“そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」” マタイによる福音書25章40節 * 臓器移植法の改訂案・通称A案が参院を賛成138、反対82で通過した。 A案が改訂臓器移植法として成立したことになる。 新聞でもテレビでも見た限りでは、従来の要点解説、「改訂によって15歳以下の臓器移植が可能になる」「家族の同意のみで移植可能になる」を変えていない。改訂が何を意味しているのを全く示していない。もしかしたら、提案者の説明や他の記者の解説だけを見聞きして、法案自体を自分で読んでいない記者もいるかもしれない。都議選で自民党が惨敗を喫した興奮で、マスメディアは持ちきりだろうし、臓器移植法の改訂など衆院解散を阻害する一つの要素とくらいにしか思っていないように感じられる。 テレビのアナウンサーやコメンテーターと呼ばれる人たちはもっと酷い状況だろう。 印象深かったのは、確かA案が衆院通過した日のNHKの午後7時のニュース。 番組冒頭で、「臓器移植法が衆議院を通過しました」と伝えるアナウンサーの背後の大きなモニターに子供を移植待機中になくして法改訂運動に携わっていた夫婦(中沢啓一郎・奈美枝さん夫妻)が衆院傍聴席で涙をながしている画像が「臓器移植法」というタイトルを付けて映し出されていたこと。 NHKが公正中立であることを信じているわけでももちろんないし、ニュースの本編ではドナーとなる側の長期脳死状態にある子供とその家族も紹介されていた。 しかし、NHKは「臓器移植改訂」というニュースがレシピエントとなる人のものであり、そうであるものとして視聴者に伝えたかったというのは十分に伝わった。 (この構図は今日のNHK首都圏ニュースでも全く変わらなかった。参院傍聴席には中沢さんご夫妻だけではなく長期脳死のお子さんを亡くされた中村暁美さんもいらしたのに、傍聴席の中沢さんご夫妻しか映していなかった。) 私の感覚では、これまでもテレビで臓器移植についてとり上げられるのは圧倒的に臓器移植が日本で受けられない「可哀そうな子供」のことだった(募金集めや渡航のニュース)。たまに、臓器不足で途上国で臓器を購入する日本人のニュースやドキュメンタリーも放送していただが、圧倒的に「可哀そうな子供」が臓器移植の世間でのイメージを作ってきた。 私は積極的意思表示をしないで脳死状態になった人が、「家族・遺族」がいないために、死を判定され、臓器摘出されるということを残酷だと感じる。 「家族」から何らかの事情で離れた人・のがれた人が、積極的意思表示をしないで脳死状態になると、離れた・のがれたはずの「家族」に死の判定や臓器摘出が左右されることを悲惨だと感じる。 積極的意思表示をしないで脳死状態になった人と臓器移植を必要とする人が家族にいた時、家族に一方には死を一方には生という決断が迫られることを非道なことだと思う。 これらは間違いなく、改訂臓器移植法によって生じる事態だ。 遺体の国の21グラム。 前篇で長々と臓器移植法について書いてみたが、長すぎて読む気が失せるというのが大抵だと思うので、簡単に結論・要旨を記しておく。 ●今回の改訂は部分的な変更ではない。法の根本を逆転させている。 現行法は脳死状態にある患者本人の提供意思が必須だった。これは身体が不可侵であるという原則があり、例外として本人意思による可侵が認められることを意味する。 改訂法は脳死状態にある患者本人の提供意思は不用になる。これは身体は可侵であるという原則があり、例外として本人の拒絶による不可侵が認められることを意味する。 15歳以下の移植ができるようになるのは、この「本人意思不要」原則のおかげだが、この原則はなにも15歳以下のみに適用されるのではない。日本国民全員の原則になる。そもそも法律に書かれているのは意思表示の問題で、旧臓器移植法にも改訂法にも「15歳」という年齢の制限は書かれていない。 ●「脳死は死」を一律に決めるものではない、というA案提出者の説明は間違い。 確かに法律が「臓器移植法」なので死一般を定めたものではない。しかし、死を定めた法律はもともとないので、今後、死に関係する法を制定する時は改訂臓器移植法が必ず参照される。法律は単一に存在するわけではなく、関連する法律が整合性をもって一つの現象を生じさせることをA案提出者の説明は無視している。この法律が今後の法制定や医療行政・政策で「脳死は死」ということを前提とした振る舞いを広めることは間違いない。 本気で臓器移植にしか関係がないと言っていたなら、立法者としての能力を疑う。 ●親族優先規定は腐っている。 法の原則が本人意思を不用と変更されたのに、逆に臓器提供先に本人意思を尊重する規定を加えているのは矛盾している。 本人意思を不用とし、家族がいなければ何の歯止めもなく臓器摘出ができるように法の原則を変更しておいて、一方では臓器の提供先まで選択させるのは倒錯でしかないし、レシピエント選択を認めるなら、なぜ家族だけが選択対象なのかもわからない。そもそも医療資源は医療の必要性の観点から配分されるという公正性を著しく害している。 ●弱いものを法は救わない。 繰り返すが、意思表示をしていない人で家族・遺族がいなければ、脳死判定をされて臓器摘出されることになった。 家族・遺族がいない、というのは家族が何らかの事情で形成できない人、家族から切り離された人・法律が常識語として使った家族の範疇に入らない関係を持っている人を含んでいる(「家族・遺族」というのは法律用語ではない)。 旧臓器移植法も15歳以下で移植を必要とする子供を救わなかったが、その中でも家族にカネやコネのない子供、家族からケアを受けていない子供は本当に救われていなかった(家族に金があるか、コネをつかって募金活動を展開しなければならなかったのだから、両方ないことのみならず、子供をケアする気がない親の子供は本当に救われていなかった)。これから、そういった子供たちはレシピエントになれるのではなく、ドナーになれるのだ。結局、旧法も改訂法も弱いものを救う法律ではない。 私は98年からドナーカードを持って、臓器提供の意思表示をしてきた。 家族の署名も入っている。 しかし、このような法の下で臓器を提供する意思はない。 新しいカードで臓器提供拒否の意思表示をしようと思う。 だが、カードを持たなければならないことが法に従うことだと思うと腹立たしい。 臓器移植関連:救う会の救われない救い 参議院HP:臓器移植法改定案本会議投票結果
by sleepless_night
| 2009-07-13 20:13
| 倫理
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