彼女の前で野糞というのなら分かりますが、トイレですることが恥ずかしいのか。 トイレから帰る道で、つらつらと考えます。 まず、水で洗うということは清潔にするという点からは、紙で拭くとは比較にならないほどに優れた手段だと認めざるをえません。 そうです。紙で拭くことは、人類の三分の一の習慣です。 そして、水で洗うというのは、ヒンドゥー、イスラム世界をはじめ、ヨーロッパのビデの文化など、決して少数派ではありません。 さらに、男性の大便時のみならず小便時にも拭く・洗うというイスラムの伝承・文化を考えれば、トイレットペーパーの柔らかさに浸っていた私は間違いだったとも思えます。 では、ウォシュレットではないトイレで紙で拭いて済ませるのか、それとも水で洗うべきなのか(ここでは、便宜上、濡らした紙という折衷案は除外して考えます。つまり、紙で済ませるか、指と水を使って洗うか)。 “乾いた紙でふくことだけで満足しているかぎり、この状態は変わらない。乾いた紙でふけば、肛門にしがみついている糞便の固まりは取り除けるが、全部は取り除けないことは必然的な事実なのである。一部は下着に吸着され、その残りは肛門の周囲の皮膚に乾いた汚れとして残り、場合によっては、肛門の周囲の陰毛に付着し、炎症の原因になる。” 理詰めで言えば、指で洗ったら、指を洗えば済みます。だからといって指で洗うことの抵抗感は拭えずに煩悶します。 もう一つの、トイレを使うという羞恥心の問題はどうなのか。 前述したように、トイレは時代が進むにつれ、社会の上層になるにつれ個室化しているならば、トイレという空間はコミュニケーションから隔離されてしかるべきものであり、さらに広がってトイレという空間にいること・いたこと自体がそのほかの空間や時間から隔離・秘匿されるべきものだ、それがトイレのあるべき内容だと考えられます。 しかし、日本以外の歴史に目を向けてみると、個室化が時代の進展や社会の上層とイコールではないということが分かります。 日本がまだ川に杭を打って用便を足していた頃、古代シュメールや古代バビロニアでは既にレンガで造られた下水を備えた水洗トイレが殆ど現在の洋式便所と同じものが存在しました。 もう少し下って、古代ギリシアやローマでも水洗トイレがあります。 ところが、古代ローマが分裂した5世紀ごろからヨーロッパではトイレが修道院や城などの一部を除いてなくなります。排泄が非常に野放図になってしまったのです。 室内でつかうオマルが主役となります(有名なヴェルサイユ宮殿もオマル式)。 現在の水洗の形が定着したのは19世紀以降です。しかもバスルーム式で、密室ではありません。 時代が進むにつれ、社会の上層になるにつれ、トイレは個室化し、トイレはコミュニケーションから隔離・秘匿されるという図式が通用しません。 つまり、トイレを使う恥ずかしさには一定の方向があるとは言えなく、ありうべきトイレの方向も不変ということではないと言えます。 時代や社会化の進みによって羞恥心があるのなら、ニューギニアのメルパ族やカナダのインディアンのように見られると自殺するほどの羞恥心があること、もう少し穏やかには日本のアイヌ民族のように秘匿性を強く維持したこととが整合しません。 そもそも、トイレという施設ができ、さらには水洗が要請されたのは、自然が消化できる限度をこした糞便を生産する過剰な人口が集まっているからです。 遊牧民なら、人数も少なく、一定期間で移動することからトイレなど必要なく、さらには清潔です。 柔らかい紙で拭かなくてはならないことは、食物繊維が少なく炭水化物の多い食事をしているために便が柔らかいからです。 そして、食生活と便が変化しても紙で拭くことを変えず、さらには、(特に女性は)密着した下着をつけるようになり、乾燥を妨げるものまでつけています。 手を洗って清潔ですと言いたいところが、これでは、肝心な場所を無視していることになります。 トイレから帰り、椅子に座り、改めて考えますと、二つのことが言えることが分かります。 一つは、縦と横を意識して考えないと間違うこと。 縦と横とは、日本の縦の時間の流れを追っても、同時にある(横にある)他の国・地域の時間も見なければならないということです。 もう一つは、根本的・基本的・生得的で普遍な行為・感情だと思っても、そう簡単には言えず、文化やそれを支える環境に大きく依存していること。つまり社会構築的な部分が大きいということです。 人で排泄を行わずに生きてきた人はいなく、これは人の根本的で生得的な行為です。 しかし、その排泄ですらこれほど多様な形態(どこでするか、いつするか、どうするか、何で拭くか)があり、さらには、それに伴う感情も多様です。 そして、排泄行為もそれに伴う感情も、文化とそれを成立させる環境という要素が大きく影響しています。 当たり前だと思っていたトイレが分からなくなります。 言い換えると、トイレとして(の流れ)の本質だと思っていたもの、形態や排泄に伴う感情には社会によって作られた部分が多く存在し、それが意識されることで、混乱した気持ちが生じます。 生きている限りは排泄をします。 生きているということは、母親が自分を産んだということです。 母親が自分を産んだということは、母親が父親と出会い、性交をしたということです。 これは普遍的で根本的で生得的な事実です。 そして、この性交にまつわること、母親と父親、男と女が出会うことということ、つまり「性」についてこれから述べていくわけです。 まず、日本人にとって紙で拭くことからウォシュレットという水で洗うことへの転換に比類する大きな出来事、「恋愛」の発見から始めます。 ※)『糞尿博士・世界漫遊記』(世界思想社)中村浩著 ※1)トイレ・排泄の歴史については、『「トイレと文化」考』(文春文庫)スチュワート・ヘンリ著、『トイレと付き合う方法学入門』(朝日文庫)鈴木了司著を主に参照しています。 糞石については『糞石』千浦美智子著(『スカラベの見たもの』TOTO出版収録)を参照。 トイレの羞恥心については、ヘンリ著と『浄・不浄の社会行動』小西正捷著(収録)を参照。 尻拭きと人間の身体については『人はなぜ紙頼みをするのか』香原志勢著(収録)を引用・参照。
by sleepless_night
| 2005-12-01 21:07
| 性
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